89.
「そうですね。頼れる仲間…ですか。では、これは好奇心で聞くのですが…頼れる仲間がいなければどうすればいいでしょう?」
ボスポラスは何かを納得したように口元に笑みを浮かべていた。クロムにはそれが何かを心配事が一つ解決したときのつかの間の安堵のように見えた。仮の話をするくらいには心の余裕が出たのだ。
「…思えば、誰か仲間がいなかった状況がほとんどないから、答えられん。
自分一人しかいないなら、その時はもう一人ですべて何とかするか、逃げるか。それしか言えん。」
「逃げるはともかく、一人で何とかは無茶苦茶ですね。」
「そうだな。だが、俺はそうとしか言えん。何か参考になることが言えなくて済まないな。」
「い、いえ。まずはもっと周りに頼ることにしますよ、昔からいる信頼できる部下たちに。
尤も、彼らは父からすればあまり信用できなかったようですが。」
「…ドレークが?流れ者の俺でも信用したくらいだぞ?」
「あの時は急ぎでしたから。それに、結果としてそれは正解でした。
私の部下たちは…バティンポリス近郊より外から来た者も多いものでして、特にここ半年くらいに連れてきた部下のところは相当警戒していましたよ。」
「ふうん。」
「以前はそうでもなかったんですけどね。ここ一年か、半年くらいは少しずつ周囲への警戒が強くなっていました。
〈看破の指輪〉だって自分の暗殺の警戒もあるでしょうけど、ここ半年くらいずっとつけていました。クロムさんに貸したのは意外なくらいでしたよ。」
「そうだったのか。
そういえばドレークの足取りはどうだろう?」
「最近も街中で買い物をしていたと目撃証言が出ていますから、街中にはいるようなんですよ。出入りの管理は四六時中行っているのに、外に出た様子もない。しかし兵士たちが探すと見当たらないので、街中にいるのかいないのかもわからないという奇妙な状態でして。」
「…案外バティン迷宮にいたりしてな?」
「はは、四六時中潜っていられる場所なんですか?例えば一層にいたとして、寝込みを魔獣に襲われたら、クロムさんだって危ないでしょう?」
「ああ。だがこれがあれば魔獣が近づいてこない限りは襲われないから、意外と大丈夫かもしれんな。」
そう言って〈隠匿の耳飾り〉を取り出してボスポラスに見せる。ボスポラスは少し唸ってから、首を傾げた。
「これを着けていたら確かにわかりません。
しかし我が家で管理しているものはすべて武器庫にあります。業務の一環で最近帳簿と現物を一通り確認しましたが、この品は全部保管されていました。まさかそんなことは。」
「そうか。だが、似たような道具はほかにもあるんだ。」
そう言ってクロムは〈迷彩の鎌〉を思い描いて、〈収納袋〉から取り出してみせると、ボスポラスは突然現れた鎌に驚いて仰け反った。
「すまん、驚かせた。
これは〈迷彩の鎌〉という武器だ。こっちは十歩くらい離れないと効果を発揮しないが、〈隠匿の耳飾り〉と同じ効果がある。」
「い、いえ。でもほかの貴族の前では絶対にしないで下さいね。危害を加える危険があったとか難癖をつけられてしまいます。」
「そうなのか、気を付ける。
それはそうと、もしこういう迷宮品がこのほかにもあるのなら…。」
「迷宮に潜むときに使えるということですか。
しかしバティン迷宮は十層までが普通に潜れるといえ、広さはどうでしょう?」
「浜と岩礁といった風だから、あまり広いわけではない。ただし岩礁のあたりは隠れられる場所は多いと思う。」
「成程。なら、探す手はありますね。」
「ほう?」
「兵士と探索者たちによる人海戦術です。これはやがて見つけられるでしょうが、気付かれたら逃げられてしまいますから少し手を考えないと。」
「あ、消失を使うのはどうだ?」
「消失?迷宮で死体が消える現象でしたか?」
「ああ。その階層から誰もいなくなった時、初めて死体が消えるらしい。
つまり、全員で次の階層に移動して、戻った時に死体が消えていればその階層にいるということになるんじゃないか?」
「成程。最初の何度かは使えそうです。尤もそれを見て父も階層を移動したら死骸も消えますから、そのときはわからないですが……悟られないよう勧められれば有効なはずです。
自分では思いつきませんでしたよ。」
迷宮の消失を使った捜索についてああでもない、こうでもないと考えを巡らせていたボスポラスだったが、すぐに次の予定のために席を立った。
