春節の宴 5
テントの外は、すでに夕闇が迫り。
あちらこちらには篝火が灯されていた。
燃え盛る篝火を背景に、跪いた黒髪の青年が私に右手を差し伸べ。
「お迎えに参上いたしました。ユリアナ姫」
と口上をのべる。
私は。
「大儀です」
と、青年が差し伸べた掌に、掌を合わせるように右手を差し出す。
青年は立ち上がり、私の手を包むように握り歩き出す。
青年の左右を、儀礼用甲冑の騎士が従う。
見ているだけなら「映画みたい」とか、お気楽な感想を呟くところなのだが……
そのエスコートされる姫が、私自身となれば、これほど緊張する事はない。
ああ……同じ方の足と手が出てしまいそうだ。
周囲の騎士やら従者やらが、息を飲んだように静まり返って私達を見ている……ような気がする。
たぶん、気がするだけだ。
私を注目している者なぞいない!……はず。
「皆が……見ていますね」
黒髪の青年--ヨアヒム・エッセン公爵子が小声で呟く。
「そ……そんな事を言でない。緊張するではないか!」
私も小声で苦言を返すが。
「そう……ですね。私も、緊張しています」
ヨアヒムの掌が、少し汗ばんでいる。
「こんな時には……人をジャガイモと思うと良いと聞いた事があるぞ」
「なるほど……さしずめ、ここはジャガイモ畑ですね」
「うむ、ジャガイモ畑じゃな」
地面を歩いているはずが、なんだか足元がフワフワしてきた。
うう……、ドレスの裾を踏んでしまいそうだぞ。
などと混乱していると、いつの間にかコンラート伯のテントに着いていた。
「ユリアナ姫殿下! ヨアヒム公爵子! お着きであります」
取次ぎの口上を受けて、テントに入ると、席に着いていた一同が起立して迎える。
ヨアヒムのエスコートで席に着くとコンラートが目配せをする。
「一同、大儀です」
私の言葉で、皆は席に座り、コンラートが給仕の者を招く。
この様な席では、宮廷席次が優先されるので、王位継承権を持つ私が最高位となるが……気疲れするばかりなので、勘弁してほしい。
席は、やはりヨアヒムと私が並んで上座だ。
次々と料理が運ばれてくる。
酒を飲めない私は炭酸水を貰う。
ヨアヒムはワインだった。
「酒を飲むのか?」
と聞くと。
「十六歳になりましたので」
と答えが返ってきた。
マウリスでは十五歳が成人の区切りとなる。
「そうであったな……もう、ヨアヒムは大人なのだな」
私は感慨深く呟いた。
私とヨアヒムは幼馴染であった。
最後に会ったのは五年前で、私が天恵を受ける前。
当時、ヨアヒムの父上はエッセン公爵子の位にある大臣で王都に住んでいた。
ヨアヒムは王城に来る事も多く、私たちはよく遊んでいた。
しかし、当時のヨアヒムは騎士に憧れる元気の余った世間知らずの子供で--とは言え、私の方も、城の外に出るのが怖いくせに妙にプライドの高い子供だった。
ヨアヒムは、すでに成人して近衛騎士団を率いる上の兄と仲が良かった。
自分も成人したら幻獣騎士団--エッセン侯爵直轄騎士団の通称--を率いて戦場を駆けると言っていた。
幻獣騎士団は、半年前にマウリス南部地方で起こった相続争いの内乱平定に召喚されていたはず。
相続争いの内乱などは、双方が騎士を並べて睨み合うだけで終わるのが通例だが。
今回の内乱は、少し様子が違っていたらしい。
住民さえ巻き込んだ騒動となり、双方に多くの死者が出ている。仲裁に派遣された幻獣騎士団にも死傷者が出たと聞く。
ヨアヒムは、実戦を経験したのかも知れない。
「……大人になるはずじゃな」
小声で呟くと。
「何か言いましたか?」
と、ヨアヒムが聞いてきたので。
「よい男になった、と言ったのじゃ」
と言ったら。
「私は……半人前です」
と、視線をそらせた。
すると、顎から首にかけて、薄く傷の跡が見える。
これは、戦闘に参加したのは間違いなさそうだ。
しかし、再会したと思ったら、いきなりキスをしてくるし。
かと思えば、エスコートしてるのに視線を合わせようともしない。
ガキのように騒がないのは良いのだが……微妙に間合いが取りにくい。
せめて、笑顔で挨拶くらいはしてほしいものだ。
よし。ここは人生経験が豊富な--異世界限定だが--私の方からフレンドリーな対応をしてゆくとしよう。
「戦を求めるのは子供の所業。半人前は、戦を前にして動けなくなる。そして、一人前の男なら……」
ここまでを独り言のように呟いて、グラスの炭酸水を飲んだ。
ヨアヒムは、こちらを向いている。
よしよし、続きを聞きたい様子だ。
「続きが聞きたいか? ヨアヒム」
と問うて、とびきりの笑顔をつくる。
と、ヨアヒムは急にそっぽを向いてしまう。
あれ? 何か間違ったかな?
