火事
「私は、この国に地獄をつくる」
私の言葉に、グレゴリオは勢い良く立ち上がった。
勢いで椅子が倒れ、大きな音をたてる。
ちょっと怒らせすぎたか、と思うと。
「グレゴリオ様! お嬢様は病で伏せっておいでなのですよ。ですよ」
と、ハンナがグレゴリオの前に立ちふさがる。
「あっ……失礼しました」
冷静さを取り戻したグレゴリオは、非礼をわびた。
「言葉が足りなんだようだな。許せよグレゴリオ。だが、見ての通りの病人じゃ。長い説明は、辛いのでな。すまんが、それを読んでくれ」
渡された書類を見たグレゴリオは、しばらく考えた風に沈黙した後、一礼をして部屋を出て行った。
グレゴリオが部屋のドアを閉めると同時に、ハンナが床に尻餅をつくように座り込んでしまう。
「どうしたハンナ?」
「いえ、あの……腰が、抜けまして。まして」
怒ったグレゴリオは、私でも少し怖いのだ。
小心者のハンナが、そのグレゴリオに立ちふさがってくれたのだ。
腰を抜かすくらいは、しかたなかろう。
「どうも、私はお前に世話ばかりかけるな」
「本当でございます。本当でございますよ。私は苦労ばかりでございますよ。ございますよ」
ハンナは、笑うように愚痴をこぼしすのだった。
もう一眠りすると、やっと朝に目が覚めた。
側らでは、ハンナがテーブルに突っ伏してねむっている。
昨日までは気が付かなかったが、目の下には濃い隈ができたいる。肌も荒れ、髪も少し乱れている。
連日、徹夜で看病してくれたのだろう。
本当に苦労をかけているのだな、と改めて実感した。
そんなハンナを起こすのも気が引けるので、寝かせておくことにする。
だいぶ体も動くようになったので、あちこち確認してみた。
少し前屈をしてみたが、とんでもなく硬かった。腰から太ももにかけての筋肉がまるで石のよう。もちろん、足を曲げるのも一苦労。
「これは、当分リハビリだな」
握力の衰えもひどく、ベッドサイドのペンを取ろうとしたが、取り落としてしまう。
手首のリハビリだけでもしておこうと、ゆっくり揉み手をするように動かしてみた。
一週間も風呂に入っていないのだから、垢でも出てくるかと思ったら、香油の匂いがしてきた。
たしかめてみると、腹や太ももからも香油の匂いがする。
「これは、毎日体を拭いてもらって、香油でマッサージをされたらしいな」
本当に、世話をかけたようだ。
なんとかベッドで起き上がり足を揉んでいると、ノックの音がした。
入室を許可すると、入ってきたのは赤毛のアレクだった。
「おや、もう起き上がれるのですか?」
と言ったところで、眠っているハンナに気が付いた。
「寝かせておいてやってくれ」
と頼むと、首肯して静かに私に近づいて。
「さすがに若いと回復が早いですな」
と、小声でささやいた。
その声に、私の体が心地よく震える。
一通りの検査の後。
「もう、点滴はいりませんな」
と、腕から留置針を抜き、血止めのテープでパッチされた。
この処理は、近代医学のものだ。
とうてい中世の医学レベルではない。
アレクの事を、もっと知りたかった。
「少し早いかとも思いましたが、これなら大丈夫でしょうな」
アレクは、一旦廊下に出ると、何やら大きなものを部屋に運び入れた。
「これは、車椅子か?」
「はい、これからは気晴らしと運動が必要です。もちろん、無理は禁物ですがな。三〇分だけなら外出を許可しますが。外に出たいですか?」
私は。
「もちろんじゃ」
と、大声で答えてしまった。
「はい、お嬢様!」
寝ぼけたハンナが頓珍漢な返事をする。
私の大声でハンナを起こしてしまった。
渋るハンナに、一日の強制休暇(破ると私室禁固一週間の刑)を与え、アレクが車椅子を押して外に連れ出してくれた。
私はインドア派で、外出しなくても苦にならない性質と思っていたが。なんだか今は、外の風が気持ちよかった。
「風が心地よいぞ。アレク」
「それは良かったですな」
石畳の上を、車椅子の車輪が軽やかに転がり、小さな振動が私の体に心地よい。
早すぎず、遅すぎず。大きな段差を巧みに避けて、アレクは車椅子を操る。
西の館から市場通りへ。
走りながら笑う子供の声。
露天の店主の呼び声。
行きかう荷車の響き。
鍛冶屋からの槌の音。
生きている街の音。
「ヒゲ先生! いい魚が入ったよ」
魚屋の主人がアレクに声をかけた。
「ヒゲ先生、こんにちは」
籠を下げた娘が挨拶をする。
「このごろ来ないじゃないか。また、寄っとくれよ」
酒場の女将である。
「皆が、お前の事を知っているようじゃな。アレク」
「小さい街です。みんな知り合いですな」
「私の事は、誰も知らない」
「すぐに、皆があなたの名前を呼ぶでしょうな」
他愛ない会話だった。
「そうだな……そうなるで、あろうな」
民は、私の名を叫ぶときが、遠からず来るだろう。
だが、その時の私は英雄だろうか?
