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大砲姫  作者: 阿波座泡介
ガルムント編
9/98

火事

「私は、この国に地獄をつくる」

 私の言葉に、グレゴリオは勢い良く立ち上がった。

 勢いで椅子が倒れ、大きな音をたてる。

 ちょっと怒らせすぎたか、と思うと。

「グレゴリオ様! お嬢様は病で伏せっておいでなのですよ。ですよ」

 と、ハンナがグレゴリオの前に立ちふさがる。

「あっ……失礼しました」

 冷静さを取り戻したグレゴリオは、非礼をわびた。

「言葉が足りなんだようだな。許せよグレゴリオ。だが、見ての通りの病人じゃ。長い説明は、辛いのでな。すまんが、それを読んでくれ」

 渡された書類を見たグレゴリオは、しばらく考えた風に沈黙した後、一礼をして部屋を出て行った。

 グレゴリオが部屋のドアを閉めると同時に、ハンナが床に尻餅をつくように座り込んでしまう。

「どうしたハンナ?」

「いえ、あの……腰が、抜けまして。まして」

 怒ったグレゴリオは、私でも少し怖いのだ。

 小心者のハンナが、そのグレゴリオに立ちふさがってくれたのだ。

 腰を抜かすくらいは、しかたなかろう。

「どうも、私はお前に世話ばかりかけるな」

「本当でございます。本当でございますよ。私は苦労ばかりでございますよ。ございますよ」

 ハンナは、笑うように愚痴をこぼしすのだった。


 もう一眠りすると、やっと朝に目が覚めた。

 側らでは、ハンナがテーブルに突っ伏してねむっている。

 昨日までは気が付かなかったが、目の下には濃い隈ができたいる。肌も荒れ、髪も少し乱れている。

 連日、徹夜で看病してくれたのだろう。

 本当に苦労をかけているのだな、と改めて実感した。

 そんなハンナを起こすのも気が引けるので、寝かせておくことにする。


 だいぶ体も動くようになったので、あちこち確認してみた。

 少し前屈をしてみたが、とんでもなく硬かった。腰から太ももにかけての筋肉がまるで石のよう。もちろん、足を曲げるのも一苦労。

「これは、当分リハビリだな」

 握力の衰えもひどく、ベッドサイドのペンを取ろうとしたが、取り落としてしまう。

 手首のリハビリだけでもしておこうと、ゆっくり揉み手をするように動かしてみた。

 一週間も風呂に入っていないのだから、垢でも出てくるかと思ったら、香油の匂いがしてきた。

 たしかめてみると、腹や太ももからも香油の匂いがする。

「これは、毎日体を拭いてもらって、香油でマッサージをされたらしいな」

 本当に、世話をかけたようだ。


 なんとかベッドで起き上がり足を揉んでいると、ノックの音がした。

 入室を許可すると、入ってきたのは赤毛のアレクだった。

「おや、もう起き上がれるのですか?」

 と言ったところで、眠っているハンナに気が付いた。

「寝かせておいてやってくれ」

 と頼むと、首肯して静かに私に近づいて。

「さすがに若いと回復が早いですな」

 と、小声でささやいた。

 その声に、私の体が心地よく震える。


 一通りの検査の後。

「もう、点滴はいりませんな」

 と、腕から留置針を抜き、血止めのテープでパッチされた。

 この処理は、近代医学のものだ。

 とうてい中世の医学レベルではない。

 アレクの事を、もっと知りたかった。

「少し早いかとも思いましたが、これなら大丈夫でしょうな」

 アレクは、一旦廊下に出ると、何やら大きなものを部屋に運び入れた。

「これは、車椅子か?」

「はい、これからは気晴らしと運動が必要です。もちろん、無理は禁物ですがな。三〇分だけなら外出を許可しますが。外に出たいですか?」

 私は。

「もちろんじゃ」

 と、大声で答えてしまった。

「はい、お嬢様!」

 寝ぼけたハンナが頓珍漢な返事をする。

 私の大声でハンナを起こしてしまった。

 

 渋るハンナに、一日の強制休暇(破ると私室禁固一週間の刑)を与え、アレクが車椅子を押して外に連れ出してくれた。


 私はインドア派で、外出しなくても苦にならない性質と思っていたが。なんだか今は、外の風が気持ちよかった。

「風が心地よいぞ。アレク」

「それは良かったですな」

 

 石畳の上を、車椅子の車輪が軽やかに転がり、小さな振動が私の体に心地よい。

 早すぎず、遅すぎず。大きな段差を巧みに避けて、アレクは車椅子を操る。

 西の館から市場通りへ。

 走りながら笑う子供の声。

 露天の店主の呼び声。

 行きかう荷車の響き。

 鍛冶屋からの槌の音。

 

 生きている街の音。


「ヒゲ先生! いい魚が入ったよ」

 魚屋の主人がアレクに声をかけた。

「ヒゲ先生、こんにちは」

 籠を下げた娘が挨拶をする。

「このごろ来ないじゃないか。また、寄っとくれよ」

 酒場の女将である。


「皆が、お前の事を知っているようじゃな。アレク」

「小さい街です。みんな知り合いですな」

「私の事は、誰も知らない」

「すぐに、皆があなたの名前を呼ぶでしょうな」

 他愛ない会話だった。

「そうだな……そうなるで、あろうな」

 民は、私の名を叫ぶときが、遠からず来るだろう。

 だが、その時の私は英雄だろうか?

