65.
「助祭のカーンです。皆様、本日はよくお集まりになられました。今年も皆さまにサーラ神の加護があらせられますようお祈りいたします。
さて、我等が海の神サーラ神の謂れと言えば―――」
何か魔術を使っているのか、それとも魔道具を使っているのかはわからないが、人の多い聖堂によく響いた。手短な挨拶を済ませて、助祭が説法を始めた。
内容は神話時代の海の神の逸話に始まり、やがて海の神の使徒の話へと移った。
「最初のサーラ神の使徒は東大陸の竜の国に生まれました。今より千年前、まだ西大陸と交易を初めて間もないころのことです。今は安全に渡航できる王国北部と東大陸北部を結ぶ海路すら、当時は危険が多く命がけでした。お嘆きになったサーラ神は―――」
カーンの話に少しだけ興味を持って聞いていたが、その途中で殺気を感じた。目線だけをやると殺気を放っていた町民の男だった。よく見れば、町中を歩く者たちよりも一回りは逞しく、目つきも剣呑だった。左手を懐に入れて、カーンの立っている階の先、講演台の奥―――奥に控えたランカを見ていた。
クロムは静かにその場を離れると、壁際に移動し、人の目を盗んで再び〈隠匿の耳飾り〉を付けると音を殺して階に近づき、〈夜叉の太刀〉に手をかけた。魔術は〈白輝蜈蚣の外套〉が阻むし、投擲物や男自身が飛び出してくるようならば〈夜叉の太刀〉で切り伏せればいいと考えていた。
(いや、刃傷沙汰はまずいか?だがなあ。)
そんなことを延々と考えている間にカーン助祭は穏やかな語りで最初の海の神の使徒の活躍を語り終えた。
「喜ばしいことにこの度、ドレーク・パキラ領主様の御息女、ランカ・パキラ様が海の神に見初められ、此度の使徒となられました。皆様、使徒ランカに盛大な祝福と、祈りを―――」
人々が思い思いに拍手をして、あるいは手を組んで祈りをささげる中で、殺気を飛ばしていた男の左手が動いた。飛ばされたものを叩き落とす。床に刺さったものは大ぶりのダガーだった。
ランカの傍に控えていた神官やカーンが異常に気付き、刃物が投げられたとわかるや席の近い者から異様な雰囲気を察し、会場全体に伝播した。すぐに人の動きが大きくなる。状況を理解したものは我先にと扉へ走り始め、訳も分からずそれに続くもの、意味が徐々に浸透して、理解した者が扉へと殺到した。
対して、ランカへと向かってくる者が幾人かいたが、彼らは全員が殺気立っていた。
「クロム、お願い!」
ランカの言葉を背に受けて、〈夜叉の太刀〉を構える。向かってきた襲撃者は四人いたが、〈地崩し〉や〈煙霧〉で足を砕いたり、健を裂いて動けなくした。戦いにならない戦いはごくわずかな時間で終わった。
クロムはランカの傍に寄って更に敵がいないか警戒したが、控えていた神官や後から入ってきた兵士が襲撃者たちの拘束を始め、どこかへと連れていく。
「流石ね。」
「…こいつら、ただの素人だ。だがまだ敵がいるかもしれん。逃げるか?」
「いえ、自分たちの信仰する神様の使徒が逃げる姿を見せられないわ。堂々としていましょう。」
襲撃者を捉えた兵士たちのうち一番立派な装備の男が出てきてカーンとランカに敬礼をした。
「使徒様、カーン助祭。ご無事でよかった。不躾ながら、その男は?」
「ああ、コリン。そこの方が守ってくれましたから、使徒様も私も神官も無事でしたよ。」
「この男は私の護衛だから、大丈夫。外はどうなっているの?」
クロムは既にカーンを見ているが、カーンはここで初めてクロムを見ていることに気付いた。ランカが間に入ったお陰で、余計な追及は無かった。
「はい。丁度カーン助祭の説法が始まった頃に、神殿の外では小規模ですが暴動が起きていたようです。まさか聖堂に入り込んでいるとは。
兵の中にも怪我をした者はいますが、死人は出ませんでした。」
「そうだったの、ご苦労様。外ということはアゼル神殿長もご無事?」
「神殿長の御側には本日もレイン様、ラッツ様が守っておいでですから、何があっても無事と思われます。」
「そう。なら大丈夫ね。ところで、襲撃者の正体はわかる?」
兵士は少し考えていたが、首を横に振る。
「まだ断定はできません。しかし、奴らの中にはどうやら巷で魔道具を売り捌いていた者がいたと報告があり、最近起きている犯罪とかかわりがあるように思います。」
「そう。手の空いた者で彼らの素性を探って。神殿長は…今日も神殿長室かしら?それとも応接間?」
