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隣の影

作者: をはち
掲載日:2026/09/28

捨てたはずの“私”を、隣人が拾っていた。


大学まで通う日々は、いつも同じだった。アパートとキャンパスを往復するだけの単調な生活。


友人たちと遊ぶことも少なく、夜は部屋で一人、静かに過ごすのが常だった。それなのに、最近になって友人から奇妙な話をよく聞くようになった。


「この前、隣町のカフェで見かけたよ」


「駅前で誰かと一緒にいたよね?」


私は否定する。隣町に出かけた覚えなどない。大学の近くを少し歩くことすら稀だ。


けれど友人たちは「絶対にあなただった」と笑いながら言う。最初は見間違いだろうと思っていた。気のせいかもしれない、と。


そんなある日、隣の部屋に新しい住人が引っ越してきた。


完璧な美男子だった。整った顔立ち、丁寧な物腰、穏やかな笑顔。挨拶を交わしただけで、なぜか安心してしまうような親切さがあった。


荷物も少なく、静かに暮らしているようだった。だが、違和感はすぐに訪れた。


ゴミ捨て場で見かけた彼のゴミ袋。中に入っていたのは、数ヶ月前に私が捨てたはずの古いノート、使い古したペン、破れたマフラー。間違いない。


私自身が処分した私物ばかりだった。それからも続いた。彼が捨てるものは、いつも「私の過去」だった。


そして、彼自身も変わっていった。最初は少し似ているだけだと思っていた服の選び方。髪型。話し方の抑揚。笑うときの目の細め方――


気づいたときには、鏡に映る自分と、彼の仕草が重なって見えた。女である私と、男である彼が、どこかで溶け合い始めているような錯覚。


ある日、見知らぬ男性に声をかけられた。なれなれしく、まるで以前から付き合いがあるかのように肩に手を置いてくる。


しつこく絡まれた末、強く拒絶すると、男は困惑した顔で言った。


「…ごめん。別人だったみたいだ」


その頃から、隣人への違和感は無視できないものになっていた。廊下ですれ違うたびに、彼の視線が私の輪郭をなぞっている気がした。


まるで、私という存在を少しずつ剥ぎ取っているように。そしてある朝、隣の部屋は空になっていた。引っ越しの気配すらなく、静かに消えていた。


それから友人たちの噂が変わった。


「最近、色々な男と会ってるらしいね」


「素敵な知り合いが多いんだってね」


身に覚えのない話ばかりだった。私はただ大学とアパートを往復しているだけなのに。けれど、不思議と悪い気分ではなかった。


否定する気も起きなかった。まるで、誰かが私の代わりに生きてくれているような、薄い安心感さえあった。


しばらくして、また声をかけられた。以前、私を隣人と間違えた男だった。素性の良さそうな、穏やかな目をした人。私は拒否しなかった。


そのまま関係を続け、やがて付き合うところまでいった。ある夜、彼は私の体に触れた瞬間、青ざめて悲鳴を上げた。


「お前…男じゃないのか…?」


彼はゲイだった。


男は蒼白な顔のまま消え、二度と連絡は来なかった。そして今日も、知らない男に声をかけられた。


「前にも会ったよね?」


私は静かに彼の顔を見つめる。この人は、私に興味があるのか。それとも、かつての隣人に――


気づけば私は、あの男が残していった残り香を追うように生きていた。


私の服を、髪型を、話し方を、誰かに見せるための「私」を、知らないうちに演じていたのかもしれない。


鏡を見る。そこに映るのは、確かに私の顔だ。けれど、どこかで見たことがあるような、完璧に整った微笑みが浮かんでいる。


隣の部屋は、今も空いている。けれど、夜になると廊下の向こうから、誰かがゴミをまとめる音が聞こえる気がする。


私がかつて捨てたはずの、私自身の断片を、丁寧に袋に詰める音が――


読んで頂き有り難う御座います。

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― 新着の感想 ―
 はじめまして、静夏夜と申します。  拝読の途中で体験としてある私自身の記憶と重なり、全てが同じではありませんが同じ町に住む異性の方と同じ美容院に通っていたと知った折の衝撃までを思い出しました。  そ…
面白いと思います!(*゜▽゜*) 始め、ただ不気味で怖いんです。 それだけで終わっていたら──言葉悪いですが、よくある感じのホラーかと。 ゴミを拾って、捨てた人になっていくという発想も面白いのに、あえ…
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