72.
クロムはランカを落ち着かせながらも、都市を心配していた。探索者がいるとはいえど、昨日の襲撃者のように強力な迷宮品を持っていたら、あるいは混乱に乗じて〈隠匿の耳飾り〉で更なる襲撃に出られたら。ランカを守るだけなら、何とかしてこの舟の先を少し変えればいい。港ではなく、浜かどこかに流れ着くだろう。しかし依頼主のドレークたちを捨ておくわけにもいかず、どうすればいいのかわからなかった。クロムの指には、今朝までドレークの使用していた〈看破の指輪〉が嵌っている。もし敵が〈迷彩〉の効果を持つ迷宮品を持っていれば、ドレークの身が危ない。
(もしドレークが斃れたら、領主を失った都市はどうなるのだろう。)
クロムは法衣を脱ぎ、〈白輝蜈蚣の外套〉を羽織り、〈収納袋〉を懐へ仕舞い〈武器庫〉を腰に吊るす。それから〈隠匿の耳飾り〉を取り出してランカへと渡した。
「ありがとう。クロムと一緒でも、矢で狙われると危ないものね。」
「危ないから来るな。陸に付いたら、真っ直ぐあの地下神殿に向かってくれ。」
「昨日も言ったけど、海の神の使徒が逃げるわけにはいかないの。」
「駄目だ。死にたいのか?」
「死にたくないわ。だから、守って。」
「ここは逃げてくれ。俺がドレークたちを見に行くし、危険だったら俺が助ける。」
「クロムの傍が今一番安全じゃない!」
「その言い分はおかしい。むしろ、危ないだろう。」
言い争いは平行線だったが、護衛対象を守らないのはおかしいとランカに言われてしまいクロムは黙り込むしかなかった。言い分はランカとこっそり都市に出たときと同じだが、危険だと思える状況でランカを守るか依頼主を守るかという問いの答えを出せなかった。
「それに、私が行けば鎮まるかもしれないでしょう?」
「簡単に言うな。」
「こうしましょう。私が勝手に行くだけで、貴方が勝手についてくるだけよ。私が死んでも私の責任。これならどう?」
「なお悪い。」
互いに退かないまま言い合いになり、いよいよ浜へと着いてしまった。浜には人はおらず、人々が逃げたような跡があった。
「さ、行くわよ!」
「待て。」
ランカはひらりと船を降りて軽い足取りで走り出す。クロムは反射的に手伸ばしたが、掴んだつもりのランカの腕は透けて掴めなかった。
瞬き数階分とはいえ驚いて固まってしまったが、急いでランカの後を追った。子供の足だからすぐに追いつけると思っていたが、まだ小さな体を活かしてすばしこく走り、倒れかけの柱や街路樹、崩れた瓦礫といった障害物を軽々と超えた。クロムも後に続くが、ランカほど器用に障害物を避けられない。
ほどなくしてクロムが追い付けたが、そこはもう都市の中心部だった。がらんとした広場には倒れた篝火が地面を舐めていた。
「ランカ!」
「おかしいわ。誰もいない。」
「既に逃げたんじゃないか?」
「だと良いけれど、あまりにおかしいじゃない。火を消さないのは、おかしいじゃない?」
ランカは〈水〉と小さく唱えて、倒れた篝火を鎮火した。
それまでクロムは思い至らなかったのだが、それなりに魔術の使える普通の人間なら言葉一つで倒れた火を消すことだってできるのだ。
「何かあったのよ。こうなる何かが。」
「…そうかもしれないな。領主館に行こう。」
「お願い。」
クロムはランカを小脇に抱えて再び走った。ランカは何か文句を言っていたが、周囲の警戒と走るのに集中していてそれどころではなかった。領主館まで、結局誰にも、何にも会わなかったことでいよいよクロムでも街が異様だと思始めた。
領主館の庭には大勢の町民が詰めていた。皆一様に不安と恐怖を抑えたような表情でいた。人を掻き分けて領主館へと入ると、ランカの姿を見た侍女が奥へと走って行った。すぐにボスポラスが出てきて、ランカを抱きしめた。
「ランカ、よく無事で戻ってきました。よかった。」
「ボスポラス兄さま、何が起こっているんですか?」
「…町中に突如魔獣が現れました。見たことのない種類の魔獣で、衛兵と探索者たちで引き付けて街の外に誘導しましたが、まだ戦っているようです。」
「この都市の兵士に探索者を合わせて戦っても倒せないの?」