「はい。神殿長は応接間にいらっしゃいます。大切なお客様がいらっしゃっており、その対応をされています。」
「わかったわ。クロム、行きましょう。貴方はもう任務に戻って。」
兵士は一礼してすぐに部下たちに指示を始める。
クロムとランカは目を軽く合わせ、方向を示し合わせた。向かう先は応接間だった。
応接間の前には立派な鎧姿の男が応接間を守るように立っていた。その姿は強者の風格を纏っていた。
クロムたちの姿を見つけると、腰に佩いた剣の柄を強く握ってクロムを睨んだ。
「使徒様、よくぞご無事で。後ろの方は?」
「護衛よ。神殿騎士ラッツ、控えなさい。」
声色はクロムに対する警戒心が現れていたが、ランカの言葉を聞くと神殿騎士から急激に警戒は薄れ、市井にいるただの男の様な何もない雰囲気に変わった。先ほどの強者の風格は既に欠片もない。
「そうでしたか。使徒様、その化け物みたいな男をけしかけないでくださいね。」
「そんなことはしないわ。相変わらず口が軽いわね。ところで神殿長は無事でしたか?」
「はい。襲撃者は全員取り押さえました。…まさか、兵士長が襲ってくるとは思いもしませんでしたが。」
「なに?どういうことだ?」
ラッツと呼ばれた鎧の男は、茶色の髪を乱暴に掻いて難しい顔をした。
「俺は取り押さえただけで、詳しいことは何も。ここを通しますので、レインかアゼル神殿長から聞いてください。中には来客…神殿長の兄上様もいらっしゃいますので、言動にはご注意を。」
そう言ってラッツは扉を叩いて、ランカが来たことを内に伝えた。
中からの返事の後、ラッツが扉を開いて、中へ入るよう促した。ランカが最初に入り、クロムもそれに続いた。ラッツは何か信じられないような目でクロムを見たが、すぐに目を逸らして気にしていないふりをした。
中には三人の男がいた。部屋の中央の長椅子には二人の男が座っていた。一人はカーン助祭が着ていた衣服よりも一段立派なものを纏った剃髪の男。人のよさそうな顔をしていた。その衣服からこの男が神殿長だとわかった。その反対側に、貴族然とした上品そうな男が座っていた。片眼鏡と丁寧に撫でつけられた白髪が神経質そうな印象を受けた。神殿長らしい男と、どこか面影が重なった。
最後に、数歩離れた位置にラッツと同じ鎧姿の男がいたが、ラッツほどの風格は感じなかった。
「アゼル神殿長、マーレイア当主様もご無事で何よりです。」
「おお、使徒ランカ。そちらが無事でよかった。」
アゼルは立ち上がると喜ばしいように笑みを見せて礼をした。その様子は無事を喜んでいるだけに見えた。レインが椅子を持ってきて、ランカに勧めて座らせた。
(…この神殿長はなんだ、ドレークたちの言い分だと、腹黒い人間だとか思っていたが。まだわからんか。)
「ところで、その男は?」
「私の護衛です。
…それで、神殿長。先ほど、騎士ラッツより襲撃の詳細は神殿長から聞くよう言われました。それから、兵士長が謀反したとかいう話も聞きました。ここで何があったか、聞いてもよろしいですか?」
彼らが無事を喜びあってから、ランカが切り出した。
「無論。襲撃が起こった時、私はマーレイア当主様とお話をしていた。
内容は、厳密にはまだ外部の人間である使徒殿に話すことはできない。しかし、義に反する不審な話でない事は、二大神、秩序神イリアオースと赦免神ニタスタージに誓おう。」
「わかりましたわ。続きを。」
「歓待しようとしたときに、襲撃を受けたのだ。最初の襲撃者はレインとラッツがすべて片付けた。その後すぐ、神殿兵たちと兵士長が襲ってきた。
戦いはすぐに終わったが、兵士長とその指揮下にあった兵士たちは、どうやら幻を見ていたのか我々をどうやら敵だと思っていたようだ。原因は目下調査中だ。」
「成程。私たちのいた聖堂も似たようなものでしたわ。
聖堂でカーン助祭の演説中、市民たちに紛れた襲撃者が襲ってきました。
こちらにいる護衛によって私は難を逃れました。それからすぐに神殿兵たちの誘導があったようで、がすぐに来てくれたため、市民のほとんどは怪我無く逃げられたようです。」
「そうかそうか。来賓がたも混乱した以外は無事で、カーン助祭をはじめ怪我をされた者らも別状はなく無事なようで、本当に良かった。」
アゼルは終始和やかな雰囲気で話をしていた。クロムはアゼルの様子をじっと見ていたが、ドレークが言っていたような腹黒い人間というようには見えず首を傾げた。