それとも……
遠くで、鈍い音がした。
音がした方が、にわかに騒がしくなる。
家々の屋根の向こうに、立ち上る黒煙が見えた。
あの方向には、新たに設けた火薬工場がある。
もう一度、音が響き。
黒煙に炎が混じる。
「アレク。病院にもどれ!」
「はい」
と言ったアレクサンドルは、私を西の館の方へ送ろうとしてUターンするが。
「馬鹿者。私の事は置いてゆけ、一人で帰れるぞ。急げ、きっと怪我人が出ているぞ」
「ですが……」
そう言ってアレクサンドルが迷っている所に。
「ユリアナ様! アレク!」
グレゴリオが走ってきた。
「グレゴリオ、火薬か? 負傷者は?」
と問うと。
「はい、三名が負傷して、病院へ」
「アレク急げ!」
私がアレクサンドルに命じ。
「グレゴリオ殿、姫を頼みます」
と、アレクサンドルは私の事をグレゴリオに託して走り出す。
「グレゴリオ、お前も現場へ行け」
と命じたのだが。
部下に指示を出すと、グレゴリオは車椅子のハンドルを持ち。
「お送りいたします。ユリアナ様」
と、車椅子を押しだした。
「グレゴリオ、私などに構わず現場へ行け」
と再度命じたが。
グレゴリオは無言で車椅子を押した。
まっすぐに、西の館に向かうのかと思ったら、途中で上り坂の方へ曲がり、ドンドンと坂を上りだす。
しばらくすると、街が一望に見渡せて高台に出た。
甍の波の向こう。
城壁のそばの倉庫街の一角で、激しい火炎が起こり、黒煙が立ち昇る。
「ユリアナ様、これが地獄でございますか」
なるほど、これを見せたかったのか。
案外と意地が悪い奴だ。
「こんなものは、地獄の入り口でもないわ」
私は憎まれ口を吐いた。
「この街は、戦火にまみれるのですか?」
「それは将来の話ではない。今も、この街は戦火の只中にある」
この地に硝石があるかぎり。
勝利を願う国が、一粒でも多くの硝石を願う限り。
この街は、永遠に戦火の中にある。
「多くの為政者が、極楽浄土を願った。皆、策を練り、努力した。血を吐き泥にまみれ、全てを犠牲にした」
私は、独り言のように話し出した。
「だが、一つとして極楽浄土を実現した地は無い。悲しいことだが、人の手で、人の知恵で、地に極楽浄土を造ることは出来ないと、私は考えているのだ」
「それでも……より良きを願い、一人でも民を救うが政でありましょう?」
グレゴリオも、呟くように答えた。
「理想は、そうなのだがな。現実は、そうでは無い。壊れて人を幸せに出来ない極楽浄土は、本当に恐ろしいのだ」
多くの国が、より良きを求めて、最悪を作り出した。
「だがな、地獄ならば人の手でつくれるのだ。
地獄ならば、人の知恵で管理できるのだ。だから、私は地獄をつくることにした」
グレゴリオは何も言わなかった。
「私は、民が望んで飛び込める地獄をつくろうと思う」
「それが、平民軍の創設でありますか?」
グレゴリオの問いに。
「そうだ」
と答えた。
「貴族とは、言ってしまえば戦場で騎士を運用するに特化した組織だ。火器の運用には適さない。それゆえに、貴族の管理から外れた組織によって火器を運用すべきなのだ。それが平民軍だ」
「貴族が銃を運用すればよいではありませんか! 平民に戦をさせるなぞ……」
「それではダメなのだ。言ったであろう、貴族とは騎士を運用するに特化した組織だと。銃や大砲の運用には適さない。火器の運用に最適化した時点で、貴族は自滅するのだ」
「では、ユリアナ様は、貴族を滅ばそうと言っておられるのか。アルベルト王のように!」
「私は貴族に手をかけるつもりはない。銃と大砲を運用するに最適な平民軍が戦場を支配した時点で、貴族は歴史から消えるのだ。騎士が戦場で決戦兵器では無いのならば、貴族の存在に意味は無い」
「あなたは、自分を滅ぼす者を作ろうとする狂人だ!」
「私は物狂いの姫だ。三年前から、狂っている。まあ、貴族に、最後の花道くらいは用意するつもりだ」
いつの間にか、日が陰り、冷えた風が吹いてきた。
倉庫街の激しい黒煙は、細い白煙に変わっていた。
「火事も落ち着いたようだな。グレゴリオ、すまぬが私を西の館まで運んでくれ。少し寒くなった」
グレゴリオは、静かに私の車椅子を押しはじめた。
その後、私とグレゴリオは一言も言葉を交わさなかった。
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