80.
〈蒼天の翡翠〉と別れたクロムは〈遠洋の灯〉に会った。早速〈遠洋の灯〉から手合わせを申し込まれ、軽く相手をした。驚いたことにアーノルドとヘレンはこの短い間に相当体力が着いたのか、ずっと動き続けてもまだ攻撃に切れがある。ミネとマルロはそれほど体力は着いていないように思えたが、実は魔術を身に着けたらしく、牽制のために〈氷〉や〈土〉を放ってきた。〈白輝蜈蚣の外套〉を着ていないために回避に専念したが、不意に魔術を放たれて生身で受けたときは、強く殴られたような痛みを感じた
手合わせはクロムが買ったのだが、最初に会った頃とは違い随分と探索者らしい戦い方になってきたように思った。
「驚いた。短い間なのに強くなったな。」
「へへ、私強くなったって!聞いた、アーノルド?」
「ありがとうございます!クロムさん、こいつはともかくマルロとミネも強くなってますよね?」
「ああ、全員強くなっている。」
クロムは思ったことを言っただけだが、彼らにとってはうれしい言葉だったようで疲れた体を無理やり起こして頭を下げてきた。
「クロムさんのおかげですよ。どう力を伸ばしていくか決まってなかったところに、ひたすら走れって助言をくれたんですから。毎日朝に砂浜で走り込みしてるんです。
最近は〈蒼天の翡翠〉の皆さんからも教わってますし、彼らとは別に魔術を教えてくれる知り合いができまして、彼女から教えてもらってるうちに魔術の腕がどんどん上がっているんですよ。」
「そうか。皆頑張っているんだな。」
「はい、もう少し力とお金を貯えたら別の町に行こうと思ってるんです。帝都で活躍するっていうのはまだまだ遠い話だったのが、今は手を伸ばせば届くくらい近くにある気がして。」
「いいじゃないか。頑張れよ。」
「はい。俺たち全員、もう少しで三級になれそうなので。まずはそこまで、です。」
どこかで聞いた話では三級探索者にもなれば一端の探索者として一目置かれるのだという。迷宮の情操を無理なく探索できる強さと少しの普遍的な知識、そして時間があれば三級になることは難しくない。戦闘力が高ければクロムのようにすぐに三級になることはできる。
だが、二級までの壁は厚く、昇級の水準を満たせずに燻っている者や実力はあっても等級に興味のない者、彼らのように一先ずの目標として成った者などが混在するために最も実力差が激しい級位でもある。彼ら〈遠洋の灯〉はまだまだ戦いでは弱いほうだが、ひたむきさがあり伸びしろも十分あるように思えた。
「あ、そうだ。そういえばその魔術を教えてくれた人、クロムさんを探してるみたいですよ。」
「俺を?」
「はい。前に、人探しの依頼で黒髪の人を探しているって人がいました。」
「どんな奴だ。」
「ええと…綺麗な灰色っぽい髪をした、若い女の人。私より少し高いくらい…そこの植木の…あの枝くらいだったかな。でも一人称が俺とか、粗雑な言葉遣いで…あれ、そういえば名前教えてもらってない。」
「あ。確かに。今度会った時聞いておきますね。
そうだ、あと長い杖を持っていました。あれはきっといい杖ですよ。」
「…術士か?いたかな、そんな知り合い。」
クロムは一度リュドミラのことを思い浮かべた。最初に彼女に会ったときは言葉遣いが乱雑だったし、術士だ。だが、ヘレンが指した枝はクロムの肩くらいの位置だ。クロムの知るリュドミラはそこまで背が高くはなかったはずだ。
はて、と首を傾げながら探索者協会を出て、その日は大通りへと足を運んだ。ランカの護衛で時折来ていたが、一人で回るのも久しぶりだった。
途中でブラインとヘルリックを久しぶりに見かけたものの、今日もやはり忙しそうで、クロムに気付かないまま足早に雑踏に紛れていった。商人は忙しそうだと思いながら、武器の手入れ道具や新しい衣類を買って回った。何か所も見て回っていたらもう日が落ちようとしていた。途中の露店で鳥の串焼きを数本買って領主舘に戻れば、ランカに見つかって買ったものを強請られた。
「クロム、それ私にももらえない?」
「それは…貴族?淑女?としてどうなんだ?」
「まあ、あれこれ言われるだろうけど、でもまだ成人してないから子供だもの。」
「付き人か厨頭にでも作ってもらえばいいだろう。」
「たまにはこういうのが欲しいの。」
「ふうん。まあいい、夕飯が近いから一本だけだぞ。」
「はーい。」
夕餉を澄ませてからはのんびりと横になっていた。〈蒼天の翡翠〉たちと話したところで、魔獣に対する対策が得られなかったのは予想外だった。だが、確かにバティン迷宮で戦うのは相当難しい場所だし、以前まで十五層までしか探索されていなかったと聞くから、烏賊や蛸のような魔獣を相手にすることは多くなかったのだろうと思えば納得できた。
布団に入って考え事をしているとやがて眠くなって、そのまま寝た。夢は見なかった。
深夜、少しの肌寒さと喉の渇きを覚えて目が覚めた。
普段部屋を暖めるのに使っている魔道具のおかげで冬だというのに暖かく過ごせるのだが、魔道具が起動していないのか部屋は冷えていた。
徐に部屋を出て食堂へと向かう。水瓶から水を汲んで、喉を潤して部屋へと戻る。
窓の外は暗くてよく見えないが、しんしんと雪が降っていた。
(明日は街の外には出れないだろうな。なら、バティン迷宮かな。)
(だが、迷宮を攻略したとして、本当に神殿とのいざこざを回避できるのか?)
