婚約者が突然「婚約破棄ゲームをやろう」と言い出した
ある日の夜会で、すでに婚約を交わしている伯爵家令息シュルグ・ザルツと、子爵家の令嬢アシェナ・ソーレは和やかに談笑していた。
シュルグは金髪で爽やかな風貌の貴公子、アシェナはふわりとした栗色の髪を持つ、可愛らしい令嬢であった。
二人は仲睦まじいカップルで、笑顔で会話をし、立食を楽しむ姿が微笑ましい。
すると、シュルグが突然こんなことを言い出した。
「世の中には“婚約破棄”って言葉があるだろう?」
「ええ、ありますわね」
アシェナはきょとんとしながら答える。
「あの言葉で、ちょっとしたゲームを思いついたんだ」
シュルグは自信がある様子なので、アシェナは「どんなゲームか教えて下さい」と返す。
シュルグはうなずくと、アシェナを指差した。
「まず、攻撃側は好きなタイミングで『婚約!』といって相手を指差す」
「は、はい」
「差された方、防御側はすぐに『破棄!』と返さねばならない。もし反応が遅れたら、攻撃側の勝ちになる」
「なるほど……」
「ただし、攻撃側はフェイントをかけることもできる」
「フェイント?」
「例えば『こんにゃく!』だとか『今夜!』だとか言うこともできる。この場合、防御側は『破棄!』と言ってはいけない。言ってしまったら攻撃側の勝ちになり、反応しなければ防御側の勝ちになる。で、勝負がついた時点で攻守交代になる」
「なるほどなるほど~!」
アシェナもルールを掴めてきた。
少し面白そうだと思ったのか、口調も軽快なものになっている。
「じゃあさっそくやってみようか。僕が攻撃側で」
「はいっ!」
婚約破棄ゲーム、記念すべき一回目が始まる。
十秒ほどの沈黙の後、シュルグはアシェナを指差した。
「こんにゃく!」
アシェナは一瞬口を開きそうになるも、ぐっとこらえた。
「……やるね!」
「危なかったぁ~!」
シュルグのフェイントに引っかからなかったアシェナの勝ちである。
「シュルグ様、一回目のゲームでいきなりフェイントだなんて酷いですよ!」
「僕は勝負ごとには手を抜かないタイプだからね。じゃあ、次は君の番だ」
「はいっ!」
アシェナの攻撃。少し間を空けると思ったが、アシェナはいきなり――
「婚約!」
「……!? あっ!」
虚を突かれたシュルグは咄嗟に「破棄!」と答えることができなかった。
「くそ~! やられた!」
「これで私の二連勝ですね!」
「よーし、もう一回だ!」
その後も二人は夜会の片隅で「婚約破棄ゲーム」を大いに楽しんだ。
そんな彼らを、一人の男が眺めていた。
侯爵家の令息ゲルツ・ヴァイス。銀髪で冷たい雰囲気を纏った貴公子である。
ゲルツはゲームに興じている二人に眉をひそめる。
(下らない……。高貴な場で何をやっているんだ……嘆かわしい)
この日、彼はこれといった相手と巡り合うこともなく、夜会を後にした。
***
次の日、ゲルツは自宅で勉強や運動に励んでいたが、ふと昨日の夜会でのことを思い出す。
(婚約破棄ゲーム、か)
ゲルツは二人の会話を聞いており、ルールも把握していた。
昨晩は下らないゲームだと一蹴していたが、ゲームの内容はしっかり頭の中に残ってしまっていた。
たまたま通りかかったメイドのエリンに声をかける。
「なあ、エリン」
「なんでしょう? ゲルツ様」
「ゲームをやらないか?」
「かまいませんけど……どんなゲームですか?」
「『婚約破棄ゲーム』というやつだ」
エリンは「どんなゲームだ」と心の中でツッコみつつも、従わない理由もないので、ゲルツからゲーム説明を聞く。
そう難しいゲームではないので、エリンもルールをすぐに理解し、ゲーム開始。
先攻はゲルツとなった。
「……こんにゃく!」
エリンはフェイントに引っかからず、エリンの勝利となった。
続いてはエリンの攻撃。
「今夜!」
「破棄! ……あっ!」
「やったぁ! 私の勝ち!」
「うぐぐ……やってみると難しいな、これ」
二人はそのままゲームにハマり、一時間ほどやってしまった。
「エリン、そろそろやめにしようか」
