78.
数日して、久しぶりにランカが都市の外に出たいと言い出し、クロムがその付き添いをすることになった。この日は陽こそ出ていたものの、朝から冷える日だった。
ランカはいつものように市外へと出て、地下神殿へと向かっていた。
「おい、あそこを行くのは、さすがに危ない。やめておけ。」
「大丈夫、私も馬鹿じゃないわ!」
「なにしに行くんだ?」
「お祈りよ。」
ランカは当然のように言っていたが、クロムからすれば奇妙に思えた。わざわざ地下神殿まで行かなくても、ランカは海神サーラの使徒だ。神殿に行けば厚遇を受けられるし、海神はこの町では広く信仰されている。ならば、神殿で祈ればよいのだ。
地下神殿へと続く崖は、一面に生えた蔓に雪が積もって危険そうに思えた。だが、ランカは得意げな顔をして杖を取り出した。
「〈氷〉」
見る間に崖に沿うように氷の道ができ洞窟の入り口へと繋がった、クロムが知る限りランカはあまり戦いが得意ではなかったはずなのだが、いつの間にか魔術の扱いが上手くなっていることに驚いた。
「そんなことができたのか。」
「寒い日じゃないとうまくいかないけどね。」
どうやらランカの持つ杖と、条件がそろわないとうまく発動できないらしい。
ランカは器用に氷の道に飛び乗り、あっという間に洞窟の入口へとたどり着いた。クロムは〈白輝蜈蚣の外套〉を仕舞ってから、ランカの後を追うように氷に飛び乗った。うっかり転べば崖の下に真っ逆さまになってしまうからだ。
「さ、行きま…うっ。」
ランカが先に進もうとしたところで、クロムがその襟首を掴んで引いた。
「護衛より先に行こうとするな。俺が先を歩く。」
「…わかったわよ。でも、こんなところにわざわざ来る奴らなんかいないわよ。」
「最近は物騒だから、念のためだ。」
有無を言わさぬ口調でランカを窘めてから、ランカに〈光〉を使ってもらい先へと進んだ。結局クロムが懸念したような敵はいなかったが、冬を越すためか拳程度の大きさの蜘蛛が数匹蠢いていて、ランカは顔を顰めていた。
地下神殿の一角、神々を模った像が置かれた部屋に明かりが点る。以前来た時と同じように、神々がクロムたちを見守っていた。
「…で、ここまできてなんで祈るんだ?」
「嫌な未来が見えたから、願掛けをしに。」
「嫌な未来?まさか、またお前が殺される夢か?」
「死ぬのは私じゃない。クロムと、お父様。」
「俺が?」
思わず聞き返したが、ランカは首肯した。原因について聞いても見たが、どのような状況なのかすらランカにもわかっていないのだという。
「敵は?魔獣か?」
「……新しい神殿長。」
「神殿…!」
「クロムが驚くのは無理ない事よ。だって、クロムは森林神の使徒を殺したなんて言うのよ?使徒が何か知らなかったくらいだし、クロムと接点なんかないんじゃないの?」
「……。」
「それに、クロムはそんなに悪い人じゃない。だから、きっとクロムは陥れられたのよ。
でも、十回試したのに誰かが犠牲になる未来しか見れないの。
クロム、私は、どうすればいいかしら?」
ランカはこれから起こりうることに恐怖したのか、それとも自身の選択で何かを変えることの責任に恐怖しているのかはわからないが、とにかく恐怖に挫けそうになっている。クロムはその答えを持っていない。海神祭の試練を乗り越えて生きたランカにとって、誰かを失う未来はあまりに急だ。
だからこそ、この場で祈ることで解決方法を探そうとしたのかもしれない。
(俺は追われることは元々覚悟の上だ。この時が来てしまった以上は、ランカと共にいて守ることはできない。)
「ランカ。俺がここから去った時はどうなるかわかるか?」
「お父様は無事だけど、クロムは追われる身になるし、庇ったボスポラスお兄様が参考人として神殿に召集されて…人質代わりになるわ。」
「神殿を叩きのめす場合は?」
「み、見てないわ。無茶よ。」
「困ったな。」
「本当よ。」
結局案など出てこず、ランカはサーラ神の像の前で跪いて一心に祈り始めた。
クロムはしばらくその姿を見ていたものの、この場所は安全だと思いクロムもランカの傍で目を閉じた。
祈り、というものをクロムは知らない。ランカが今何を思っているかもわからない。クロムの胸の内にあるのは苦しみであり、理不尽への憤りであり、知らぬが故の疑問だった。
(薄明の神、反逆の神ラピア。)
(神がいるなら、何故こんなにも人を苦しめる。)
(この地上を創造神とやらが創ったのなら、これは完全ではない。何故人を満たすだけの安寧を与えない?