 それとも……


 遠くで、鈍い音がした。

 音がした方が、にわかに騒がしくなる。

 家々の屋根の向こうに、立ち上る黒煙が見えた。

 あの方向には、新たに設けた火薬工場がある。

 もう一度、音が響き。

 黒煙に炎が混じる。

「アレク。病院にもどれ!」

「はい」

 と言ったアレクサンドルは、私を西の館の方へ送ろうとしてUターンするが。

「馬鹿者。私の事は置いてゆけ、一人で帰れるぞ。急げ、きっと怪我人が出ているぞ」

「ですが……」

 そう言ってアレクサンドルが迷っている所に。

「ユリアナ様! アレク!」

 グレゴリオが走ってきた。

「グレゴリオ、火薬か? 負傷者は?」

 と問うと。

「はい、三名が負傷して、病院へ」

「アレク急げ!」

 私がアレクサンドルに命じ。

「グレゴリオ殿、姫を頼みます」

 と、アレクサンドルは私の事をグレゴリオに託して走り出す。

「グレゴリオ、お前も現場へ行け」

 と命じたのだが。

 部下に指示を出すと、グレゴリオは車椅子のハンドルを持ち。

「お送りいたします。ユリアナ様」

 と、車椅子を押しだした。

「グレゴリオ、私などに構わず現場へ行け」

 と再度命じたが。

 グレゴリオは無言で車椅子を押した。

 まっすぐに、西の館に向かうのかと思ったら、途中で上り坂の方へ曲がり、ドンドンと坂を上りだす。

 しばらくすると、街が一望に見渡せて高台に出た。

 甍の波の向こう。

 城壁のそばの倉庫街の一角で、激しい火炎が起こり、黒煙が立ち昇る。

「ユリアナ様、これが地獄でございますか」

 なるほど、これを見せたかったのか。

 案外と意地が悪い奴だ。

「こんなものは、地獄の入り口でもないわ」

 私は憎まれ口を吐いた。

「この街は、戦火にまみれるのですか?」

「それは将来の話ではない。今も、この街は戦火の只中にある」

 この地に硝石があるかぎり。

 勝利を願う国が、一粒でも多くの硝石を願う限り。

 この街は、永遠に戦火の中にある。

「多くの為政者が、極楽浄土を願った。皆、策を練り、努力した。血を吐き泥にまみれ、全てを犠牲にした」

 私は、独り言のように話し出した。

「だが、一つとして極楽浄土を実現した地は無い。悲しいことだが、人の手で、人の知恵で、地に極楽浄土を造ることは出来ないと、私は考えているのだ」

「それでも……より良きを願い、一人でも民を救うが政でありましょう?」

 グレゴリオも、呟くように答えた。

「理想は、そうなのだがな。現実は、そうでは無い。壊れて人を幸せに出来ない極楽浄土は、本当に恐ろしいのだ」

 多くの国が、より良きを求めて、最悪を作り出した。

「だがな、地獄ならば人の手でつくれるのだ。

地獄ならば、人の知恵で管理できるのだ。だから、私は地獄をつくることにした」

 グレゴリオは何も言わなかった。

「私は、民が望んで飛び込める地獄をつくろうと思う」

「それが、平民軍の創設でありますか?」

 グレゴリオの問いに。

「そうだ」

 と答えた。

「貴族とは、言ってしまえば戦場で騎士を運用するに特化した組織だ。火器の運用には適さない。それゆえに、貴族の管理から外れた組織によって火器を運用すべきなのだ。それが平民軍だ」

「貴族が銃を運用すればよいではありませんか! 平民に戦をさせるなぞ……」

「それではダメなのだ。言ったであろう、貴族とは騎士を運用するに特化した組織だと。銃や大砲の運用には適さない。火器の運用に最適化した時点で、貴族は自滅するのだ」

「では、ユリアナ様は、貴族を滅ばそうと言っておられるのか。アルベルト王のように!」

「私は貴族に手をかけるつもりはない。銃と大砲を運用するに最適な平民軍が戦場を支配した時点で、貴族は歴史から消えるのだ。騎士が戦場で決戦兵器では無いのならば、貴族の存在に意味は無い」

「あなたは、自分を滅ぼす者を作ろうとする狂人だ!」

「私は物狂いの姫だ。三年前から、狂っている。まあ、貴族に、最後の花道くらいは用意するつもりだ」

 いつの間にか、日が陰り、冷えた風が吹いてきた。

 倉庫街の激しい黒煙は、細い白煙に変わっていた。

「火事も落ち着いたようだな。グレゴリオ、すまぬが私を西の館まで運んでくれ。少し寒くなった」

 グレゴリオは、静かに私の車椅子を押しはじめた。

 その後、私とグレゴリオは一言も言葉を交わさなかった。

10/22 誤字修正

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