飛行船と電波灯台
気が付いたら、庭に一人で座っていた。
たしか、ダンカン殿と話していたはず。
いつの間に、一人で庭に出てしまったのだろうか?
「天恵者は……この世界の記憶を失ってしまうのか……」
私は、ユリアナの記憶を覚えている。
本当だろうか?
何か大切なものを忘れていないだろうか?
そして。
「このまま、覚えていらるのか?」
いつか突然に、地球の記憶だけを残して、残り全てを忘れてしまうかもしれない。
いやだ!
そんな事になるくらいなら、天恵の知恵なんかいらない!
……本当に?
本当に、地球の記憶を失っても良いのか?
それは、僕の2度目の死ではないのか?
でも、なら。
どうしたら、いいの?
どう、受け止めたらいいの?
悲しいと言うより、混乱している。
考えがアチラコチラに飛んで、まとめることができない。
しかも、まともに考えると怖い事になりそうで、マスマスいやだ。
「どうして……こうなった」
異世界へ意識だけ転生とか……リアルに考えだすと、すごく怖い。
いや、リアルなんだけどね。
そんな事をウダウダと考えていたら、足に何かがフワリと触れて。
「ヒギャ!」
驚いて声が出た。
ヒギャって、なんて声を出しているんだろうか、私は。
足元を見ると、猫がいた。
たしか、食糧係がネズミ対策に飼っている猫だと思うが。名前はなんだろうか?
猫って、時々こちらの都合に関係なくすり寄って来るよね。
まあ、そんな所がイイんけど。
「あっちへゆけ。餌なぞ持ってはおらんぞ」
と追い払おうとしたが、どういう訳か膝の上に乗ってきた。
「お前……ネズミ捕りがあるだろう。仕事をするのじゃ」
言っているのに、件の猫は大きくあくびをしすると、そのまま私の膝の上で丸くなる。
そう言えば、猫って基本は夜行性だった。
昼間に眠そうなのは、当然なのかも。
「おいこら! 我の膝は汝のベッドではないぞ」
けっこう大きな声で言ったのだが、件の猫は気にする風もない。
「……まったく」
こうなると、猫と言うのは人の意向なぞ無視する。
この状態の猫を膝から降ろそうとして、現代地球で怪我をしたことがある。
なんと三針も塗った。
その事を思い出すと、うかつには動けない。
「まあ、いいか」
特上のベットにご機嫌な猫を、私は指で突いてみた。
特に変化はない。
大丈夫だろうと思い、猫の頭を撫でる。
気持ちよさそうに、猫が喉を鳴らす。
手を止めると、しっぽが強く振られた。
どうやら、もっと撫でろとの催促らしい。
「王族に命を下すなぞ、不敬の極みだな」
言いながら、私はナデナデを再開した。
猫の温かみと重さが、その呼吸と心拍の動きが、私の手と膝に伝わる。
私は戯れに、左手で猫を撫でながら右手を護身用〔または自害用?〕に持たされた短剣の柄を握る。
左手に慈しみを、右手に死を。
まあ、世界とは、こんな姿なのだろう。
それでも、猫は呑気に生きている。
そして、人も同様だろう。
「何を悩んでいたんだか……」
私は、今『異世界の記憶』と『現世界の記憶』を矛盾なく共有して持っている。
重要なのは、『今まで破綻か無かった』事だ。
顕在していない危険なぞ、それこそ無数にある。
「根拠は無いが『大丈夫』を信じるしかないか」
想像力のある人間が、その能力の限り『心配』しだしたら、たちまちに破綻する。
「まあ、一度は破綻しかけたしなあ……」
私は、自分が死ぬ近辺の記憶が曖昧なのだ。
多分、現代地球の私は死んでいるのだろう。
だが、死んで転生したプロセスが曖昧なままだ。
まあ、自分が死んだ瞬間なんか覚えていたら、トラウマになるだろうし。
覚えていないのが正解だろうな。
そんなつまらない思索をしていたら、突然に膝の上で寝ていたはずの猫が体を硬くした。
「どうした?」
猫は、近くの生垣を一角を睨んでいる。
はて? あの生垣に何か潜んでいるのか? と目を凝らして見ると……いるじゃん!
ズゴゴゴな効果音の背負いながら無表情で睨むテレサ女史が、生垣の影から私と猫を睨んでいる?