「とても面白かったです。これ、ゲルツ様が考えたんですか?」
「いや、私は夜会で他の人がやっているのを見たんだ」
「へえ~、世の中こんなに面白いゲームがあるんですねえ」
「ああ、彼らを愚か者だと断じた自分が恥ずかしいよ」
ゲルツの表情はどこか一皮むけたように清々しいものになっていた。
***
エリンは買い物に出かけていたが、頭の中は婚約破棄ゲームのことで一杯だった。
(誰かと一緒にやりたいなぁ……)
そして、たまたま歩いていた同年代の友人を見つける。
こうなると当然――
「ねえねえ、面白いゲームがあるの!」
「ゲーム?」
「うん、『婚約破棄ゲーム』っていうんだけど……」
「なにそれ!?」
エリンはこの友人と婚約破棄ゲームを繰り広げ、なかなか白熱した勝負になった。
そんな彼女らを眺めている一人の男がいた。
帽子を被り、グレーのマントをつけた彼の名はサウス。国中を歩いている旅人である。
(この地方ではあんなゲームが流行っているんだな……)
なかなか面白いゲームだなと思いつつ、サウスはそのままこの町を旅立った。
***
旅人サウスが山道を歩いていると、盗賊に遭遇してしまう。
頭にバンダナを巻いた盗賊オレウムが、サウスに向かって刃物を突きつける。
「ここを通りたいなら、荷物を全部渡してもらおうか」
サウスは大きなバッグを抱えていたが、この中には旅で得た様々な品が入っている。
高価なものは少ないが、金額の問題ではない。
バッグの中身は“旅の思い出”そのものだといっても過言ではないからだ。
(……そう簡単に渡すわけにはいかない!)
とはいえ、命を失っては元も子もないというのも事実。
イチかバチか、サウスはこんな提案をした。
「……ゲームをしないか?」
「ゲーム?」
「ああ、『婚約破棄ゲーム』っていうんだけど……これを何度かやって、僕の方が多く勝ったら見逃して欲しい」
「いいだろう」
オレウムもちょうど退屈していたので、ゲームに乗ることにした。
ただし、勝敗に関係なく荷物は奪うつもりであった。
サウスがルールを説明し、ゲームが始まる。
「こんにゃく!」
「破棄! ……し、しまった!」
オレウムは「こんにゃく」に引っかかってしまった。
「くそ~、やるじゃねえか。次は俺の番だな」
サウス対オレウム、一進一退の攻防が続く。
「婚約!」
「破棄!」
「くそっ、反応されたか!」
「へへ……俺の勝ちだ!」
二人ともこのゲームにハマってしまい、いつしかお互いの勝ち数を数えるのも忘れてしまっていた。
やがて、サウスがそのことに気づく。
「……どうしよう。どっちが何回勝ったのか、全然覚えてないや」
だが、オレウムはフッと笑った。
「いいさ。ここは通してやるよ」
「いいのかい?」
「ああ……。さっさと行きな、俺の気が変わらないうちに!」
「……ありがとう!」
サウスはオレウムに対し友情のようなものを抱いていたが、彼の言う通りにした。
そんな彼の背中を見届けると、オレウムはつぶやいた。
「久々に子供の頃、ダチと遊んでた頃の気持ちを思い出したぜ。いつからこうなっちまったのか……」
オレウムは盗賊に落ちぶれてしまった自分を恥じ――
「自首……するか」
***
盗賊オレウムの自首に、治安維持の任にあたる兵士メゴンは驚いた。
「まさか、お前が自首してくるとはな……。どういう風の吹き回しだ?」
「面白いゲームをやっていたら、盗賊続けるのが空しくなっちまってね」
「ゲーム?」
「『婚約破棄ゲーム』っていうんだがよ。やってみるかい?」
「まあ、少しだけなら……」
少しだけと言いつつ、二人は一時間以上このゲームに興じてしまった。
兜を被ったメゴンの表情は笑顔になっていた。
「なかなか楽しかったぞ」
「そうかい。ならこの世に未練はねえってもんだ」
「盗賊が縛り首になるとは限らない。お前は人を殺したことはないしな。希望は捨てるな」
「……ありがとよ、メゴンさん」
牢獄に護送されていくオレウムを見送るメゴンの目は、どこか寂しそうだった。
