砲術演習
ガルムントは、硝石鉱山であるガルムント高原地帯の唯一の街である。
ガルムントの街は、遠くからは大きな岩山に町がチョンと乗っているように見えるだろう。
この岩山と周辺の深い谷は、天然自然の要塞そのものである。
ただ一つ、リンドナ峠以外は。
この峠は、起伏はあるが緩やかなもので、そのままコンラート伯爵領へと続く。
さて、このガルムントには領地としての欠点が幾つかある。
リンドナ峠に砦が無い事も一つだ。
ここに砦を設けるのは、コンラート伯爵領へ刃を向けるに等しい。ゆえに、峠は無防備のまま。
さらに、水が乏しい事。
地下水はあるが、それは坑道や谷底などの低い場所に湧くもので、街までは数十メートルも汲み上げなくてはならない。街の水汲み場は螺旋階段の深い竪穴。そこで女子供が水桶を抱え、朝から夕方まで何往復もして生活水を得る。
そして、周辺の土地は痩せていて植物の育成には不向き。苔だけが自生する原野といってもよい。当然ながら、炊事の薪も周辺では拾えなし、野菜や穀物の自給も出来ない。
つまり、硝石を得る以外には、生活には適さない街なのだ。
そして、その唯一の産業たる硝石採掘の実質的な制限法案を上奏したのだ。何らかの救済策を講じないとガルムントが街としての機能を失う事となる。
平民軍創設を構想してはいる。しかし、王家直轄領では領主軍ほどの軍備も望めない。それは、常駐騎士団がいるからだ。騎士団は王直轄の常備軍である。私は王ではないので、敬意は払われるが命令権は無い。
よって、目下のところ平民軍は、自警組織の延長拡大版となる。
「まあ、とにかくインフラ整備と地場産業の育成か」
地方の抱える問題は、二十一世紀と同じようだ。
杖をついてなら歩けるようになったので、リハビリがてらの散歩を始めた。
行き先は技師長の工房だ。
技師長は、独力で蒸気機関に挑戦中との事。
なかなかに気骨のある男だ。
「試作品の改造は終わったのですが……どうにも……」
一応動くものは出来ているが、実用となると怪しい機械である。
技師長の蒸気機関は、釜で発生した蒸気を大きなシリンダーへ導きピストンを動かす。ビストンには錘が仕掛けてあり、導いた蒸気の弁を閉じて排気の弁を開くとピストンは下がる。弁の操作は人力である。
初期の蒸気機関としては、まあまあの出来といえよう。
「しかし、効率が……」
技師長の構想は、この蒸気機関で鉱山の排水と生活用水の揚水を行おうというもの。
実用すれば、ガルムントのインフラは劇的に改善される。
しかし、効率が悪いとなると、少しの水を汲み上げるのに大量の燃料、つまり薪や石炭が必要だ。人や家畜が働くよりも高価では意味が無い。
「ふむ、改善の余地は大いにあるぞ」
と、私は技師長に改善案を幾つか示す。
「おお、そうか。そうすればいいんですね!」
ついでに、ちょっとした物の製作も頼んでおいた。
「こんな簡単なものなら、ついでに作れますよ」
技師長は快く引き受けてくれた。
「ああ、そうそう。例の奴も組立が終わりましたよ」
例の奴とは、グレタからのプレゼントである十八ポンド野砲である。
「ほう、それでは明日にでも騎士団の演習地まで運んでくれぬか。試射をしたい」
「了解であります。姫殿下」
と、笑顔で答える技師長に。
「姫殿下と呼ぶな!」
私は怒鳴り返す。
ところで、技師長の名前は……なんだったろうか?
まあ、いいか。
「炭酸水なんて、何に使うのかとおもいましたが……こう使うんですね」
メアリーアンは、ラックに火薬樽と交互に並べられた大型ガラス瓶入りの炭酸水を眺めて感嘆している。
ここは、新しく郊外に造られた火薬倉庫である。
「先の火事は、遺憾であった。炭酸水が、もう少し早く届いておれば」
炭酸水は、過剰に炭酸ガスを溶かし込んだ水。ガラス瓶に加圧して封入されている限りは安定しているが、ガラス瓶が破損して減圧すれば大量な炭酸ガスを含んだ泡を吹き出す。
その大量の水と炭酸ガスが火薬の事故の連鎖反応を抑止する安全装置となる。
「だが、これはあくまで事故が起こった後の安全装置じゃ。黒色火薬は、衝撃や静電気にも反応する過敏な火薬。取り扱いには一層の注意が必要だな」
「先の事故も、職人が毛織物の服を着用していたのが原因らしく……」
メアリーアンが俯いて言う。
「うむ、服装や混合手順、設備の防爆化……仕事は山積みだな。人手の手配はついたのか?」
元セリア王国の軍人や兵器工廠職員が、このマウリスには亡命者や移民として移り住んできている。彼らに接触しリクルートする事を、私はメアリーアンに依頼し王都へと送り出した。
「はい、まず確実と思われる者は、軍経験者が五人、火薬職人が……」
メアリーアンによって、セリア内戦を戦ったベテラン達が集められるだろう。
これで、人的な面は、とりあえず良しとして。問題は、この組織には収入が無い点だ。
しばらく間は、私のポケットマネーで切り抜けるが、いつまで金が続くかが問題。
少々、手荒にデモンストレーションをする必要があるな。
「スポンジ、螺旋具、レドール(火薬すくい)、ラマー(押し込み棒)、ピック(穿孔具)、プライマー(点火管)……」
メアリーアンがリクルートしてきた元砲兵が備品のチェックをしている。
騎士団の演習場に、例の十八ポンド野砲を持ち出して試射をすることにした。
演習地は、ガルムントの城壁から見える場所なので、城壁の上には非番の騎士やら市民が鈴なりになって大砲を見に来ている。
娯楽の少ない土地なので、何かやるとなると、すぐに人が集まるらしい。
砲を操作するのは、元砲兵の他に鉱夫の中から志願してきた者がいる。全員で六名が一チームだ。
さて、十八ポンドの砲弾であるが、ポンドっつわれても日本のサラリーマン(外資系は除く)じゃあ縁が無い。ましてや、十八ポンドの砲弾をイメージするのは困難だろう。
だが、我々は、意外に『その砲弾』を知っていたりする。
実は、陸上競技の砲丸投げで使う一般男子用の砲丸が、丁度それくらい。
一つ賢くなったね。
ホントのこと言うと、あれは十六ポンドなので少し小さいのだが。まあ、いいだろう。
つまり、あれがバカスカ飛んで来るのが、戦場というやつだ。
などと、自分の知識を俯瞰していたりすると、ちょうど時間も流れて。
「準備できましたよ。ユリアナ様」
と、メアリーアン。
「よし、斉射はじめ!」
「斉射よーい 撃て」
メアリーアンが大砲の方へ向かって大声を出す。
えっ、号令は自衛隊式?
照準を確認した砲手がプライマーの紐が引くと、次の瞬間には砲身が震え、火薬の爆発による衝撃がおこる。
砲弾が砲口から発射される。同時に大砲が大きく後退する。
一瞬送れて、爆風がおこる。
下がった砲に、砲兵が取り付いて車止めをかませた。
少し離れて観測している私たちには、爆音や衝撃も少し遅れる。
「ほう、いい感じで飛んでいくなあ」
「射角五度ですから、千五百mは飛びます」
「うむ、良いな」
演習地の端で土煙が起こる。
「弾着、今!」
城壁から見ていた騎士や市民が、驚きに声を失っていた。
まあ、効果は十分だろう。