87.
翌日は一人でバティン迷宮に潜り二十八層に挑戦した。リュドミラは昨日の続きだと言って別の依頼に向かった。
途中、奇妙な水の流れを感じ、流れの先を辿れば銀色の柱を見た。更に近付いて正体を見れば、それは小さな魚型の魔獣の群れだった。渦巻くように同方向へ向かってすさまじい速度で泳いでいて、十数歩は離れているのに周囲の水が魚群に向かって吸い込まれるように流れていた。〈海鳴りの爪〉があったから短い時間で蹴散らせたが、なければ群れの回遊に巻き込まれてただでは済まなかっただろう。
この一戦だけで大量の魔獣を倒したというのに一匹も書き変わりが起こらず、大量の死体が周囲に浮いた。苦労のわりに合わない戦いだったことに少しだけ苛立ちを覚え、せめて金に換えられないかと思って死骸を〈収納袋〉に入るだけ入れた。
この群れとの戦いで思いのほか消耗したクロムは次の階層に挑まずに地上へと戻った。
大量の魚の魔獣の死骸を持って帰り探索者協会で買い取りを頼むと、何も言われずに買取が行われた。食べられるものなのか、防具や装飾に使えるかもわからないものにしては一匹当たりは少額だが、量が量だっただけに金貨一枚分と銅貨数枚程度の値になった。やはり実入りと労力は見合わなかったが、多少の苛立ちは紛れた。
日が延びてきたとはいえまだ日が落ちるのは早い。薄暗い路地で〈浮き灯り〉を取り出すと魔力を流し込む。体の中の力がごっそり抜き取られたような気分になったが、甲斐あってなのか〈浮き灯り〉はふわりと宙に浮き、クロムの先を照らした。領主館に戻っても〈浮き灯り〉は煌々とあたりを照らしていた。
〈浮き灯り〉が珍しいのか、気づいたランカがいろいろと聞いてきた。使ったはいいが切り方である魔力を抜き取ることができないと言うとランカが杖で〈浮き灯り〉を指した。クロムが込めた魔力を散らしたのか抜き取ったのかはわからないが、すぐに灯りが消えてクロムの手元に移動した。
「面白いわね。私がやってみてもいいかしら?」
「ああ。」
ランカに〈浮き灯り〉を渡すと、灯りを点けたり消したりを何度か繰り返した。やがて飽きたのかクロムへと返した。曰く、沢山魔力は入らないが少しの魔力で長い時間持ちそうだとのことだった。
ごっそりと魔力を取られた気がしていたが、クロムの体内魔力は普通の人間よりも少ないから、普通の人間よりも多く魔力を消費する感覚がするのだろうと思いなおした。
「あ、そうだ。クロム。今、だれだか知らないけど、女の人とバティン迷宮に潜ってたりする?」
「うん?ああ。」
「そう。…やっぱり、教えない。面白くない。」
「なんだ?何か見たのか?」
「べーっ!」
ランカは面白くなさそうに舌を出して、泣きついてこなきゃ教えてやんない、と言い残して部屋へ戻っていった。
クロムは首をかしげていると、ザンジバルに声をかけられ、書斎へと移動した。軽食を用意するように執事に言いつけて二人きりになった時に、さてと前置きして話を始めた。
「クロム、今バティン迷宮に潜っているんだよな。何層に潜った?」
「二十八層だ。」
「すごいな。十五層以降はこの間まで前人未踏だったはずなんだが。」
「あの迷宮の難しさは水中での戦いということと、魔獣が比較的巨大で動きも俊敏なものが多いことだと思う。俺も今の装備がなかったらそこまで潜れていないと思っている。」
「そうか?今日、お前が持ち込んだ魔獣の死骸の詳細を知りたいってやつがいてな。
一応食えるようだが不味くて食えたもんじゃない。鱗は硬いが一定の方向からの衝撃に脆くて使えない。だが肥料にすれば結構良い肥料にできそうだって話が出てるんだ。この魔獣は鰯って魚に似てるから、生態も近いと予想されている。
