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大砲姫  作者: 阿波座泡介
ガルムント編
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フランソワ工房

 化学の基礎として必要なものは『透明硝子』である。


 あっ、疑問に思いました?

 当然ですよね。


 しかし、透明な硝子の製造が出来てこそ、化学の進歩は保障されると言ってよい。

 学生時代の化学実験を思い出していただきたい。


 実験器具は全て透明で薄い硝子製ではなかっただろうか?

 たとえば、液体を正確に計量する。

 たとえば、複数の液体を混合して、その変化を観察する。

 

 たった、これだけの事でも容器が陶器や金属では難しい。

 金属の場合は、液体と反応さえしてしまう危険が多い。


 つまり、正確な観察の基礎として『透明硝子』の実験器具は必須アイテムと言える。


 この透明硝子は、マウリスでも少量ではあるが生産されている。

 ちなみに、硝子自体は少々高価ではあるが、平民でも買える価格で販売されている。

 しかし、その透明度は低く、濁りがあったり色が残るものが多い。


 しかし、コンラート伯爵の息子であるジュニアの実験小屋に各種の器具は全て透明硝子製の上に均一な薄さで仕上げられている。

「現代地球のものに比べては落ちるが……」

 まあ、そもそも比べる事自体が間違いかもしれない。

 それでも、化学実験を行うには十分な透明度ではある。

「ずいぶんと良い器具が揃っておるのぉ」

 私の言葉に。

「いえ、これは全部、エッセン公爵からの賜り物です」

 とジュニアが答える。

「ほお、あそこ(エッセン)は確かに妙なモノを贈る癖があるようじゃな」

 答えながら、私は最近にエッセン公爵から贈られた製図板ドラフターを思い出した。

 どこで、私が機械製図をはじめたと聞いたのかは知らないが、どうにかT定規モドキをこしらえた頃に、平行定規を備えた図板が届けられてきたのだ。

「では、あの圧縮機もエッセンからのモノか?」

 私は、先日のアンモニア合成を行った際に使われた空気圧縮機を指して尋ねる。

「はい、公爵からの賜り物ですが……これを造ろうと思いましたのはユリアナ様の言葉があったからです」

 思いがけず私の名前が出た。

「えっ?」

 話を聞くと、ジュニアが空中チッソ固定法の挑戦したのは、私との会話の中で空気が『空気』と言う一種類の物質ではなく窒素や酸素などの混合物であるとの話が始まりと言う。


 うわぁ~、やっちゃったよ。

 チート情報垂れ流しじゃないか……

 覚えていないが……そんな話をしたような……気があるような、無いような……


「元の話は、当家の庭園に落雷した件の話からでした」

 ああ、思い出したぞ。

「庭園に落雷があったので凶兆かと思ったら、その場所では花が良く育つ……そんな話だったな」

「はい、私が雷には植物に良い物が含まれるに違いないと言いましたところ」

「違うぞ、ジュニア殿……と、私が言ったのだったな」

「はい」

 ジュニアは満面の笑顔である。

 うわ、なんかカワイイなあ。

 ううう、頭をナデナデしたいが……やったらダメだろうなぁ。


 落雷の後は作物が良く育つ、との話はよく聞く。

 これに対する仮説の一つが雷による窒素成分の合成がある。

 つまり、雷の電気エネルギーによる高温高圧によって空気中の窒素成分がアンモニアに変化し、それが窒素肥料として作用することで作物はよく育つようになるのだ。


 この仮説を、私は自分の考えのように得意げにドヤ顔で語ったらしい。

 どんだけ痛い奴なんだろうか、私は……


「私はユリアナ様の言葉に頭を打たれる思いでした」

 いや、私もジュニアくんの言葉に頭を打たれる思いですよ。

 なんか、ゴメンなさい。


 それからのジュニアは、独学で錬金術の真似事をはじめたらしい。

 

