16.メイクアップ‼︎
いおりんこと汐 伊織の目の前に用意された化粧道具を見て、言葉を失ってしまった。これが本当に全て化粧道具なのだろうか。
目の前に並べられたのは、色々な色や形の瓶や丸いケース、それにまるで絵描きのようにたくさんの種類の筆の数々……。
「こ、これは?」
「これ? ぜんぶボクのだよ」
はぁぁ⁉︎ 全部だぁ⁉︎ しかもなんで男がこんなにたくさんの化粧道具を持ってるわけ⁉︎
「実はボク、プロのメイクアップアーティストを目指してるんだ」
「ほぇぇ……」
マヌケな声を出してはいたが、頭の中では驚きを通り越して思考停止していた。えーっと、メイクアップアーティストってことは、女優さんとかにお化粧をするいわゆる『メイクさん』ってやつだよな? それに、男であるいおりんがなろうとしてる⁉︎
そのあたりの事情についてはよく分からないし理解もできないけど、一つだけハッキリしたことがある。それは、いおりんが打算や下心などではなく、純粋に好意で俺に化粧をしてくれようとしてるってことだ。
「こっちはね、グランブルーの新作チークなんだ。そしてこれはマジェスティクオーブのファンデ。これなんかはあかるちゃんにぴったりだと思うんだよねえ」
「は、はぁ……」
そりゃもしかしたら女の子と仲良くなるために化粧を覚えたってのも可能性としてはあるかもしれない。だけど化粧道具や化粧品について嬉しそうに語るときの伊織の目は真剣で本物だった。なによりこいつのアカルを見る目は下心なんかじゃないと思う。これは……そう、まるで素材を見るときの料理人のような目なんだよ。
いおりんは本物だ。そう確信するに至る。
であれば話は違う、彼は俺のお化粧の師匠だ。俺は彼から徹底的に化粧について学ばなければならない。
「それじゃあ早速始めるね?」
「う、うん。よろしくお願いします」
素直に頷くと、黙って目を閉じて顔を突き出した。師匠のいうことはちゃんと聞かないといけないからな。
いおりんの存在は友達のいないアカルにとって極めて重要な存在だ。なにせ『綺麗になる』というミッションにおいて、化粧を欠かすことはできないのだから。であればいおりんに教わるしか今の俺にできることはない。
いまの俺は教わる立場なので、彼の言うことを素直に聞くことにした。
だけどすぐにはなにもされなかった。どうしたんだと訝しんでいると、クスクスと笑う声が聞こえてきた。目を開けてみると、目の前で天使の顔をしたいおりんが口元を押さえて笑っていたんだ。
「ご、ごめん。あまりにもあかるちゃんが素直に言うことを聞いてくれるからさ」
「えっ……だって汐くんは私にお化粧をしてくれるんでしょう? 私を綺麗にしてくれるんでしょう?」
そう言うと、いおりんの笑顔が凍りついた。すぐに真剣な表情に戻り、こちらを真剣に見つめてくる。
「本当にごめん、あかるちゃん。これからボクの全力をもって、キミを綺麗にするね?」
「はい、よろしくお願いします」
なんで謝ってくるんだろうか? よく分からないけど、まぁいおりんが本気になってくれたなら良しとするか。
こうして、俺といおりん二人だけの空間での不思議な時間が流れ始めたんだ。
◇◇◇
俺の目の前に三面のミラーを立ててちゃんと様子が見れるようにしてくれると、ヘアバンドを渡してくれた。頭に装着して髪の毛が邪魔しないようにしてもらうと、今度は洗顔だ。トイレに行って渡されたソープを使って顔を洗う。
うーん、お化粧の準備だけでも大変だ。
「あかるちゃん、本当に肌が綺麗だね」
「そ、そう? あ、ありがとう?」
「あははっ、なんで疑問系なの?」
「えっ? あ、な、なんとなく?」
「ふふっ、あかるちゃんって面白いね」
だってさ、肌が綺麗とか言われたってそもそも俺の体じゃないし、別に何かを頑張ったわけでもないから実感無いんだよねぇ。
まるで作品に挑む芸術家のように真剣な表情で顔を触ったり何かを塗ったりしてるいおりん。たぶん普通の女の子だったら、彼のこんな表情に恋に落ちたりするんだろうなぁ。
そう思いながらふとあることに気づく。もしかしてこれってゲーム的に言うと『特定イベント』だったり『フラグ』だったりするんじゃね⁇
もっとも、気づいたところでもはや手遅れ。ってか、べつにいおりんに下心は感じられないんだよなぁ。
