診療所にて
「ユリアナ姫殿下、お待ちしておりました」
アレクサンドロが働く診療所を訪れた私を待っていたのは、一団の看護婦達だった。
「うむ、出迎えご苦労じゃな」
と返事をしたが。なんだ? この異様な圧迫感は……
看護婦集団の長らしい者が進んでくると、私の左右の腕を、若い大柄な看護婦がガシリと捕まえた。
「これは……なんの」
苦言が私の口から出る前に、長らしい看護婦が断言した。
「本日は診療に見えられましたね。奥で先生がお待ちです」
それだけ言うと、クルリと背を向けて診察室へと進んでゆく。
それに従うように、私の腕を持った看護婦が進む。さらに、その周囲を多数の看護婦が囲む。
しまった……拉致られた。
ここ数日、忙しさを言い訳に診療や往診を断っていたのだった。
「いや、今日は見舞いに来ただけで……診察は後日に受けるゆえ……」
そんな私の言葉が、空しく廊下に響く。
「姫様ぁ、気をつけていくんだなあ」
暢気なライアの声が追い討ちをかける。
その時、地獄の扉が開くように診察室の扉が開いた。
「いや……今日は、後に予定が……」
私は医者が嫌いというのではないぞ。
注射だって、必要なら甘んじて受ける。
だが、ちょっとだけ心構えが必要なのだ。
不意打ちは……
「いやぁぁぁぁ!!」
「お怪我でもされましたか?」
両手に包帯を巻いたミランダが、私の横たわるベッドの横に立っていた。
「いや……おぬしの見舞いに来たはずなのだが……」
ベッドに横たえられた私は、足に温シップを施され腕には点滴針が刺さっている。
「ユリアナ様の方が病人に見えますが?」
「……そうじゃな」
あれから、診察室でアレクサンドロ医師から不養生を散々に注意され、筋肉をほぐすマッサージ(これが痛い!)をされて、今は点滴中だ。
「おぬしの方は、どうじゃ? 快方に向かっておるか」
私の問いにミランダは包帯に包まれた手を見せて。
「不自由しておりますが、順調に治ってきております」
「そうか。よかったのう」
などと、普通の会話をしているが。
私の心には、先の告白の内容が引っかかっていた。
しばらくの沈黙。
聞こえるはずの無い点滴の落ちる音が耳に響くように思える。
「我の父上の事……愛していたのか?」
いや、ストレートすぎるだろう。その聞き方は!
とか、自分のセリフに心の中で突っ込みを入れていると。
「私は、ただ憧れていただけです」
と、呟くような声が返ってきた。
ミランダは、私の教育係として物思いがついた時から、王城に勤めていた。
母が死んでから十二年が経つ。
二人の兄がいるとは言え、後継者問題から後添えを望む声も多かった。だが、父は全てを断った。
聞いた話では、ミランダも後添え候補として送り込まれた一人らしい。実は、ミランダの生家であるパニア家は伯爵位なのだ。
私の身辺警護と情報部との連絡役に教育係までやっていたのだ。父との接点も多かっただろう。
「こんな美人に手を出さないとは。我が親ながら奥手じゃな」
「憧れていただけと、申しました」
そんな訳は無いだろう。
周囲からプッシュとかあったはずだ。
その美人が、自分を好いていたら、普通は気がつくだろう。
「それでも……父上は無粋じゃ」
その事に気が付いていたのか、いないのか。
そんな思いの女を、娘につけて遠方に追いやるなんて。
「すまなかったな」
しばしの沈黙。
「いえ、姫殿下がお謝りになる事ではありませんわ」
それは、そうなのだが。
それでも、謝らずにはいられなかった。
男と女の関係に、当事者の娘と言えども第三者が何かを言えるはずもなく。
ここは話題を変える事にした。
「ところで、グレタはどうなった? 回復したとは聞いたが……」
「聞いておられませんか?」
「何をじゃ?」
質問を質問で返したが。
そうやら事情を察したミランダは言葉を選んでいるのか少しの時間考えてから言葉を紡ぎだした。
「グレタ様は退院されたのではありません。病院から逃げ出したのです」
なに?
「ギシェンの薬というものをご存知でしょうか?」
ギシェン……聞いたことのある。
「それは、たしか惚れ薬の昔話ではないか?」
ミランダは首肯した。
ギシェンとは、昔話に登場人物で、東方に住む薬師の名前だった。
ギシェンは、村一番の美人の娘に恋をした。
そこで、ギシェンは惚れ薬を調合して娘に飲ませ、結ばれる。
ギシェンと娘が結婚しようとした時に、ギシェンの惚れ薬を間違って村長の奥方が飲んでしまったから、大騒動。
と言う、ドタバタ笑い話。
ちなみに、東方での『ギシェンの薬』の話は、怪談話だと聞いている。
「ギシェンの薬は、実在するのです」
なんと!
「我が一族にも伝わっていますが。心の動きに強く作用する毒薬です」
それは、向精神薬とかの一種だろう。
「薬を服用してから一定の時間の間に、見たり聞いたりした事が強く心に刻まれて、忘れられなくなってしまうのです」
なるほど。
それで、惚れ薬という話になるのか。
「あの晩のグレタ様は、この薬を飲まされていたと思われます」
グレタの場合は、私とホワイトフェイスの会話を心に深く刻ませる目的で使われたのだろう。
だが、それだけだろうか?
「ですが、使い方によっては、人の心を変えてしまいます」
「街娘が一夜で暗殺者に変わるような、か?」
「可能性はございますわ。お気をつけください。姫殿下」
診療所から無事に解放された私に、どこかに隠れていたのか、ライアが路地から出てきて後ろに付いて来る。
「どこに隠れておった」
「僕は、病院が嫌いなんだなあ」
それは知っている。
「まったく、薄情なエスコートナイトじゃなあ」
薄情ではあるが、護衛としての腕は確かだ。
「ライア。ユリアナの命じゃ。今宵から我が身辺を守れ。騎士団には話をつけておく」
「……何があったのかな?」
「グレタが……」
と、言葉が出たが飲み込んで訂正した。
「セリア王国の密偵が我が身を狙っておる可能性がある」
「姫様は、モテモテなんだな」
おどけた言葉であったが、ライアの纏う空気が、ホワイトフェイスと対峙した時と同じに変化する。
「頼りにしておるぞ」
「晩ご飯は、ご馳走がいいんだな」
旨い食事で警護をしてくれるのならば安いものだ。
しばらく、筆を休めておりました。申し訳ありません。
ちょと鉄のことなどを調べていると、つい面白くなりまして。
ついでに、某艦隊コレクションを調査中に……はまってしまいました。
お恥ずかしい。
当面の目標は完遂いたしましたので、これより文章作業にもどります。




