春節の宴 1
ユーイル市郊外の平原。
牧草地である。
今、春の季節には、若草がたなびく大地が広がるだけである。
しかし、今。その平原に、無数の花が咲いていた。
その白い大輪の花は、地平を埋め尽くすように咲き乱れたいたが、自然の花には無い規則正しい配置で咲いている。
いや、それは花ではない。
その白いものは、テントだった。
数百ものテントである。
テントの間を、人や馬が右往左往している。
テントの先には、色とりどりの意匠を凝らした旗が掲げられて、その主が貴族であることを示している。
「これだけ揃うと、ただのテントも壮観じゃな」
双眼鏡を目から外しながら呟くと。
「ただのテントという事はないと思いますが……」
私の感想に、コンラート伯爵が返した。
たしかに、ただのテントでは無い。
テントの主は、全て爵位を持つ者であり、ほとんどが騎士である。
しかも、色とりどりに見える旗にも、一定の規則があり、大きく六つのグループに分けることができた。
つまりは、この平原には、少なくとも六つの騎士団とその主が集まっている。
「春節の宴か……盛大じゃな」
「おそれいります」
と、コンラート伯爵が頭を垂れた。
春節の宴は、マウリス各地で行われる春を祝う行事だ。
農民などが、この年の作付けを前に、村ごとに集まって宴を開いたことが始まりと言われている。
貴族の『春節の宴』には、情報交換の場の意味が強い。
マウリス中央部は雪が深く、冬季には孤立する領地も多い。孤立とまではいかない場所も、情報の発信や受信が困難になる事はある。
また、冬の間に、生まれる者もあれば亡くなる者もいる。新しいロマンス(政略結婚)も生まれる。
軍事行動が多くなる季節を前に、各貴族たちが情報を交換する場所が『春節の宴』となる。
ここユーイルには、マウリス中央を治める主だった貴族六家とその騎士団が集まっていた。
貴族六家は、当番制で幹事を務め、各領地を順に回って『春節の宴』を開くのだ。
つまり、今年の当番はコンラート伯爵家である。
先の異臭爆発騒ぎから一週間が経過していた。
ユーイル小銃の初回ロットを受領した私たちは、一旦はガルムントに帰った。
そして、装備を整えた平民軍を一個旅団を伴って『春節の宴』に客として招かれた形で訪れた。
招いたのは貴族六家の総意という形であるが、なかば強引に参加している。
「私がホストでございますから。騒ぎはほどほどに……」
コンラートが口をはさむが。
「段取りは話したはずじゃ。騒ぎにならぬ道理があるか?」
私の言葉に。
「まあ、そうなのですが……本当に必要なのですか?」
コンラートがくいさがる。
「まあ見ておれ。我らが静かにしていても、向こうから騒ぎが飛び込んでくるわ」
「では、私は準備もありますで、これで」
と、一礼をしたコンラートは馬に乗って城に帰ってゆく。
「さて、では我等も行くとしるか」
私は、傍らの巨大な荷車のようなモノに近づいた。
巨大荷車は、二階建築ほどの高さと幅があり、それを支える大小の八つの車輪のうち、大きい車輪は私の背の倍以上の大きさがある。その荷車の屋根からは大きな煙突が飛び出していた。そこからはモクモクと黒煙が吐き出されている。
「ユリアナ様、お手を」
と、巨大荷車の開口部から手が伸びてきた。
グレタである。
「うむ」
と返事をして、手を取るとグイと引き上げられる。
通り過ぎた開口部の壁は分厚い樫の板であり、閉じられた扉も同じ厚さの樫の厚板。その表面には、厚さが二センチ以上はある鉄板が貼ってある。
ゴンと重い音を響かせて、鉄板張り堅木扉が閉まった。
巨大荷車の内部は、熱気で満たされている。
それもそのはずで、内部には石炭を焚く大きな窯があり、石炭が盛大に燃え盛っている。
巨大な窯の他には、巨大な青銅のシリンダーとクランクに大量の石炭と薪、幾つもの木箱がある。
シャツ姿の大柄な女がシャベルですくった石炭を窯に放り込んでいた。
「ユリアナ様、頭に気をつけてください」
グレタが上に登る梯子のような階段を示した。
注意されたように、階段の開口部は狭く、気をつけないと頭をぶつけそうになる。
私が先に登り、続いてグレタが登ってきた。
上の階は少し涼しかったが、下の階から巨大な圧力釜のような石炭焚窯の上部が飛び出しているので。やはり、外よりはだいぶ暖かい。
まだ寒い季節であるから丁度よい暖かさだ。
ここには、石炭窯の他、に巨大な青銅の筒が中央にあった。
ガルムント砲である。
その周囲を幾人もの女が囲んでいる。
