ホワイトフェイス
病院は、混雑していた。
「そういえば、水なんとかが流行しているとか……ハンナが言っておったな」
「水疱瘡ですわ」
私の独り言に、ミランダがため息交じりの補足情報をつけてしてくれた。
ありがとう、ミランダ先生。
「王権とかを、お使いになりますか?」
とはグレタ。
王位継承者の地位を使えば、強引にアレクサンドロ医師を連れ出すことは事は簡単だが。
「やめておこう。西の館へ行くぞ」
まあ、応急処置くらいは西の館でもできるしな。
「ああ、ライアは治療してもらえよ」
と、たぶんミランダにフォークで尻を刺されたライアに言うと。
「病院は、イヤなんだな。これくらいの怪我は、唾で治るんだな」
と子どもみたいな事を言う。
「簡単な手術くらいなら、私ができますわ」
ミランダがライアの治療を申し出る。
「西の館には消毒薬くらいしかないぞ」
と言うと。
「あら、縫い針と糸もありませんか? あと、丈夫なテーブルとローブがあれば、盲腸の切除くらいは出来ますわ」
ミランダが言うが。
いや いや いや!
それ、拷問と同じだろう。
私の困惑の表情を見るてミランダは「うふふ」と意味ありげに微笑む。
こいつエスだ。
心の底で、何かの警報が鳴ったように思えた。
横では、ライアが震えている。
私は、ライアの背中をポンポンと叩き。
「大丈夫じゃ」
と呟いた。
まあ、気休めだけどな。
先の自爆テロで半壊した西の館だが。やっと、復旧して住めるようになった。
「お嬢様、お早いお帰りでございますね。ますね」
と、ハンナが出迎に出てきたが、気絶した騎士を抱えるライアを見て一歩下がった。
「すまんが。屯所に使いに出てくれぬか?」
と、知り合いの口の堅い士官を、呼んできてくれとハンナに使いを頼む。
「もちろん、グレゴリオには内緒じゃ」
と、騎士団やらに情報が漏れないように釘をさしておいた。
返事も忘れて、ハンナは飛び出していった。
ちなみに、屯所とは、平民軍の事務所ような建物の事。
「では、こういう事は、地下の酒蔵あたりがよろしいかと」
と、ミランダが悪の女幹部のような表情で呟く。
「私の部屋ではダメか?」
と問うと。
「あの部屋は、機密情報の塊ではありませんか?」
グレタがたしなめる。
ああ、そういえば。
「それに、絨毯に血がつくと大変ですわよ」
それは……困るな。
特に、ハンナが。
私は気にしないが。
私たちは地下の酒蔵に降りて行く。
そこは、数十の酒樽が棚に仕舞われ、中央には酒を小分けする作業に使う大きな木のテーブルが置いてあった。
その木のテーブルは気絶したスパイを横たえるのに丁度良い大きなだった。
「気絶しているのか?」
と、ミランダに聞くと。
「我が一族に伝わる毒薬を使いました。意識はありますが、体は動きませんわ」
うわ、神経毒か。
テキパキとスパイの衣服を剥ぎロープで手足を縛るミランダとグレタ。
騎士の服を剥がれて腰布一枚で縛られたスパイの体は、意外に小柄で若々しいものであった。
「こやつ、背が縮んでおらんか?」
私の問いにグレタが、スパイの履いていた皮長靴を持って答えを教えてくれた。
「上げ底ですわ」
ははあ、シークレットブーツと言う奴か。
その靴を持ってみると妙に重かった。
騎士装束の下にも、厚手のキルティングの下着を着こんで体を大きく見せ、顔は含み綿や化粧で印象を変えている。
下穿きだけになった素顔のスパイは予想以上に小柄で童顔だった。
「なんだ? まだ子どもでないか」
私が、セ連工作員は意外に幼いと驚くと。
「本当にかわいいですわね」
「この子は、どうな声で歌うのかしら?」
と、ミランダとグレタが顔を見合わせて笑っている。
どうも……この雰囲気はイケナイ感じだ。
「尋問はどのようにやる?」
「そこは、プロに任せていただきます」
「基本は、苦痛ですわ」
ああ、やっぱり拷問か。
「場所は提供するが、私は失礼させてもらうぞ」
私が、出て行こうとすると。
「それが良うございますわ」
「ここからは、王家の方が見るべきものではございませんものね」
少し嘲笑を含んだ言葉が返ってきたが、気にしてもしかたがない。
「成果を期待しているぞ」
とだけ言って、私は酒蔵を出た。
酒蔵を出たところで、平民軍士官に出会った。兵を二人つれている。
士官に、酒蔵入り口の警備を頼み。
「これから中で騒ぎが起こると思うが、決してドアを開けるなよ。それと、この件は他言は無用じゃ」
と念を押しておいた。
士官と兵は敬礼で答えてくれた。
「後で、食事を届けさせる。残念じゃが、酒は出さぬぞ」
と言って笑うと。
「当然であります」
と、かしこまった答えが返ってきた。
礼儀正しいが、少し固すぎないか?