そんなタイミングで、デザートが配られた。
デザートは、香草で香りをつけたミルクに砂糖を混ぜて凍らせたアイスクリームもどき。
「おお、これは!」
「冷たい菓子であるか、うまし!」
「どうやって凍らせたのだ? ガルムント山の万年雪でも使ったのか?」
「万年雪を使った菓子とは、豪勢でござるな」
などという好評価の後に。
「しかしこれは……贅沢すぎるのではないか?」
リンダ伯が呟いた。
「この夕食会に、これほどの菓子を出す意味があるのですか?」
リンダ伯の疑問はもっともだ。
夏に氷菓子を供する事もあるが。これは、国賓接待レベルに限られる。
リンダ伯はコンラート伯の方を向いた。
「いや、お褒めにあずかり光栄ですが。これなる菓子を供してくださったのは、ユリアナ姫殿下なのです」
コンラートが答えると、一同が私を注目した。
「喜んでもらえて何よりじゃ。この菓子の構想を考えたのは確かに私だ。しかし、私一人の力では作れなかっただろう」
「それは、誰かの協力があったから作れた菓子であると言う事ですね」
ランキン伯の言葉に首肯で答え。
「この菓子をつくるために、我に協力してくれた者を紹介したい。コンラート伯の子息、ジョナサン・ジュニアじゃ」
私は下座を指すと、そこに控えていた少年が立ち上がり。
「ジョナサン・ジュニアです」
と深く一礼し。
「この菓子は、アンモニアと水を混ぜた時に周囲の熱を吸収する性質を応用してつくりました。アンモニアは硝石肥料の代用品としてつくったものです」
ジュニアの説明に。
「混ぜると冷たくなるとは、不思議なものでござるな」
ジョン伯は驚きの声を上げる。
「高価な硝石肥料の代用をつくるとは、天晴れな心がけであるな!」
バーンズ伯である。
「ちょっと待ってください。硝石の代用なのですか? それでは、アンモニアからも火薬がつくれるのですか?」
リンダ伯は、どうやら私の真意に気がついた様子。
「我は硝石から黒色火薬を製造しておる。アンモニアからは、黒色火薬よりも威力のある火薬が製造できる」
この私の返答に、一同は息を飲んだ。
「そのアンモニアとかは、何からつくるのですか? まさか、魔法のように無からつくれるとも思えませんが」
リンダ伯の質問に。
「アンモニアは空中チッソ固定法というやり方でつくる。材料は空気じゃ」
「……空気とは? ここらにある空気の事でございますか?」
「その空気じゃ!」
「……ご冗談を」
私との問答で、なにか騙されたような気分になったのかリンダ伯は呆れた声を上げるが。その声を聞いても、私は真剣な表情を崩さなかった。
「まさか……真の話でございますか?」
リンダが恐る恐る尋ねてきた。
「真じゃ」
一同は、驚いたというより理解できない様子である。
それは、仕方が無いだろう。
話だけを聞けば、これはペテンとか魔法にしか思えない。
「我は、この空中チッソ固定法をセリア連邦も開発されていると考えている」
さらなる私の言葉は、一同に衝撃を与えた。
「セリア連邦は、空気から火薬をつくるのでござるか?」
「いや、それはおかしい。ならセリア連邦は硝石を輸入する必要がない」
ジョン伯の弁を受けて、ランキン伯が反論をしてくる。
「セリア連邦も、まだ実験段階であろうよ。だが、じきに実用段階に入り量産してくるだろう」
「その根拠をお聞きしてもよいであるか?」
私の予想をバーンズ伯が返す。
「一つは密偵の情報だ。いま一つは、此度の硝石高騰のおり、セリア連邦系商人が硝石の受取証文を大量に売りに出した」
硝石の受取証文があれば、契約金額で硝石を購入できる。
セリア連邦は、安価に硝石を入手するよりも、儲けを取ったと言える。
「……それでは……硝石販売による外貨の獲得は?」
とは、ランキン伯。
「むずかしいな。それどころか受取証文を売り浴びせられると、こちらの金を流出させかねない」
「この事を硝石問屋に急ぎ知らせないと!」
「その知らせは、先日に出しておいた。此度の肥料の適正運用の指導と合わせれば硝石価格は安定しよう」
慌てるランキンを落ち着かせ。
「セリア連邦系商人は、硝石受取証文での取引量が異常に多い。此度の価格高騰と売り浴びせ、奴らは硝石の市場破壊を目論んでおった節がある」
それは、セリア連邦がマウリスの硝石を必要としない証拠。
その言葉を聴いたランキン伯は席を立ち頭を垂れる。
「申し訳ありません、姫殿下。私の軽挙がセリア連邦に付け入られる事を招きました」
「……その件なれば、私も同罪でございます!」
ランキン伯に並びリンダ伯も頭を下げた。
「よい。どちらかと言えば、セリア連邦の予想より早く価格高騰が起こり、被害は最小に抑えられた。手柄と誇っても良いくらいじゃ」
私の言葉に。
「滅相も無い!」
と、ランキン伯・リンダ伯は改めて頭を下げる。
「これこそ、怪我の功名であるなあ!」
バーンズ伯がカラカラと大声で笑い。
「ユリアナ姫が我らを馬鹿者と呼ばわった事、誠に得心いりましたである!」
バーンズ伯は納得したように頷くが。
「これで納得されたは、我はまた伯をバカと言わねばならぬぞ」
私の言に。
「なんと……まだであるか?」
バーンズ伯は驚いたいる。
「いま、マウリスの人口は増えている。その為に、国が傾こうとしている」
私は言い放った。




