ユーイル港
午後の演習も終わり、これで春節の宴は終了となる。
リンダ伯は、さきほどから荷物をまとめだしていた。
私は忙しく指示を出しているリンダ伯に、硝酸態窒素を含んだ牛乳をどうするのか? と声をかけた。
「えっ! 汚染牛乳ですか? 荒地にでも捨てようと思っていましたが」
「捨てるつもりなら、ちょっと試してほしい事がある」
私は牛乳を加工して、ある物をつくってほしいと頼んだ。
「……そんな物が出来るのですか? 酢はありますが、ホルマリンと言う薬は手元にありません」
「それは我の方で用意しよう。やってくれるか?」
「捨てるつもりの物が役立つのなら、こちらとしても嬉しい話ですわ。承知いたしました」
リンダ伯は快く引き受けてくれ。
「では、出来上がりましたらガルムントへ送ります」
「うむ。楽しみにしているぞ。で、この後はどうする?」
「領地へ帰りますわ。今たてば、夕方には着きますから」
リンダ伯の領地はコンラート領の隣だ。
「そうか、道中気をつけるのじゃぞ」
「ありがとうございます。姫殿下もお気をつけておかえりくださいませね」
私はリンダ伯に首肯して手を振る。
その私に声をかけてきたのはコンラート伯である。
「ユリアナ様! 探しましたよ」
えらく急いでいる様子のコンラート。
「どうした?」
「姫殿下が曳き舟を用意されとの段取りでしたが、まだ港に来ておりません」
「なに? 変じゃなぁ」
「とにかく、すぐに港へ……」
事態が今一つ分からないので、港に向かって急ぐ。
コンラート伯と話していて思い出したことがあったので聞いてみる。
「ところで、例の煉瓦はどうじゃ?」
「反射炉用の煉瓦ですね。試験炉では連続稼働でも破損はないそうです」
「ほう、それは良い知らせじゃな」
「はい、実のところ。煉瓦の破損で反射炉が壊れる事も多くて難儀しておりました。熱に強い煉瓦は是非にも手に入れたいものでした」
「なによりじゃ。そちの製鉄がはかどれば、我も鉄や銃を多く手に入れられ道理じゃからな」
「しかし、これ以上の鉄の増産は不可能かと……」
「炭の不足か」
「はい。これ以上に炭を増産しては薪や材木も不足します。他所から買うにも限界があります」
「コークスは使っておらんのか?」
実は、ガルムント鉱山の工房では石炭からコークスを作っており、コンラート伯にも使用を勧めていたのだが。
「元が石炭と分かると、職人が嫌がるのです」
「そうか……」
まあ、耐熱煉瓦の成功だけでも大きな成果ではある。
コークスは、何かの機会にすすめるとしよう。
私が現代地球で耐熱煉瓦の作り方を知ったのは、偶然からだ。
アイドルグループが田舎暮らしを通して物づくりにチャレンジするテレビ番組で、耐熱煉瓦をつくる回があったのだが。
そこでの耐熱煉瓦の製造方は『古い耐熱煉瓦を砕いて粉にして粘土に混ぜて焼けば耐熱煉瓦ができる』であった。
なんじゃソレわあ!
と、思わずテレビに突っ込んだのを覚えている。
これは、耐熱煉瓦のリサイクル方法であり、製造方法では無い。
しかし、それを見て『粘土に何かを混ぜると耐熱煉瓦を作ることができる』事は分かった。早速にネットで検索したが、その『何か』が何なのかは分からなかった。
その後、酷い汗疹に悩んでいた私は治療方法などを調べていて『天花粉』の事も検索していた。
そこで、天花粉の材料が滑石であり、それが耐熱煉瓦の材料である事を知る。
滑石はモース硬度が一の極めて柔らかな白い鉱石。
つまり、爪で傷をつけるられるほど柔らかい白い石を探させたのだが、それは意外な形で見つかった……
それは、別の話としよう。
早速、この材料を練り込んだ粘土で煉瓦を焼き、それで炉を組んで実験をした。
コークスを燃やし、強制送風で温度を上げる。
鉄が青白く輝くような高温に長時間さらされても、新型煉瓦は溶けたり割れたりはしなかった。
さて、ユーイル港は巨大なフェリ湖に開けた港である。
フェリ湖から流れる出るライ川は、王都ニネアを通りマウリス内海へと続く物流の大動脈。
そのユーイル港では、バーンズ伯とランキン伯・ジョン伯とその配下の騎士団が集まっている。
「大騒ぎじゃな」
「三個騎士団となりますと大所帯ですよ。大型平底輸送船が十隻ですからね」
「それだけいいのか?」
「……十分かと思いますが」
良く聞くと、荷駄つまり輸送部隊はフェリ湖を回る陸路で帰るらしい。
まあ、実戦部隊優先は仕方が無いのだが。兵站を軽視すると後で痛い目にあうぞ。
さておき。
問題は、平底輸送船は動力が無いので、曳舟で引っ張る必要があるのだが。
「その曳船が来ていないのです!」
万策尽きたとでも言いたげに頭を抱えるコンラート伯。
私は、周囲を見渡し桟橋の上のグレタを見つける。
私が手を振るとグレタが小太りの男と手を繋いでコチラへ走ってくる。
……なんで手を繋いでいる?
