63.
夕暮れ時。この日はずっとランカと一緒に露店を回っていた。食べ物を買い、果実水を買い、珍しいところだと凍らせた果実なども買った。食べるのに満足したら工業区へ足を運び、また商業区で露店を巡る。甘いものをランカがひたすらねだり、クロムが買う。傍から見れば仲のいい兄妹に見えただろう。
「…おかえり、ランカ。クロム、護衛をありがとう。ちょっと話をしよう。」
二人は領主館へと着くなり、ザンジバルに迎えられた。後ろには領主の部下か手下かはわからないが、兵士が幾人も並んでいた。その様子にランカが眉をひそめた。
「ただいま帰りました。それにしてもザンジバル兄さま、物騒よ。」
「お前が見張りを撒かなければよかっただけの話だ。後から町中で見つかったから良かったが。クロムも、見張りを撒くのは控えてくれ。」
「なにそれ、私を見失う程度の見張りなんていないのと同じよ。」
「お前が攫われていたりしたら一大事だ。近頃は少し物騒だ。
まあいい、明日は民の前での儀式だろう。さあ、風呂でも入って汚れを落としてこい。」
「はーい。クロム、また明日ね。」
「ああ。」
ランカはクロムに軽く手を振ると侍女を引き連れて屋敷の奥へと向かった。
ザンジバルとクロムはそれを見送ってから、応接間へと向かう。
「ランカとは随分仲良くなったみたいだな。意外だ。あいつは割と人見知りするんだ。」
「そうか?結構気さくだと思うが。」
「いや、家族やうちで働いている奴らにはああいう態度だが、よそではなあ。」
頬を掻きながら、見た目の怖いお前になつくとはと不思議がっていた。
「今日はクロムが一緒で助かった。神殿の輩もこそこそしていたらしいからなあ。」
「む、そういえば追ってきていた奴が、神殿の奴かもとかランカが言っていた。
ランカは海の神の使徒なんだろう?詳しくは知らんが、使徒は神殿からは重宝されるんじゃないのか?」
「本来ならそうだが、ここでは違う。
ここの土地の神官はマーレイアの息のかかった人間…というか、マーレイア家の人間だ。それも、未だにマーレイア家と強固なつながりがある。」
ザンジバルが溜息とともに顔を手で覆った。
現在バティンポリスの神殿長をしている男はアゼル・マーレイアという司教で、パキラ家の政敵であるマーレイア家の出身で、現マーレイア家の当主シュフラットの弟に当たる。
アゼルはわずか二十で司祭になり、三十五の頃には司教になった優秀な男だった。学もあり、最低限程度ではあるが迷宮の浅層で戦える実力があり、何より実家が多額の献金もしている。経営難になりやすいという神殿では相当に助かる存在だったらしい。
半生を費やして司教、そして神殿長の椅子に座ると、パキラ家と関係していた助祭に巡業として帝国内を回るように言って追い出し、庭師や兵士には助祭の手伝いとして巡業に着いて行くように人事を出し、あるいは新たにマーレイア家の息のかかった者を引き立てて暇を出した。その際にマーレイア家とつながりのある者たちについても同じようにしていたから、政治的な行動ではないと考えていた者もいたようだった。実際のところは、有力な神官や司祭は帝国の中央神殿、総本山と呼ばれる場所へと戻っていったため、アゼルが神殿を手中に収めたも同然の状況で、既に用が済んでいたということだったのだろう。
「…そんなわけでここしばらくはマーレイアが政治と神殿ふたつの方向からパキラ家にちょっかい出してやがったんだ。
あと一押し二押しくらいで没落しそうだったパキラ家を救ったのがランカだ。あっちもまさか、助祭はおろか神殿へ仕えるために神殿に赴くという手順すら無視して神殿に強い影響力を持って対抗できる使徒、それも海の神の使徒になるとは思わなかったのだろうな。
使徒はどこの神殿でも丁重に扱われるべき存在だ。たとえそれが年端もいかないガキでもだ。神の啓示はたとえ神殿長、大司教であっても使徒以外には得られない。」
「ふうん。まあ、神殿長が悪いということでいいのか?」
「そう単純な話ではないが、俺達からすればそうだ。アゼルを落とせれば、マーレイアはただの小うるさい政敵だ。」
「マーレイア自体を排除はしないのか?」
「しない。それは俺も、父上もボスポラスも同じ意見だ。
奴らは政治が下手糞なだけで、どの代でも金を稼ぐことについては俺達よりも上手いし、職人たちを育てる手腕もある。それを切り離すと、バティンポリスの産業のいくつかは廃業になってしまう。」
心情としては排除したいのだろうが、実力は買っているのだろう。貴族だとか領主だとか、産業だとか経済だとかいう話はクロムにはわからない。そのためクロムはこの手の話に割って入ることはしないようにしよう、と改めて思った。
「それで、あんたらはアゼルとやらをどうにかできるのか?」