「こんなに素晴らしい素材はレーナちゃん以来だよ」
「レーナちゃん?」
「うん。知らない? 去年の一年生のプリモディーネになった美華月 麗奈。彼女、ボクの幼馴染なんだ」
なんかまた知らない単語出てきたぞ。プリモディーネってなんだよ? プリンアラモードなら分かるんだけどさ。
「まぁ最近はモデルとかのお仕事が忙しいみたいであんまり学校に来れてないみたいだけどね」
「へ、へぇー。たいへんなんだね」
「うん、そうだね。あ、そうだ。よくボクとレーナちゃんが付き合ってるって噂があったりするけど、あれはウソだからね?」
「ふ、ふぅん。そうなんだ」
なんかいろいろとゴシップっぽい話を振ってくれるんだけど、すまんいおりん。なにがなんだかさっぱりわからないんだ。
そもそもそのレーナちゃんがどんな子なのかも知らないから答えようがないんだよねぇ。モデルの仕事ってことは、アルバイトなわけないから、もしかして芸能活動とかしてたりするのかな? まぁいずれにせよ自分には縁のない人種なんだろうけどさ。
「……それにしても、あかるちゃんは不思議だね」
「へっ?」
「だって、ふつうこの手のネタにはみんな喰いついてくるからさ。みんなレーナちゃんの話は聞きたがるんだけどね」
「ふ、ふぅん」
「ふふっ、やっぱりあかるちゃんは面白いや」
そういうとけらけら笑いながらお化粧を再開するいおりん。ふぅぅ、なんだってんだよ?
◇◇◇
パタパタ。もうどれくらい時間が経っただろうか。今はボンボンみたいなので顔の周りになにか粉みたいなものをつけられている。
もはや目の前の鏡は確認していない。ただ真剣な顔のいおりんと面と向かって対峙している形だ。
ぶっちゃけ非常に居心地が悪いので、無心で目をつむっている。だってさ、目を開けたら目の前に美少年とか、ちょっと違和感ハンパないじゃん?
「あかるちゃんは凄いね。こんなに無条件にボクのメイクを受け入れてくれた人はレーナちゃん以来だよ。おかげでものすごくイマジネーションが高まってる」
「そ、そう? ほかの人にはメイクしたりしないの?」
「んー。しないってわけじゃないんだけど、やりたいって思う人がなかなかいないんだよねぇ。レーナちゃんやあかるちゃん以外だったら興味があるのはヌイちゃんだけど、彼女はちょっと怖いんだよね」
「……怖い?」
怖いってのはあんまり女の子に対して使う表現じゃないよな。もしかしてヌイちゃんってのはスケバンとかだったりするんだろうか。
「そういうわけじゃないよ。ヌイちゃんは女の子らしくて可愛らしい子なんだけど……なんとなく恐いんだ。うまく言葉では説明できないんだけどね」
「ふぅん……」
「そんなことよりほら、完成したよ? 鏡を見てみて」
「ほえっ?」
そう言われて渡された手鏡を覗き込む。するとそこにはとんでもない美少女が映し出されていた。
正直、すっぴんの状態でもアカルちゃんは十分美少女だった。だけどちゃんと化粧をしたら、もはや桁違いだった。
整えられた眉。付け足されて長く伸びたまつ毛。薔薇のような頬。瑞々しく光り輝く唇。
ぶっちゃけ先ほどのミュージックビデオに出ていた星空メルビーナちゃんよりも可愛らしい美少女の姿がそこには存在していた。
「これが……お、じゃない、私?」
「うんっ。気に入ってもらえた? ボクの渾身の力作だよ。あかるちゃんの魅力を前面に引き出すためにずいぶん気合を入れて頑張っちゃったんだ」
そういうと、いおりんは満足げにほほ笑んだ。その笑顔には、大きな偉業を達成したものだけが湛える満たされた思いを感じることができたんだ。
実際、彼の作品である【日野宮あかる】はとんでもない美少女に変身していた。気の強そうなつり上がった目も、いまでは見る人を魅了する魔力を帯びた瞳と化していたんだ。
「す、すごいね汐くん! 本当にすごい! これはもうプロの技術だよ!」
「あははっ、さすがにそれはおおげさじゃないかな。でもあかるちゃんにそこまで言ってもらえるなら、がんばった甲斐があったよ」
「うん! だって、これだけの知識と技術を持っている人のメイクだよ? やってもらって本当によかったよ」
あまりの嬉しさに、満面の笑みでいおりんの手を握り締める。いおりんが少し戸惑いの表情を浮かべていたけど、そんなことは気にしない。超絶美少女アカルちゃんの握手だ、ありがたく受け取りたまえよ?
