2.パン屋の看板娘
「ははは、そんなことがあったのか。そりゃ、ご苦労だったね、ハティ」
カラカラと笑いながら店員のことを労うこの人物は、とある商会の大旦那だった。路頭に迷っていた幼い店員を、拾い育ててくれた人物でもあった。
整えられたブラウンの髪に洒落た紳士服姿で、見た目は二十代後半、いわゆるアラサーくらいの若さである。
「笑い事じゃありませんよ、大旦那様。もうあのお客のせいで、わたいの胃はキリキリして倒れそうなんですから」
店員――ハティはお腹をさすって見せた。もう店主特製の胃薬が常備薬になっていた。
「それは困るね、ハティ。君がいなくなったら誰がこの店を切り盛りしてくれるんだい?」
大旦那は茶色の瞳でハティを見つめ、肩をすくめ「困るね」というしぐさをした。
「あの……主さまがいらっしゃるじゃありませんか」
主さまというのは、この店の店主のことだ。店への納品と時々様子を見に来るだけの店主だが。
「あいつに店番が務まるのか……いや、ムリダナー」
と、大旦那は諦め顔で顎に手をやり、小声で呟いた。
実際、アレには店番が務まらないから、名前だけの店主をやってもらっている。ハティもとある理由で表の店に出すことができないので、路地裏のこの店で働かせているのだ。
「大旦那様、お茶のおかわりは?」
「いや、いいよ、ありがとう。仕事を抜けてきたからね、そろそろお暇するよ」
「わざわざご足労いただき、ありがとうございました」
「ハティの様子が確認できたからね。無理はしないようにするんだよ。何かあったらすぐに私まで連絡しなさい」
「はい、大旦那様」
ハティにとって、大旦那は育ててもらった父親同然なので、顔を見ると自然に安堵してしまう。
「それじゃ、私はこれで。また来るよ」
「お気をつけて、大旦那様……」
大旦那を玄関まで見送ると、ハティの心に寂しさがするりと入り込んだ。まだ親に甘えていたい年頃なのだ。
§ § §
ハティは店内に客がいないことを確かめると、玄関の扉にかけてある木製のプレートを「OPEN」から「CLOSED」に変えて、店を閉めた。本日の雑貨屋業務は終了。閉店ガラガラ~。ヘッドドレスを外して机の上に置き、外套をさっと纏い、今日の夕食と明日の朝食をどうしようか、そんなことを考えながら市場へと向かった。
市場に向かう道の両脇には様々な店が建ち並んでいる。店ごとに出来合いの品のいい匂いが漂ってくる。
そのうちの一軒が件のパン屋である。見れば、あの看板娘がエプロン姿で忙しそうに接客をしている。夕食前の書き入れ時だ。ブロンドの髪がスカーフから少し覗いていて、軽やかな動きに合わせてキラキラと輝いていた。あの常連客の言っていた通りの美しさだった。
いつもはほかのパン屋を利用しているのだが、今日はこちらを利用してみることにした。
「エイミー! パンを並べておくれ!」
「はーい、お父さん。今やります」
接客をこなしながら、パンの補充もする。息をつく暇もない。いつも暇を持て余しているハティとは大違いだ。
「あの、この丸い白パンをひとつください」
「はい、銅貨5枚になります」
「1、2……はい、5枚」
娘は銅貨を受け取ると、とびきりの笑顔とともに、ほんのりと温かさの残るパンを渡してくれた。
「ありがとうございました! またご利用くださいね!」
ほかの店より少しばかり高くても、また来てしまう理由がわかった気がした。――と同時にハティの心にもやもやが生まれた。
ハティは正体の分からないもやもやを抱えたままパン屋をあとにすると、「今日はこのパンを半分使って、スープと一緒に食べよう。朝食は何か挟んで食べるとして、具材は何がいいかな……」と考えつつ市場へと消えていった。
§ § §
「おかえりなさい、ハティ。お邪魔してるわ」
「あ、はい」
ハティが市場での買い物を終えて店舗兼住居へ帰ると、なぜかいつもいないはずの店主がいた。おおかた薬や携帯食の納品にでも来たのだろう。すでに自分でお茶を淹れて勝手にくつろいでいた。
店主は長いストレートの黒髪をゆるくまとめ、簡素で清潔な服装だった。連れもいた。連れは店主とは対照的に、長いストレートの白髪を編み込んで二つの団子にまとめ、透けるような肌に華美な服を着ていた。
「いらっしゃいませ、主さま。おいでになるなら、前日までに連絡を入れてくだされば……」
