67.
クロムの剣が敵を裂いたことを認識した次の瞬間、右腹に強烈な激痛が走った。脇腹には剣が突き刺さり、クロムの腹を貫いていた。
痛みにめまいがしたが、咄嗟に右手を伸ばして男の腕を掴む。檀上で見た覆面の男だった。男がわずかに硬直した隙に叩きこむように男に剣を振る。しかし攻撃は見えない何かに弾かれた。
男は振りほどこうとしたがクロムの手から逃れることができず、二度、三度と攻撃を受ける。それも何かに守られたように弾かれた。諦めたのか男も剣を抉るように暴れさせ、クロムの腹を内から裂いて剣を取り出す。それとほぼ同時に、腹の痛みと傷が消え、覆面の男が驚愕に目を見開いた。
「なっ…!」
呆然とした男に剣を再び突き立てると、クロムの攻撃がついに弾かれることなく男を捉えた。攻撃は男の首へと吸い込まれて、鮮血を散らした。
男が倒れてから剣を更にもう一度構えて周囲を警戒したが、更なる襲撃者が襲ってくることはなかった。
見えない敵からの襲撃という緊張から解放され、攻撃を受けた脇腹に手を当てた。突然腹の傷が消えたのには覚えがあった。以前、魔獣に背後から攻撃されたときに致命傷を受けたが、今のように何事もなかったかのような現象は、〈白輝蜈蚣の外套〉の持つ効果の一つ、〈依代〉が発動したのだ。
覆面の男の死体を見遣ると、クロムと同じ〈隠匿の耳飾り〉をしていた。もう一人の男の死体も同じく〈隠匿の耳飾り〉をしていたから、これも回収した。
(これでこいつらも他人から見えるか。)
クロムは襲撃者の死体をそのままに、部屋へと入る。部屋の隅で固まっていたランカがびくりと肩を震わせたが、入ってきた者がクロムだとわかり安堵していた。
「ク、クロム、襲撃者は?無事だったの?」
「倒した。俺も無事だ。すぐに場所を移そう。…部屋を出るときは目を瞑っていてくれ。」
「わ、わかったわ。」
先ほど襲撃者が付けていた〈隠匿の耳飾り〉をランカへと渡すと、それを見て少し考えてから訝しげにクロムに視線を写した。
「二つ目を借りていたの?」
「襲撃者のつけていたやつだ。」
「うわ…クロムが付けている方を貸してもらっていい?」
「うん?わかった。」
クロムは自身の〈隠匿の耳飾り〉を外し、ランカに渡す。ランカが持っていたものを返され、血が少しついていたことに気付いた。これが嫌だったのだろうと思い、指で拭った。
「でもクロムが無傷みたいでよかった。夢では刺されちゃってたし、そうなるともう私じゃどうしようもないから。」
「そうか。」
クロムは本当のことを言おうかと悩んだが、ランカが落ち着いたところでわざわざいう必要はないと思い直してごまかした。
部屋を出て、通路を更に奥へと進む。二度角を曲がって死体が見えなくなったとき、ラン科に目を開けるように伝えた。二度三度瞬きしてから、ランカは通路を何事もなかったかのように歩き始めた。
「じゃあ、まずは通路を出て…神殿長を探しましょう。それから、兵士副長とか、まともな神官が要ればいいのだけど。」
「まとも?そうじゃない奴もいるのか。」
「神官って、神殿に仕える人が多いのよ。神殿騎士に近いわね。彼らの中にも神様に仕える人はいるけど…。
大抵は昔から神殿にいるせいで、考え方が世俗的ではないの。」
神官は司祭や司教とは違い、神殿騎士と同じく神殿そのものに仕えている。司教などのように特定の神を主に奉るのでなく、四十六柱それぞれに関する祭事を行う役目の者たちだ。他にも町などの防衛が目的であれば神殿騎士のように戦うこともあるし、人手が足りなければ司祭と同じく説法や祭事を取り仕切る。
神官は公正さと公平さを備えたものが選ばれる傾向にあるが、実際は誰でもなることができてしまう。志の低い者は必然、神殿を仕切る己はいたく偉いと思ってしまうものだという。
通路を回って見覚えのある廊下へと出ると、神殿長室、資料室、応接間と見て回った。治療院へ行くとようやくアゼルが見つかった。アゼルは汗だくになりながら怪我人の治療を行っていた。額の汗をぬぐい、また〈回復〉と唱えて怪我を癒していく。アゼルが怪我に手を近づけると、傷はするすると小さくなって消えていく。騎士レインはその手伝いをして、患者の汗をぬぐっていた。
