73.
クロムが目を覚ますと、そこは夕日の差し込むパキラ領主館の客間だった。傍の壁にはクロムが身に着けていた〈夜叉の太刀〉や〈白輝蜈蚣の街頭〉が掛けられていた。
クロムの最後の記憶は、海神祭の儀式を終え、バティンポリスに到着してからすぐ黄金色の猿型魔獣を討伐しに向かい、その腕と胴を斬ったところまでだった。
重い身体を起こし、傍に置いてあった水差しを掴んで水を流し込む。急なことで少しむせたものの、残りの水はすべて胃に流し込んだ。
(そういえば、あの後は結局何がどうなったんだ。
ラッツはどうなった?アゼルは?ドレークやザンジバルは?)
立ち上がろうとしたが思いのほか力を入れることが出来ず、すぐに布団に再び倒れこんだ。重い体を返しながら思い出すことは、やはり魔獣との戦いのことだ。
クロムは黄金色の魔獣を、〈剛力〉を二度唱えることで斬り伏せた。しかしそれまでクロムの攻撃は通じず、クロムのことなど無視して他の探索者の相手に集中していた。突然クロムの攻撃が通じたということはおかしいのだが、その理由はクロムの頭ではわからなかった。
ふと夢の中で聞いた神や魔獣の名を冠する迷宮品が力を発揮するには条件を思い出した。使う者の格がその迷宮品より下であること。使う相手が迷宮品の格より下であること。使う者が迷宮品に認められていること。紫の髪の男はそんなことを言っていたはずだ。
(…つまり、俺が迷宮品に釣り合っていないか、認められていないか。
だが、使う相手が迷宮品より格が下というのがわからない。格が上だったら効果を発揮しないということだろうか。)
しかしこれまでも手応えが違うとはっきりわかる場面は幾度もあったから、クロムは迷宮品に認められているはずだ。同時に黄金色の魔獣に攻撃が通ったのだから、認められていないことはないだろう。
最初に斬りかかったときは魔獣の格が上だったとしても、戦いの中でクロムの実力が急に伸びたわけではない。
突然攻撃が通るようになったのは、〈夜叉の太刀〉の能力である〈魔獣特効〉を引き出した結果だと思ったが、説明がつかないのだ。
(魔獣の特性かもしれないが、もう少し…この剣のことを知らないといけない…そんな気がする。)
やがて扉が叩かれ、ランカと侍女が入ってきた。
「クロム、やっと起きた。大丈夫?」
「ああ、少し力が入らないだけだ。」
侍女は新たな水差しを持ってきてくれていた。クロムが起きたということで、粥を作ってくると言って部屋を出ていった。
「それもそうよ、六日も寝ていたんだから。」
「六日?そんなに経っていたのか?ドレークやアゼルはどうなった?」
「…お父様とお兄様は怪我はしたけど、ひとまず無事で今は元気よ。
ただ、アゼル神殿長が…。」
その先を言い辛そうにして、暗い表情になった様子を見て、如何に察しの悪いクロムでも何か悪いことがあったのだと察した。怪我をしただけにしては顔色が悪い。
「…クロム、驚かないでね。」
「ああ。」
「アゼル神殿長、それから傍にいたはずの神殿騎士レインが…その…。」
怪我をした、よりも状況が悪いのだろうと予想をしていたのだが、それ以上に不可解な内容で知らぬ間に顔を顰めてしまった。ランカはクロムの顔から目線を外して話を続けた。
「ザンジバル兄さまから聞いたわ。変な奴らを捉えに行ったアゼル神殿長たちが、突然現れた魔獣を相手にして壊滅したって。それで、二人とも行方不明で。」
「魔獣…あの金色のあいつか?」
「そう。逃げた神殿兵が探索者協会に駆け込んで、何とか魔獣を誘導して街の外に誘導したんだって聞いたわ。詳しいことはお父様たちからは教えてもらってないけど…。」
「心配だな。ザンジバルから聞いてみる。」
