【伝説のステージ】 君がいる世界
ここは、摩利亞那高校にある講堂。
長い歴史の中で何度か建て直され、現在で三代目に当たるこの講堂は、数年前に建て替えられたばかりであったことから、最新式の設備が多く取り揃えられていた。
その設備の一つに、VIPルームというのがある。この部屋は、摩利亞那高校を訪れる著名人の来賓のために用意された、講堂を見渡す位置にある部屋だ。
そのVIPルームに、二人の女性の姿があった。
着物を着た女性--美華月 更紗と、ワインレッドのドレスに身を包んだ女性-- 星原 聖泉。二人とも、何れ劣らぬこの国を代表する大女優である。
「更紗さん、今の男の子たち、なかなか上手でしたね?」
「そうね。歌や演奏もまぁまぁだったわね」
聖泉の問いかけに、ハリウッド女優の優雅さをもって更紗は頷き返す。
彼女らは、自らの母校である学祭に極めて久しぶりにこうして訪れていた。更紗は娘の麗奈の入学式以来、 聖泉に至っては、なんと卒業以来である。それもこれも、二人が大女優であり多忙であることを意味していた。
そんな彼女たちが久しぶりにマリアナ高校に帰ってきた理由。それは、これから始まるステージを見るためだった。
今をときめく大女優二人が気になって仕方ない存在が、これからこのステージでパフォーマンスを行うのだ。
その人物の名は、日野宮あかる。
マリアナ高校に 聖泉以来二十年ぶりに誕生したエヴァンジェリストであり、更紗の娘の麗奈が心酔する美少女。その子のスペシャルステージが、これから行われるのだ。
千人は入ることのできる講堂は、すでに超満員になっていた。まるで一流アーティストのコンサートのようである。おそらくは摩利亞那高校のほぼ全生徒がこの場に集まっているのであろう。
そのうちの一部が、VIPルームにいる更紗たちの存在に気づいたようだ。チラチラと後ろを振り返っては、彼女たちを確認して驚きの表情を浮かべている。
「あら、どうやら気づかれちゃったみたいね」
「それは更紗さんみたいな目立つ方がいれば、気づかれますよ……って、いよいよ始まりそうですね」
講堂内の照明がゆっくりと暗くなっていき、次のステージの始まりを告げる。観客たちも、一斉に静まり返って舞台に顔を向ける。
ステージの端にパッとスポットライトが当たり、そこに立つ女性を浮かび上がらせた。
彼女の名は、海堂 布衣。彼女は手に持ったマイクを口元に寄せると、ゆっくりと口を開く。
『みなさん、お待たせしました。これから【アカル☆パラドックス】のステージを始めます』
おおおおおおっ!
大歓声が、会場に巻き起こる。
『……このステージは、本人たちの強い希望により、たった一回、一曲だけのステージになります。だけどその一回のためだけに、私たちは全力全霊で準備をしてきました。それもこれも、一人の女性に対する感謝の気持ちからです』
ざわり。
彼女の言葉に、観衆がざわつき始める。
『私たちは、ある一人の少女に出会って大きく変わりました。そして、彼女のためなら、どんなに尽くしてもいいと思えるほど、深い恩と感謝の気持ちを持っています。そう思った人たちの集まりが、このチームなのです』
布衣の声はとても穏やかで、観客たちの耳にスッと入り込んでくる。
布衣はカンぺも持たずに話していた。そのことから、彼女が語る言葉が本心からのものであると、誰もが理解することができる。
ゆえに、皆が静かに彼女のスピーチに聞き入った。
『それでは、これから始めます。私たち【アカル☆パラドックス】の、たった一回だけのスペシャルステージ。最後まで見て、聞いて、感じてください』
布衣がマイクから口元を離したとたん、フッと、彼女に当たっていたスポットライトが消える。続けて、ステージのバックに映像が流れはじめた。
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巨大なスクリーンと化した壁面に映し出されたのは、二人の美少女の姿。
だがこの場にいる誰もが、この二人の美少女の名を知っていた。
溢れそうな大きな瞳に、人形のように整った目鼻顔立ち、生まれながらのアイドルとも言えるこの美少女の名は--美華月 麗奈。
背が高くて細身のスタイル、ロングの黒髪を靡かせる少し気の強そうな吊り上がった目の美少女は--日野宮あかる。
