丸顔の騎士
「これは、素晴らしい!」
セリアの商人、シュミット商会の代理人スミス氏である。
ここはガルムントの工房。
火薬の商談の後、私がスミス氏を招いて、試作品の大砲を見てもらったのだ。
そしてスミス氏は、感嘆の叫びをあげた。
「大砲の事は良く分かりませんが。この大砲からは力強さを感じますぞ」
「そう言ってもらえると、嬉しいかぎりじゃ」
この試作砲は、砲身を青銅に鋼板を巻いた複合材料で構成し、砲腔断面は円ではなく捻られた八角形。いわゆるライフリング(施条)が施されている。砲弾の装填は砲口から行うので、前装式施条砲である。
「……しかし、口径長が長くはありませんか?」
口径長とは、砲腔の直径を、その長さで割ったものだ。長いものを長砲身、短いものを短砲身と呼ぶ。
「これも、実験でな。長砲身化の肝は、火薬の……」
ちょっと待て!
私は、口からこぼれそうな言葉を強引に止めた。
何かが変だ。
私は、改めて今までの会話を思い出す。
このスミスは『口径長』と言った。
大砲さえ珍しい世界で、スミスは口径長の意味を知っている?
口径長は、地球でも専門的な言葉で、軍関係者か軍事専門家またはオタクくらいしか知らない言葉だ。
これが、セリア共和国の商人ならわかる。
共和国は、アスラン総帥の元で、軍の地球化は進められている。その軍と取引がある商人ならば、口径長を知っていても不思議はない。
しかし、セリア王国の商人となれば、話が違う。
セリア王国は、大砲どころか火薬の製造すらも、自国では出来なかったのだ。それゆえ、マウリスの火薬を買いに来ている。
私は、ついでに大砲も買いませんか? と、商談を持ちかけている最中なのだ。
スミスは、自分から『大砲の事は良く分かりません』と言っているが、口径長を知っている。
おかしくは無いだろうか?
そう言えば、この男は普通だ。
いや、普通過ぎる。
言葉を変えると、特徴が無い。
スミスと名乗る男が、急に薄っぺらな影のように感じられる。
何だろうか? この気持ちの悪さは。
「おや、どうかされましたか?」
スミスは顔には薄っぺらな笑顔が張り付いている。
「いや……なに、その……その先は軍事機密と言う奴なのじゃ。うっかり口がすべってしまった」
私は乾いた笑いで答える。
「おお、それは申し訳ない」
と笑顔のスミス氏は。
「いやいや、私は何も聞いてはおりませんよ」
と、風が吹けば飛びそうな笑い声を上げている。
そんな中で、私の背中には冷たい汗が流れていた。
余計なことを言わずに、この商談を終わらよう。
ここで商談を終わる旨を伝えるために、私は口を開こうとした。
だが。
「どうか、されましたか?」
その先を制するように、スミスが口を開いた。
その目は、笑顔のはずなのに、妙な威圧感がある。有無を言わせぬ殺気のようなものだろうか?
普通の商談をしていたはずか、いつの何か剣を交える闘技場の中に居る様な気持ちになる。
この場を離れないと……
余計な情報を与えてはならん……
この場から逃げ出さないと!
そう思えば思うほどに、口の中は乾き、喉で声が押しつぶされた。
足が、大地に縫い付けられたように動かない。
「あの……お嬢様。どうかされましたか? ましたか?」
暢気そうなハンナの声。
「……ああ、その……少々疲れたようだ」
「まあ、そうでしたか。ご無理はいけませんわ、せんわ」
その会話で、何かに絡め取られたように動けなかった体が動き始めた。
「そんな訳なのだ。すまないのお、こちらから声をかけながら……満足な対応もできなんだ」
私の謝辞をスミスは。
「いえいえ、こちらの方こそ。ご無理をなさいませんように」
と快く受けて。
「よい取引が出来そうです。それではユリアナ姫殿下、お邪魔をいたしました。これからもシュミット商会をよろしく」
と、一礼するとスミスは、ススッと数歩下がり、クルリと体を返すとドアへと歩き出す。
ごく普通の宮廷商人の作法だ。
だが、何故だろうか?
ひどく、危険な香りを感じずにはいられない。
スミスの姿がドアの向こうに消え、十を数えてから、私はやっと息を吐き出して体から力を抜いた。
あのスミスと名乗る男は、商人では無い。
私は、確信した。
確信はしたが、証明が必要だった。
「ハンナ、出掛けるぞ。急ぎ支度をせい!」
「はい! お嬢様」
ハンナがバネ仕掛けの玩具のように飛んでいった。
まだ足が治っておらず、長くは歩けない私は、ハンナの押す車椅子で街に出た。行き先はガルムント唯一の宿屋『愉快な鵞鳥亭』。
この宿に居を構える人物に用がある。
「あら姫殿下、御用でしょうか?」
鼻眼鏡に指を添えた仕草が様になる痩身長躯短黒髪の女。
名をミランダ・パニアと言う。
私の家庭教師として王都から付いて来たのだが、西の館はイヤだと言って、宿屋の一室を長期に借りて暮らしている。
「そうだ、用がある。パニアにな」
私が、特にパニアを強く言うと。
「はあ~~」
とミランダは、深いため息をつき、鼻眼鏡を外し。
「手数料は?」
「これでどうじゃ?」
私は脇のテーブルに金貨の入った袋を置いた。
「おやおや、これは……御用はギース商会ですか? それともシュミット商会?」
流石に分かっていたか。
「シュミット商会じゃ」
そう聞くと、ミランダは袋から金貨を二枚取り。
「シュミット商会は偽者ですね。本物はユーイルでコンラート伯爵に捕まっていますよ。密輸容疑です」
ユーイルはコンラート伯爵の領地であるサッカレア州の州都。ここからは早馬で二時間ほど離れている。
「では、私が会った者の正体は?」
ミランダは、さらに金貨を八枚抜き。
「セリア共和国の者ですわ」
やはり、そうか!