(いや、ランカはできるかもと言っただけだ。考えるのは止そう。)
酷く冷える朝だった。部屋の中だというのに息は白く、唯一布団だけが温かい。窓の外は雪が深々と降り、窓の縁には雪が積っていた。素早く外套を着こんで、装備を整えた。領主館を出るときにすっかり顔なじみになった門番に挨拶して街へと降りた。
準備をしてからバティン迷宮十五層に潜ると、魔獣に一気に近づいて一撃を加え、その勢いのまま離脱する。血を吹き出した魔獣は暴れていたが、いつものように他の魔獣が襲い始め、見る間に食われていった。その様子を眺めながら、クロムはどこかで疑問を感じていた。
(やはり、俺が強くなったというよりも周りの魔獣が強いだけな気がする。
正面から倒せば晴れるかな。)
早速次の獲物を見つけると、〈隠匿の耳飾り〉を外す。次に標的にした魔獣はこの迷宮でよく居る魚型の魔獣だ。同じように一気に魔獣に近づき、〈巻雲〉で一撃を加える。魔獣の腹が大きく裂け、同じように暴れ始める。違うのはクロムが再び魔獣に向かって行ったことだ。再び斬りつけて横を抜ける。
距離を取ったところで、魔獣の傍を見たが、他の魔獣は一切近づいていなかった。魔獣はクロムの姿を捉えたのか、口を大きく広げてクロムへと迫った。飲み込まれたら逃げられないだろうが、クロムもそれに飲まれるほど遅くもない。素早く右足を蹴って進路を変えて免れた。魔獣も避けられたのは目で追えていたのか、血を撒きながらも再びクロムへと向かってきた。同じように避けたところで、躱しざまに魔獣の左目を裂いた。
魚と同じ様に正面に目が無い魔獣にとって片側が一切見えない状態は、最早敵にいいように捌かれるだけだ。
逃げ出そうとしたのか身を翻したところで、再び一撃が加わる。今度は左側の鰭が切り落とされた。偶然かはわからないが、身を捩った時に距離を取ったクロムの姿を再びとらえたらしく、巨大な口を開けてクロムに襲い掛かった。今度は右側へと避けて、右目を奪った。
闇雲に暴れていた魔獣だったが、間もなくして動かくなり沈んでいった。
(……攻撃は速くて範囲も広いが、単純でそこまで強い相手じゃなった。
わかってはいるが、水中で戦うための技がいるな。)
(それから、魔獣と交戦している間は他の魔獣は襲ってこなかった。
やっぱり、戦っている間は脅威同士が殴り合っているからとか、そういうのがあるのだろうか。)
クロムは課題を思い浮かべながら、このあたりの層で色々な動きを試してみることにした。ここしばらくは型通りに技を放つ練習が多かったから、いろいろな動きを試すのは久しぶりだった。最適な動きは一朝一夕で身に付くものでもないと思っていたのだが、十五層で戦いを続けるうちに、動静は泳ぐよりも走る時の感覚に近いことに気付いてから、更に小回りが利くようになった。最適とは違うのだろうが、先を急ぐクロムには大事な変化だった。