穏やかなバックミュージックに乗って流される映像は、ドラマ仕立てになっていた。
映像のなかで二人は、学校の中ですれ違ったときに目を合わせたり、遠くから相手に視線を向けたりと、強く意識してるシーンが何度も映し出される。
二人の美少女がスクリーンで織りなす無言のやりとに、観客たちは固唾を飲んで見入っていた。
日野宮あかると美華月 麗奈が演じる無音ドラマは、どうやら女の子同士の友情を描いたものであるようだった。
ふたりはマリアナ高校の校舎の中で出会い、校門へと続く坂道で言い争い、校舎裏で仲直りしたりする様子が、驚くほど鮮明で精錬された映像で映し出される。
観客の中には気づいているものもいたが、今流れている映像は、先日学校内で撮影されたものだ。
見慣れた景色に、ときおり映り込む知り合いや自分の姿を見つけて、見ている生徒たちはまるで映画のワンシーンに自分が入り込んだかのような錯覚に陥っている。
実はそれこそが、天才演出家である恵里巣 恵介の狙いであったのだが、観衆たちは彼の真骨頂をこのあとさらに見せつけられることになる。
ステージに照射された映像は、最後に二人の別れの様子を映し出していた。
校門に立つ、日野宮あかる。そんな彼女を遠くから涙目で見つめる美華月 麗奈。
泣きそうな表情の麗奈の顔のアップを映し出したあと、講堂内は一度暗転する。
騒つく観客たち。
だがすぐに講堂はゆっくりと明るさを取り戻していく。
次に観客の目に映し出されたのは--ステージ上に複数の人たちの姿であった。
ギターを持った騎士姿の火村 修司。
ベースを握るお姫様のコスプレをした汐 伊織。
ドラマの後ろに立つローブを羽織った天王寺 額賀。
ヴァイオリンを担ぐ堕天使の格好をした冥林 美加得。
ピアノの前に座るクマの着ぐるみを着た明星 羽子。
その横には、下を向いて立つ四人のダンサー……星乃木 姫妃、礼音姉妹、出目 美朱、土手内 珠理奈の姿。
四人はマリアナ高校の制服を少しアレンジした衣装を身につけている。
さらにステージの中心には、つい先ほどまで映像で映し出されていた二人の女性の姿があった。
マリアナ高校の制服をすべて真っ黒に染めた衣装を着た、美華月 麗奈。
そして--同じくマリアナ高校の制服をすべて純白に染めた衣装を身につけた、日野宮あかる。
マリアナ・オールスターズとも言えるあまりにも豪華なメンバーの登場に、会場のボルテージが一気に上がっていく。だが壇上の彼女たちはただ無言でその場に立っていた。
誰も口を開こうとしない。全員が下に俯いていた。
その異様な光景に、最初は騒めき歓声を上げていた会場が、徐々に静まり返っていく。
そして、会場に完全なる静寂が訪れたとき。
中心の日野宮あかるにスポットライトが一気に当てられた。
煌びやかに照らし出される、日野宮あかる。同時に、ステージのバックに新たな映像--いや文字が映し出された。
《 『アカル☆パラドックス』 presents. 》
《 title 『君がいる世界』 》
ポロン……。明星 羽子が、ゆっくりとピアノを弾き始める。
この瞬間、のちに『伝説のステージ』と呼ばれることになる【アカル☆パラドックス】のライブが、ついに幕を開けたのだった。
◆◆◆
穏やかに流れる羽子のピアノに続いて、中心に立つ日野宮あかるがゆっくりと口を開いた。
ーー 通い慣れた この坂道
ーー いつまでも歩き続ける
ーー ……あのころのぼくは そう思っていた
ステージのバックに映し出される歌詞。その歌詞に合わせて歌う日野宮あかるの伸びやかで清らかな声が響き渡った瞬間、彼女の声のあまりの美しさに、会場は驚きに包まれた。
だがそれもほんのわずかのことで、すぐに観客たちは日野宮あかるの歌に聞き入る。それほどに、彼女の声は……人々の心を一瞬で強く掴んだのだ。
ーー この時が永遠に続くんだって 疑いもしなかった
ーー そう 君に出会うまでは……
ポロン……。
前奏が終わり羽子がピアノの手を止めた、次の瞬間。
ミカエルのヴァイオリン、シュウのギター、いおりんのベース、ガッくんのドラムが一気に炸裂した。それまでの静寂な雰囲気を打ち破る、凄まじいまでの演奏。異質な音たちが奏でる、驚異のハーモニー。
その中でも異彩を放っていたのは、ミカエルが奏でるヴァイオリンの音色だった。目を閉じてヴァイオリンを奏でながら、ミカエルは今ステージの中心で歌う日野宮あかるのことを想う。