 気をつけていたつもりだったが、私のチート知識で人生を狂わされた哀れな被害者が確実に、ここに在る。

 いや、そもそも私は、この社会構造自体を強引に改革しようと目論んでいるのだから、人生を狂わされる者などは、それこそ何百万と量産するつもりなのだが……

 しかし、こんな風に予想外の一言で人の生き方が変わるのを見ると……なんだか、少しは慎重に生きなくてはと思うのだが。

 まあ、その点は『過ぎたことで悔やまない』で通すしかないのだろうなぁ。


「実は雷を起こす機械もいただいたのですよ」

「なに!」

 私は思わず大声を出してしまった。


「これです」

 ジュニアが木箱から出したのは、小型の発電機だった。

「こんな物まで……」


 これで、予想外の形ではあるが、エッセン公爵は電気を造る能力があることが証明された。

 やはり、ガルムント山の電柱は、送電線と見て間違いない。


「他にエッセンからの賜り物はないか?」

「実のところ、ここにある物のほとんどがエッセン製です」

 ジュニアは両手を大きく開いて部屋中にある無数の機械や器具や書物を指し示した。

「なるほど、そうであったか」

 私は一冊の本を書架から取り出した。

 書名は『基礎科学1』とある。

「その本には助けられました」

「そうなのか? よい本なのだろうな」

 私は、本の内容では無く、紙質に注目した。


 もっと早くに気が付くべきだった。


 私の手の中にある本は、現代地球で手に入るのと同等の紙でつくられている。

 そう『手漉き紙』ではなく『パルプ紙』の本だ。


 このマウリスには多くの本がある。

 もちろん、現代地球と比べれば遥かに少ないが。

 それでも、中世世界のような社会構造であるにも係らず、少々高価だが大量の本がある。

 そして、大量のパルプ紙も流通している。

 

 さて、パルプとは木材の繊維を取り出した物だ。

 上質のパルプはトイレットペーパーや製本紙になり、質も悪いものでもダンボールなどに使われる。

 ところが、地球で人類が大量のパルプを生産できるようになったのは最近の事なのだ。

 それまでは、比較的パルプを取り出しやすい一部の草や綿からつくっていた。

 和紙においても、コウゾやミツマタなどの草を蒸して解して砕いて繊維を取り出していたのだ。

 この方法でも上質の紙はつくれるが、量産は困難だ。

 

 現在地球ではアルカリによって木材を溶かし、酸で中和してパルプを取り出し製紙を行っている。

 木材を溶かすほどの高品位のアルカリが大量に必要であり、それを中和できるほどの酸も必要となる。


 中世におけるアルカリは、灰からの抽出によって生産されていた。

 酸は、ワインや果汁から造っていた。


 とてもではないが、木材を溶かしてパルプを生産できるほどのアルカリと酸の製造は不可能だ。


 近代工業において酸とアルカリの安定生産が可能となったのは『電気分解』が可能となって以降である。

 つまり、発電が出来ないと『パルプ紙』は生産できない。


 ちなみに、マウリスにはダンボール箱すらある。

 地球でもダンボール箱が普及しだしたのは第二次世界大戦以降だ。


 詳しく調べないと分からないが、マウリスにおける製紙はエッセン公爵家の独占ではないだろうか?

 私の手元にある本も、ほとんどはエッセンからの贈り物だ。

 

 これは、本腰を入れて調べる必要がある。

 

 私は、少し揺さぶりをかける事を思いついた。

「ジュニアよ。アンモニアを使っての冷却は見事であったぞ」

「いえ、それもユリアナ様のアドバイスが無ければ思いつきませんでした」

「では、今年の夏は大量の氷をつくって皆を驚かそうではないか」

 その言葉にジュニアは少し困った顔になる。

「空中窒素固定法で製造するアンモニアを冷却に消費するのはいかがなものかと」 

「効率が悪いか?」

「はい、とても」

 どうやら、ジュニアも大量の氷をつくろうと試算をしてみたのだろう。

 製造したアンモニアを消費して冷却に使うのは、確かに効率が極めて悪い。

「だがな、こうやってはどうかな」

 私は、ある方法をジュニアに教えた。

「ああ……そうか! そうやって使い続ければ……」

「出来そうか?」

「もちろんです……ですが、そうなると……やはりフランソワ工房の協力がないと……」

「ほう、フランソワ工房が発電機や圧縮機を造ってくれるのか」

「はい、さっそく手紙を書いてみます!」

 心底嬉しそうなジュニアの笑顔に、私の心は少し痛んだ。




「グレタおるか?」

 私はジュニアの実験小屋から出ると声をだした。

「はい」

 と、すぐ後ろで声がしたが気配は無い。

「エッセン伯爵領のフランソワ工房を調べろ。パニアにも話を通しておけ」

「分かりました」

「私は、ヨアヒムに会う」

「あら、逢瀬デートでございますか?」

「馬鹿者、これは任務ミッションじゃ!」

 

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