神々の煩い事
神は地上に顕現できない。これはあくまでゲームの進行の上での話だ。
デトロダシキはごくごくわずかな力だけを人型に押し込めて、より人間に近くなるようかたちを整えて意識を移す。こうすることで人間に紛れて地上へと降り立つことが出来る。実は、これはこの争いに参加していない神々もまれにやっていることだ。
二本の腕はやや不自由に思えたが、身体はそう大きくは変わらない。
この姿の時はあくまでデトロダシキは人間であり、神々の事、使徒、神殿、人々の生活など、ターニングポイントとなりかねないものについては決して触れてはならないと定められている。
(…それはシバメスタとの契約違反だからな。)
契約神に戦う力はない。だが、一度契約を交せばそれは互いを縛る絶対の鎖になる。この争いに初めて参加したときに契約した内容―――契約の反故を行うと神格が剥奪される、という一文を思い出した。
冬至が過ぎた頃、東大陸南部の人目のない森林の中にデトロダシキはひっそりと降り立った。ここは迷宮も名所も貴重なものもない、ほどほどに危険で人が立ち入らない場所だ。
(さて、人の村ってのはどこだかな。)
飛び出してきた猪型の魔獣の頭蓋を叩き割ってから、鼻歌交じりに森を歩き始めた。
天上からデトロダシキが降り立った様子を見てから、秩序神イリアオースは深く考え始めた。
(…別の名で信仰され、結果が書き換わる、か。しかしこれは私だけが受けているわけではない、ニタも、互いの陣営の神も受けている。
信仰が減ることは誰のメリットにもならない。)
(だがしかし、この争いに関与しない神がこんな真似をしても、やはり無意味。なら、愉快犯か?それともあいつの策の一つか?
何が赦免だ、混沌神め。)
遠い記憶を振り返りながらも思考を進め、結局わからないと首を振るまでに七日がかかった。むしろもっと素直になるべきだとまで感じた。
「よし、奴の策なら乗ってやる。だが、こちらも手駒を整えさせてもらう。」
―――
「…そんあーわけで、東側の南部がね。なんというか不穏あんすわ。」
「昔から言っているけどね、ラコン。その言葉遣いはおやめなさい、説得力が無い。」
「あーんでやい。旦那にとってぇはええ情報だったろい。」
到底神格を持つ者と思えない言葉遣いとだらしのない態度で長椅子に寝そべり、酒と飴を楽しみながら赦免神ニタスタージに絡む男―――噂と秘密暴きの神ラコンティンフィオは面倒くさそうに体を起こす。
ニタスタージはいつもの穏やかな笑みを崩さずに、ラコンティンフィオをたしなめながら思考を巡らせた。
ラコンティンフィオが持ってきた情報は「神々の名が別の名で信仰されている」という内容だった。噂の神の名は捨てたものでなく、どこからかわからないが様々な話題―――内容はゴミのようなどうでもいいものから、今回の様に戦局を変えるかもしれない情報まで実に様々なものが混じることがある。
(いつもこれくらいの情報を集めてくれればいいのに、
だがまさか、我々の名が別の名で伝わっているとは。)
更に詳しく聞き出そうとすると、酒と飴を要求された。面倒になってラコンティンフィオを放置し、思考を進める。
(…イリアではないだろうな。あいつはこんな策を弄せない。なにより、介入もなしに信仰をコントロールするのは難しいだろう。)
(他の神々か?そんな野心を持つような神なら……いや、いるな。)
脳裏に過ったのは三柱いた。
四つの腕と二つの頭を持った生命と繁栄の神、ズイ。妻が欲しいと言って神格を持たぬ神々の紛い物を創り出した奇天烈な男。愛しの仮初の神に正しく神格を与えるために新たに実験をしている可能性を考えた。
誰よりも自由を愛する、風と旅の神レーゼリオス。彼はイリアオースにもニタスタージにも与しないが、押さえつけるにはあまりに手がかかるということで放っておいた。しかし神々が遊びで人間を使っていることに反発を覚えるなら、引っ掻き回すというのはあり得ない話ではない。
最後に妹の顔が浮かんだが、天上世界を追放されてから何千年と姿も見ていなければ神力も感じない。この世界にまだいるやもわからないのだから、野垂れ死んだものと思っていた。
