赤毛の男
気が付いて、最初に目にしたのは、見慣れたベッドの天蓋だった。
目の焦点が奇妙にずれる。
私は、いつの間にベッドで眠ったのだろうか?
確か、居間で会議をしていた。
そこで、急に体が重くなって……
「お目覚めですかな」
初めて聞く声が、私の思考をとぎらせる。
「うむ、今目覚めた……」
声のした方に首をめぐらそうとしたら、嫌な音で骨が鳴る。
「急に動かないほうがいい」
そう言いながら、声の主は重い足音を響かせて近づいてきた。
ベッドに横になっているはずが、前後に体が揺れる感覚に襲われる。
「目が回るぞ。どうなっている?」
「大丈夫です。治ってきている兆しですよ」
声の主は、そう言うと私の右手首を握った。
どうやら、脈をとっているようだ。
やっと、焦点があった目が、右腕から伸びている細い管と帽子スタンドのような腕木にかけられたガラス瓶をとらえる。
「……点滴か? 私は病気なのか?」
「ほう、点滴をご存知で?」
私に覆いかぶさるように、大きな影が動いた。
大きな男だった。
顔のほとんどが赤い。
赤毛だ。
ボサボサの頭髪と手入れがなっていないヒゲが生えた大きな丸い顔に、小さな青い目がチョンとある。
まるで、熊の人形のような男だった。
男は、ランプの光を私の眼前で左右に振る。
それを追う私の眼球の動きを観察しているようだ。
この男、どうやら医者らしい。
手を動かそうとしたが、鋭い痛みが肩を襲う。長い間、私は体を動かせないでいたようだ。
「私は何日眠っていた?」
「一週間」
必要な事だけを告げた声が、心地よかった。
大きな声でもないのだが、近くで聞くと、体の心に響くような、太く重い声だ。
だが、その響きが、心地よかった。
「私の病名は?」
「あえて言えば、中毒ですな」
中毒だと?
私は、酒やタバコ、麻薬の類もやらない。
赤毛男は、失礼と言うと。
私の寝間着を前を開くと、聴診器を胸にあてた。
「なんの中毒だ」
「砒素中毒と言えば、何が起こったか分かるでしょう」
砒素か。
証拠が残りにくい暗殺手段の常套だ。
少量の砒素を長期にわたって使用された被害者は、衰弱して死んでゆく。
赤毛男は聴診器を外すと、寝間着の前を直して毛布をかけてくれた。
その赤毛の男の手には、見慣れた薬包がある。
王都から来た私付きの宮廷医師から、毎日飲むようにと渡された薬包だ。
「それは、安全を確かめたのだがな」
「どんな方法で?」
「そこの水槽に、その薬を入れてみた」
ベッドの横には、観賞魚が入って水槽がある。
「なるほど。ちなみに水槽に入れた薬は何包ですか?」
「一つだ」
頷いた赤毛男は。
「あなたは、自分が賢く用心深いと思い込んだマヌケですな」
と、失礼な事を言い。
件の薬包を十個ほど開き、その薬の全部を水槽にいれた。
水槽の水が青黒く濁り、観賞魚が腹を上に浮かび上がる。
「うむ、私は本当にマヌケらしいな」
となると、犯人は宮廷医師か。
誰に頼まれたかが、問題だな。
「この件は、誰かに話したか?」
「グレゴリオ殿以外には」
「なれば、いましばらく秘密で頼む」
「そのココロは?」
「真犯人を探す」
赤毛男は立ち上がると。
「ほどほどにした方がいい。あなたの体は、まだ少女と言ってもいいほどに幼い。心が耐えられても、体が先に壊れる」
「分かっているつもりだが……気をつける」
この男は、何者だろうか?