応接間に残されたクロムはそのまま一人で椅子に腰掛けて考え事をしていた。考えているのはリュドミラのこと、ドレークのこと、そしてランカと新たに来るらしい神殿長の事だ。ほかにも、迷宮の事、過去の自分とこれからの事と考えなければならないことは沢山あったが、あれもこれもと考えると頭が痛くなってきてしまった
一先ず最近起きたことでやらねばならないことから考えた。
(…まずは、ランカの事かな。)
(三層の魔獣を倒せるなら、駆け出しの探索者より強いくらいになる気はするが、本人は満足していないんだよな。三層はまだ相手の動きは鈍いし攻撃も緩慢だからいいが、もう少し進めば魔獣の強さはぐっと上がる。ランカ一人で戦うと危ないだろう。)
(リュードは俺に着いて来る気でいるから、ランカの護衛にはならないだろう。
領主が抱えていたとかいうなんとか言うパーティもいない今、この後の護衛はどうするつもりやら。
案外いなかったときのために護身を覚えようとしているのか?何かと物騒だし、戦えるに越したことはないんだが。)
(あと十日少しだったか。
それまでにドレークを見つけて、バティン迷宮を踏破して、それからリュードを連れてここを出る?そんなに都合よく話が動くだろうか。
今一番進んでいるのが迷宮探索とは。つくづく俺は戦うことしかできないのだな。)
明日ランカは勉強漬けだ。迷宮に行く代わりに、きちんと勉強はさせられるようだ。護衛は必要ないから、迷宮へ挑もうと思った。
その日の夕食は白身魚と蕪の煮物だったが、普段の倍は食べて英気を養った。
バティン迷宮二十九層へ降り立った。以前もこのあたりの階層に近付いたとき、押しつぶされるような圧迫感があった。この層は殊更強い緊張感と高揚感を覚えた。
(もうすぐだ)
(この階層、ではない。もうすぐ、次か?その次か?)
(もうすぐ、最深層だ。)
(待っていろ。お前に恨みはない。だが、俺が、俺たちが生きるために倒させてもらう。)
魔獣はさらに巨大になり、クロムの四倍近い大きさの魔獣も増えた。ふとした瞬間に遠くから視線を感じ、人間と違う澱んだ瞳に睨まれたときは心臓が縮んだ。
恐怖を押し殺して足を動かす。魔獣は遠い。遠巻きにクロムを囲い、時に仲違いするかのように嚙みつきあい血を散らせていた。
闇の中から静かに小さな魔獣―――この階層に限って言えばだが、クロムの背丈ほどはある―――が現れる。クロムはとっさに剣を突き立て、魔獣の目を貫いた。
魔獣は大きく痙攣したかと思えば、これまで戦ってきたこの迷宮の魔獣では信じられないことに水中で叫んだ。
「ボォー――――――――――――――――――――!」
この迷宮の魔獣は声を上げない。これまでの経験と違うことが起き、クロムは反射的に耳を塞いだ。
魔獣の断末魔は瞬く間に遠くまで広がり、魔獣たちの注意を引いた。叫んだ魔獣は力尽きたのか底へと力なく沈んでいく。その間にも近くにいた魔獣が一匹、また一匹とクロムへ向かってきた。
最初の数匹は幸いというべきか仲違いしていた手負いの魔獣たちで、〈夜叉の太刀〉で攻撃すればもともと付いていた傷のせいもあってか簡単に倒せた。しかしその魔獣たちを相手にしている間にも、次々と新たな魔獣が集まってくる。
(…〈海鳴りの爪〉!)
〈夜叉の太刀〉だけでは相手ができないことを悟り、左腕分だけの〈海鳴りの爪〉を装着する。少しでも攻撃力と手数を増やす苦肉の策だった。左腕はとにかく動かし続け、右腕で剣を振るい魔獣に傷を増やす。そうすれば遠くないうちに〈海鳴〉は発動するし、近づく魔獣とも何とか戦うことができる。
無心に剣と爪を振り回す。一匹の魔獣から距離を取ればほかの魔獣との距離が詰まる。深く潜れば暗闇に覆われてしまい、攻撃の回避すら儘ならないから明るいところで戦うしかない。
陸上ならばこの作戦で対抗できただろうが、生憎ここは海中であり、前後左右、そして上下から魔獣が襲ってくる。
そのすべてを回避して攻撃を続けるのは無理があった。必死に回避と攻撃を続け、方向感覚を失ったとき、背後から魔獣に右脇腹が食い付かれた。〈白輝蜈蚣の外套〉と鎧蜈蚣の鎧が魔獣の攻撃を防いだ。食い付いてきた魔獣の首に剣を突き立てて強引に引きはがしたものの、クロムの必死の猛攻は止まった。それを好機と見たのか魔獣たちが一斉に襲い来る。
(まずいっ…!頼む―――ラピア神よ!力を貸してくれ!)
魔獣たちが迫る。必死の思いで二度振った〈海鳴りの爪〉は、〈海鳴〉を発動しなかった。
二匹の蛇のような魔獣がクロムへ到達し、クロムに喰らい付こうとしたとき。
「待っていたぞ、グラム。」
夢で聞いた声が聞こえた。




