91.
疲れた頭で何も考えぬようクロムは横になったものの、落ち着かないで起き上がったり横になったりをしていると、扉が叩かれた。扉を開けるとランカがいた。
「クロム。少し話できるかしら。」
部屋にランカを招き入れると、ランカは遠慮もなしに椅子を占有した。クロムはまあいいかと思いながら布団へと座った。ランカについてきていた侍女は茶と菓子を置くと去っていった。ランカは素早く菓子を一つ摘まんで口に放り込んだ。
「…それで、何の話だ。」
「いろいろと見えたから、伝えておこうかと思って。」
「おお。ええと、ドレークと…新しい神殿長と、俺の話だったか。」
「ええ。まずお父様だけど、階層はわからないけど迷宮にいるみたい…って、お兄様が言っている未来を見たわ。でも、うまく逃げられちゃうみたい。
後でも言うことになるだけど、九日後にはあっけなく捕まるみたい。」
「いいだろう。まさか本当に迷宮にいたとは。」
ボスポラスにも話をしたが、もし迷宮に潜んでいるなら、いくら普通に街中を捜索してもわからないのは当然だ。そしてランカが彼を見たと言っているのだから、理由はわからないまでもドレークは迷宮の片隅でひっそりと生活しているのだろう。
(だが、一人でずっと迷宮の中で暮らすというのも危険すぎやしないか。いくら弱いと言っても相手は魔獣だ。〈隠匿の耳飾り〉以外にも身を隠せる手があるのかもしれない。)
クロムが考え事している間にもランカが菓子を摘まむ手は止まらなかった。子気味良い音が止んで茶を啜った後でランカが何気無く次の話を出した。
「次なんだけど、新しい神殿長が来るのは七日後よ。春節よりも八日早くバティンポリスに来るわ。」
「七日だと!?待ってくれ、早いぞ。迷宮の攻略なんてそんなに早くできない。
二十九層から最奥までは相当近いとは思うが、一人では二十九層は厳しくて、リュードと一緒に潜ったとしても、まだ二十四層だぞ。九日で攻略できるとも思えないが。」
突然のランカの宣言に心臓が跳ねた。まだしばらく猶予があるものだとばかり思っていたから、まさか十日もないことを驚いた。クロムの声に驚いたランカだったが、何かを思ったようで少し機嫌が悪くなったように眉を顰めた。
「リュードっていうのね、貴方の仲間。」
「言ってなかったか?リュドミラという、最近バティンポリスに来た探索者だ。」
「む。最近会ったの?」
「いや、俺が帝都にいた時に知り合ったんだ。
そんなことよりも、そんな短い間に攻略なんか無理だぞ?」
「そんなこと言われても困るわ。それに、夢の中では最下層に挑んでいないみたい。
とにかく七日後にバティンポリスに来て、それから二日して新しい神殿長が領主館に乗り込んで来るわ。そこでクロムを出すように要求するの。」
「七日に、二日。ならあと九日はあるのか。」
「そうね。
それで、領主側でクロムを神殿に連れて行かないこともできなくはないみたいなんだけど…正規の手順での招集みたいで、断るだけの材料がないから無理みたいね。」
「…それはどうしようもないな。」
神殿が領主の定めた手順を追って領主側に依頼することは時折あるらしい。
人手が十分に足りているバティンポリスの神殿ではほとんどないが、他の領地と神殿では催事などで人手が足りない時や、神殿騎士や神殿兵だけでは対応しきれない魔獣が現れたときに探索者を派遣してもらう例がいくつかあるようだ。
「神殿同士ではあまり関わりがないと聞いた気がするが、領主とは繋がるのか?」
「うーん、そこはもともと帝国が別の国同士だったからね。あんまり詳しくないけど、当時の国同士では信仰の違いとかで諍いがあったとかで。」
「ふうん。……問答は面倒だな。ここで逃げていいか?」
「それをすると疚しいことがあるって思われて相手が一方的にあることないこと言うわ。
というかそれをされると探索者一人従えられない伯爵家なんて言われてあらゆる面子が丸つぶれよ。」
「そんなものなのか。」
「ええ。ザンジバル兄様はまだ若いからと擁護はできないのよ。…私がより若い歳で使徒になったから余計に。
だから、せめて未踏破だったバティン迷宮を攻略できる強い探索者ってわかれば手を出し辛いかなって思ったのだけれど。」
「うん?どう繋がるんだ、その話は。もう少し詳しく頼む。」