そういうのが好みか?
男の趣味が悪くないか、グレタちゃん!
「お待ちしていましたユリアナ様。この役人に言ってくださいな」
グレタと手を繋いだ小太りの中年男がフウフウと息を切らせて。
「はぁはぁ~、あんたがアノ船の持ち主かね。困るなぁ、ちゃんとした船籍証明書を用意してくれないと」
何やら書類を差し出す小太り男こと港湾役人。
なんだ、役人か。
だが、なんで手を繋いでいる?
私はグレタに小声で。
「どういう事だ?」
「船籍証明書に不備があるとか」
ああ、書類に難癖をつけて小銭を集める輩か。
「おい、ちゃんと賄賂を渡したのか?」
「いえ、それが……賄賂を渡したら、逮捕されまして」
なんと、グレタと小太り役人が手錠で繋いでいた。
なるほど、それでか。
男の趣味が悪いと思た事はゴメンね、グレタちゃん。
単に仕事熱心で融通のきかない役人か。役人としては忠実なのだが、厄介な輩には違いない。
これは、完璧な書類を用意するか。または、上位の者が責任を持つと言わないかぎりは梃子でも動かないだろう。
「グレタ。タグボートは何処じゃ?」
「はい、港の外です」
どうやら、造船所から港に入ろうとしたところ、巡視船の検閲を受け、そこで書類の不備を指摘されて身動きが出来なくなったようだ。
「すまんがコンラート。なんとかしてくれ」
小太り役人は最上位の上官であるコンラート相手に一歩も引かず、結局ここで書類の修正をする事となる。
「……これでイイか?」
「はい、よろしいございます」
と、小役人はグレタを連れて行こうとするので。
「こら、我の部下を連れてゆくな!」
私が咎めると。
「この女は収賄の現行犯です」
と、つっぱね。
「あなたが上司ですか。部下に賄賂を指示するとは由々しき犯罪行為ですぞ。港湾警備団へ引き渡します」
と、私にも手錠をかけようとする。
この男、私まで本当に逮捕しかねない。
私は懐から短銃を取り出し、地面に向けて引き金を引く。
パンと紙風船を割るような音が響き、役人の足元に小さな穴が開いた。
「……なっ!」
私は銃口は役人の顔に向けた。
「グレタを開放して帰れ。これはユリアナの命令じゃ」
役人は顔を真っ赤にして。
「王族ともあろう方が……暴力で法を曲げて押し通ると申されるか!」
「ああ、押し通る」
私は、笑って答えた。
「なんたる破廉恥!」
と言い放ち、引く様子が無い役人。
私としては、こういう男は嫌いではないのだが。ここで私が折れるのは少々まずい。
「お手間をとらせました。すみません、姫殿下」
いつの間にか、私の横にグレタが立っている。
「なっ?!」
役人が眼を白黒させて自分の手錠の先を見ると、それは桟橋の手すりに繋がっていた。
「どうして?」
「なにをした?」
役人と私の問いに、笑顔のグレタは手に持った髪留めピンを見せる。
「そういう事が出来るなら、サッサと逃げてこんか」
「ちょっと時間がかかりますので……姫様が注意を引いてくださったから出来ましたの」
まあ、手続きが出来ていないのに逃亡しては事態が混乱するばかりだ。
「なんという理不尽な! なんという無法な!」
「理不尽も無法も、この世の常じゃ。だが、オマエはなかなか良いぞ」
手すりに繋がれた小太り役人を置き去りにして、私たちは桟橋へと向かう。
「私の部下が失礼をいたしました」
コンラートが謝るが。
「手落ちや無法があるのは我らの方じゃ。その者は処罰せんように。ああいうのがおらんと、組織はすぐに腐敗する」
「ありがたきお言葉……ですが、あのような者が多くても困りますな」
「そうじゃな」
私は口元を緩めた。
なんにしても、組織の健全で円滑な運営とは難しい。
桟橋の先に建つ腕木信号塔が動き出す。
しばらくすると、港の防波堤を回りこんで異型の小型船が入ってきた。
「なんだ? 煙か」
「おい、燃えているぞ!」
「船火事か?」
異型の小船がモクモクと黒煙を吐き出すものだから、港では騒ぎになりだした。
だが、煙を吐き出す異型の小船は、平然と桟橋に近づいてくる。
「……あの船も蒸気動力なのですか?」
コンラート伯は、さすがに件の演習を見ているのでピンと来た様子。
「いかにも、察しが良いではないか」
「しかし、両舷に水車がついていますが……あれが櫂の代わりですですね」
桟橋に近づいたので異型船の両舷に外輪があるのが分かる。
異型船は小型の蒸気外輪船である。
「この新型船が、私が用意した曳船じゃ」
やっとで演習が終わりましたが、ユーイルでの話は続きます。




