春節の宴 3
騎馬兵。
中世世界における決戦兵器である。
中世世界は、この決戦兵器を生み出し、維持する為に存在してきた。
騎士や武士などの騎馬兵を一兵支えるのに必要な農地は五〇haと言われている。
五〇haとは五〇町の事。
人間の力だけで耕作した時、一町は成人男性一人が専業で耕作するに最適な広さと言われている。
また、一町の十分の一の広さの一反は、成人一人を養える穀物を生産できる面積である。
さて、以上の事から騎馬兵一人を養える組織を考えよう。
五〇町の農地があるから、成人男性は最低でも五〇人必要だ。
成人男性一人につき扶養家族は四人とすると、一家族は5名となり家族の扶養に必要な農地は5反となる。
残り五反から生産される農作物が騎馬兵を養う。
ところで、実戦における騎馬兵は、二頭の馬と主戦闘員および従戦闘員の二ユニットで一戦闘単位と見なすのが普通である。
したがって、騎馬戦闘単位で考えるならば、これらは二倍にしなくてはならない。
では、騎馬戦闘単位を一つ養える組織はどうなるだろうか?
その構成員は、成人の男が百人、成人の女が百人、子供三百人。合計で五百
人。
保有農地面積は百町である一平方km。
また生活をするために、居住地や里山や水源地がある。
組織が保有する土地の総面積は二平方kmから四平方km。
これは、地球中世の平均的な村の姿に相当する。
当時は、騎馬戦闘は、騎馬兵が一対一で対決する戦闘形式が普通であった。
そのため、戦闘単位を一つ保有していれば、戦争に参加できる。
そして『戦争に参加できる』とは、外交と防衛を行える事を意味する。
したがって、この組織は、一つの自治単位として閉塞してしまう傾向にある。
騎馬兵を養うだけならば、この組織で問題は無いはずであった。
しかし、この組織には致命的な欠点がある。
組織が、小さすぎるのだ。
これが、暗黒時代とも呼ばれる中世が抱える数多くの問題の始まりだった。
天災や飢饉などが無ければ、この小規模な組織は大変に扱いやすい。
しかし、一旦、危機が訪れたならば、この小規模組織では必要な人的または物的な備蓄が少なすぎて、復興ができない。
近隣の別組織が助ければ良いのだが、近隣組織は『土地』や『水』の権利で対立している事が多い。
相互扶助は無いと思える。
そして、人的な資質の問題である。
成人男子百人の組織--あえて、女性と子供は除く--は、特に有能な人間で無くても維持管理が可能である。
それゆえに、管理者の無用に由来するトラブルは少ない。
しかし、社会が改革や進歩をするためのトライアンドエラーを試みる余力は一切無い。
さらに、優秀な能力を持った者が誕生しても、その力を発揮できる場も一切無い。
したがって、社会は長い長い停滞期に突入してしまう。
騎馬兵が『集団』による騎士突撃戦法を採用するまでは……
さておき。
私と従者であるグレタ・ジェイ、それにジョン・コーベンは、リンダ・グラットンのテントに招かれた。
ランキン・フィリップも招いたのだが、何か急用らしく、自分のテントに帰っていった。
後から伺います、と言っていたので、そのうちに来るだろう。
リンダは、私の説明を羊皮紙に書き留めると蝋封をして騎士の一人に託して故郷へと送り出すところだ。
「宴の途中ですまないが、急ぎ届けて欲しい。お前の息子も助かるやもしれん」
封書を受け取った騎士が顔を上げ。
「一命に代えても、必ず」
と口上を述べると、リンダ伯に一礼をし、私の方へも礼をすると急ぎ足でテントを出て行った。
「青い赤子の父親か? あの騎士は」
「はい、やっと生まれた世継ぎの男子でございます」
私の問いに、リンダは答えた。
「しかし、硝石が毒になるなど、思いもよらんでござる」
ジョンの呟きに。
「硝石は、不毛の大地を豊かな農地に変える良薬じゃ。だが、効果の高い良薬ほど使い方を誤ると毒になる」
チッソ肥料である硝石それ自体には毒性は無い。
しかし、高濃度のチッソ肥料を大量に摂取した植物は硝酸の形でチッソ成分を蓄える。
この硝酸は、低濃度であれば、特に有毒ではない。
一般の野菜にあるアクも、植物が体内に蓄えた硝酸なのだ。
だが、これが高濃度になると、問題がおこる。
哺乳動物が高濃度の硝酸を蓄えた植物を摂取した時に、消化器官内で一部の硝酸が硝酸態窒素に変化する。
この硝酸態窒素は、ヘモグロビンと強く結びつく性質があるのだ。
つまり、硝酸態窒素を血中に取り込むと、貧血を起こす。
あまりに多くの硝酸態窒素を取り込んでしまうと、命を保つに必要な血を失うと同じに、死んでしまうのだ。
硝酸の形であれば、アクとして感知し、大量に摂取する事は無いのだが。
硝酸を多く含んだ牧草を食べた牛の牛乳では、成分に硝酸態窒素が含まれる。
これは無味無臭なので、飲んだり料理に使っても、異変に気づく事が少ない。
また、硝酸態窒素を母親が取り込むと、胎盤や母乳を通して子供も硝酸態窒素を摂取することになる。
これが『青い顔の赤子』の正体だ。
対策は、食料や飼料から硝酸を含んだ作物を除く事。
そして、農地に過剰に蓄えられた硝酸を、ライ麦を使って回収する事だ。
ライ麦には、余剰な肥料成分を回収して、農地を整える働きがある。
「しかし、この件が噂になると、硝石の価格に影響があるのでは?」
