77.
熊の目撃箇所は都市の北側、カロン山系と呼ばれる山岳地帯の麓だ。バティンポリスから市半日も歩けば着くのだが、手前の山はなだらかで、周辺は林が茂っているのだ。熊は最初林の奥で見かけられ、樵たちが林の手前側に仕事場を移した。しかし最近は手前の林でも三度見かけたようだった。
手っ取り早く飢えた獣を誘い出すには餌を撒くのが良いとヘレンが提案したが、〈蒼天の翡翠〉のほとんどが反対した。
「え、駄目かしら?」
「駄目ね。大体、この雪山でどこに隠れるつもり?」
「えーっと、例えば木の陰とか、伏せるとか?」
「一人二人ならまだしも、全部で十二人いるんだ。三つか四つに分かれたとしても隠れた正面からしか現れないとは限らない。」
「あー…。」
「熊と言っても下手な魔獣より強いのもいる。初心者が剣を持ったから勝てるって相手じゃねえ。」
「まあまあ、ルーカス。隠れることができるなら悪い案じゃあねえよ。」
「ああ。数人…四人程度ならそれでいいかもしれないな。」
少し的外れだったヘレンの提案にきつい言葉になった者をヴェイロンやガントがたしなめながら、ヘレンたちに向き直った。
「じゃあ、どうやって探すんですか?」
「その前に、だ。依頼主さんよ、欲しいのは木材としての木か?それとも何でもいいから薪が欲しいか?」
遣いは少し考えてから、答えを出した。
「まずは薪ですね。備蓄があるからまだ大丈夫とはいえ、薪を吐き出したら次は建材用の木を消費して薪にしないといけません。」
「じゃあまずは薪だな。」
「ああ。じゃあ警戒で四人、二、三人で樵をすればいいかな。残りで倒した木をばらばらにそうすればいいだろう。魔術が使えるポーラとピリア、オームは〈火〈フラム〉〉とかで乾かす係になるかな。
向こうから勝手に寄ってきてくれるだろうし、寄ってこないなら薪を確保できる。
どっちを取っても依頼主にはうれしいと思わないか?」
「確かに…。あ、でも私たちじゃそこまで気を見分けることができないです。」
「ああ、大丈夫。ルーカスとピリアがその手の素材に詳しいから。
それに今回は合同での作戦のほうが安心でしょ。」
単に隠れる場所が無いからと思ったクロムだったが、依頼主の利益になるようにするということまでは考えていなかったから、クロムとしても目から鱗がこぼれた。
ルーカスとピリアは既にこの林の植生は把握しているようで、熊の目撃箇所と合わせてオームとポーラを交えてどこに出没するか持論を展開して睨み合っていた。三か所まで絞ったものの、どこも離れていて一日で調査はしきれないような距離だった。
「絶対にここよ。小川もあるし、餌になる水楢も密集した場所が近い。きっとこのあたりよ。」
「こっちは橡や栗が多く生えているんだ。飢えているならここに来るに決まっている。」
「そこはもう漁ったと考えていいでしょ。目撃だって近くで一回だけ。生き物なんだからまずは水よ。」
「何を言う、ここは三か所で一番町から遠いんだ。そこまで行く機会が少ないだけだろう。」
「縄張りでも回ってるのかしら?熊にしては広いわよ。」
「縄張りならなおの事、ここに行けば見つけやすいだろうよ。」
「譲らないわね。」
「盾使いは退いてはいけないだろう。」
「どこから来るかもわからないのよ?ど真ん中に突っ込んでこられたらいくら私たちでも危険よ。」
「俺は警戒に当たるし、その時はまず俺が前に出る。」
四人、いやオームとポーラは口を挿めず成り行きを見守っているだけで、ルーカスとピリアの意見のぶつけ合いが続いていた。今は同じパーティだというのに、殺気立っている様子を見て〈遠洋の灯〉も少し怯んでいた。
「チッ…。いいわよ、でもそこのひよっこ共はちゃんと守りなさいよね。」
「言われなくとも守るさ。」
「吹っ飛ばされたくせに。」
「軟弱な魔術しか使えないくせにか?」
「テメエ表出るか?」
「はーいそこまで、そこまで。ポーラとオームもちゃんと止めてよ。」
「す、すみません。」
「悪い。でも流石に殺気立ってるのは怖いよ。」
「ルーカス、ピリア。お雨らが真剣なのはわかってる。だが、もう同じパーティになってんだから、以前よりかはもっと協調性ってやつをだなあ…。」
