春節の宴 二日目 8
装甲蒸気車は、火砲で防御された敵陣地への進撃を目的として開発した試作兵器だ。
それは、重火器や速射に優れた軽砲の攻撃から身を守れるほどの重装甲を持ち、敵の阻止障害や塹壕を乗り越える踏破性能と敵軍の移動に追従できる移動力、防御された敵陣地を撃破する攻撃力を併せ持つ。
とは言え、戦車とは違い、走行装置がキャタピラではなく、動力が蒸気機関であり、火砲が前装砲である。
これだけ違えば、性能は比べるまでもない。
動力が蒸気機関の為に車体が大きく重いので通れる道は限られる。
動車輪が無限軌道では無いので、地盤の固い所しか走行出来ない。ゆえに、斥候によって進路の確認が必要。また、傾斜地での行動も制限される。
前装砲装備なので速射性能に劣り、装填の度に再照準が必要である。
要約して言えば『なんとか自走できる移動砲台』だろう。
それでも、火砲で防御された陣地への攻撃兵器としては画期的なものだ。
今回の演習では、周囲の地盤はカーゴの重さを支えるには十分に地盤は固いし、多少の起伏があるが走行可能範囲は広い。発射出来る弾が一発だけなので、すでに装填が完了している主砲は再装填を考える必要が無いので前装砲でもOK。
また、連続稼働時間は残りが十分程と少ないのは、火室の火を落とし予備の燃料も降ろし、蒸気缶内も加熱された蒸気と最小限の沸騰水があるだけ。
もちろん、予備の弾薬も降ろしている。
したがって、重量は通常巡行時よりもかなり軽い。
故に、普段よりは幾分か早く走れる。
これは結構なアドバンテージだ。
たった一つの動かない目標を攻撃するならば、条件はさほど悪く無い。
くわえて、カーゴ搭乗員であるアンジェラ・パフスカとルイス・スミスにカペラ・スコットの三名には、元盗賊の罪人ではあるが、カーゴ操縦と砲射撃の訓練は積んでいる。まあ、短期促成ではあるが。
今回、攻撃側にあえて罪人を選んだのは、この演習自体がかなり危険なものであり。
なおかつ、より実践的なデータを欲しての事だ。
本来ならば、ここは別部隊の志願兵を使うところだが。
我が平民軍は、まだ組織が小さく、全員が知り合いだ。
もちろん、平民軍の皆は、任務には真剣に取り組む。
だが、知り合いが相手では、真剣の殺し合いは望めない。
そこで、奇手ではあるが罪人を使った。
「姫殿下、罪人に大砲などを使わせるのは……いかがなものかと……」
まあ、その上で、リンダ伯あたりは苦言をいうのだが。
「いや、それよりも、あの大砲がこちらを向いたらどうするでござる?」
なんだ、ジョン伯は、そんな事が心配なのか?
「カーゴの大砲は旋回出来ないのじゃ。車体の前がこちらに向かなけらば危険は無い」
「もし……こちらを向いたら?」
と、ランキン伯が聞くので。
「込めてある弾は徹甲弾でも爆裂弾でもない、粘性榴弾じゃ。塹壕に入れば大事は無い!」
キッパリと答える。
まあ、たぶん大丈夫だろう。
粘性榴弾は、弾頭を柔らかい鉛でつくった砲弾。
相手の装甲を貫通する事ではなく、砲弾の運動エネルギーを相手に伝える事で、その構造を破壊する目的で製造された砲弾だ。
硬い装甲を破壊する事には優れているが、土の塹壕を破壊するには向かない。
私たちが、そんな話をしていると、カーゴから出てきた平民軍兵が信号弾を打ち上げた。
同時に、カーゴが動き出す。
「はじまったようじゃぞ」
私の呟きを証明するように、防御側であるウルバン砲陣地から銃撃が始まった。
まだ、遠いので威嚇の意味しか無いだろうと思っていると、装甲板に着弾の火花が起こる。
どうやら、対物ライフル銃を使っている様子。
言い忘れたが、この演習では双方とも実弾を使う。
とはいえ、攻撃側が使える火器はガルムント砲一門に砲弾一発だけ。
人数も三人と少ないので、操縦手・砲手・機関手と割り振ると、他の火器は使えない。ちなみに、指揮は砲手が兼務でアンジェラが就くようだ。
つまり攻撃側は、オルバン砲を攻撃できる位置まで敵の攻撃に耐えつつ移動して、大砲を撃つ事しか出来ない。
ひきかえ、防御側である平民軍は火器の使用が自由だ。
ユーイル小銃に軽ガルムント砲、バレット銃まで使える。
ちなみに、オルバン砲は敵城壁への砲撃準備中の想定なので動かない。
攻撃側カーゴは、防御側陣地を横に見て回り込みだした。
「はて? 蒸気装甲車はオルバン砲に向かいませんな」
コンラート伯が双眼鏡を覗きながら問うてきた。
「あれで良いのである。直進しては敵に姿を晒しすぎる」
と答えるバーンズ伯は正しい。
蒸気装甲車が発信地点から最短距離でオルバン砲へ向かうと、その姿を防御側に晒し続ける。また、途中にある小さな起伏で速度が落ちる上に防御側に腹を見せる事となる。
今の蒸気装甲車の動きは、大地の起伏に車体の下半分を隠しながら、オルバン砲を横から砲撃出来る位置へと移動しようとしているようだ。