「…ええ。」
探索者には警護や魔獣討伐の専門家が多い。その専門家が揃いも揃ってわからないと言うのは余程の相手だ。
「どんな奴だったんだ?」
「黄金色の体毛を持った、猿型の魔獣です。」
猿型の魔獣と聞いて、クロムはかつてウルクスを殺した魔獣を思い出した。紅の体毛に覆われ、不死身と言わんばかりの生命力と攻撃力を持った、恐ろしい敵だった。
「報告では色猿に見えたようですが、一本捩じれた角を持っていて、体表が黄金色…過去未発見の色です。色猿の稀少種の体表の色は黒、それから白です。探索者から話を聞きましたが、霊峰山脈にも、サブナック迷宮にも例がない。新たな希少種…というには、突然町中に現れた理由が着きません。
クロムさん、加勢を…お願いしてもいいでしょうか。」
「わかった。俺も行こう。」
「お疲れなのに申し訳ない。お願いします。」
兵士の一人に案内されながらクロムは考えた。魔獣に詳しくはないといえ、攻撃の通らない、というのは何かの魔術だということはわかった。案内された場所には幾人もの兵士や探索者らしい者たちが倒れており、立っている者は誰もが治療に走っていた。その中には〈遠洋の灯〉の四人も見えた。
戦いの音のする方へ向かえば、幾つかのパーティが人間よりも二回りは大きな黄金色の魔獣と戦っていた。彼らは入れ替わりながら立ち回っていたが、魔獣は一点しか見ていないかのように拳を振り上げて迫っていく。
「ガントを守れ、ルーカス!」
「ああ!」
追われていた剣士と魔獣の間に盾戦士が割って入り攻撃を受け止めようとしたが、盾戦士は魔獣の掬い上げるような蹴りで宙に放り出された。魔獣は逃げた剣士を追い、剣士は必死に逃げていたがついに拳を食らい倒れた。
周りを見れば、ここでも倒れている者が多くいる。幾人かの術士らしい者たちが走り回って〈回復〉をかけて回っては戦場へと走り、、ある者は怪我人を担いで撤退していた。五体が無事で気を失っているだけの者が多いようだが、身体が潰された重傷者も多くいた。中には防御すら間に合わなかったのか魔獣の攻撃で潰されて死んだらしい者もいて、目に見えて被害は甚大だ。
(こんなものを野放しにはできない。)
クロムは思わず〈夜叉の太刀〉を掴んで魔獣へと走る。背後のクロムに気付かないのか、魔獣は狙いを定めた別の戦士を攻撃し続けた。戦士はクロムに気付き、その場で留まるべく動き回って攻撃を避け続けた。
「〈剛力〉」
いよいよ魔獣へと追いつき、クロムが斬りかかる。十分に加速を付けた必殺の一撃は魔獣を致命まではならずとも深手を負わせられると思っていた。しかし甲高い音と共に攻撃が弾かれ、傷一つない魔獣が何事もないかのように戦士を襲う。
(なっ…!)
想定外の出来事に思わず体が動かなくなる。その間に魔獣は戦士を殴り飛ばし、次の相手を探した。魔獣が目を付けたのは先ほどの戦士と同じパーティらしい術士だった。
我を取り戻したクロムはすぐに魔獣に追いつき更に複数の攻撃を試した。〈吹雪〉の連続攻撃も〈落雷〉の強打も通じない。その間に術士も派手に突き飛ばされ、砂埃に消えた。術士が身を守るべく放った攻撃は通じていたのだが、追った怪我はじわじわと修復されていく。
「なんだこいつは…!」
思わず動きを止めて魔獣の目がクロムを捉えた。巨大な音の塊がクロムを通り過ぎ、大気を震わせた。直後に魔獣が右拳を振り抜く。クロムは辛うじて躱したが、攻撃がまったく通じなかったことが思いの外堪えていた。
拳、掴み、蹴り、攻撃は速いが単純で、すべて躱すことができた。どう攻めればいいかわからないが、周囲の探索者たちが立て直すまではとにかく躱し、逃げ続ければどこかで反撃ができるかもしれないと考えた。安易な攻撃はむしろ隙にしかならない。周囲の探索者たちが魔術や弓で魔獣を攻撃しているが、魔獣はそれらを意に介さないかのように無視してクロムを追い続ける。
強力な魔術攻撃が魔獣の顔面に着弾し、爆発して魔獣の動きを止めた。先ほどは魔獣に通じていた魔術攻撃だが、全くの無傷でクロムだけを追ってきた。
(影獣と同じ、じゃないのか!)