悪しき者が滅びるだけだというなら、それでいい。だが人々を導く役割の使徒を殺すような勢力が現れ、まさにそうしようとしている今、どうしてお前たちは何もしない?)
(答えろ、神々。)
クロムの心の内に答える者はいなかった。
ランカの祈りが終わり、バティン迷宮へと入る。すぐに地上へと出ようとしたとき、ランカが小さな蟹の魔獣を見つけて、じっと動きを見た。
「どうした?あの魔獣が気になるか?」
「いえ、そうじゃなくて。クロム、あなた迷宮の奥に潜れる力ってあるわよね。」
「深層と呼ばれる場所には踏み入ったことは何度もある。だが迷宮自体を攻略したことはない。」
「そうなの?でも、良い事思いついたわ。」
ランカが得意げな表情になってクロムのほうを向いた。
「クロム、今すぐバティン迷宮を攻略しちゃおう!そうすれば、問答無用で処罰なんかされないわ!」
「馬鹿を言うな。十一層からは海中で戦うことになるから、難易度が高いんだ。
俺も仲間と入って、苦戦しているんだ。」
「仲間までいるんじゃない!じゃあ、すぐじゃないの?」
「さあ。だが、人数が多い分連携が取りづらいんだ。」
「一人なら連携なんか考えなくていいんじゃない?」
「水中ということは敵がどこから襲ってきても不思議じゃないんだ。一人で挑むのは…。」
「〈隠匿の髪飾り〉って、魔獣には使えないの?」
「……あ。」
間抜けな声を出してしまったが、以前クロムは姿を隠す〈迷彩の鎌〉を使ってブネ迷宮に潜っていたことがあった。同じような効果の〈隠匿の耳飾り〉なら、やはり魔獣からは見えないのではないかと思い至ったのだ。
クロムは早速〈隠匿の耳飾り〉を出して装着した。〈夜叉の太刀〉を抜いて、蟹型の魔獣にゆっくりと近づいた。距離がわずか四歩になっても魔獣は動かず、暢気に腕を上下に動かしている。クロムも剣先を天に向け、魔獣を見据えた。今のクロムは隙が多いのだが、魔獣は気にしないかのように腕を動いていた。
(…〈落雷〉。)
両足に力を入れ、残る距離を詰めて振り下ろされた刃は魔獣の殻を断ち切って、砂浜にぶつかることなく制止する。僅かに遅れて魔獣が一瞬痙攣し、その場にぐしゃりと崩れた。
離れていたとはいえ、わかりやすく魔獣を両断したクロムの技を目の当たりにしたランカは目を輝かせていたが、クロムは今の一撃を繰り出すまでの間に起きたことに驚いていた。魔獣は一切防御や回避をしなかったのだ。魔獣は自らが斬られるまでクロムには気付かなかったということになる。
(…最近は仲間と一緒に迷宮に潜っていたから、すっかり忘れていたな。
無くても戦えるくらいに俺も実力がついたと追いうことなんだろうが、使えるなら使ったほうが良いな。)
クロムは今付けている〈隠匿の耳飾り〉の性能をもっと確かめたくなったが、今はランカの護衛中だと思い直してランカを連れて地上へと出た。
街中で小さな鳥の卵を油で揚げた串を数本買って、食べながら領主館へと戻った。
明日から十日程は貴族の娘としての勉強をするとかで、ずっと領主館にいることになると、ランカは愚痴を言いながらもどこか楽しそうにしゃべっていた。教師が面白いらしく、いろいろな話が聞けるのだという。内容を聞いたが、秘密だと言われてしまった。




