春節の宴 2
斥候の歩兵が、巨大蒸気装甲車をテントの花園の中央に誘導した。
カーゴが入ると、周囲に騎士達が集まり、こちらの様子を伺っているようだ。
「なんだか、見張られているみたいですね。私たち、平民軍は」
と、居心地悪そうなガードルート少尉。
「まあ、仕方が無いな。我等は異分子じゃ」
私は気にするなと言って、車長を務めるメアリーアン特佐に「停止せよ」と命じた。
メアリーアンが伝声管に向かって命じると、盛大に蒸気が吐き出してカーゴは停止した。
周囲の騎士達がソレを見て、驚きの叫びを上げていた。
私達は、当直だけをカーゴに残し、他は下車して荷物を降ろし野営の準備を始めた。
大きな綿布を広げてテントの設置をはじめる者。
椅子やテーブルをセットする者。
キャンバスベッドを組み立てる者。
太ったおばちゃんは、野営用のキッチンストーブに火を入れている。
ほどなく、身なりの良い貴族が二人が、こちらに向かって歩いてくる。
「わははは、すごいガラクタでござるな。ランキン」
太った方が大声で笑いながら言い。
「声が大きすぎますよ、ジョン」
と、背の高いほう言う。一応は諌めているが声が笑っていた。
まあ、分かりやすい対応で助かるが。
さて問題は、宮廷でも会った事があるはずの二人の家名が思い出せない点だが。
「ランキン・フィリップ様とジョン・コーベン様です」
グレタが襟を直してくれながら耳元で囁いた。
有能な部下がいると楽ができる。
私は周囲に「作業を続けよ」と命じて、前に進み出て。
「これはランキン殿とジョン殿ではないか。何か御用かな?」
と、尋ねる。
「これは、ユリアナ様。ご機嫌はいかがですか?」
「おひさしびりでござる。ユリアナ姫」
二人は、私の事に今気がついたように礼をした。
この二人は、かなり砕けた部類に入るが、貴族の挨拶とは、こんなものだ。
「いえなに、すごい煙が見えたので、ジョンが見に行こうと誘うものですから」
「来て良かったでござろう? こんなに大きなカタツムリが見れたでござるよ」
カタツムリとは蒸気装甲車の事か?
まあ、カタツムリに似てなくもないが。
「蒸気装甲車を見に来たのか? なれば、存分に見る事を許す」
私は偉そうに言葉を返した。
一応、王位継承権三位の身。そのへんの貴族どもよりは偉いのだ。
「ほう、荷車でござるか。なれば、存分に」
と太ったジョンは、蒸気装甲車の方へと歩いてゆく。
「ユリアナ様は、箱馬車ではなく荷車に乗って来られたのですか?」
と、背の高いランキンが問うてきた。
「カーゴと言うのは、仮の名前でな。何しろ新しいカラクリゆえ、適当な名前が無いのじゃ」
「名前が無いカラクリですか?」
「そうなのじゃ、戦馬車にしようとも思ったが……」
チャリオットは、馬が曳く戦闘用の馬車の事。
ランキンは少し考え。
「チャリオットは、少し違いますね」
実は、私は戦車と名づけたかったのだが。
周囲には不評と言うか、大笑いされた。
タンクは水槽の事だ。
タンクが戦車の一般俗称となったのは、イギリスの使った開発中の暗号が発端。
「いやはや、すごいでござるなあ。これは硝石で大もうけをしたと言う噂は本当のようでござるな」
と、カーゴを眺め眺めながらジョンが言う。
「そんな噂があるのか?」
「ははは、まったくジョンときたら、口が軽くていけませんね」
どうやら、その噂はあるらしい。
「どうして、そんな噂が出るのじゃ?」
「それは、しかたがありませんよ」
と、ランキンの語るには。
ここ数ヶ月で、硝石の販売価格が数十倍に跳ね上がった。
市場に流れてくる硝石も粗悪品が多くなり、農村にも被害も出ている。
「まず説明するが、硝石の生産量の規制は硝石管理委員会の決定じゃ。また、ガルムントから出荷する硝石の価格に変わりは無い。最後に、硝石販売の利益は王家のものであって、私個人には一銭も入ってこない」
私がここまで説明すると。
「ユリアナ姫様、質問よろしいですかな?」
と軽装鎧をまとった女貴族が進み出てきた。
これは私も名前を覚えている。女手一つでグラットン家を支える女傑、リンダ・グラットン。
「許可するぞ、リンダ殿」
リンダは一礼すると。
「硝石高騰の件は元老院に持ち込みます。ですが、粗悪な硝石の流通は許せません。私の領地では牛が大量に死んでしまいました」
「なに? 牛が死んだ!」
私は、ある事に思い至り叫んでしまった。
「はい、数十頭も次々とです」