実際のところどうなのか教えてくれ。」
「なんだ、そんなことか。
あいつは巨大な群れを作っていて、同じ方向にぐるぐる回るように泳いていたんだ。最初に見たときは銀の柱かと思った。」
「鰯と同じだな。」
「そいつらは凄い速度で泳いでいて、割と遠くの水もその群れに引き寄せられるように周りの水を吸い込むかのように引き寄せていた。」
「どれくらい離れていた?」
「群れから十数歩離れていても結構強く引き寄せられたな。とどまれない程度ではないが。〈鰭の足環〉が良いものでないと引き寄せられたかもしれん。」
「ふむ。」
「あと、群れが相当な数だった。あれに巻き込まれたらただじゃ済まないだろうな。俺も一部だけ持ってきたんだ。」
「あれで一部か。」
「〈海鳴りの爪〉が無かったらそもそも戦えなかっただろう。」
「ああ、あの範囲攻撃ができる迷宮品か。範囲攻撃が必要なら、術士だったら一網打尽にできそうか?」
「さあ?広い範囲を攻撃できる、威力も強力な魔術が使えるならできるかもしれないが…もしあれが群れで突っ込んでこられたら苦しいだろうな。盾役がいても飲み込まれるだけだろうから、一撃で全滅させないといけない。」
「そこまでか。クロムはどうやって倒したんだ。」
「遠くから〈海鳴りの爪〉で〈海鳴〉を狙った。振り下ろすように振った時に発動したから、一気に崩せた。あとはひたすら爪を振り回していたら倒し切れた。」
「そ、そうか。なら安定して供給は無理だな…。」
ザンジバルは諦めたように嘆息してクロムに礼を言った。
農業区の者たちから春先に使う肥料が足りないという話が出ていた。普段なら春先は余った薪を燃やして肥料にして、夏前頃には大量に獲れる鰯を乾燥させて堆肥にしていた。しかし今は薪不足が祟ってその肥料が足りないという。
苦肉の策として探索者協会が今日大量に納められた魚型の魔獣の死骸を出した。堆肥に詳しい者が見たところ、鰯に近いのなら堆肥に使えるかもしれないということで思いの外高い評価が付いたのだ。
「いいシノギになりそうってことで、どこら辺から出て魔獣かとか聞きたかったんだが、二十何層だかじゃやっぱり無理だな。」
「そうだな、だがまあ、また見つけたらやれるだけやってみよう。」
「ああ、そりゃ助かる。
ああ、あともう一つ。親父の足取りが分かった…わかったんだが。」
「おお!見つかったか?」
「ああ。農業区の端に潜んでいたって証言があった。だが捕まえに行ったら蛻の殻でな…。」
「そ、そうか。しかし何してるんだろうな?」
「さあ?だが、あいつが俺たちを困らせる悪戯めいたことをするのは時々あったんだ。今回もそれかもな。
或いは〈盤割の鎚〉どもをおびき寄せる餌になるつもりだったのかもしれないが……なんの相談もしてくれなかったからそこまではわからん。まあ、生きてるみたいだしそのうちに捕まえられんだろう。」
楽観的にそう言ったザンジバルだったが、心配事が増えたかのように曇った表情をしていた。クロムは何か声をかけるわけでなく部屋へと戻り眠りについた。
翌朝からはリュドミラと一緒にバティン迷宮へと潜った。七日かけて二十三層まで進んだ。最早クロムは当初の考え―――難癖をつけて突き放すことができないほど、リュドミラの能力が高いことを理解した。リュドミラ一人でも十五層まで攻略できる以上、強さを理由に突き放すこともできなくなってしまった。十六層以降はクロムの補助に回ったのだが、魔獣の動きを止めたり、欲しいときに〈力〉や〈回復〉が飛んでくるのだから、補助が不十分という理由も付けられない。探索中も警戒を怠らず、きちんと周囲を警戒しながら進んでいる。集中力も十分なのだ。
(あいつら、リュードにどれだけ仕込んだんだ。余程厳しくしたのか?)
