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神の盤上と彷徨者  作者: 咸深
4.再開
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90.

 奇跡が起きた。クロムはそれを夢見心地で見ていた。

 鋭い牙を多く持った蛇のような魔獣は開けた口が大きく裂けて真っ二つになった。鋭い角を持った魔獣が何かにぶつかった様に弾かれて、押し潰されるように潰れた。巨大な口を持った魔獣は内側から爆発し、巨大な口だけがクロムたちを通り過ぎた。棘が生えた球体の魔獣は突き飛ばされ、他の魔獣の口に吸い込まれるようにして消えた。それを食べた魔獣は苦しがるそぶりも見せずに大きく痙攣して動かなくなった。

 幾多の魔獣がわずかな時間で無残に死んでいった、目の前の光景に信じられない思いで眺めた。

 今のはクロムの仕業ではない。クロムは何もしていない。


(今のは一体―――?)


 魔獣たちがゆっくりと沈んでいく。その血肉に紛れて、美しい銀の髪を見た。

 確かに幾度も見た姿。薄暗い海中でも明るく輝く銀の髪。身の丈に合わぬ巨大な杖に、擦り切れた外套。その隙間からは華奢な体躯が見えた。


(…あの姿は。)


 ゆっくりと杖を下ろし、銀の髪の持ち主が振り返った。その顔をクロムは知っている。夢に何度も見、そして地下神殿でも見た女の顔。

 間違いないと確信を得て、その名を呟く。


「…ラピア神。」

「ああ、グラム。久しぶりだ。」


 やはり。この女が、クロムがこれまで探していた過去の鍵を握る人物、ラピア神なのだ。

 ラピアの顔に再開の喜びはなく、記憶の中のように無表情で不愛想だった。むしろ不機嫌にも見えた。


「二年近くか?お前が祈らないせいで会えず、計画に不都合が生じている。弁明はあるか?」


 クロムはラピアの言う計画というのが何のことだがすぐにわからなかったが、すぐにクロム―――グラムが過去に彼女にしていた契りを思い出した。


「済まない。俺は以前の記憶がない。

 ここまでの道程で、俺はラピア神の使徒になったことは知っているが、あんたに会う方法やあんたの目的なんかは思い出せないでいたんだ。」

「…本当に記憶を失っていたのか。」

「ああ。昔の俺が知っていたことを俺は知らない。」


 ラピアは美しい顔を歪ませてから、少し待っていろと言い何か呪文を唱えた。クロムの額に指を当てると、指から光の糸が延びて、しかし脆いもののように砕けた。次の瞬間、クロムの額に当てた指が小さな音を立ててひび割れはじめ、腕へと広がった。


「む。」

「大丈夫か!?」

「……その外套だな、マルジュナを調伏したのか。

 こうなると私の時間がない、簡潔に答えろ。」

「な、なんだ。」

「グラムが記憶を失ったことはわかった。今の名は?」

「クロムだ。」

「クロム。〈デートルイースの鎚〉を探しなさい。未踏破の迷宮を踏破していれば、何れ手に入るはず。もし他の誰かが手に入れたのなら、何としてでも手にしなさい。」

「何のために?」

「神に対抗するために。」

「なっ…」


 クロムが驚いている間にラピアの全身に罅が広がり、末端は崩れて水に溶けていく。あまりの事の連続で困惑しているクロムに対して、ラピアは平然と続けた。


「会いたければ心から私を信じ、一心に祈りなさい。そうすればまた会えるかもしれない。」

「…わ、わかった。」 


 ラピアの姿は崩れ続けて、そのやり取りが終わった後に姿を消した。

 夢を見たのかと思ってあたりを見回したが、クロムのほかには何もいない。この階層の全ての魔獣がいなくなったかのように何の気配も無いことが、先ほどまでの絶体絶命の危機をラピアが打破したという事実をより現実的にしていた。


(…〈デートルイースの鎚〉、か。鎚、というからには打撃武器なのかな。)


 少しずれたことを考えながらも、意識を現実に戻した。今起こったことを正しく整理するのには、クロムには時間が必要だった。

 しばらく二十九層を彷徨って、漸く次の階層に進むための場所へと着いた。淡く光る柱の前で〈階層〉と唱えると、三十層に進めるようになっていた。だが先に進めるほど、今のクロムは冷静ではなかったし、疲労が酷かった。先ほど起こったことにしても、とにかく一度頭の中を整理したかった。