ヴェイロンが軽い調子で止めに入り、面倒そうにガントが苦言を呈した。ガント曰くいつものことだそうだ。結局数日かけてこの周辺で木を切りながら熊が現れるか探してみることにした。致し方なしというように二人は落ち着きを取り戻し、ピリアは頭を冷やしてくると部屋を出ていき、ポーラもピリアに付き添うと言って後を追った。
ルーカスも樵に話を聞いてくると言って出て行ってしまった。
扉が閉じられて少ししてから、何かをふと思い立ったかのようにヘレンがガントに小声で話しかけた。
「ガントさん、もしかしてあのお二人って。」
「あん?ああ、ルーカスは装飾と資材、ピリアは資材と食物に造詣が深い。ただ、二人とも資材方面が得意分野なんだよ。なまじ知識があるから、前から衝突しててなあ…。互いに目の上の瘤らしいんだ。」
「そ、そうですか。大変ですね。」
天気が良ければ明日から、今日絞られた三か所をそれぞれ巡ってみることとなった。ただし、樵の話を聞いたルーカスが何か情報を持ってくるかもしれないから、変わるかもとも言っていた。
翌日は雪が降ったが、その翌日はよく晴れた日になった。一行はすぐにカロン山岳地帯へと向かった。真上に太陽が昇ったころに目的地の一か所目、ピリアが示した小川の近辺に到着した。
「えーと、この辺の木はまだ若いから、切るならあっちのやつね。」
「ふむ。あの木なんかがいいのかな。」
「お、枯れ木だね。ぱっと見てはわからないんだけど、クロムもわかる?」
「なんで枯れたかとか、木の種類なんかはわからん。」
「あれは虫食いかな。よく見ると穴があるね。あの木は割と虫が集りやすいんだ。他にも何本か、似たようなのが見える。危ないし、周りに広がる前に切っちゃおう。」
「わかった。」
ルーカスとガント、マルロとミネが周辺を警戒し、クロムとヴェイロンで木を切り倒し、残る者が木を更に細かく切って〈火〉の魔術で乾かした。器用なもので、火を発生させず熱だけで水気を飛ばしていた。あまりに熱かったのか虫がわらわらと出てきたが、淡々と焼き殺していた。生き物が入っていると、〈収納袋〉に入らないのだ。
夕暮れに近くなるまで作業していたが、熊は現れなかった。ピリアはそのことに歯噛みしていたが、作業は捗ったため合わせて二十本を切り倒し、すべて手分けして持って帰ることになった。
領主館に持っていけば街数日分が補填されたと喜ばれた。次は落ちた枝を多く持ってきてほしいと要望があった。枯れ木とはいえ、虫を食う生き物もいるから切り倒しすぎるのも良くないのだろうと勝手に納得した。
翌日はルーカスの示した、最初に発見された場所へと足を運んだ。昨日と同じ分担で枝を拾ったり、乾かしたりした。五本ほど木を切り倒したが、虫食いになっている木は無かったから、枝だけ落として木材として持っていくことにした。
この日も熊は現れず、今度はルーカスが渋い顔をしていた。あれほど自信満々だったのに、とピリアが煽ったが、眉間にしわを寄せて黙りこくってしまった。
「しかし全く見えねえな。俺もこのあたりは縄張りだと思ったんだが。」
「ガント、もう何度か目星をつけた場所を探してみよう。移動しているのかも。」
「移動…移動か。だが、山の中からわざわざ麓に来てるんだぞ?あるか?」
「この間、霊峰山脈で一際強力な魔獣が出たって話があっただろう。
同じことが起きてないと良いんだけど。」
「ウーム。頭ごなしに否定はできないな」
「もしかして冬眠に戻ったとか?」
「ヘレン、さすがに食料が無いのにそれは…。」
「…これは数度に分けて探してみるしかないかもな。
最初にお前たちの言っていた餌を撒いておくのもいいかもしれない。」
難しい顔をしながらルーカスが言い、他の一同も頷いた。熊の爪痕がまだ新しい幹が数か所見られたものの肝心の熊はいなかった。日が暮れ始めた頃に樵が休憩に使うらしい古屋で寒さを凌いで、翌日は朝から林中を歩き回った。結局熊は見つからなったものの、山に差し掛かる辺りで死体を発見した。
「む…まさか樵か?」
「いや、樵に聞いたが被害はないと言っていたはずだ。」
「じゃあ誰よ?」
訝しみながら死体を検分すれば、どうやら比較的綺麗に残っていた死体は一つだけだった。雪に隠れていたが、食い荒らされたような酷い状態の死体もあった。周辺を探しただけでも四人分の被害が出ていた。
「うわあ…肉が食べられなくなりそう。」
「ヒヨッコちゃんよ、慣れてないなら見ない方がいい。」
