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神の盤上と彷徨者  作者: 咸深
4.再開
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84.

 〈遠洋の灯〉たちが〈蒼天の翡翠〉に気付いた。〈遠洋の灯〉は今回の探索でサレオス迷宮十二層を突破できたと、騒いでこそいなかったが浮かれた様子で鰐型の魔獣の皮を全員で担いでいた。

 その一番後ろ、一歩引いた位置にその人物がいた。魔術が得意で育ちが良いらしい、リュードと名乗る女の特徴、そして今し方見えたその顔は帝都を奔出する前に見た姿よりすこしやつれているが、その顔は記憶にある。リュドミラ・オルドヴスト本人だった。

 ガントとヴェイロンが手を挙げて〈遠洋の灯〉を呼んだ。それに気付いた様子のヘレン達はこちらに会釈した。そのときに視界が開けたのか、クロムと目が合った。鈍色の髪の女はクロムの姿を捉えると、目を見開いて持っていた革を床に落とした。


「クロム、さん?」

「…久しぶりだな。」

「あれ、リュードちゃん、クロムさんと顔見知り?」


 ヘレンの問いかけにも答えず、リュドミラがクロムへと駆け寄る。そしてクロムの前まで詰めると、クロムの頬を強く叩いた。その音で周囲は水を打ったように静まり返り、思わぬことに誰もが動けないでいた。


「どうして置いて行ったんだ!」

「…すまん。」

「こっちは心配したんだ!ライオネルも騎士隊のみんなも!〈深淵の愚者〉のみんなも!ディン教授とタイデン教官だって!みんな心配してたんだぞ!サイラスなんか毎日探し回ってたんだぞ!」

「すまん。」


 そんな中唯一動いたリュドミラは周囲の視線など構わずにクロムに抱き着いた。クロムは引きはがそうとしたが、がっちりと組まれてしまい、引きはがせないでいた。


「すまんで済むと思うな!あんなわけわからない手紙で!」

「すまん。」

「クロムさんが話してくれるまで話さないからな!」

「それは困る。だが話せん。」

「じゃあ離さない!」


 リュドミラは熱くなって回りを気にしないでいたが、クロムは動揺したとはいえ冷静でいた。当然周囲の様子はわかっていたし、あちこちから冷やかすような視線を受けてしまいこの場に居づらかった。


「…わかった、順を追って話す。だから一旦場所を移さないか。」

「…うん。素材売ってくるから、少し待っていて。もし逃げたら地の果てまで追っていく。」


 低い声でそう言うとリュドミラは一旦クロムから離れ、妙に輝いた顔をした〈遠洋の灯〉たちと素材を売却しに向かった。


「クロム。何があったか知らねえが年貢の納め時だなァ。ルーカス、入り口塞げ。」

「うむ。」

「女を捨てて逃げてきたなんて到底許されないよね。逃がさないよ。」

「何があったの、リュードちゃんとさあ。痴話喧嘩にしてはちょっと違うかなー?」

「クロム、約束を破るのは最低だぞ。」

「…わかっている。」


 〈蒼天の翡翠〉がにやにやとしながらクロムの肩や腕を掴んだり、あるいは鞘に納められた武器を突き付けた。周囲で成り行きを見守っていた者たちも壁を作るかのようにクロムを包囲した。思わず身構えたが、ここで暴れても何の得にもならないことはわかっていたから、クロムは椅子に腰掛けなおすと腕を組んでリュドミラを待った。


「お?逃げないのか?」

「この期に及んで逃げないさ…。」


 誰かが煽りを入れたが、早くもクロムはリュドミラから逃げることを諦めて、開き直っていた。むしろどう説明したものか、と必死に頭を巡らせた。

 以前から考えていた通り、クロムは森林神の使徒ハイラルとその部下を斬り殺して神殿と事を構えるかもしれないということを誰かに伝える気は一切無かった。

 この冬が終わり各地に情報がいきわたるようになれば、森林神の使徒が失踪したとわかれば、当然最後の目撃証言は帝都センドラーで誰かを追っていたことになるだろう。そうなればすぐにクロムを追っていたとわかってしまう。それは帝都の情報屋から簡単に流れ出る。


(使徒を殺したらとんでもない大事というのは、ランカを護衛してよく分かった。

 やはりあいつを巻き込むわけにはいかん。ぼかすにしろどこまで話すか。説明が難しくなるな。)


 瞑目して待っているとやがてリュドミラたちが戻ってきた。それを見た人の壁が開いて、リュドミラを通す。リュドミラは少し意外そうな顔でクロムを見た。


「今度は待っててくれたんだな。」

「なに、逃げられなくてな。」

「クロムなら逃げられるでしょ、強引に。」

「こんなところで暴れる気は無い。」

「そう。…ここじゃ話せないんだっけ?」

「ああ。」

「じゃあ、場所を移そう。」


 クロムが立ち上がると、周りの者たちも一斉に立ち上がった。皆クロムとリュドミラの関係を気にしたのか、それとも場の雰囲気に流されてかはわからないが、建屋を出てからも大勢が付いて来た。ぞろぞろと着いてくる探索者たちを見て、クロムは小さく嘆息した。