「ああ。来月に神殿の総本山から、新たに司教が来ることが決まった。アゼルは司祭だから、序列として次の司教が来たら神殿長の座を自動的に降りることになる。それはアゼルも分かっているはずだ。それまでランカがアゼルを抑えて、父上と俺がシュフラットを抑えることで、そのまま時間が経てばマーレイアは神殿での絶対的地位を失う。
それから…これはまだ市井には秘密だが、この町で妙な連中がうろついている。許可されていない魔道具を売ったり、妙な本を売ったりしているんだ。海神祭が終わり次第、ボスポラスと共にこれを片す。奴らを捉えて、背後関係はそこそこに洗ってさっさと叩きだすつもりだ。」
ザンジバルは棚から酒瓶を出して、飲み始めた。クロムにも勧めてきたが、断った。クロムに理解ができたのは、神殿長は時間で力を失うことと、変な連中が巷にいるということくらいだった。
「まあ、俺はあまり関係ない話だな。だがそれを俺の様な他人に話してよかったのか?」
「ああ。問題ない。むしろ、マーレイアに売ってもらっていい。」
「なに?いや、しないが。」
「そうか。口が堅いな、良いことだ。
もしあいつらが何かしてくるようならあいつらが黒。白だったら何もしないだろうからな。クロムが売ってくれれば、奴らの反応を見物できたんだがな。」
「ふうん。そういえば、昨日呼び出したのは何だったんだ?」
「ああ、ランカを一日遊ばせてくれって話だったんだよ。今日はあいつ暇だったからな。
だが、まさかランカからお前を誘って…あれ?クロムは早朝に来たんだよな?」
「ああ。」
「……あいつ、早起き苦手なのに良く起きれたな?お前、なにかしたか?」
「知らん。」
ザンジバルは紙に一筆書くと、明日はそれを門兵に見せろと言って渡してきた。内容を見ると、ランカの警護を依頼したから門を通すよう書かれていた。
その後はザンジバルが遊空鮫討伐の話を聞きたがったため、一通りを話してから応接間を後にした。去り際、ザンジバルがクロムの背に声をかけた。
「まあ、こっちのごたごたは俺達で何とかする。だが、ランカのことだけは守ってくれよ。」
「任せろ。」
―――
(…また夢か。)
目の前で黒髪の男が、逃げようとした蝙蝠型の魔獣を切り裂いて動きを止め、首を落としたところだった。いつかのように、木の上にその女は座って、黒髪の男を見ていた。
「…グラム。貴方は本当に馬鹿。私がいるのだから、私に手伝えといえばいい。何故私に何も言わない?」
銀の髪の女はグラムと呼ばれた黒髪の男に対して疑問を投げた。
ここは霊峰山脈の中腹で、男は一昼夜に渡る闘いの末に蝙蝠型の魔獣を倒した。蝙蝠型の魔獣は高い自己再生能力と索敵能力があり、夜間はおろか日中も行動できることが男を苦しめた。しかし魔獣は攻撃能力と防御力もまた高いわけでなかった。
無論、この魔獣にも弱点があり、〈反射〉や〈閃光〉の二つの魔術で索敵能力を昨日できなくさせることができるし、この魔獣の魔術攻撃の耐性は低かった。
しかし男はどちらも使わず、ひたすら追い、攻め続けて疲弊したところを倒したのだ。
「……あんたが介入したらまずいんじゃないのか?」
「そんなもの、天上の決めたことだ。私には関係ない。」
「そうなのか。だが少し休ませてくれ、こいつの相手は疲れた。」
男が魔獣の死骸から離れて、木の陰で横たわる。女は頑固者めと一言男の背に投げて、悪態をついた。
場面が飛んで、昼から夜に変わった。ひと眠りしたらしい男は起き上がると、水袋の中身を飲み干す。一息ついたところで、男が目覚めたことに気付いた女が再び問いかけた。
「…それで、何故私に言わない?」
「総本山の奴らは神力に敏感な奴も多いんだろう。なら、お前がなにかしてはいけない。」
「私の使徒がいなくなる方が困るのだけれど。」
「俺はお前の使徒だと知られると困るんだが。」
「…私は困らない。」
女は何がいけないのかわからないというように首を傾げた。男は少し考えてから説明を始めた。
「…まず、お前の名前や教えは、地上では既に棄教されている。もし神官たちが知らない神力の跡を嗅ぎ取ったら、疑問に思うだろう。」
「そうかしら?」
「そうだ。そこまで鈍い奴らじゃない。
それから神々が争っているんだから、妙なところに痕跡が、これはお前のものだ、何か企んでいる、と露見することもあり得る。」
「考えすぎではないのか?」
「最後に、俺が使徒だと判明してしまった場合はお前の手駒が自由に動かなくなる。これはいけない。」
「…グラムは優しい、そして実に手緩い。貴方が死んだら私の駒が無くなるのだけど。」
「失いたくないならもっと慎重になれ。お前が加担したらすぐに俺が死ぬことになるぞ。」
女はしばらく不服そうに男を睨んでいた。男はそれ以上何も応えず、暗い森の中に消えた。女は後ろ姿を見ていたが、意地っ張りめと吐き捨ててどこかへと消えた。
―――




