2.魔法使いの少女
ジークが自分の部屋として選んだのは、階段から上がってきて目の前にある部屋だ。彼は元々、何かに拘るタイプではない。重要でないことはさっさと決めてしまうことが常だった。
部屋の中は清潔で、これをメディが1人でやっているのかと思うと、気の遠くなる話である。ジークは部屋の片隅に自己主張控えめで立つベッドに寝転がった。
(眠れないです)
休めとは言われたが、体に疲れはないし、眠気などもっての他だ。結局起き上がり、メディは何をしているのだろうと気になって、階下に降りていった。
メディがもといた場所に来てみたが、既にいない。家の中の各所を探索していくが、見当たらなかった。調べていない場所は、あと1つ。確実にいる。何故ならば、扉の奥から緑色の怪しい煙が吹き出ている部屋だからだ。調べたくない、と理性が告げ、調べれば死ぬ、と本能が叫び、調べなければもっと怖い、と口が呟く。
結果から言おう。調べる必要などなかった。すぐに扉の前から離れなければならなかったのだ。扉を開けることもなく、内側から爆ぜたのだから。
「ごふっ!?」
扉の破片が腹部に見事なまでにぶつかった。思わずうずくまる。
「ふ、ふはは、出来たぞー!」
かつて扉だったものの奥から、マッドサイエンティストの興奮した声が聞こえた。
「おおジーク、良いところに来た。これを飲んで見てくれ」
ジークの目前に差し出されたのは、先程の煙と同じ緑色をした、底なしに怪しいドリンクだった。メロンソーダの中にコーラを入れれば、丁度こんな感じになるだろう。
「拒否権は?」
「これから居候しようという者に、そんなものは無い。さ、飲め、ぐぐぐいっと!」
試験管の中に入った、おぞましき液体。
「最悪の場合、部屋のように爆裂するが、何、安心しろ、私の作った薬品だ、効果は抜群だぞ」
メディはノリノリで、どんなに拒否しようと飲ませてくるだろう。
「もう、どうにでもなってください」
悲壮に満ちた表情で、ジークは液体を受け取り、一気に口の中に流し込んだ。口内に満ちる青臭さ、喉に焼けつく痛み、全身が拒否している。それでも、涙を流しながら、ジークは全てを飲み下した。
「よし、どうだ、疲労回復の効果があるはずなんだが」
「ええ、目が覚めました」
あまりの不味さで。と心の中で付け加えたジークは、悟りを開いたように穏やかな顔をしていたと言う。
「それで、そこは工房ですか?」
無残に吹き飛ばされた扉の奥に見えるものは、フラスコや顕微鏡といったオーソドックスなものから、何かの眼球としか思えない物のホルマリン漬けまで、実に様々な実験器具が揃っていた。
「ああ、これも借り物だがね。器具には形状記憶の術式がかけられているから、私が即死しない限りはどんな実験でもできる。化学実験から魔法を使った人体実験までなんでもござれだぞ。流石に人体実験はしたことないが」
ジークは今しがた人体実験をされたはずなのだが、メディは気にしていないようだ。
「はぁ、しかしジークが疲れていなくて薬の効果が解らないとはな、勿体無いことをした」
「あぅ、すみません」
「構わん、男がそう簡単に謝るな、現に私は生まれてこのかた謝ったことがない」
ふん、と自慢気に厚みの無い胸を張るメディ。一応彼女は女性のはずなのだが。
「はは、心に刻んでおきます」
「うむ、刻むついでにドアを直しておいてくれ、私は遅めの昼食を作ろう」
ドアを直すのは吝かではなかったが、昼食と聞いて、ジークの背筋に冷たいものが走った。料理も一種の化学実験だ。先程と同じ様なことが起こっても不思議ではない。
「お前の考えていることはわかるぞ、私が料理すれば爆発すると思っているのだろう」
図星である。体内から爆発するのは嫌ですねぇ、と諦めの境地に入ろうとしていた。
「流石に食えん物体は作らんさ。さっきのお詫びに旨いものを作ってやろう」
そう言い残して、メディはキッチンに消えていった。ジークは実験室に何故か置いてあった工具を拝借し、粉々になったドアを直す作業に取り掛かるのだった。