ガルムント市民病院
練兵場に繋ぎ止められた、巨大な船は、再び天に帰る準備を進めている。
私は、ダンカン元公爵にお願いして、飛行船の内部を見学させてもらった。
「やはり、ゴムの入手は難しいのか?」
「うむ、少しは手に入るのだがな。まだ使い道が限られるモノゆえ流通量が少ない」
私が気嚢にはゴムを使っているのかと聞いたところの返事が、ゴムが希少であるとの返事だった。
「じゃが、今のうちにルートを押さえるの肝要じゃ。アレは戦略物資になる」
現在のゴムは、植物由来のものしかなく。その元となる『ゴムの木』は大変に希少で栽培が難しい。
現代地球で観葉植物として栽培される『ゴムの木』もあるが、アレからはゴムの元になるラテックスはほとんど取れない。ラテックス採取を目的に栽培されている『ゴムの木』は別の種類である。
この世界でラテックスが採取できる『ゴムの木』は南大陸の一部にしかなく、その流通は『通商同盟』の独占となっている。
いまのところ通商同盟も、ゴムの価値に気が付いていない。
今のうちに、手を尽くして原種と栽培地を押さえたいところだ。
そんな訳で、飛行船『アンドロメダ』の気嚢は入手困難なゴムではなく、別の素材が使われていた。
遠くから見ただけでゴムでは無いと分かってはいたが、近くで見てコノ素材の正体に確信が持てた。
「これは……紙に植物性の糊……コンニャクじゃな」
「ははは、さすがだな」
この世界にもコンニャクがある。
マウリスでも栽培されており、食用としている地方もあるらしい。
一般には、糊として流通している。
紙とコンニャク糊の気嚢は、封じ込める気体が水素ならば、大変に優れている。
軽く丈夫で、分子の小さな水素を逃がさない。
過去の地球でも、気象観測気球や兵器として使われた実績がある。
有名なところでは『風船爆弾』がソレだ。
『風船爆弾』の戦略的な欠点は、国内での量産が不可能である点。
(ただし、南方支配地域を使えば大量産が可能だった)
また、戦術的な欠点は、戦果の確認が困難である点。
それらを差し引いても、革新的な兵器であり。運用しだいでは、戦争の流れを変えられたかもしれない。
しかし、旧日本帝国は、この兵器の運用に失敗し、だた『相手国に爆弾を運搬する』道具として運用してしまったのだ。
その点は残念でならない。
やはり、使うならば開戦前から準備すべき兵器であると思う。
さておき。
「よいものを見せていただいたのじゃ。ダンカンお爺様はエッセンに帰られるのですか?」
私の問いに。
「ああ、そのつもりだよ」
と言ったところで、気がついたように。
「そうだ。婚約祝いのプレゼントがあったぞ」
と、私を馬車の一つに案内して。
「この中のものは全てユリアナへのプレゼントだ」
と言う。
「これ、全部ですか?」
結構大きいな。
「気にいてくれると良いが、開けるのはワシが帰ってからにしてくれんか」
とウインクしてくる。
うう、髭美老人のウインク……すごくイイ。
「ありがとうございます。のちほど拝見したしますのじゃ」
そんなこんなで飛行船アンドロメダ号の発進準備は整い、ワイヤーで蒸気車ベローチェ号も懸垂式に固定された。
「それではユリアナや。楽しい時間であったが、ここでひとまずはお別れじゃな」
「はい、ダンカンお爺様。再開を楽しみにしております」
私は貴族礼で、義爺様へお別れをした。
「うむ。再開が楽しみだな。次に会うのは王都ニネアかな」
「いえ、私がエッセンへ押しかけるかも?」
「ははは、それは勘弁だな」
そう言って、義爺様は私の手に軽くキスを落として別れた。
途中で、義爺様の車椅子に手を貸したテレサ女史が、やっぱり睨んでいる。
めげるな私!
なんとか笑顔を保ちながら手をふる。
義爺様とテレサ女史が乗り込んで飛行船は、レシプロエンジンの音を高く響かせながら、ゆっくりとガルムントの大地から離れた。
私は、飛行船の姿が小さな点になるまで見送っていた。
「さてグレタ、話を聞こうか」
「はい、ユリアナ様」
側に控えていたグレタ・ジェイは、先の報告を私に耳打ちする。
「なるほど、そう言う事か」
一つ、安心材料が増えたが。
後で確認が必要だ。
「ああ、すごい機械だった。あんなものが作れるんだなぁ」
工房長が、もはや点にしか見えない飛行船をまだ見送っている。
「工房長! ダンカンお爺様からのプレゼントの荷解きを頼めんか」
「喜んで、姫殿下」
と、一礼した工房長は、さっそくに周囲の職人たちに指図を出している。
すぐに荷解きにとりかかる様子だ。
その後に訪れたガルムント平民病院は、建物が新しくなっていた。
先の古い診療所から、その向かいに建築中であった新病院建屋が、先日に完成したのだ。
開院式典も開かれて、私も招待された。
一応は、スピーチもした。
「よい病院ができて私も嬉しい、めでたい」
と、だけ。
おかげで、他の者のスピーチも短くなったらしい。
うん、形式なぞは簡素なほうがよい。
まあ、後でミランダにスピーチの特別レッスンをされた事は秘密だ。
「良い病院が出来たな」
「はい、おかげさまで」
久しぶりに会った髭先生ことアレクサンドル・グスコフは、予想の通りにパリッと身綺麗になっていた。
以前はヨレヨレで薄汚れた白衣を羽織っていたが、今は洗濯して綺麗な白衣をキチンと纏っている。
談笑はここまでとして、私はズバリと話を切り出した。
「肝心な事を聞こうか。ハンナとグスコフ先生の関係は?」
「……私の方からご挨拶にと思っておりましたが」
と言う髭先生は私の方に向い直り。
「ハンナ・オブライエンさんを私の伴侶に迎えたく思っております。姫殿下のお許しをいただきたい」
と、深く平民礼をする。
オブライエンはハンナの家名。男爵家である。
「よい、許す」
と、私は短く許可をだし。
「私は……ハンナに世話をかけどうしでな。あれが嫁ぎ遅れたのも私の責任だと思っていたが……私の方こそハンナを頼みますアレクサンドル・グスコフ殿」
私は貴族礼を返した。
「いや……そんな……姫殿下が私なぞに、そんな」
私の返礼に、髭先生は大慌てであった。
そっと診療室をのぞくと。
ハンナは洗った包帯を巻いていた。
私は、ハンナが医学の道を志すとは思ってもみなかった。
私が怪我や病気で度々に髭先生の世話になり、その事で二人は出会い、恋に落ちたらしい。
同時に、私の世話をしながら、医学に触れ。
ハンナの心は大きく動いたようだ。
私の侍女を止めた、その足で。
ハンナはアレクサンドルの元に向かい、その思いを告げたらしい。
なんとも、ドラマチックでロマンチックな話ではないか。
くやしくなんか、ないんだからね。
ちくしょう!
すみません。
待たせすぎですよね。
ごめんなさい。