***
兵士メゴンは、たまたま地方を巡回していた騎士団長ワーブル・ソリスと会話をする機会があった。
甲冑を纏い、顔立ちから立ち居振る舞いまで勇ましいその姿は、国の全兵士――いや、全男子の憧れといっても過言ではない。
緊張しながら話すメゴンに、ワーブルは優しく応じてくれた。
「ところで君は、この間盗賊を捕まえたそうだね」
「ええ。といっても向こうから捕まりに来たという感じですが」
「……? どういうことだね?」
「どうもゲームをやっていたら自首する気持ちになったようで……あ、そうだ! そのゲームをお教えしますよ!」
『婚約破棄ゲーム』を教える流れになり――
「今夜!」
「……破棄! しまった!」
「よしっ! ワーブル団長はフェイントに引っかかりやすいですね」
「うむむ、肝に銘じておこう」
メゴンはもちろん、ワーブルとしても楽しいひと時を過ごすことができた。
***
その後しばらくして、騎士団長ワーブルは戦いに赴いていた。
隣国との国境での小競り合いがそのまま戦争に発展してしまい、騎士団まで駆り出される事態となってしまったのだ。
敵軍との戦力は拮抗しており、なかなか勝負はつきそうにない。
かといって、お互い振り上げた拳を下ろすきっかけもなく、このままでは戦闘は泥沼化しそうであった。
そんな時、ワーブルはあのゲームを思いつく。
「貴公らに告ぐ! 楽しいゲームがあるんだ! それを教えるからやってみないか!?」
なんと敵軍に「ゲームをしないか?」と持ちかけた。
敵軍も疲れていたのか、意外にも素直にこの求めに応じる。
「よかろう。どんなゲームか教えてもらおう!」
「『婚約破棄ゲーム』というのだが……」
「凄まじい名前だな……」
ルールは簡単なので、すぐに両軍の兵士や騎士はそれぞれ一対一に分かれて『婚約破棄ゲーム』を始めた。
「婚約!」
「破棄! ……よし防御成功!」
「こんにゃく!」
「破棄! ――あっ!」
「今夜!」
「は……く、くそっ! 今夜だったか!」
婚約破棄ゲームで両軍は大いに和んだ。
やがて、どちらともなく言った。
「もう戦いはやめにしよう」
***
隣国と和解を果たしたワーブルは、国王グストゥス・ロワールに呼び出された。
グストゥスは王冠をつけ、顎鬚を生やした威厳ある王であった。
「よくぞこの戦争に折り合いをつけてくれた。感謝するぞ、ワーブル」
「ありがとうございます」
「してワーブルよ、相手とどのように交渉したのだ?」
「交渉というほどのものではありません。一緒にゲームを楽しんだだけです」
「ゲーム?」
首を傾げるグストゥスに、ワーブルは答える。
「『婚約破棄ゲーム』というのですが……」
「なんとも奇怪な名前だな……」
ルールを説明し、ワーブルとグストゥスは何度か『婚約破棄ゲーム』に興じる。
ちなみにワーブルは相変わらずフェイントに弱かった。
「フフフ、さすがのおぬしも二連続“こんにゃく”は読めなかったか」
「やりますな、陛下……」
そして、グストゥスはこう宣言した。
「このゲームは面白い! ワシの名前において、この『婚約破棄ゲーム』を大々的に世に広めようではないか!」
***
一方その頃、シュルグとアシェナは結婚し、自分たちの邸宅で幸せな家庭を築いていた。
そんな折、こんな新聞記事を見る。
「ねえシュルグ様、今巷で『婚約破棄ゲーム』っていうのが流行ってるんですって」
「本当かい?」
「国王陛下のご命令で、ルールもしっかり整備されて、賞金をかけた大会も開かれるとか……」
シュルグは記事を読んでみる。
「へえ、昔僕が考えたゲームに似てるな。似たようなことを考える人ってのはいるんだなぁ」
「そうね、ビックリしちゃった!」
あの夜会のことを思い出し、アシェナも笑う。
「じゃあ久しぶりに僕らもやる? 婚約破棄ゲーム」
「やりましょう!」
この二人は婚約破棄や離婚などせず、一生幸せに暮らしたことは言うまでもない。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。