「よろしく頼む」
と言って、階段を上がる。
一階では、ハンナとライアが待っていた。
「あの姫様~、これは何でございますか? ますか?」
「うん? 聞きたいか? 聞いたら、今宵は眠れんかも知れんぞ」
そう答えると、ハンナは耳を押さえて顔を振った。
そんな時に『グウ~』とマヌケな音が響いた。
「お腹が、すいたんだなぁ」
とはライア。
「おお、すまなんだな。ハンナ、この騎士殿に食事を出してくれぬか」
はい、とハンナは返事をして厨房へ飛んでいった。
「私の食事も頼むぞ!」
と大声で追加注文を加えた。
「姫さまぁ、その靴は何なんのかなぁ?」
ライアが、私が持っている革長靴を見て尋ねる。
「今日の戦利品じゃ」
私は得意げに答える。
ライアは食堂へいった。
私は、二階の私室に戻り、机の上のアジ化鉛の薬包の横に、ペンのような物と革長靴を置いた。
この二つは、私の戦利品だ。
私にとっては、伝説のスパイよりも重要な品である。
まず、ペン型のものを仔細に調べる。
形と大きさは、地球日本のマジックペン『マッキー細ペン』と同じくらいだ。重さは遥かに重く、手に持つとズシリと金属の重さを感じる。鈍い黄金色の地金には錆や曇も無い。
「砲金か……」
砲金は、その名前の通りの砲や銃に使う銅合金だ。
同じ銅合金の青銅よりも製造は難しいが、強度や粘りで優れている。
加工の確かさから、職人が手で磨いて造ったものではなく、工作機械で仕上げた品のように感じる。
「切削鋼を実用にしているか?」
セ連は、私の一歩も二歩も先を進んでいる。
このペン型の品は、暗殺用の銃器だ。
ペンのような小さな金属棒に小口径の銃弾を仕込んである。グリップも照準も無いのでごく近くまで接近しないと必中は望めないが、一見では武器に見えない事は強みだ。
小さな用心鉦を外すと、引き金が動く仕掛けらしい。
試射を兼ねて、ソファーに銃口を向けて引き金を引くが……
「不発?」
撃鉄が落ちる音がしただけで、何も起こらない。
どうしたものかと思い、暗殺銃の銃身後ろ半分を引っぱると、ジャキンと小気味良い音を立てて銃身が開き、薬莢が飛び出してきた。
「スライドアクション銃……まさか、金属薬莢まで……」
落ちた金属薬莢を拾うと、そこには弾丸も発射薬も装填されていなかった。
中には、小さく畳まれた薄い紙が一枚。
私は、それを開いて読み、息を呑む。
「……これは……まさか?」
小さく部屋の空気が揺れた。
「我が主、アスラン総帥からの親書であります。ユリアナ姫殿下」
部屋の隅から、ボーイソプラノが響く。
「ホワイトフェイスか?」
「いかにも、姫殿下」
空気の揺れが固まって人の気配となった。
いつの間に、部屋に入ったのだろうか?
「おぬしを歓迎した女達はどうした?」
振り返って見た、そこには、私より少し背が高い少年がいた。
「己の未熟をたっぷりと味わっていただきましたよ」
どうやら殺していないようだが。
「ドアの外の兵は?」
「いやはや、自分の心配より部下の心配ですか? 兵たちは部屋の異変に気づいてもいないんじゃないんですか」
意外に人道的な奴だな。
「無駄な殺生はしない主義のようじゃな」
「生きる者の恐怖こそが、我が誉でございます」
ホワイトフェイスは優雅に膝を折ると、王に謁見する外交官の様に礼をした。
「なるほど、あれらが恐れるはずじゃ」
「さて、用件に入りましょうか姫殿下。我が主からの親書、読んでもらえましたな」
「ああ、読ませてもらったよ」
件の薬莢に入っていた紙は、私に対する親書であった。
「硝石の輸出を今までと同じにするのなら、マウリスの国境を侵さないと約束する、か……正直、心が揺れる申し出じゃな」
「それは嬉しいご返事でございます、では……」
「すまんがホワイトフェイス殿。その約束は意味が無いのではないか?」
「これは意外な言葉。その真意を教えていただけますかな?」
困ったように肩をすくめる少年外交官に私は。
「セリア連邦に火薬を供給し続けるならば、我が国はセリア王国などを敵にして戦わねばならん!」
「ははは、聡明な方だ。姫殿下の国が戦火にさらされる事に変わりが無いとおっしゃるのですね」
「そうじゃ」
「では、供に戦いましょう。この世界に新しい秩序と恒久平和を築きましょう」
「それも矛盾する。私とアスランの目指す世界が同じと限らん。その上、世界を二分しては、結局は争いが起こる」
さて、この奇妙な局面をどうするのか?