「…いい?でも、どうだったかは言わなくていいわ。まだ心の整理が付かなくて。」
「先の見えないような心配は、思いのほか心が重くなるものだ。だから、今は休んでおけばいい。」
ランカはその言葉に弱弱しく頷いて瞑目した。
「クロム。私はどうすればいいかしら。」
「わからん。だが一つ言えることは、前を向けるようになれ。」
「…前。」
「彼等は覚悟して、敵と対峙したはずだ。なら、お前がいつまでも気負って悲しまなくていい。それに、まだ行方不明なんだろう?案外逃げ延びて、ひょっこり現れるかもしれんぞ。」
クロムはかつて帝都の神殿で受けた懺悔の答えを思い出しながら言ったが、その言葉は実に軽く感じた。ただ、ランカには何か面白く思ったらしく、そうね、と笑って同意した。
ランカの暗い雰囲気も薄れたとき、扉が叩かれて侍女が粥を持ってきた。
「粥をお持ちしましたよ。クロム様は数日ぶりもお食事ですから、お手伝いしましょうか?」
「いや、匙があるだろう、大丈夫だ。」
「そうですか?」
盆を膝の上に乗せてもらい、匙を取って粥を掬う。粥は白い汁と細かく刻まれた野菜が混じっていて、中央に濃い赤色の何かが浮いていた。一口運んでみれば、家畜の乳で穀物をよく煮込んだものだとわかった。掬って噛んでみれば独特の酸味があったが、粥と一緒に食べれば汁気で和らいでいて食べやすかった。一杯を食べ終えるまでには時間がかからなかった。
「この真ん中のはなんだ?」
「青梅を干して、塩で漬けたものですよ。南側の名産のひとつで、領主様がお気に召していて、南から来る商人から定期的に購入しているのです。」
「へえ。粥をもっと貰えるか?」
「ええ。持ってきますわ。でも、数日ぶりに食べているのですから、身体を壊しますから、少しだけですからね。」
侍女はきれいに空にされた椀を受け取り、ついでというようにランカも軽食をねだった。侍女は少しだけですよ、と言って部屋を出ていった。
「…さっきの話の続きだけど、魔獣は何処から現れたかもわかっていないのだけど、クロムが倒してくれたのよね?」
「多分な。」
「多分って。探索者さんたちはクロムが倒したって言ってたわよ。」
「俺が倒した気がしないんだ。」
「どういうこと?」
ランカが首を傾げたが、クロムもまた首を傾げた。倒したはずの猿型の魔獣は未だ倒した実感がしなかった。それは奥の手である〈剛力〉の重ね掛けをしたからなのか、それとも突然攻撃が通じたことで拍子抜けしてしまったのか、或いは胴を斬った後で意識が無くなったせいなのか。どの理由もしっくりと来なかった。
「わからん。だが、倒せた気がしていないだけだ。」
「よくわからないわ。」
「俺もだ。」
「最初から思ってたけど、クロムって変わった人ね。」
「そうかな?」
「ええ。きっとあなたは人と違う…信念とか、あるいは意志?そんな何かがあるから、魔獣みたいな脅威にも簡単に立ち向かえるし、すごく難しい依頼もできちゃうんでしょうね。」
「探索者だからな。一度依頼を受けたら、全力で取り組むだけだ。」
「ふふ、そういうことにしておいてあげる。でもクロム。貴方も普通の人であることを忘れないでね。」
「普通、か。護衛していた時にも聞いた言葉だ。普通とは何だろうな。」
「ふふ、難しく考えなくていいと思うわ。そして、きっとクロムの重荷にはならないと思う。」
扉が叩かれ、侍女が粥を二つ持って来た。侍女はランカに椀を渡してから、クロムにも差し出した。
「どうぞ。明日頃まではこのくらいの量で体を慣らしましょう。」
「ありがとう、わかった。」
今度の粥は変わらず旨かったのだが、少し塩気が強い気がした。




