6.荒野の主
魔獣の姿は、蜥蜴が二足歩行し5メートルに巨大化したものと説明するのが簡潔にして適切だろう。蜥蜴とは言っても、追いかければ尻尾を残して逃げていくような可愛いものではない。
全身は人間に似た筋肉が隆起し、四肢の1つ1つは丸太のようで、それで打ちすえられればジークの体などいとも簡単に砕けてしまうだろう。
「隙を見て逃げたいところ、ですがね」
魔獣の背後にはシグラスの城下町。ここで蜥蜴を逃がしてしまえば町に来る確率が高い。勝てる望みは薄いが、全力を出し切ればあるいは、とジークが考えた時には、ジークがいた地面に穴が空いていた。
「考える時間はなさそうだ」
鋭利な爪がほんの少しかすり、血液が腕を流れる感覚がする。手で拭い、角牛を束縛した時の要領で、今度は空中に魔法陣を描く。
「我が血よ、仇成すものに刃を……」
短い詠唱。魔法陣が輝き、血色の刃が蜥蜴の鱗に向かって飛ぶ。
「フルゥッ!」
だがそれは腕の一振りで掻き消されてしまう。
「小細工は通じないようだ。ならば……雷よ!」
ジークの叫びに応じて、青天の霹靂が剣に落ちる。もちろん自爆ではない。どの属性にも共通して存在する付与の魔法だ。
剣の刀身は迸る紫電によってほとんど見えなくなる。
「グルアッ!」
警戒を滲ませた魔獣が極太の尾で地面を払う。ジークはジャンプで軽々回避し、着地して剣を構える。
「フッ!」
尾に体が引っ張られ、体勢を崩した魔獣の背に斬撃を入れる。薄皮が切れ、少量の血がジークの体にかかる。すかさず頬についた数滴で魔法陣を描き、詠唱。
「この血を持つ者に束縛を」
赤い光りが蜥蜴の体を捕らえる。それでも動く魔獣の左目を一突きすると、恐ろしい咆哮を上げて魔獣の体が仰け反った。その拍子に戒めがほどけるが、元々一瞬動きを止められれば僥幸と考え設置したものだったため、感ずる所はない。
(それよりも気がかりなのは……)
立ち上がった魔獣の左目をみる。血が流れた跡こそあるが、潰したはずの目は無傷だった。
(いくらなんでも不自然だ。いくら体の大半が魔力で形成されている魔獣でも、失われた部位を再生するには数日を要する。この再生力の源は……)
戦闘体制の思考が1秒もかからず結論を導きだす。どこかに異常な魔力を発している器官があるはずだと。そこを見つけ出すためには、
「全身を切り刻んでみるしかない、か」
魔力の流れだけで弱点を見つけられるほど、ジークは魔法に優れていない。行使できるのは雷撃魔法と、血の魔法陣を使った特殊魔法だけだ。
(それでも出来る事はいくらでもある)
魔獣の攻撃を掻い潜り、さまざまな部位を刻む。時折流れる魔獣と自分の血を全て攻撃に費やし、弱点を探っていく。次第に魔獣も再生が間に合わなくなり、隙を多く見せるようになっていく。ジークが1の傷をつければ、10の傷を癒し、100の攻撃を避ければ、1000の咆哮が魔獣の口から漏れる。
そんな死闘を数十分続けて、ようやくそれらしき場所を見つけた。
「心臓……随分わかりやすいじゃないですか」
自嘲と喜びの笑みが薄く滲む。すでに全身は血塗れで、自慢の銀髪も沈みかかっている太陽と同じ色になっていた。それでも、弱ってきた魔獣の心臓を貫くくらいの体力は残っていた。
「雷よ、我にその速さを」
剣の付与は消えていたが、その代わりに速度強化の魔法を掛ける。
「ガアアァッ」
魔獣も、目の前の弱った獲物に止めを刺そうと腕を振り上げた。それでも、初動の早かったジークの勝利は揺るがない。ドッ、と鈍い音が響き、少し遅れて大量の血が撒き散らされる。胸に風穴の空いた荒野の主は血塗れの少年の前に倒れ伏した。
「……っは!フゥッ!」
死体を確認すると剣を杖にしてその場に崩れた。陽は沈みきり、雲が空を覆っていた。そこから雨が降り始めるころに、ジークはなんとか再び動ける程度の体力を取り戻した。魔獣の体から鱗や尾の一部を剥ぎ取り、収納する。空から注がれる水が、ジークに付いた返り血を洗い流していた。