二十四層を共に攻略したとき、いよいよクロムはリュドミラの実力を口実に着いて来ることを拒否はできないと感じた。もともと帝都の迷宮で中層までは潜れていたのだから、若さも合わせて深層まで潜れるようになるのは時間の問題だったのだろう。
クロムにはこのまま誰にも何も言わずに去る選択もまだあったのだが、約束を一度破っているのだから、リュドミラを置いて帝都を出たとき二度目はもうないと―――尤も何が「ない」のかは言葉にできなかったが―――感じていた。
「もう二十四層まで来ちゃったね。クロムは今何層まで潜れたの?」
「二十八だ。」
「じゃあ、もうすぐだ。クロムに認められるように頑張るから。」
「…ああ。」
地上へと戻ってから、明後日にまた迷宮に潜ることを伝える。明日はランカが神殿に向かうと聞いていたためだ。リュドミラは一日ゆっくりと過ごすと言ってクロムと別れた。
ランカは今もドレークの身を案じてあらゆる未来を見続けている。話ができるときに聞いてみたが、その状況は芳しくない。それでも時折街中でドレークの姿を見るというのだから、無事に過ごしているのだろうことはわかった。
いつぞボスポラスはあえて不安定な情勢を作ることで残る反乱分子をあぶりだそうとしているのかもしれないと言っていた。理由があって離れているとしても、家族を不安にさせてまですることかと思い問いただしたい気持ちが沸いた。
久しぶりの護衛の仕事として、神殿へとランカを送り届けた。護衛など要らないくらいに街は平和だった。主要な通りでは人の往来が多く、だれもが冬至のころから立ち直っていた。それは神殿も同じで、三の月の半ばに新たな神殿長が就任するとカーンは語った。それはあと三十数日程度の間、クロムに猶予が残されているということだった。
ランカが勤めを終えたのは夕方に差し掛かるころだった。神殿の儀式で、ランカが執り行う手はずだったようだ。クロムはその場に立ち入ることができなかったためその間ランカが何をしているかわからないまま悶々と庭で待機した。
神殿という場所は―――バティンポリスが特にそうなのかはわからないが―――人々が多く集まり、ひと時を祈りのために訪れては帰っていく。
神がそこにいるかどうかもわからないのに像に願い満足する姿はクロムからすれば奇妙ではあったが、多くの者たちがそうしていた。
ウルクスからかつて己が信仰を奉げる神を選ぶものだと聞かされたが、信仰とは果たしてどういうものなのか、とふと思った。人々の往来を見ながらそんなことを考えていたが、結局信仰とは何ぞという問いを解らずにいた。
そうしているうちにランカが戻ってきて、領主館まで護衛した。道中、ランカに信仰とは何か尋ねてみた。
「信仰?そう難しいことではないと思うけど。
畏敬を込めて、変に疑わずそうだと信じればそれは信仰になりえないかしら?」
信仰というものが疑わぬ心を持つことだと言葉の上では理解したが、クロム自身が納得いく答えは得られなかった。しかし何がおかしいと言われると、クロムには言葉にすることはできなかった。
(ラピアをどう信じればいいんだろうな。グラムはラピアを信じていたみたいだが、俺はそんなものかと言って信じる気にはなれない。わからないものだな。)
ランカの護衛を終えてから、クロムはバティン迷宮の二十層に潜った。何かをしたいわけでなく、一日殆ど動かさなかった体を動かしたかっただけなのかもしれない。魔獣を裂いたり刻んだりしているうちにクロムも心が落ち着いたのか、四十幾柱もいる神々については考えないことにした。代わりに、自らに関係のあるラピアのことだけを考えた。
(ラピア。お前をただ信じればいいのか?お前が俺につながりがあるというなら、何か言え。)
魔獣にとどめの一撃を加えながらクロムは心の片隅でそんなことを思った。クロム以外誰もいないこの場で答えるものは当然いない。
(…応えないものを信じる、か。困難だな。)