ーー 平凡なぼくの日常が 急に変化を遂げる
ーー 少し汚れた校舎の壁が 急に輝きを放つ
ミカエルにとってヴァイオリンは鬼門だった。幼い頃から姉に鍛えられたヴァイオリンは、彼にとってトラウマの原因でもあった。
だが、日野宮あかるの歌声を聴いた時。彼の頭の中で、ずっと避け続けていたヴァイオリンの音色がリフレインしていることに気づいた。気がつくと、ずっと触れずにいたヴァイオリンをこうして手にとって演奏してしまうほどに。
このように自分を変えた存在、日野宮あかるのために、今日は全てを出し尽くしてみせる。ミカエルはそう心に誓っていた。それこそが、今の自分が彼女のためにできる最高のことだと分かっていたから。
ーー それまでのぼくが見てた景色は灰色で
ーー 全てが単調な世界だった
ーー だけどいまぼくの見てる世界の色 それは……
だだだだっ。
曲がサビの部分に入り、ガッくんが全身を使ってドラムを叩く。刻まれるビートは激しく、ガッくんの体を強く鞭打つ。
それでも彼は全力で演奏した。それは、歌っているのが日野宮あかるだからだ。
彼女に出会って、彼は大きく変わった。それまで融通が利かないタイプと言われていたのだが、最近ではときおり笑みをも見せるようになったほどだ。
自分を変えてくれて、さらには憧れの姫妃との距離を近づけるきっかけをくれた日野宮あかるに、彼は深く感謝していた。
だから彼は、彼女のために全力でドラムを叩く。
ーー「知ってる? 人はその気になれば いつだって変われるんだよ」
ーー 君は笑いながらぼくにそう言った
ーー だからぼくは これまでがんばれたんだよ
ギターをかきならすシュウは、ステージの中心で歌う日野宮あかるを眩しい思いで見ていた。
彼にとって彼女は、かつてはただの幼なじみだった。だけど気がつくと、相手はどんどん成長して行って、気がつけば手の届かない存在になっていた。
だけど、それでも彼は彼女のことを大切な幼なじみだと思っていた。たとえ、大きく性格が変わったのだとしても。
ーー 今のぼくは 変わったのかな?
ーー 答えは今も 出ないまま……
曲はサビを終えて間奏に入り、四人のダンサーが一糸乱れるダンスを披露する。飛び散る汗がスポットライトに照らされ、極彩色の輝きを放つ。
四人のリーダーであるレノンは、全校生徒以上の人たちが見るステージでこのように踊れることに感謝していた。それもこれも、日野宮あかるのおかげだと思っていた。
姉の姫妃も、このステージを全力で楽しんでいた。彼女にとって退屈は敵、だから楽しみを与えてくれる日野宮あかるは味方だった。
ジュリとみかりんは、かつて日陰者だったり陰口を叩かれたり登校拒否をしていたような自分が、このような華やかなステージに立てたことに感激していた。
彼女たち四人に共通する思い。それは……日野宮あかるへの感謝。その気持ちを抱きながら、彼女たちは必死で踊り続ける。
観衆たちは、気がつくと全員が立ち上がってリズムを取っていた。それは、VIPルームで鑑賞していた星原 聖泉も例外ではなかった。
大女優たちでさえ立ち上がらせる力を発揮する日野宮あかるたちの曲は、勢いそのままに二番へと突入していく。
ーー 「この空で繋がってるよ 時が流れても ずっと きっと」
ーー 君の言葉が いまも胸に残るよ
ーー いったいあれからどれだけの時が流れたのだろう
曲は二番に入り、さらに勢いは増していく。
他のメンバーの勢いに押されがちないおりんも、必死にベースを奏でていた。
彼もまた、日野宮あかるに強く惹かれる人物のうちの一人だ。彼女に対する強い思いは誰にも負けないと自負している。
だが彼は、今目の前で歌う日野宮あかるの姿に、自分でも驚くほど見とれていた。それはもう、恋に落ちているといってもいいほどに。
だから彼は、全力でベースを弾きリズムを作る。愛しの彼女のステージが、乱れないように。
ーー いまのぼくが見てる世界はちっぽけで
ーー 全てが狭小な視界だった
ーー だけど明日ぼくが見る空の色は……
そして、曲は二度目のサビを迎える。
ーー 「知ってる? 人は過ちに気付いたとき そこからまた歩み始めるんだよ」
ーー 君は泣きながらぼくにそう言った
ーー だからぼくは いままで前を向いてきたんだよ
ーー 今のぼくは どこを向いているのかな?