(深層の探索者みたいな〈回復〉だ。あれを使えるまでに、相当研鑚を積んだはずだ。あの僧侶が、ドレークの言う嫌な奴とはどうも思えん。)
ランカがアゼルの傍に近づくと、レインが最初に気付いた。アゼルがランカの姿を認めると、目を見開いて驚いた。
「…!使徒ランカ、もしやあなたも怪我を!?」
「いえ、こちらに神殿長が居るかと思いまして。少し見させていただきましたが、見事な〈回復〉ですわ。」
「けがが無いなら良い。…何用だ?」
アゼルはその言葉に安心したように息を吐いて、穏やかな表情に変わった。しかし、次の言葉で再び顔が強張った。
「神殿の警備の強化はこれ以上しようがないということが解りました。
よって、私は夕の部は欠席します。」
「…そうか、駄目だったか。休むといい。だが、これ以上ないくらいに警戒していたはずだが。」
「しかし、事実として…どうやら、姿を隠す迷宮品を使ったようです。」
「なんだと!…失礼、まさか襲撃者も文字通り姿を隠しているとは。
しかし回収された襲撃者の死体の報告を受けたが、どうやって姿を隠していたか見当もつかないと聞いている。」
クロムが〈隠匿の耳飾り〉をくすねたことを言おうとして、ランカに足を踏まれた。黙っていろということらしかった。
「だが明日はどうする。明日は巫女の代わりに貴女がやることになっている、それは避けられない。
それから、護衛とは…そこの黒い髪の男のことで合っているな?信頼はできるのか?」
「はい。信頼できます。そして、明日は必ず私が儀式をします。そこは変わりません。」
「…わかった。儀式ができるなら、いい。ゆっくりと休むといい。」
アゼル神殿長はそれだけ言って治療へと戻った。
「儀式というのは明日のことか?」
「ええ。でも今日はもう帰りましょう。寝て、少しでも未来を見ないと。」
「これまで何度も見たんじゃないのか?」
「違う未来が出てきた以上は、少しでも多く未来を見ないと。」
ランカは領主館に帰ると言って、神殿を去る。クロムもランカを送るためにそれに続いた。
町を歩くと、ランカの姿を見た町民が心配そうにランカに話しかけてきた。
「使徒様や、大丈夫だったかい?」
「ええ。私は無事です。兵士たちから聞きましたが、皆様も無事で何よりです。」
「これ持ってっておくれよ、うちで漬けた蕪。」
「いえ、お心だけいただきます。」
ランカはすぐに町民たちに囲まれた。最初は警戒したクロムだったが、ランカがクロムの様子にすぐに気付いて手で制した。町民たちはランカを中心にしばらく楽しそうに話をしていたが。ランカがそろそろ行くと言ってからすぐに口々に手を振り、去っていく。
「慕われているな。」
「クロム、あまりそんなに怒っちゃだめよ。」
「怒っていない。」
「警戒するのは良いけど、彼らは戦う力なんてないただの町の人たち。日々を懸命に生きて、喜んで、悲しんで、苦しむ、普通の人たちを、そんなふうにしちゃいけないわ。」
「……普通、普通、か。お前の言うことはわからん。」
「記憶が無いんだったものね。でも、少しずつ慣れていけばいいわ。まずは警戒しないところからとか、どう?」
「それはできない。今はお前の護衛中だ。」
「はあ、真面目ね。でも、覚えておいて。貴方は表情には出ないけど、きっとあの人たちと同じ普通の人よ。」
クロムはこのときは、言葉の真意を取れなかった。
ランカはクロムが考え込む様子を気にかけながらも、領主館に戻るまでに幾人もの町人たちに声をかけられ、それぞれに笑顔で応答した。
その様子を見るうちに、この少女もやはり、少し変わった、ただの子供なのだと思えた。そこで漸く、先程のランカの言葉をくみ取ることができた。
(…こいつは未来を見ることのできる海の神の使徒だ。だが同時に、戦うことのできない、ただの子供。
だから俺はラピア神の情報を与えてくれた恩義なんかじゃなくて、ただ駆け引きの無い心でランカを守ろうと、死の運命に反逆しようと願ったのかもしれん。)
(…すると案外、俺も普通というやつと変わらないのかもしれない。)