「クロムがうちと関わりのない、本当に流れの探索者ならよかったのだけれど。
海神の使徒と、使徒を保護する領主代理がそろって頼んでも動かない探索者。それはつまり、帝王様に任じられたパキラ伯爵家に反することは帝政に反対することになるし、その上神殿にも反してしまうのよ。それを拒否するのはつまり脛に傷を持っているなんて思われて仕方ないし、あまつさえそんな男を使徒の護衛だと言い切ると今度はパキラ領主家が責められるのよ。
クロムも領主家も、何をどう疑われても言い訳のしようが無くなるの。一応神殿側にいる私は大丈夫かもしれないけど。わかってほしい。」
「……うーん。そこに出ないとお前たちが困るということはわかった。」
「わかってくれてありがとう。」
クロム自身にハイラルの事を除けば疚しいことは無いはずだ。ただし記憶を失う前の出来事はどうしても疚しいことがないとは言い切れない。
(…クソ、考えるのはやはり苦手だ。もこの状況をひっくり返せるような都合のいい妙手はないか。)
「あるわよ。」
その声に顔を上げると、少し呆れたように笑うランカの顔が見えた。クロムもすこしばかりけげんな表情になって、何かあったかを尋ねた。
「…声に出ていたわよ。」
「む。それで、どうだというんだ。」
「疚しいことがないなら、マーレイア家に協力してもらって〈ラコンティンフィオの業鏡〉でクロムが何もしていないって証明すればいいのよ。あの鏡の前で嘘は言えないんだから、これ以上ない照明よ。」
〈ラコンティンフィオの業鏡〉はマーレイア家が保有している迷宮品だ。クロムの聞いたところでは、その鏡の前では嘘がつけないだか、嘘がわかってしまうだか、そんな効果を持つ道具だったはずだ。
「そういうことにも使えるのか、あれは?」
「そんな昔話があるのよ、無実の罪で絶体絶命になったところを〈ラコンティンフィオの業鏡〉の前で裁きを受けたことですべての真実が明らかになり難を逃れるお話が。
クロムが堂々と神殿に向かって、変な連中と繋がりなんか無いただのいち探索者、今回は偶然私の護衛になっただけ。そうはっきりさせれば、きっと大丈夫よ。」
ランカの話では、〈ラコンティンフィオの業鏡〉とやらはクロムが思っていたよりも随分と難しい道具のように思えた。以前聞いた話と少し違い、真実を証明するために使われていたようだ。
嘘がつけないだけなら、わざと一部の真実を伏せることができる。しかしランカが言ったように〈すべての真実〉を明らかにするのなら、わざと話さないということはできないだろう。
問題はこの嘘や真実を何を以て判断するかだ。クロムが記憶を失う前に知っていたこと、行ったことのほとんどを今のクロムは知らない。その過去の事に対して、クロムが知っていることだけを真実とするのか、はたまた過去に遡ってつまびらかにするのか。どう判断されるのかによって、ランカの作戦は使えるかどうかが変わる諸刃の剣のような手だ。
「以前、俺がハイラルをどうこうしたとか聞かれる夢を見たとか言っていたな。」
「ええ。クロムがどう答えたかとか、その後どうなったかは起きちゃったからわからないわよ?」
「たしか、その場にはドレークもいると言っていたな。」
「あれ、それも話したかしら?そう、だから近いうちに見つけられるはず…でも、夢の中ではいつも縛られていたし、私たちが見つけられたってわけじゃなさそうなのよ。
どうしたの、何かあったの?」
「いや。何もない。ドレークについては何か未来が見えたりしたのか?」
「いいえ。数日ずっと寝ても夢が見れなくて、見れてもすぐに起きてしまう。もどかしいわ。」
小さく首を振るランカの表情はやはり暗い。クロムとしては彼女が暗いままなのはどうにも放っておけない。どう元気づければいいかわからないことは以前もあった。あのときは確かその時に思ったことを言ったはずだと思い出した。
「ランカ。俺にはその気持ちはわかってやれん。
今から起こることが俺がまいた種かもしれないからと言って、すべて俺が解決するとも言うことはできない。済まないな。」
ランカは変な顔をして、首を横に振り、何も言わずに部屋を出て行った。
残されたクロムは何か言葉を間違えた気がしたが、考え疲れたクロムの頭ではそれももう考えられなかった。