「ミネ、大丈夫?」
「私は大丈夫。でもマルロが駄目そう。」
「おい、あんまり見るな。」
クロムは死体のそばに奇妙な鎖を見つけた。拾って見れば、先には印のついた符が点いていた。四角形に亀裂の様な模様の入った印は見覚えがあった。
「なあ。こんなものが落ちていた。こいつら、マーレイアの探していたなんとかいう奴らかもしれん。」
「マーレイア…〈盤割の鎚〉だったか?おい、これに見覚えのある奴いるか?」
「うん?…ああ、なんかこんなだった気がするな。」
「他にもあるか?探せ、マーレイア家が探してる奴らかもしれないぞ。」
「なに?」
「神殿が取り逃がしたっていう話題の連中、こっちのほうに逃げてるのかもな。このあたりをよく探せ、まだあるかもしれん!」
ガントの号令がかかり全員で探したところ、更に二人分の死体と、クロムが拾った印と同じものが落ちていた。周囲を魔術で雪を溶かしてみたが、剣や旅人らしい装備品や血塗れの服の残骸がいくらか見つかったものの、それ以上のものは見つからなかった。
場所を地図に記録し、死体を一旦そのままにしてその場を離れた。熊がまた出るかもしれないという点と、マーレイア家に報告した後に詳しい検証ができるかもしれないと思ったからだ。
「死体は全部で六体だったか。熊ってこんなふうに襲うのか?」
「ウーム、わからん。抵抗して、撃退のために戦った結果だったりしないか。」
「ありえなくはないだろうが、六人も?」
「混乱して散り散りにならず逃げたのならこうなるかも。」
「ハー、普通なら散開して逃げるんだがな。わからねえな。」
領主側にはクロムと〈遠洋の灯〉が、マーレイア家には〈蒼天の翡翠〉が報告することにした。それぞれに関りがあるから、信用の問題だった。報告を受けたボスポラスは目を丸くしていたが、印の一つを見せたら納得したようだった。
何度も場所と状況を確認されたが、クロムたちは同じ内容を語った。
「…わかりました。山岳地帯に逃げたなら、兵たちでも追えませんね。あるいは…単に潜伏していて、熊に襲われたか。この雪ではいつ死んだかなどは難しいでしょうし、さてどうするか考えなければ。
どちらにしろ、報告ありがとう。」
「ああ。それと、こっちが枯れ枝だ。三束しかないが、まあ使えるだろう。」
「助かります。もう数日手前側を巡回してもらって、熊がいないか見てもらっていいですか?」
「ああ、伝えておく。」
その夜にガント達に聞いてみれば、〈蒼天の翡翠〉がマーレイア家に報告したところ、すぐに調査員を派遣した。翌日調査員たちを案内し調べてみれば、やはり熊に襲われたと判断した。死体の一つについていた爪痕が決定打になったようだった。
カロン山岳を抜けた先は、北部森林地帯と呼ばれる鬱蒼と茂った森になっているという。過去に幾人もの探索者が挑んでいるものの、未だ一人として戻ってきた者がいないという場所だ。数日調査した物の調査員たちは結局、北部森林地帯に逃げたのなら追うことは困難だと結論付けた。シュフラットはそれを聞いてもなお怒っていたようだったが、更に十日も調べても何も新たな情報が出てこなければ歯噛みしていたらしく、調査は継続していた。シュフラットの名義でクロムたちにはそれぞれ金一封が贈られた。
十日の間に何度も大雪が降り積もってしまい追跡が困難となり、調査依頼を受けた者の殆どは成果を得られないでいた。都市の中に〈盤割の鎚〉はもういないから見つけることはできず、都市の外は雪に閉ざされていて探すのも困難だから、ほとんど証言が出てこなかった。嘘を報告した者もいたらしいが、叩き出されたと噂が出回っていた。
継続して度熊を探しに林に赴いてみたものの、結局一度も遭遇しないまま時間だけが過ぎた。何度か行くうちに、クロムたちの他に、いくつかのパーティが熊の捜索に加わっていて、樵もまた林に入るようになっていた。
「人を襲った熊なんて最悪だな。早いところ見つけてしまいたいが。」
「だが、林でここまで見つけられねえとなりゃ。もっと探す範囲を広げないとだめだな。」
「ああ…。」
誰かがそう言いながら林を後にした。クロムたちもその日は調査を打ち切り、都市へと戻った。ともあれ近くに隈がいないことはわかったため、しばらくの間〈蒼天の翡翠〉は樵の護衛として活動することになった。