遅れて来たランキンが、テントに入るなり言い出した。
「それは仕方が無いな。今の高騰は我の予想を遥かに超えている」
「ですが、価格の高騰は輸出の抑止にも効果あります。硝石の海外流出を阻止したい姫殿下には好都合かと」
なんだかランキンが食い下がる。
「だが、今の硝石価格は異常じゃ。まるで誰かが市場介入したようじゃ」
とカマをかけてみると、ランキンがわずかに目をそらせた。
「私もランキン伯に、買占めを薦められなければ、硝石を買いそびれていたところでした」
リンダが言う。
「ほう、ランキン伯に、硝石の買占めを勧められた? 詳しく聞きたいな、その話」
私が話を向けると。
「ああ、すみません。大事な用を、もう一つ忘れておりました」
と、ランキンが席を立つ様子なので。
「故郷か王都への早馬か? 自分だけ売り逃げるつもかな、ランキン伯」
私が言葉で制すると。
「……お気づきでしたか?」
ランキンの顔は、イタズラがばれた子供のよう。
「なんとなくな。今の言葉で、この件の黒幕と確証した」
ランキンは「降参です」と言い。手を上げて従者を招くと、懐の封筒を渡して「急げ」と言い含めて送り出した。
「どうかされたのですか? 姫殿下もランキン伯も」
「二人だけの秘密の話でござるか?」
と、私とランキンの会話に興味津々な二人。
「では、聞かせてもらおうか、ランキン伯。貴殿の儲け話を」
「いや、言うほどでは……」
ランキンは、渋々に話をはじめた。
「元老院が硝石生産や輸出を規制するとの話を聞きましたのが、はじまりでございます。いや、違いますね。その時には、すでに硝石は不足気味でございました」
その理由を尋ねると。
「輸出量は、増えるばかりでございます。しかも、開拓地の増加です。農地の開拓には硝石は欠かせない資材でございますから」
開拓地の増加か。
「近い将来には、必ず硝石は値上がりする、と思いました。そして、多くの商人も、そう思っておりました」
「なるほど、値上がりするから買い占めておこうと思ったでござるな」
まあ、それだけならば、普通の判断だが。
この話の肝は「多くの商人も硝石が値上がりする」と予想していた点だ。
「貴殿は、この買占めの話をリンダ伯に持ちかけたのは、資金の為か?」
私の問いに。
「はい、私の資産では市場を動かすには不十分でございましたから」
「不十分とは、なんの事でござるか?」
ジョンの疑問を無視して。
「買占めの話を複数の貴族にしたのだな」
「はい、コンラート伯爵も出資いただきました」
ああ、コンラートもか。
あいつの事だから、おはずかしい、と言って笑う事だろう。
「十分な資金が集まりましたので、それで硝石を買い占めました。その直後に、硝石の高騰がはじまりました」
「貴殿の目論見の通りにか?」
「はい」
ランキンは誇らしげに答えた。
「姫殿下、誤解をされているようなので言葉をはさみますが、私は値上がり前の価格で硝石を買いました」
と、リンダが言う。
まあ、そうだろうな。
そうでなければ、トラブルが起こる。
「それでは、ランキン伯は我らの為に苦労をしただけで、儲けは無いのでは?」
「リンダ伯にも、大儲けのチャンスがあったのじゃぞ」
「私が、大儲けですか?」
思い当たらないリンダは訝しい表情になる。
「もし、値上がりした後で硝石を売ったら、どうなる?」
私の言葉に、しばらく考えたリンダが。
「あっ!」
と、声をあげた。
「安く買って高く売る。その差が儲けでございますよ。商人なら、だれもがやっている事です」
ランキンの言葉に、リンダが。
「それでは、ランキン伯は硝石を売るつもりで買い占めたのですか? 開拓地は?」
「我が領地にも開拓できるような土地があればよかったのですが……」
そこで言葉を切ったランキンは。
「ええ、私は売るつもりで買い占めました」
「なんと破廉恥な! そのような強欲な所業を貴族ともあろう者が!」
声を荒げて怒るリンダであるが。
「破廉恥ですか? いかにも豊かな土地を持っておられるグラットン家の方は言う事が違いますね」
涼しい顔のランキンは。
「リンダ伯、あなたも硝石を買占めたのですよ」
「だが、私は開拓地を開くために使ったのだ。その使い方に恥じる事は無い」
「それは、開拓できる土地を持つ者の言う言葉です。我がフィリップ家は、硝石で得た利益を恥とは思っておりません!」
両者一歩も引かぬ気配で睨み合いが始まった。
話を向けておいて、なんだが。
これは、ちょっと辛いな。
「ジョン伯、この事態なんとかならんか?」
私は傍らのジョンに囁くが。
「姫殿下がはじめた事でござるよ。無茶ぶりでござる」
と泣き言を言う。
大の男が、頼りないぞ。
「なんの騒ぎであるかな、リンダ伯」
天幕を開いて超巨大な鬼瓦が現れたかと思ったが。
「おや、姫殿下とジョン伯もおいであるか。これは失礼でありました」
はちきれんばかりの筋肉の塊が一礼した。
「しか~しぃ。天幕の外まで響く大声での言い争いは、謹んでもらいたいのである!」
いや、お前の声が一番煩い。
と言うか、地面さえ振動さすような大声ってありなのか?
この巨大鬼瓦こと大声筋肉塊こそ、マウリス随一の武闘派であるバーンズ・オズボーン伯爵。