「牛が死ぬのと、硝石が関係あるのでござるか?」
リンダの言葉を受けてジョンが質問した。
「死んだ牛は、硝石を撒いた牧草地の草を食べた牛だけなのですよ!」
「それは嫌な話ですね」
眉をひそめるランキン。
「リンダ殿、そちの領地には硝石を撒く牧草地と撒かない牧草地があるのか?」
「はい、ありますわ。ユリアナ姫様」
「それは、新しく開拓した牧草地に硝石を撒いていたのだな」
「はい、その通りでございます」
さて、硝石は主に肥料として使われてきた。
では、どんな効果を持つ肥料かと言うとチッソ肥料なのだ。
チッソ肥料は痩せた土地を農地にするためには欠かせない肥料である。
開拓などで新しく開いた土地は、土に有機物が無く微生物の活動も少ない『痩せた土地』である。
こんな痩せた土地を肥沃な土地に変えるためには、有機物を鋤き込み微生物を増やさなくてはならない。
しかし、本当に痩せた土地では、有機物の鋤き込みだけでは土が肥える事は無い。
ここで言う有機物とは、干草や動物の糞の事である。
これら有機物は、直接には植物の肥料にはならない。有機物を微生物が分解した生産物(つまりは、微生物の糞)が肥料となる。
実は、微生物が有機物を分解するためには、チッソ成分が必要なのだ。
つまり、チッソ成分が乏しい土地に有機物を投入しても微生物による分解は進まず、作物は育たない。
それどころか、分解されない有機物は土中酸素を消費し、土の粒子を糊のように固める。
有機物投入に失敗した土地は、まるで一面が巨大なレンガのような硬い土地となってしまう。
ところが、こんな土地でも有機物とチッソ肥料を同時に与えれば微生物は活発に活動をはじめて、豊かな土地になるのだ。
チッソ肥料である硝石が肥料として重用されるのは、こんな理由からだ。
だが、チッソ肥料は万能ではない。
「開拓した土地に、干草や堆肥と硝石を鋤き込んで開拓をすすめていたのか……そこは、よい牧草地になったのか?」
「はい、荒野だった事が信じられないほどに豊かな牧草地になりました」
リンダの表情が少し柔らかくなったように見えた。
それは、領民と苦労して豊かな土地を得た喜びが見える。
「それで、その後もその土地には、同じように硝石を撒いていたのか?」
「もちろんです。豊かな土地を得る為にはグラットンは投資を惜しむことはありません」
誇らしげに語るリンダであるが。
「リンダ殿、今年生まれた赤子に青い顔をした子はいなかったか?」
私の言葉に、リンダは驚いた顔になり。
「どうして、それを……」
「硝酸態窒素じゃ。我としたことが、うかつであった。分かっておれば、事前に注意ができたものを」
私の呟きに。
「その硝酸態窒素とは何ですか?」
「名前からすると硝石に関係あるみたいでござるな」
「ランキン殿、ジョン殿。そちらの領地でも数頭の牛が突然に死んだり、青い顔の赤子が生まれたりはしていないか?」
「そんな話は、拙者のところでは聞かないでござるよ」
「私の領地でもありません」
私がランキンとジョンの話を聞いてから、リンダに向き直り。
「リンダ殿、すぐに領地に急使をたてるのじゃ。牛が死んだ開拓地の牧草を刈り取り、ライ麦を撒く事。その開拓地の草を食べた牛の肉や乳をけっして飲まぬこと。特に妊娠中の者に飲ませてはならん!」
「ユリアナ姫殿下! 私の領地で何が起こっていると言うですか? この事件は、粗悪品の硝石が原因では無いのですか?」
真剣なリンダに、私は挑むように語った。
「この事件の原因は、硝石だ」
「やはり、粗悪な……」
「硝石の品質が問題なのでは無い! 撒いた量が多すぎたのじゃ」
「多すぎた?」
怪訝な表情のリンダ。
「肥料が多いのが、悪いのでござるか? 拙者などには少ないより多い方が良く思えるでござるが」
ジョンが、一般的な見識を語る。
「肥料は、少ないくらいで良いのじゃ。一時の豊作を願って肥料を多く撒きたい気持ちは分かる。しかし、土壌汚染を引き起こしては何にもならん!」
「土壌汚染? 私のしたことが……グラットンが、大地を汚したと申されるのか」
泣きそうな顔のリンダ。
この人は、本当に領地を愛しているのだろ。
「そうじゃ。だが、まだ取り返せる。急ぎ、使いを領地に送れ! 牧草を刈り燃やせ! ライ麦を撒け! 汚染された肉と乳を口にするな!」
今回は硝石の肥料としての面を取り上げてみました。
いつもと毛色が違うかもしれませんが、お楽しみいただけたでようか?