夕食と朝食の食材は一人分しか買ってこなかった。夕食をご馳走するにも食材が足りない……。ハティが困っていると、店主が鞄からなにやら取り出し始めた。
「大丈夫よ。お店への納品物とあなたへのお土産を置いたらすぐ帰るから」
発注していた薬品や携帯食などが、鞄の見た目以上に出てくる。魔法の鞄は便利だが、今では高級過ぎて、ハティなど一般人がむやみに持ち歩くものではない。知らない誰かに襲われて奪われる未来が目に浮かぶ。
「ねぇ、ハティ。あなたもお茶とか薬、作ったりしない? 手に職をつければ、どこでも生きていけるわよ」
「一応、考えておきます」
店番をするからには、文字の読み書きや算術が一通りできなくてはならない。また品物の説明もできなくてはお客相手の商売は成り立たない。商売で独り立ちするには、まだ何かが足りない。――ハティは、「手に職かぁ」と心の中で呟きながら、納品物を納品書と突き合わせて、数があっているかどうか調べていた。店番の片手間に自分で何かできるなら、生きていくための糧くらい稼げるのでは……とも思う。問題は何をやるかだ。街でできることなんて限られている。
「さて、納品はこれでおしまい。あとはハティへのお土産を……」
チーズの塊、薬草茶、ベリーなどのジャム、クロスなどの生活用品から外套、そしてメイド服。食料品や生活用品は、おすそ分けできるけれど、さすがにメイド服はおすそ分けできない。――ハティはジト目で店主を見た。
「今回のメイド服には、ボクのコンセプトも詰め込んでもらったから期待して♡」
店主の連れが、嬉しそうに生き生きと早口でメイド服の説明を始めた。――ハティは黙って聞き流すことにした。
「……お土産、足りたかしら?」
「いえ十分です、主さま」
さすがに面と向かって、「こんなん多すぎるわ!」とは言えないのを、愛想笑いで返した。
「新しいメイド服の試着まで見られなかったのは残念だったわ」
「ボクも新しい服、お店に見に行きたかった~」
「またそれは今度ね、クー。ハティの顔も見られたし、そろそろ帰るわ」
店主は帰り支度を始めながら、ハティに尋ねた。
「……なにか悩んでいることはないかしら? ワタシで良ければ聞くわよ」
「いえ、特には……何でもないです」
店主はハティをじっと見つめ、頭を撫でた。
「大丈夫。本来のあなたは、パン屋のお嬢さんよりずっと可愛いわよ」
ハティの抱えたもやもやの正体は、ちょっとした劣等感と嫉妬だったようだ。堂々と働くパン屋の娘と表に出られない自分を、無意識のうちに比べてしまったのだ。
「あなたやワタシにとって、人間の一生は瞬きに過ぎないの。だから、余計に美しく見えるのね」
店主は荷物をまとめると、青白く光る転移用の魔法陣を床に発現させた。この時代と店主のいる時代は地続きではないので、こうして魔法陣で移動する必要がある。
「それじゃハティ、またね……品物の発注は大旦那まで、よろしく」
「主さま、今日はありがとうございました」
「メイド服の感想もよろしく~! まったね~♡」
店主が魔法陣を発動させると、陣は中心へと渦を巻き、するりと吸い込まれるように二人は消えた。
「毎度のことながら忙しい人だなぁ……」
ハティは納品物と土産をいったん片付けて、お茶を淹れ一休みすると夕食の支度に取りかかった。――今日はもう疲れたしお土産でちょっと贅沢な夕食を食べたら早めに寝よう。品出しは明日やればいいし……。
店主から、「手に職をつけないか」と誘われたこと、大旦那様に相談しよう。ということを考えていたら、いい匂いとともにシチューが完成した。いつもと変わらない一人の食卓で黙々とシチューを食べる行為は、やはり寂しいと感じてしまう。まだまだハティは子供だ。薬湯に身を浸して目をつむると、涙があふれてきた。
大旦那も店主もハティとともにいてくれるだろう。けれど、そういう関係じゃない。ハティは身近にいて支えてくれる存在が欲しかった。ハティの血の半分は人間のそれであるけれど、もう半分は長命種だ。とても普通の人間ではずっと一緒にいることは叶わない。
「どうして人間じゃなかったのかなあ……」
ハティの両親に何があったのかは知らないけれど、生まれてきた子供の幸せも考えてほしいと心の中で呟いた。