 転移した広場には丁度〈蒼天の翡翠〉がおり、出てきたばかりのクロムたちを見て気楽な様子で声をかけてきた。


「あ、クロムだ。」

「お。よう。調子はどうだ?」

「良くない。死にかけた。叫ぶ魔獣がいて、魔獣が次々引き寄せられてきた。気をつけろよ。」

「連戦か。よく生き残れたな。ゆっくり休んでくれ…どこか気が抜けたみたいになってるしな。

 まあ、今度また飯にでも行こう。」

「…ああ。」


 何てことない会話を終わらせ、クロムはふらふらと領主館へと戻った。

 その日はランカや侍女に声をかけられても、ザンジバルやボスポラスに声をかけられても生返事を返して何にも集中できないでいた。

 借り部屋へと戻り、いつものように布団に横たわる。ぼんやりと天井を眺めている間に、少しは迷宮で起きたことが頭の中でまとまってきた。


(まず起きたことを整理しよう。二十九層に潜った。魔獣が叫んで、魔獣に囲まれた。絶体絶命の危機に陥った。ラピアが突然現れて魔獣を一掃した。ええと…〈デートルイースの鎚〉を探せとか言っていた。それと、心から祈ればまた会えるかもと。)

(短い時間でそれだけのことしか起きていないのに、随分といろいろあったような気がする。

 すぐに消えてしまったとはいえ探し人と会えた。やっぱり人間じゃなかった。会い方もよくわからんが、祈ればいいというのはわかった、一歩も二歩も前進し………いや、そうだが、そうじゃない。

 神、神話の人物と会った、いや、これまで会っていた!

 ウルクスが言っていたことだと、確か神はあくまで人間を見守る存在で、使徒が神からの命を受けて人々を導くだとか言っていたはずだ。地上には出てこない、はずだ。)

(ラピアは最後に砕けた。あれはラピアが何か魔術を弾かれた…わけではなく、ラピア自身が魔術だったから砕けたのか?というか砕け散ったが、あれは大丈夫なのか?)

(〈白輝蜈蚣の外套〉のことをマルジュナだとか、調伏しただとか言っていたな。〈調伏〉は確かこの外套の効果にあったな。使用者を認める、とかだったか。だがマルジュナというのはなんだ?こいつは迷宮に現れた魔獣だ。それを指す言葉なのか?

 確かディンの話だと、何百年か前に迷宮が初めて見つかったはずだ。神代は何千年と昔の話だから、迷宮の魔獣を指す言葉…というわけでもないはずだ。ああいう言葉は確か神代から伝わるとても古い言葉のはずだ。)

(よくわからないことばかりが増えてしまった。

 迷宮に潜って、その鎚を探すのはラピアも必要としていた…神に対抗するためとか言っていたが、その〈デートルイースの鎚〉はラピア自身が欲しているのか?鎚の大きさにもよるだろうが、あの細い躰じゃまともに振ることもできないだろうが…。)

(まあ、いい。ただ宛てもなく彷徨ったり、ただ日陰を逃げたりするよりも、迷宮を踏破するような目標が出てきたことはいいこと…なんだろうか。)


 ぐちゃぐちゃの頭の中を整理しながら自問自答をしていると日が暮れていた。時間はかかったし、わからないこと、疑問が増えたものの心は落ち着けることができた。

 ラピアと会い九死に一生を得たこと、そしてラピアは記憶を失う前のクロム同様にクロムを使徒と見做していること、これは最早クロムにはどうしようもない。あったことを受け入れることで納得した。使徒は神に使命を与えられるものだと聞くから、迷宮に潜り続けて〈デートルイースの鎚〉を探すことも納得することにした。

 しかし、それをさせるラピアが何をしたいのかがわからない。ラピアは神に対抗するためと言っていたが、クロムからすれば深層の魔獣の群れを瞬き何回かの極わずかな間に滅ぼすだけの力があるのだから、わざわざ武器を探す理由としては乏しいように思った。


(そういえば、なんで迷宮から出ることが分かっているかのように…まあいいか。)


 考えてもわからないことはすべて思考の隅に追いやって、慣れない考え事で疲れた頭を休めることにした。何も考えないでいる時間はクロムを僅かに安堵させたが、次第にいくつもの不安が鎌首を擡げた。不安などない、楽観的に見ていた以前ならばこのようなことはなかったから、妙な焦燥感に駆られた。


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