「リュード。これを付けろ。」

「え?…耳飾り?」


 〈隠匿の耳飾り〉をリュドミラへ着けさせ、クロムも同じく装備する。すぐに効果は画期され、探索者たちの視界から消えた。そのことに動揺した者も多かったが、冷静な誰かがクロムたちが消えたからくりを看破した。


「〈迷彩〉か〈隠匿〉だ!寄れ、寄れ!」

「チッ。声出すなよ。」

「え?うわっ!」


 リュドミラが〈隠匿の耳飾り〉を付けたことを確認して、リュドミラを担ぎ上げて走り出した。〈蒼天の翡翠〉をはじめとした実力ある探索者は突然動いた気配を感じて、追えと叫んで走り出した。

 人通りは少なくぶつかる心配はないのだが、雪掻きされていない道では足跡が残ってしまった。それを見つけた者が他の者を呼び、路地をいくつも曲がって浜へと出、波打ち際を歩いて足跡を消しながら歩いた。波の音に紛れて、遠くで喧騒が聞こえた。


「…クロムさん、そろそろ下ろして。おなかに肩が当たって痛くて…。」

「ああ、すまん。」

「まあ大丈夫なんだけど…。当時よりも前に黙って帝都から出て言った事、話して欲しいんだ。何があったの?」


 リュドミラを下ろしたときにクロムを逃がすまいと手首をつかんだ。呼吸を整えて、リュドミラへと向き直った。

 クロムは覚悟を決めて口を開いた。


「…帝都では。」

「うん。」

「変な奴らに追われて、それで逃げてきたんだ。」

「うん?」

「そいつらが言うには神殿が背後にいるらしくて、事を構えたくないからここまで来た。」

「はあ?」


 リュドミラは形のいい眉を顰めて、クロムを掴む手に力を込めて、まるで嘘を言うなと言わんばかりに睨みを利かせた。


「なんで神殿が出てくるの?ただの破落戸に神殿が味方するわけないじゃん。」

「神殿の関係者だったらしい。」

「どうやって知ったのよ。」

「あいつらが言っていた。」

「クロム。そんなことで神殿が動いたら、神殿が馬鹿よ。

 まあ、使徒様が殺されたとか襲われたって言うなら一大事だけどさ。」


 図星を突かれてクロムはリュドミラから少しだけ目線を逸らした。それを見たリュドミラも違和感を覚えたのか眉を顰めた。


「……そうだな。だが、使徒とわかって襲撃を仕掛けるような連中もいるんだ。」

「でもクロムさんには関係ないでしょ?」

「そうでもない。海の神の使徒ランカを守るために、〈盤割の鎚〉とかいう奴らを斬った。」

「それは貴族家が協力して潰走させたって聞いたけど。

 …ああ、もしかして使徒を守った強力な護衛ってクロムさんだったんだ。巷では結構話題だよ。」

「なんだその話は。」

「可憐だが無防備な使徒様の命を奪わんと現れた襲撃者に風の如く立ち塞がって鎧袖一触、混乱する場から使徒様を連れて安全な場所に隠したって。」

「…そんな話になってるのか。」

「シュフラット様がそう喧伝してたよ。だから、ある程度は本当の事だろうと思う。

 本当にそんな奴らに目を付けられたら大変だよね。今はクロムさんの話してくれたことを信じることにするよ。」


 シュフラットがクロムやランカを良く言っているとは意外だった。ランカとのやり取りやドレークからきいた限りでは、今回のようなことがない限りは領主側にあまり肩入れしないのだろうと思っていたからだ。


「…でも、俺を置いていくことはなかったんじゃないの。」

「あの時はどうすればいいかわからなくて頭がいっぱいだったんだ。

 だがなぜリュドミラはここに居るんだ。」

「わた…俺もここに来たのは。」

「話しやすいように話せ。呼び捨てでも俺は気にしない。」

「…わかった、ありがとう。私がこっちに来たのは、行き先がバティンポリスじゃないかと思って。」

「なんでそう思った?もっと南に言っていたかもしれないだろう。」

「実は、探索者協会でうちに手紙を届けたのはコガナだったんだ。

 丁度知り合いの村長が来ていて、手紙を出そうとしていたところに出くわしたんだって。」

「…嫌な偶然だ。」

「私からすればいい偶然だったもの。その時に世間話で、その男が西に向かったって聞いたの。私はハルトたちの結婚を見届けて、オルドヴスト家に絶縁状叩きつけて、兄上の部屋を吹き曝しにしてから…途中の村で手伝いとかして泊まらせてもらいながらここまできたの。」

「そ、そうか。結局、家族とは解り合えなかったのか。」

「話は通じたし、誤ってもくれたから悪い人たちではなかったけどね。でも私も婚姻とか補佐とかはやっぱり納得できなかった。ここまですれば…ジジイとか父上たちが兄上を何とかするでしょう。

 でも、何があってもこの道に進むって決めた。きっと後悔はしないわ。」


 どちらからともなく、ふうっと長く息を吐いた。疑われはしたが、クロムがリュドミラに隠したかったこと…帝都の騒動でハイラルを殺したという内容は隠した。リュドミラもまた何か心の中で一つ整理がついたようだった。


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