ーー 握り締めた手が 酷く冷たい……
二番のサビが終わり、そのまま間奏へと突入する。
ミカエルが、シュウが、ガッくんが、いおりんが、全身全霊のパフォーマンスを披露していた。
……このとき、舞台裏にいる一人の人物が、音響や映像、照明の機械を必死に操作しながら頭を抱えていた。その人物の名は、恵里巣 啓介。
「だめだ、追いつかない」
エリスはおもわず絶叫する。それくらい彼の仕事は多忙を極めていた。なにせ音響、映像、照明をたった一人で操作していたのだから。
だがそんな彼の思いを無視して、間奏も佳境へと入り、日野宮あかるのさらに凄みを増した声が響き渡る。
ーー ごめん 今夜だけは涙を流させて欲しいんだ
ーー すごく辛い夜を乗り越えられそうにないから
エリスには、プロデュースの才能があった。現時点でも他の誰もできないようなことを一人でやっていると言っていい。
だがエリスのその超人的な活動も、完全に限界を迎えていた。このままのペースで演出をすることは不可能だった。もはや演出のレベルを落とすことしか、彼に最後までやり遂げる手段はないように見えた。
ーー だけどね ぼくは分かってるんだ
ーー 夜が明ければ 新しい朝が来る
「いや、だめだ! 僕はここで妥協したくない! この時を逃したら、僕はもう胸を張って映像の世界に生きることはできないっ! だから頼む、悪魔でもなんでもいい! 僕に力を貸してくれっ!」
ーー そのときになれば、きっとぼくは……
ーー だから今だけは……お願い
そのとき、彼は見た。自分の目の前に一瞬現れた、白と黒のストライプの髪を持つ女性の姿を。
その女性は、決して美しいという容姿ではなかったかもしれない。だが、のちに彼はこのときのことを思い出してこう語る。「あのとき僕にね、神が舞い降りたんだよ。映像の神がね」
次の瞬間。彼の頭の中で何かがはじけた。
「できる……できるぞ! 僕にできる!」
彼の脳裏に、まるで閃光のように次に打つべき処理や映像が浮かんできて、鬼神のような素早さで目の前の機械を操作していく。
この瞬間、のちに『魔術師』と呼ばれることになる一人の演出の天才が誕生したのだった。
そして……彼の演出技術は、ここからさらに凄みを増していくことになる。
光と映像、そしてダンスと演奏。それらが究極のレベルを持って舞台上で吹き荒れていた。
観客たちは、信じられない光景を目にしていた。それは奇跡だった。
二度と見ることのできない、真の天才たちが織り成す、限界を超えた奇跡。
目の前のステージで繰り広げられる、凄まじい才能同士がぶつかり合いながらも共鳴し合う光景に、観衆たちは完全に取り込まれていた。
曲は二度目の間奏に入り、羽子のピアノとミカエルのヴァイオリン音が大きく会場に響き渡る。
だがこのとき、すでに羽子の手は限界に達していた。激しい練習に加え、限界を超えた演奏にその手はもうボロボロだったのだ。
いやだ、こんなところで力尽きたくない。そんな羽子の思いとは裏腹に、体は悲鳴をあげていた。
だから彼女は、最後に願った。
「お願い、誰か。わたしに力を貸して……このあと壊れてしまってもいいから!」
そして奇跡は、突然彼女の身に降り注がれる。
一瞬彼女の体が光り輝いたかと思うと、ボロボロだった羽子の体に、ふいに力が湧きあがってきたのだ。
どういうこと? だが戸惑いよりも先に折れかけていた心に激しい炎が灯る。
「いける……わたしまだ、弾ける! あかるさんのために、まだ戦えるんだっ!」
観衆たちは、見た。羽子の後ろに一瞬だけ浮かんだ、白黒ストライプの髪を保つ天使の姿を。
観衆はそれが、演出だと思った。だが、ただ一人……日野宮あかるだけは気づいていた。彼女の口が「G?」と動く。しかしその声がマイクに拾われることはなかった。
奇跡によって傷の癒えた羽子のピアノが、ここから一気に躍動する。
まるで弾け飛ぶように奏でられる鍵盤の音。その音は、まるで羽の生えた妖精が飛び立つように講堂の中を縦横無尽に駆け巡っていく。
そして……ついに曲はクライマックスを迎える。
ーー 「知ってる? 人はその気になれば いつだって変われるんだよ」
ーー 君は笑いながらぼくにそう言った
ーー だからぼくはこれまでがんばれたんだ
ーー 今のぼくは 変わったのかな?