いや……なんで睨むの。
マジで怖いんですけど。
私が気がついたのが分かったのか、テレサ女史はズルリと生垣の影から出てきた。
私が声をかけようとしたが。
テレサ女史は唇に人差し指を添えて『お静かに』サインを送ってきた。
そのまま足跡を忍ばせるように、左右に体を振りながら姿勢を低くして近づいてくる。
いやいや……動きが、哺乳類のそれじゃない……爬虫類的な……ズバリ『蛇でしょう』的な動きだ。
テレサ女史の視線は、私では無く、膝の上の猫を見ている様子。
ねえ、テレサ女史。
この猫を、どうしたいの?
どうするの?
まさか……食べないよね?
猫身うどんとか……
猫身を襲うとか……
いや、ダジャレで上手いこと言ってる時ではないでしょ!
そんな私の脳内ボッチ突っ込みとは関係なく、テレサ女史は私の眼前まで来ると、スイと右手を伸ばしてきた。
目標は、私の膝の上の猫。
「ギャ!」
短い悲鳴にも似た鳴声を上げて、猫は私の膝から飛び出して逃げてゆく。
それを見送る、私とテレサ女史。
「何がしたかったのじゃ?」
一応、確認の為にテレサ女史に行動の真意を聞いてみたが。
「……姫殿下だけ、狡くございます」
と、無表情なままで涙目のテレサ女史が抗議してくる。
いや、狡いって……
「猫……好きなのか?」
首肯するテレサ女史。
「もしかして……何時も逃げられるのか?」
首肯するテレサ女史。
ああ、さもありなん。
それ、しかたが無いと思う。
「私は、どうも不器用なようでございます」
「うん。そう思うぞ」
「……姫殿下、酷いと思います」
「いや、だって……なあ」
嘆息したテレサ女史は、肩を落として私の隣に座ってきた。
あれ? なぜそこに座る。
そこに座られると、なんか会話しないと気まずいだろう?
さて、何の話をしようか……天気とか?
などと思っていると。
「何かバカバカしくなりました」
と、テレサ女史の方から話はじめてきた。
「我が(マイ)主は、私に工房を譲って引退したいと言うのです。酷いとお思いになりませんか」
ちょっと待て、なんで私が彼女の愚痴を聞かないといけないんだ。
「はて、ダンカン殿なら退位して公爵位を譲られたはずだが?」
「そちらの話ではなく、フランシス工房の代表の件でございます」
「ほう、テレサ殿はエッセンを代表する工房を譲られたのか? それはうらやましい」
どうもフランシス工房の所有者がダンカン殿なのかテレサ女史なのか分かりにくいと思っていたが。どうやら、所有権の譲渡中であったのか。
納得だ!
「私は、工房が欲いなんて言ってはおりません。あんなもの……」
「いらんのなら我がもらうぞ」
私が語尾にハート付きで言うと。
「お譲りできません」
なんだ、それは。
「それでは、テレサ殿はどうしたいのじゃ?」
「私でございますか?」
「工房を譲られのもイヤ。しかし、捨てるのもイヤ。なれば、工房はダンカン殿が所有のままが良いのであろう?」
「はい」
とテレサ女史は首肯をする。
「しかし、ダンカン殿は何らかの理由で工房の手放したい……」
「我が(マイ)主は、旅に出るとおっしゃておりました」
「ほう、旅か」
「戻れるかどうか、分からない旅でございます」
「それは、尋常では無いな」
「旧大陸を探しに行くと……」
とのテレサ女史の言葉に、さすがの私も驚いた。
「幾多の冒険家が挑戦して失敗した『旧大陸探索』か!」
「はい」
「それは……生きては戻れんかもしれんなあ」
なるほど、あの飛行船と電波灯台は、その冒険の道具なのか。
まあ、ダンカン殿の意向は分かったが。
「結局のところ、テレサ殿はどうしたいのじゃ?」
「私は……使用人でございます」
「なれば、工房を受け取れ!」
沈黙するテレサ女史。
「受け取りたくないのなら、使用人以外の立場になるのじゃな」
「……」
今まで無表情であったテレサ女史の表情が、初めて動いた。
なかなか戦争までいきつけませんが、以後も続きます。
見捨てないで!