私は部屋を見回した。
「やれやれ、それでは姫殿下はセリア連邦との戦いを望まれるのですか?」
「ああ、望む。我が理想の実現の為に、セ連との戦を利用させてもらう」
ホワイトフェイスは深いため息をついた。
「噂以上に厄介な方ですね。我が主は、貴女を殺すな、と命じられましたが……」
ホワイトフェイスの周りで、空気が凍る。
「私としては、今殺すべきだと確信いたしました」
ホワイトフェイスがユラリと立ち上がると、その手には五本の太い針があった。
机の方へ移動しようとした私は、足がもつれて倒れてしまう。
だが、それが幸いした。私が動こうとした先に、針が打ち込まれる。
あのまま動いては、針が刺さっていたことだろう。
「チッ!」
と小さく舌を打ったホワイトフェイスが次の針を撃とうと構えた時!
突然にドアが砕け散った。
「な……」
私は、一瞬はホワイトフェイスが何かしたのかと思ったが、驚いているのはホワイトフェイスも同じだった。
しかも、砕けたドアの向こうには見知った人影が立っている。
その影は、騎士装束を身に纏っているが、鎧は外され着崩したような印象がある。それはだらしないという感じではなく、体の自由な動きを優先したものだ。
腰には剣を帯びている。
だが、その手はダラリと下がっている。
一見無防備とも思える構えで、影は部屋の中央へとすべるように入ってくる。
「あの騎士か!」
影に向き直ったホワイトフェイスが構えた針を放つ。
乾いた金属音が響き。
飛翔していた針は、切り落とされた。
刀を抜く姿も見えなかったが、影は剣を抜いて針を打ち落とし、再び鞘に収めている。
「居合い剣術?」
無防備な構えのまま影は、ホワイトフェイスに肉薄する。
「面白い!」
ホワイトフェイスは半身になり、一本の針を剣のように構えて腰を落とした。
影は動きを止めると「フウ」を息を吐き、左手を剣の柄に添えて腰を落とした。
空気が密度を増した。
引き絞るような空気密度の中で、私は動くこともかなわずに床に座り込んでいる。
物語が格闘技モノとなっては、私の出番は無い。
いや、正直。ついていけません。
大声出して泣き喚きたい気分。
しかし、それも適わない話ならば。
なんとか局面を打開する手立てを考えないといけない。
私は、机の上のあるモノを思い出して、何とか使えないかと思惑を巡らした。
「お嬢様ぁ! これは何でございますか? ますか?」
場違いな悲鳴が廊下から響く。
私の食事を運んできたハンナの叫びだ。
その一瞬に、ホワイトフェイスが影に向けて針を放つ。
影が動き放たれた針を居合いで落とすが、次の瞬間に膝を折って体を崩す。
影の足に針が刺さっている。
ホワイトフェイスは一瞬に針を二本放ったのだ。
一本を落としても、もう一本が襲ってくる。
私は机の薬包を掴み、ホワイトフェイスに向けて投げた。
「なんのつもりですか、姫殿下?」
私の腕力では、ヘロヘロと放物線を描いて投げるのがやっとだった。
それが当たっても、ホワイトフェイスを傷つけることもできないはず。
ホワイトフェイスが、無造作に叩き落そうと触れた時。
その薬包は閃光と爆発音を伴って爆ぜる。
「ぐっ……これは」
ホワイトフェイスの体が崩れた。
「うをおぉぉぉ!」
影が雄たけびを上げて剣を斬り上げる。
「ちぃ!」
体を開いて避けようとしたホワイトフェイスの頬を、影の切っ先が斬り裂く。
頬を大きく切り裂かれたホワイトフェイスが、大きく下がった。
「私とした事が……不覚!」
窓を破って外へと飛び出したホワイトフェイス。
「いやぁぁ! 曲者ですわ! ですわぁ!」
ハンナの絶叫で、屋敷は一気に騒がしくなった。
ドヤドヤと兵が二階に上がってきたが。
「曲者は外じゃ、城門を閉ざせ!」
と命じた。
あわてて兵は飛び出してゆく。
しかし、ホワイトフェイスを捕らえられるとは思えない。
傷つけたとは言え、あの男を仕留めるのは至難と言える。
影の騎士は、足に針を打ち込まれたままで息を乱して座り込んでいる。
私は、影に。
「助かったぞ。よくやったな」
と声をかけた。
影ことライアはニコリと笑い。
「お腹が空いたんだな」
と、呟いた。