蒸気装甲車が隠れている起伏は、車高の低い戦車ならば十分に姿を隠せる高さがあるが、車高が高い蒸気装甲車では下半分を隠す事しか出来ない。しかし……
ガンと、鋼と鉄がぶつかる音が響く。
蒸気装甲車が少し傾いたが、直ぐに元へと戻り走り続ける。
「あ……当たったでござる」
「だが、動いていますよ……すごい」
蒸気装甲車は、砲撃に弱い足回りを起伏に隠して進んでいる。巧みなコースどりと言える。
樫の厚板と鍛鉄板の複合装甲は、その上半分はカタツムリの殻のような曲線を描いており傾斜装甲となって見かけ上の装甲厚は倍になっており、軽ガルムント砲の直撃にも十分に耐えるものだ。……計算上は。
合計で六発続いた軽ガルムント砲の砲撃は、直撃が三発あったが、見た目のダメージは無かった。
その為か、砲撃は一時止んで、防御側平民軍は砲の位置を直しだした。
「起伏から出てきた所を狙うのであるな!」
バーンズ伯の見込み通りに平民軍は、蒸気装甲車が起伏の影から出てオルバン砲との距離を詰めるであろう場所へと軽ガルムント砲の方位と俯角を調整し、次弾の装填にかかっている。
だが、起伏の影から出た蒸気装甲車は、オルバン砲へと直進せずに浅い角度で進む。
しかも、司令塔から赤毛の頭がヒョコリと出ている。多分、アンジェラが顔を出しているのだろう。
「何を……大砲が怖くないの?」
リンダ伯の声は驚きの為かオクターブが上がっていた。
「いや、あれが正解じゃ」
私の言葉が終わると、蒸気装甲車は急停止をした。片方のブレーキだけを使ったのか、停止と同時に蒸気装甲車は大きく傾いて車体が曲がる。同時に、蒸気装甲車の少し前を砲弾が通過した。
平民軍が放った軽ガルムント砲の砲弾だ。
砲弾は、そのまま飛翔して遥か後方に土煙をつくる。
蒸気装甲車の方は、そのまま片方だけの車輪を回して九〇度回転すると、全力で進みだした。
だが、その角度でも最短距離の方向では無い。
近づいてはいるが、オルバン砲直進コースからは四五度のズレがある。
「ジグザグに進んでいるのでござるか?」
「いや、それだけはありませんよ。あの女は、砲撃を予想して止まったのではありませんか?」
「まさか!」
リンダ伯の言葉が終わるまでに、また蒸気装甲車が急停止した。
同時に、また砲弾が蒸気装甲車の前を通過する。
「そんな、どうやって?」
リンダ伯の悲鳴のような疑問に。
「いつ砲撃を受けるかは、砲口を見れば分かる」
と、私は答えた。
大砲を見て、それがこちらを正確に照準しているのであれば、砲口は真円に見える。
そして、砲兵は、敵を正確に照準できたならば、即座に砲撃をおこなう。
つまり、砲口が真円に見えるかどうかの判断で、敵の砲撃タイミングが分かる理屈だ。
「とは言え、あれは真剣を前に一瞬も目を離さ無いに等しいのである!」
と、バーンズ伯が唸る。
アンジェラの行為を理解したのか、平民軍側から激しい銃撃がおこる。
まだ、蒸気装甲車とオルバン砲の距離は五〇〇m以上空いている。
しかし、防御陣地の最前線から蒸気装甲車までの距離は四〇〇mを切っている。
有効射程三〇〇のユーイル小銃では、狙撃は難しい距離だが、なんとか弾は届く。
そして、生身が相手ならば流弾でもダメージを与えられる。
平民軍の作戦は、銃撃でアンジェラの頭を下げさせて、味方の砲撃タイミングを読ませないようにしている。
銃撃に耐えかねたのか、アンジェラは司令塔から頭を下げて蒸気装甲車をオルバン砲に直進させるように進路を修正した。
蒸気装甲車の見かけ上の大きさを最小にして一気に砲撃可能距離まで近づくようだ。
そしてカーゴの正面装甲は厚く、弱点である車輪を覆うように装甲カバーも正面側には付いている。
つまり、正面から攻撃には滅法強い構造なのだ。
しかし、側面の装甲は少々手薄。車輪カバーも完全では無い。
そして、オルバン砲から距離をおいて設置された軽ガルムント砲からは、わずかだが車輪を狙う事が出来る。
今、平民軍軽ガルムント砲の一つが火を噴いた。
その砲弾は、見事に蒸気装甲車側面の動力車輪を打ち砕く。
砕かれた車輪の金属環と木材がはじけ飛ぶが、しばらく蒸気装甲車はそのまま進んだ。
だが、徐々に車体の傾きが大きくなるとカーゴの腹が地面を削り、蒸気配管が破れたのか、大量の蒸気を吐き出して止まってしまった。
この時点で、蒸気装甲車はオルバン砲への攻撃可能距離までは近づいてはいた。
しかし、蒸気装甲車は大砲を自由に動かして照準できる砲塔を持たない固定砲車両だ。
今のカーゴの軸線は、オルバン砲からズレている。
ただし、車体が水平ならば、少しだけ大砲を動かす事もできたのだ。だが、いまのカーゴは車体が五度以上傾いている。この状態では、砲は動かない。
「奮戦はしたが、ここまでかな……」
勝敗は決まったと思った。
平民軍側も勝利を確信したのか、陣地から数名の兵が出てカーゴを包囲しようとしている。
だが、死んだように見えた蒸気装甲車が大きく動いた。