ーー 答えは今もまだ出ていない……けれど
気がつくと、日野宮あかるは涙を流していた。両方の瞳から零れ落ちる涙は、スポットライトによってまるで七色の宝石のように色を変える。
その様子を、すぐ後ろからレーナは眺めていた。もはや彼女のコーラスさえも、凄みを増した日野宮あかるの声の前に引き立て役になってしまっている。
でも、それでも構わないと彼女は思っていた。なぜならレーナは、日野宮あかるに恋をしていたから。本人すら気づいていない、深い情熱で。
だからレーナも涙を流していた。日野宮アカルの歌う歌に込められた胸を打つ思いに、強く心動かされて。
そして支えようと思った。彼女のことを、いまも、これからも。
ここに来てレーナの歌声も、さらに上のステージへと昇華されていく。
ーー いつから思い出せなくなったんだろう
ーー だけどぼくはまた前に歩き出す
ーー そこにはきっと『君がいる世界』があるのだから
涙を流しながら歌う日野宮あかるの姿に、他のメンバーたちも気づき始める。観客たちも同様に、気付くものたちが現れた。
だけど、彼女の歌は止まらない。それどころか日野宮あかるの奇跡の歌声は、ここに来て頂点を迎えていた。
喉の奥から放出されるその歌は、まるで天使の歌のようであった。聞く人たちの心に届き、打ち付け、癒し、羽ばたいてゆく。
その歌声に、たくさんの人たちが引き込まれた。涙した。
そして曲は……ついに最後のワンフレーズを迎える。
ーー いつかまた君に会えたら
ーー 言えなかった言葉を伝えたいんだ
ーー 『ありがとう』 そして……
ーー 君に出会えて
『……よかった』
◆◆◆
最後の歌詞を歌い終えた瞬間、日野宮あかるはマイクを持つ手をゆっくりと下に落とした。
彼女は、号泣していた。日野宮あかるの整ったその顔を、とめどなく涙が流れ落ちていく。
それは、この場にいる全員が初めて見る、日野宮あかるの涙だった。
彼女はこれまで人前で決して泣くことはなかった。どんなに辛いことや大変なことがあっても、涙を流すことはなかった。
その彼女が、人目もはばからず号泣していたのだ。
学校のカリスマが涙を流す姿に、観客たちは何を思ったのであろうか。
日野宮あかるの後ろから、同じように号泣したレーナが抱きついた。宙を見上げたまま歯を食いしばって泣く日野宮あかるの胸に飛び込み、一緒に号泣する。
全身全霊でピアノを弾いてほぼ力尽きていた羽子も、涙を流しながら這うようにして日野宮あかるのもとに近づいていった。そんな彼女を支えるレーナ。
ダンサーとして踊っていたレノンやみかりん、ジュリも大泣きながら日野宮あかるを取り囲んでいく。ステージの中心では、号泣する者たちの輪が出来上がっていた。
そんな彼女たちを、キングダムカルテットの四人や姫妃が、優しい眼差しで見守っていた。
彼らの視線の先では、まるで子供のようにわんわんと泣き続ける日野宮あかるの姿があったのだった。
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こうして、後の世に【伝説のライブ】と伝えられることとなる、【アカル☆パラドックス】によるたった一回だけのステージが、幕を下ろしたのだった。
このステージを見た人たちの心に、たくさんの強い想いと忘れられない大きな爪痕を残して。