沈んでいく死骸を見ながらクロムはふと気が付いた。今思ったことはクロムとリュドミラの関係にも当てはまる。信じているのはリュドミラで、クロムはそれに応えていない。
(ああ。リュードは俺を信じているからついてこようとしているのか。)
リュドミラと共に行くことで受けられる恩恵は大きい。探索者の能力は勿論、人柄も良いからクロムのように人から怖がられない。良いところの出に見えてもそれを感じさせない喋り方はむしろ探索者たちには警戒されず、女の探索者たちからはよく可愛がられているようだった。
(リュードを否定する理由はもう俺には思いつかない。
なら、リュードを巻き込んでも、必ず守ろう。リュードと共に挑む未来を信じよう。ここまですべてを賭けて俺を信じてくる人間を、俺は知らない。
……まだ俺が応えられていないだけだ。)
げんなりとした気分でクロムはその日はもう帰って寝ることにした。クロムとしても既にリュドミラが肩を並べられる仲間として認めていることは事実だ。そう思うと、リュドミラの誠意から逃げるクロム自身が相当酷い奴に思えた。
―――
「そういえば。なぜおまえは地上にいるんだ?」
冬の夜、暖炉で爆ぜる炎をぼんやりと見る者たちがいた。暖炉に火を入れる前に比べれば部屋はだいぶ暖かくなってきたが、隅からは隙間風が入ってくるため時折二人は身を震わせた。
新たに入れた薪が爆ぜたとき、そのうちの一人、黒髪の男は何気なしに銀髪の女に問いかけた。女は少し怪訝な顔をして答える。
「…お前たちの有史において、私が天上から追い出された話は有名だと思うが。」
「いや、天上世界というやつは地上とは違うのだろう。なら、普通に現れられるのは変に思えてな。」
「おかしいことはない。例えばヴェタやセリクルテス、それからラコンティンフィオ、エノディナムスは時折地上に降りて活動している。」
「なにっ神が地上に現れるのか?いや、人間に紛れているのか?」
「いる。ただし、この戦いに加わっている奴は神の力を封じて顕現するから、戦うことは厳しいだろう。」
「そいつらは、人間でもやりあれば勝てるか?」
「お前はそればかりだな。
無理ではないが、神を甘く見るな。数段力を落としたとしても人間では太刀打ちできないだろう。」
「そうだったか。」
黒い男が薪を投げ入れる。ちろちろの炎が新たな薪を舐めて、やがて火が移った。
「…私に頼めば、この部屋くらいすぐに暖められる。」
「あんたがいなかったときに困るからな。普段の通りでいいんだ。」
「非合理な。」
「何とでも言え。」
「はあ。グラム、貴方は日常というものに信仰でもあるの?」
「さあな。だが、昔から誰もが言うように何かを無条件に信じるというのは悪いことではないのだろう。」
「…そうだな。信じられるというのは、良いことだ。」
「神にとっては本当に良いことのか?最早俺は神などまともに信じてないぞ。」
「信仰とは別に神々を信じることだけではない。他人、そして物事を信じられるということは心配事が減るだろう。」
「そうすると神にとって信仰とは何だ?お前たちは信仰を集めているんだろう?」
「信仰とは理屈や理性ではなく、心でそうだと信じ、感じるものだ。そしてそれは神も人も変わらない。
それから、神が信仰を欲しているのはあくまでゲームのためだ。信仰の割合はゲームで非常に重要視されているが、信仰自体は神々にとって必ず必要ではない。」
「げーむ?」
「…何前年も続けているこの茶番さ。」
女は宙に指で何かを書くように動かすと、隙間風が止み、暖炉の火が消え、そして部屋が暖かくなった。
「おい。」
「私はもう寝る。寒いのは嫌だ。」
「…そうか。」
黒い男はしばらく消えた暖炉の煙を見ていたが、煙が見えなくなってから同じように眠ることにした。
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