ある者は、ガルムント砲を磨いていた。
ある者は、巨大な舵輪のようなハンドルを握っている。
ある者は、沢山の並んだバルブを開け閉めしていた。
ある者は、床に固定された机の上に地図や書類を並べて何やら計算をしている。
ある者は、真新しいユーイル小銃を点検していた。
他の者より太ったおばさんが、石炭窯の一部のように取り付けられたクッキングストーブで料理をしている。
クッキングストーブには湯沸かし(サモワール)も取り付けらており、グレタが手早くポットに湯を注いでいた。
私は、ガルムント砲の横にある梯子に取り付くと、上へと登った。
階段を登った先は、この巨大荷車の屋上にあたる。
だが、屋上とは言っても、そこは狭い鐘楼のような場所。
上には、先客がいるので、ハッチの所で一旦止まる。
先ほどまでの暑さが嘘のように冷たい風が吹き込んでくる。
私は傍らの人物に声をかけた。
「いけそうかな? メアリーアン」
「斥候が帰り次第に、ユリアナ様」
メアリーアンは、覗いていた双眼鏡を外すと、私に手を差し伸べて私を引き上げた。
鐘楼のような指令塔は、狭く私を含めて三人も登ると満員だった。
「意外に狭いな」
と私が呟くと。
「本来は、二人用ですから……」
と、小声で返された。
長髪を二本の三つ編みに結った、ガードルート少尉だ。
「我等は小柄ゆえ問題ない」
と返すと。
「私とユリアナ様はそうですけど。特佐は……」
ガードルートの視線の先には、軍服を押し上げるほどの豊かなメアリーアンの胸があった。
「それは言うな」
と、私はガードルート少尉の肩に手を置く。
「どうかしましたか?」
特に気にしていない様子のメアリーアン特佐は、また双眼鏡を構えて周囲を見回す。それを見たガードルート少尉も双眼鏡を構えて、メアリーアンと反対の方向を監視する。
私も習って周囲を見渡す。
この指令塔は巨大荷車の屋根部分にあり、その地上高さは約五メートルほど。
たかが五メートルであるが、その視界の広さは地上に立つ時は、それこそ天地ほどの差がある。
果てしなく広がっていると思えた草原は途切れて、畑の黒い土がしばらく続き、その先には建設途中のユーイル市新障壁があり、その周りに貧民街があった。その後ろには、まだ雪をたたえたガルムント山脈がそびえる。
乾いた冷たい風が顔を冷やし、足元のハッチからは石炭窯からの温風が吹き上げる。なんとも心地が良い。
「お茶が入りました」
と、グレタの声がして、ハッチから茶器一式を載せた盆を持った手が伸びだしてきた。
器用な奴だ。茶を載せた盆を持って、どうやって梯子を登って来たのだろうか?
そんな疑問を思いながら。
「うむ、いただこう」
と、三つあるカップの一つを取る。
「いただきます」
双眼鏡を覗いたままでメアリーアンは茶を飲みだす。
こちらもこれで、器用なものだ。
「ごちそうになります……あっ……あれ?」
ガードルートは、メアリーアンをまねようとしているようだが、右手の双眼鏡と左手のカップのバランスが取れないのか途方にくれた様子でしばらく悩み。
「……いただきます」
メアリーアン方式を諦めたガードルートは、双眼鏡を首から下げて両手でカップを持つと、フーフーと茶を冷ましながら飲み始めた。
猫舌らしい。
私は、ポケットから油紙の包みを出し、中から固焼きのビスケットを取り出した。行軍食の試作品だ。試食を兼ねて食べようとしたが。
「なんだこれは?」
齧ってみたが、歯が跳ね返された。
「食べ方があるんですよ」
メアリーアンがビスケットを一枚取ると、それを茶に浸してから口に運んだ。
「食べるのでなく。ふやかしてしゃぶるのです」
「ほう~、こうか?」
私も習って、ビスケットをしゃぶった。
防腐剤代わりの砂糖の甘味が茶の渋さと混ざってグッドだ。
ガードルートにも一枚渡すたが。
「ありがとうございます……あっ……あれ?」
と、またカップとビスケットのバランスに混乱している。……不器用キャラか?
「斥候戻りました。進路クリアです」
斥候からの旗信号を読んだメアリーアンが報告した。
「よろしい、ではカーゴ前進。王家徽章掲げ!」
「カーゴ前進!」
メアリーアンが伝声管に向かって指令を出す。
煙突から盛大に黒煙が吐き出し、車輪の間から蒸気を吐き出し、巨大荷車ことカーゴが身震いするように動き出した。
「王家徽章ー 掲ーげー」
ガードルートが指令塔から突き出した信号旗用の柱に徽章を掲げて敬礼をする。
さて、春節の宴の始まりだ。
10/22 誤字修正