帝都、ブネ迷宮に出現した影獣は物理攻撃を無効化する魔獣だった。深層に近づくにつれて、〈夜叉の太刀〉でも傷を負わせることはできなくなっていった。
魔獣の攻撃をひたすらに避けて慣れてきたころ、魔獣も新たに張り手、腕や尾での薙ぎ払い、体当たりを交えて攻撃を始めた。ようやく見切れてきたというところでこれではいよいよ攻撃に転じるどころではない。
大地を砕く勢いで叩きつけられる拳を躱し、更に距離を取る。魔獣の視覚はクロムをしっかりと捉えており、ゆっくりと拳を引き戻すとクロムへと突進した。背後には別の探索者や衛兵らしい者たちがいた。避けることはできるが、ただ避けるだけでは今度は彼らが攻撃の対象になるだろう。
クロムの攻撃は通らない。それは先ほどわかっていたが、退くことはできない。だが、躱して斬りつければ、まだクロムを狙って襲ってくるだろうことも分かっている。
「〈剛力〉―――〈剛力〉!」
久方ぶりの力の本流はかつて白輝蜈蚣と対峙したときよりも激しい、魂を燃やすような熱と力を感じた。左足に力を込めて踏み込み、身体全体を捻るようにして剣を振る。魔獣もクロムを潰そうと右拳を振り上げた。
(神がいるなら!)
「力を貸せ!」
ただ両手で柄を強く握り、持てる力だけで剣を振り下ろした。
クロムの攻撃が黄金色の魔獣の拳とぶつかり、砂埃が立った。砂埃の隙間に見えた鮮血はそれを見た探索者の誰もが、あの黒い男が潰されたと察するに十分なものだった。
魔獣が悲鳴とも威嚇とも似つかぬ咆哮を上げ、砂埃が晴れる。
そこには剣を振り下ろした姿勢のクロムが立っており、魔獣は右腕を高く上げていた。その右腕は親指と人差し指を残して削がれたかのように無くなっていた。地面には血溜まりと共に半分になった右腕が落ちていた。
クロムは襲い来る寒気と痛みを堪えて魔獣を睨む。猿型の魔獣らしく人に似た顔立ちを醜く歪ませた。クロムが一歩踏み出すと魔獣は一歩後退る。クロムがまた一歩踏み出す。
魔獣は一叫びすると、残る左腕でゆっくりと迫りくるクロムを薙ぎ払うべく振り回した。戦いに参加していた術士たちは既に動き出していて、〈木〉をはじめとした様々な魔術で魔獣の動きを阻害したが、手負いとはいえ魔獣の勢いは凄まじく、幾重もの〈木〉の束縛は簡単に引きちぎられた。しかし勢いは弱まり、戦場に追いついた盾使いたちが身を呈して攻撃を上へと逸らした。
魔獣の胴ががら空きになる。
クロムは剣を再び剣を握り、〈剛力〉を唱えた。
正真正銘、最後の力を以て〈夜叉の太刀〉を振り抜き―――黄金色の魔獣の腹を両断した。
「デト……シ…」
―――
「神の名を冠する武器の使い方だあ?」
高慢そうな態度で豪華な椅子に座った男が紫の長い前髪をいじりながら、何をあほくさいことをと言うように黒髪の男に問い直した。
「相も変わらず、〈冥界神の鎌〉の〈収穫〉は三回に一回発動すればいいほうだが、お前みたいに強い効果が出ない。折角借りられた〈炎神の直刀〉も、〈炎刃〉も〈炎幕〉も極小規模なものしか使えん。〈巌狒々の腕輪〉に至ってはうんともすんとも言わない。」
高慢そうな男はいつものように黒髪の男を小馬鹿にした笑いを浮かべた。
「前も言ったよな?神々や高位の魔獣の名を冠した迷宮品は…。」
「認められないと使えないんだったな。」
「そうだ。使う者の格がその迷宮品より下か、使う相手が迷宮品の格より下であること。今回の討伐の相手は…まあ、その武器より格上ってことはそうそうないだろう。お前も…難はあるが、まあ釣り合わないというほど弱いわけでもない。むしろ、神や魔獣からすればお前の愚直さは気に入られるだろうから、多少技量が伴わなくても使えるはずだ。現に使えることがあるみたいだしな。」
いつぞ聞いた話を、男は前髪を弄びながら繰り返す。グラムは不機嫌そうな表情になるが、黙って聞いていた。男は悩むようなそぶりを見せながら、捻じれた前髪をぴんと弾いてグラムのほうを向いた。
「つまり迷宮品がお前を認めていないってことだな。」
「それは前に聞いた。どうすれば認められるかもわからないんだ。」
「…認められるには、相応の条件がある。」
「条件?」
「例えば…特定の魔獣を倒す、更なる強敵に立ち向かう、神々に強い誓いを立てる、珍しいところじゃ人々に慈悲を以て接するなんてのもある。」
「なに?わかっているのか!?」
「うるさい。これはある程度調べている奴なら誰でも気付く。」
「調べる…?文献でもあるのか?」
「いやいや、調べる方法と言えば…〈鑑定〉だろ。」
両者の間にわずかな沈黙が訪れた。どちらからともなく嘆息して、ぼそりと呟いた。
「それは…俺には無理だな。」
「お前にゃ無理だな。」
―――