私の秘密さえも知っているような口ぶりだ。
「まあ、あのクソ野郎を追い出しても、次が来るだけでしょうからな」
そう言って、小さな薬瓶を取り出した。
「朝昼夜。食事をとらなくても小さじ一杯をぬるま湯で飲んでください。この薬は、私のほうで処理します」
赤毛男の手には、宮廷医師が処方した薬包が。
「それは、残しておいてくれ。無くなると、怪しまれる」
赤毛男は微笑み。
「その心配はありませんよ」
と告げると、テーブルの上のベルを鳴らした。
すぐに、扉が開き。
「お嬢様! お嬢様!」
と、泣きながら飛び込んできたのはハンナである。
ずっと廊下で控えていたのだろうか。
「ようございました。ございました」
顔をクシャクシャにして泣く年上の専属メイドに。
「すまぬなあ、ハンナ。今しばらくは、この我侭者に仕えてくれんか?」
と問うと。
「何を言っておいでですか! ですか。もちろんでございます。ございますよ」
何時もは煩わしく思えるハンナの声が、妙に嬉しかった。
ハンナが落ち着いたところで、赤毛男は私の世話について色々と指示を出した。
そして、コップ一杯のぬるま湯を受け取ると、そこに例の薬瓶の薬を混ぜて。
「少しづつ与えるように。スプーンですくって」
と言って、実際に湯に溶かした薬をスプーンにすくうと、自分の口に流し込んだ。
「こんな風にしてください。飲み下したことを確認してから、次を与えるように。けっして急いではいけませんよ」
ハンナは何度も首肯している。
そして、コップに残った薬を、自分の喉に流し込み、渋い顔をすると。
「苦い薬です。我侭な姫様を、じっくり懲らしめてやるといい」
と笑う。
「ドクター、あなたに手品師の才能はあるかな?」
きょとんとした表情の赤毛男が、私の言葉の意味が分かると、豪快に笑い。
「残念ながら手品は使えませんなあ」
その後、赤毛男は点滴瓶を取替え。
「明日には軽い食事がとれるでしょう」
と言う。
「ドクター、私はそなたの名前を知らぬ。教えてはくれぬか? 私はユリアナ・エルム・マウリスだ」
知っていますよ、と笑う赤毛男に。
「名前を聞く時は、自らも名乗るのが礼儀であろう」
と返した。
「噂とは違い、礼儀を知っておいでのようですね」
「噂なぞ、あてにはならんものよ」
と適当に答えておいたが。実のところ、なぜ私が自ら名乗ったのかは、わからなかった。
なぜか、そうしたいと、感じたのだ。
「アレクサンドル・グスコフと申します」
赤毛男は名乗る。
「アレクサンドルか……アレクと呼んでもよいか?」
私は、探るように聞いた。
「友達は、そう呼びます」
赤毛のアレクは、笑った。
「アレク。どこにいけば会える」
「貴女が最初に訪れた場所にいます」
最初に訪れた場所?
ああ、あの病院か。
「あそこの医師だったのか?」
首肯するアレクサンドル。
「アレク、もう一つ頼みがある」
「なんですか?」
「そのヒゲに、触ってみたい」
驚いた様子のアレクサンドルは。
「こんなものでよろしければ」
と、上手く動かない私の右手に手を添えて導くと、ヒゲに触らせてくれた。
「……ゴワゴワだな」
「手入れしていませんので」
「気にするな……私は、この方が……」
そこで、私の意識は、また途切れた。
次に目が覚めた時は、夕方だった。
どうやら、十二時間以上眠っていたようだ。
ハンナが粥を少し食べさせてくれた。
それまで感じなかった空腹を急に感じたのだが、少し食べただけで胃が痛くなった。
まだ、本調子ではないようだ。
例の苦い薬を飲んでいると、グレゴリオが入ってきた。
「お休みのところを失礼いたします、ユリアナ様」
「よい。そちらから来なければ、使いをだそうかと思っていたところだ」
一礼をしたグレゴリオは、王への嘆願書を差し出した。
それは、硝石国有管理に関する嘆願書である。
「うむ。良く出来ておるな。これならば父上も真剣に検討してくれよう」
私の事を避けている以外は、父王は有能で誠実な為政者である。周辺のスタッフも、保守的であるが、それゆえにこの様な件では信頼できる。
「他に報告はあるか?」
グレゴリオは、件の宮廷医師が負傷したと知らせてきた。
「ほう、仔細は?」
宮廷医師は、私が倒れた時に、街の娼婦館へお忍びで遊びにいっていたらしい。
見た目に似合わぬスケベなのか。
多分、アリバイ工作だろうな。
その娼婦館からの帰りに何者かに襲われ重傷を負ったとか。
命に別状はないが、当分の間は医療行為は出来ないらしい。
「下らんケンカだろう。適当に捜査しておけ」
「はい」
私の言葉に、グレゴリオは一礼し。
「これは、鉱夫頭からの問い合わせなのですが」
と、今後の採掘計画に関して問うてきた。
ガルムントでは、硝石の輸出量の拡大から増産につぐ増産で、採掘量確保の為に鉱夫を増やしている。
だが、硝石が戦略物資に指定されれば輸出規制が必要となり、とうぜん減産となる。
減産となれば鉱夫は余る。
その処遇に関しての問い合わせだ。
私はハンナに命じて、以前に作成しておいた書類をグレゴリオに渡した。
書類に目を通したグレゴリオは。
「こんな……これでは民は……あなたは、この国をどうするつもりなのですか!」
私は、怒気をはらんだグレゴリオの瞳を見返し。
「私は、この国に地獄をつくる」
と、微笑んだ。
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