ふと時計を見てみると、すでに1時間以上が経過していた。どうやらずいぶんと長い時間メイクを受けていたみたいだ。ほんっとにありがとうな、いおりん! これ下手したら一発でミッションクリアになるんじゃないか? いやー、いおりんにお願いして大正解だったよ。
「ねぇあかるちゃん?」
「ん? なぁに?」
「その……どうしてあかるちゃんはボクのメイクを受けようと思ったの?」
急に真面目な顔になったいおりんがそう問いかけてきた。どうしたんだろう、なにか気になることがあるんだろうか。
「なんでって、汐くんが私の悩みに真剣に応えてくれたからだよ」
「でもさ、ボクは男じゃない? 男のボクに化粧をされることに不安とかはなかったの?」
「それは無かったかな。だってさ、汐くんはどうしてお、じゃない私にお化粧をしたいって思ったの?」
「それは……あかるちゃんがすごいポテンシャルを持っていそうだったから、その魅力をぜひボクが引き出してあげたいなって思って」
「それって打算とかじゃなくて、汐くんの純粋な思いでしょう?」
「そ、それはそうだけど……」
「だから私、汐くんにお願いしたんだよ?」
そう、もしいおりんがアカルちゃんにスケベ心を抱いている変態ヤローだったら最初から絶対にお断りだった。だけど彼は最初から真剣な気持ちでいてくれた。だから俺は信じたわけだし、その信頼にいおりんは見事に答えてくれたわけだ。
だけどちょっとだけ心配だったから、さりげなく「私はあなたのメイク技術が気に入ってるんだよ」ということを強調しておく。こうすれば邪な下心を抱くことなんてないだろう。
くくく、我ながらなんていう深慮遠謀だ。溢れ出る才気が恐ろしいぜ。
「あ、あかるちゃんはボクのこと気持ち悪くないの? 男のくせにお化粧道具持っててっとかさ」
「え? なんで?」
気持ち悪いっていう意味で言ったら、もっと気持ち悪いやつを知っている。男のくせに女子高生のふりをしているどこの馬の骨ともわかんないやつだ。……あぁ、自分で言ってて凹んできたわ。
「だって汐くんはプロのメイクさんになりたいんでしょ? だったら何の問題もないと思うけどなぁ」
「そ、そっか……」
そもそも俺が学生時代なんて、将来のことを欠片も考えてなかったと思うんだよなぁ。それに比べてこの年でそんな将来のビジョンを明確に持ってるなんてすごいと思うけどな。
妙に感慨深い表情を浮かべている美少年いおりん。あー、もしかしてメイクさんになるなんていうちょっと変わった夢を持ってるから、やっぱり周りから奇異の目で見られたりしてたのかな?
でも大丈夫! 変態街道まっしぐらの俺はそういう細かいことは気にしないからさ!
「あかるちゃんは……ううん、なんでもないや。それよりもせっかくだから写真撮ろっか?」
「えーっ、それ拡散したりしない?」
「しない、しないよー」
こうして俺たちは、スマホでのにわか撮影会を始めたんだ。一瞬だけど、いおりんが泣いていたような気がしたんだけど、気のせいだよね? 俺、泣かしたりしてないよね? 褒めただけだよね⁇