ミランダが、手のひらを上にして待っていた。
その仕草は、まだ情報があり、それは袋の中の金貨では足りないほどの情報だ、と示している。
私は、懐から金貨の入った皮袋を出してミランダの手に乗せた。
手の中の重さを確かめたミランダは。
「アスラン総帥直属の情報部員、ホワイトフェイス。変装に優れ素顔を知るものはアスランだけと言われています。さらに、破壊工作に長けていますわ」
「なに!」
その男は、今まで工房にいたのだぞ。
その時、工房の方向から、乾いた爆発音が聞こえてきた。
「このように厄介で危険な男ですわ」
やられた!
「くそっ!」
私は悪態をついて、大通りに飛び出した。
「お嬢様ぁ! まだ足がお悪いのに、そんなに走ってはぁ」
ハンナが車椅子を押して駆けてくるが、そんなものを待ってはいられない。
近くでノンビリとパンをモグモグ食べている馬上の騎士を捕まえて。
「勅命じゃ。工房まで私を連れて行け!」
と言い放った。
驚いたのかポカンとした顔をつくった丸顔の騎士は食べかけのパンを飲み下すと、私の顔を知っているのか。
「アナタは、ユリアナ姫様なんだな。ボクは騎士だから、姫様の言うことは聞かなくてはいけないんだな」
と、なんだかブツブツと独り言を言いながら手を伸ばし、私の体を掴むと鞍の上まで持ち上げて。
「工房は、今火事だからアブナイんだな。アブナイ所に姫様を連れて行くのは良くないんだな。でも、姫様は工房に行けと言うんだな」
と、独特な口調で語りだす。
「危険は分かっておる! 国の大事じゃ。さっさと私を工房へ連れてゆけ!」
「おうおう」
と、丸顔騎士は大きく顔を上下に動かした。
どうやら首肯らしい。
「危険が分かって行くなら、仕方が無いんだな」
丸顔騎士は、私の体を自分の腹と鞍の間に挟むように置くと。
「しがみついて、口を閉じておくんだな」
のんびりした口調が終わると。
空気が切れる音がした。
何だ、これは!
矢のような、と言う言葉がある。
私も乗馬の経験はある。
ヘタクソだが。
騎士の馬に同乗した事もある。
その時も、驚くほど早いと感じたものだ。
だが、これは、次元が違う速さだ。
まさに、丸顔騎士の馬は、矢のように大通りから狭い路地を抜け、最短距離で工房へと駆け抜けていった。
それは、まさに地球のアトラクションライドと同様か、それ以上のスピードとスリルの経験であった。
だが、しかし、絶叫系ライドが苦手な私には……
うう、ダメぇ。
はきそうぅ~~
何度の狭い路地を曲がり、道を歩く人を避け、荷車を飛び越え、壁を蹴って塀の上を駆ける。
もはや、どこを走っているのかも分からない。
「水だ! 火を消すんだ!」
「火薬を運び出せ、急げ!」
「腕がぁ~~腕がぁ~~」
「こっちだ、早く早く!」
「くそ! 火か消えないぞ!」
「水の中から火花がぁ、なんだこれはぁ」
怒声と絶叫が飛び交う中だった。
こみ上げる吐き気を我慢して何とか立ち上がった私が見たのは、血と炎の煉獄のごとき、燃え上がる工房であった。
してやられた。
私自身が、破壊工作員を、ガルムント最重要施設の一つである工房に招き入れる失態を犯してしまった。
「工房長!」
私は側らで消火の指揮をとる男に声をかける。
「姫殿下! ここは危なくございます。早くお逃げください」
「すぐに逃げる。これは破壊工作じゃ!」
「なんですと?」
私は、手短に破壊工作の件と消火のアドバイスを与え。
「奴が使った爆弾は多くても二つくらいじゃろう」
「破壊工作となると……砂の消火に切り替えます!」
水での消火が上手くいっていない様子だった。火薬の他に水で発火する薬品を使ったようだ。
「すまんが、上手く消してくれ。私は犯人を追う」
そう言って私は丸顔騎士を再び見た。
「また、姫様は何処かへ行くんだな」
丸顔騎士は、やっぱりパンをモグモグと食べていた。
「ここから東の砲台まで、私を連れて、最短で、どのくらいかかる?」
「東の砲台は、東の高台に新しく造った砲台なんだな?」
「そうじゃ!」
「おうおう、そこならパンを二つ食べる間に着くんだな」
パンを二つ食べる間というのは、よく分からないが。しかし、十分くらいだろうか。
それくらいなら、まだ間に合うかも知れない。
「では、急ぎ、私を東の砲台へ連れてゆけ!」
またパンを飲みこんだ丸顔騎士は、私を抱き上げると自分の腹と鞍の間に落としこみ。
「おうおう、姫様は、命知らずなんだな」
と言って馬を駆け出した。
えっ? 今『命知らず』って言わなかったか?
それに、なんで丸顔騎士の馬は城門ではなくて城壁の方へ走っているんだ?
「おい、お前! どこへグギャア!」
皆を言う前に、舌を噛みました。
そうこうするうち、丸顔騎士は城壁への階段を騎乗のまま駆け登る。この上は狭い城壁上の回廊があるだけだ。
「おうおう、姫様ぁ、落ちたらいけないんだなぁ」
うわあぁ、ちょっと待てぇ!
馬が空を飛ぶなんて……知りませんでした。