(あるとすればズイか。近いうちに赴いてみるか。)
思考にふけっていると、酒と飴が尽きたのかラコンティンフィオはいつ間にかいなくなっていた。それに気が付いたところで、丁度良く来客、海神サーラが慌てた様子で飛び込んできた。
「いた。ニタ、まずいわ!」
「どうしたんだい、サーラ。そんなに慌てて。」
「私の使徒が何度も襲撃されたのよ!」
「使徒だからね、仕方がないよ。でも生きているんだろう?」
「あ、ええ。でも、今はいいけど、付き人がすぐいなくなっちゃうみたいなのよ。
そうなったら私の可愛いランカちゃんがすぐ神殿の奥底に幽閉されちゃうわ。」
「ふうん。その付き人に着いて行かせたら?」
「駄目ね。付き人が朴念仁すぎるし、なんか…なんっかよくわからないのに守られているみたいなのよね。見て。」
サーラの差し出した水晶玉を覗き込むと、地上の様子がうかがえた。黄金色の体毛を持つ魔獣が人間たちを蹂躙している様子が見えた。
「この魔獣は?」
「信徒と争っていた連中が仲間の死体の山を使って〈召喚〉した魔獣ね。」
「相当だな。」
「信徒の死体も使ったみたい。」
ここまではただの人間同士が何とかする争いだと、そう思っていた。突如、黒い塊が魔獣へと飛びこみ強力な斬撃を入れたが、しかし魔獣には通じなかった。黒い塊は黒い靄のようなものに覆われていて、その正体が何か見えなかった。瞬きをして見直し、それでも見えないという事実にニタスタージは自身の目を疑った。
集中して魔獣とその周囲の人間の戦いを見る。黒い影が魔獣の攻撃を躱しているのは見えるのだが、男の姿ははっきりと見えないでいた。
「なんだい彼は?」
「ランカちゃんの付き人よ。」
「この不気味な奴が?本当に人間なのか?」
つい男を異様なものと認識して、そう零した。
サーラの持っている〈遠見の晶珠〉は離れた場所を映す道具だが、この世界の人間がはっきりと映らないことは初めてだった。
「ええ。でも、顔がちょっと怖いだけで普通の人らしいわよ。
あと、体外で使えるマナがほとんど無いんですって。この世界の人間でもそれなりに使えるのにね。」
サーラはなんて事の無いように言ったが、異常なことだとニタスタージは思った。
マナはこの世界において―――否、元居た世界でも酸素と並んで生命維持に必要なものだった。ニタスタージたち、この世界では神と呼ばれる種族も膨大なマナを扱えるために永遠に近い生命を持つことができるのだから。
ではこの不気味な者は、体内にマナを蓄積しているかと言えばそうではない。二千年以上人間を見てきて、この男は戦いのできるような人間ではないと思った。
魔獣との戦いは佳境に入る。男がぼそりと何かを唱えると、凄まじい速度でマナを消費していく。生命を大きく削っているのだ。
男の剣と魔獣の拳がぶつかる。神の目は男の剣が魔獣を裂く瞬間をとらえ、顔こそ血飛沫と砂埃で隠れたが、黒髪と白い蜈蚣の這うような文様の外套が見えた。
(……なんだこの男は。誰かの使徒か?)
男が魔獣の胴を両断したところで、糸が切れたように男が崩れ落ちた。魔獣も最後の力を振り絞って男を攻撃しようとしたが、周囲の人間の魔術や盾に阻まれて力尽きた。
「そ、それで、彼の何が問題なんだい?きみの使徒を守れるだけの力はありそうだけど。」
「どうやら、そう遠くない未来で―――彼、ランカちゃんと対峙しちゃうのよ。
優しいランカちゃんが遣り辛くならないか心配で。」
「成程。護衛としては適任だけど…引きずり込めない?」
「無理ね。使徒という存在を何とも思っていないし、神に対してもそうらしいから酷くコストがかかっちゃうもの。ランカちゃんをずっと縛っておくわけにもいかないわ。」
「まあ、西部の信仰を掌握してもらわないといけないからね。」
対立する者等だけでなく、妨害する者、得体のしれぬただの人間。急に増えた煩い事にニタスタージは思わずため息を吐いた。
「サーラ。この冬の間だけでも、使徒を通じて彼を見張っていてくれない?冬は人間の移動は少なくなるよね?」
「ええ。引き留めるように伝えておくわ。」
「うん、よろしく。僕は…ズイのもとに行ってくるよ。」




