60.
ランカに裏口から連れ出されて町へと降りる。日が出始めた早朝だというのに町は祭の準備が進んでいて、まだ露店も開いていない。ランカはそれを眺めながらあちこちを歩き、それに着いて行くだけのクロムだったが、ふと妙な視線を感じた。
(……うん?)
周囲の喧騒を聞きながらクロムはランカに視線を戻し、ランカの傍へと戻った。
「クロム、今ってもしかしてまだ何もやってないのかしら?」
「まだ朝早いんだ。こんなに早く市が始まるわけでもないだろうに。」
ふうんと言ってランカは興味を無くしたように速足になった。商業区を出て工業区へと出た。工業区の多くは小舟、帆船の製造や修理が主で、他には幾つかの工房や工場がある程度だ。普段は関係者しか立ち入らないが、海神祭の間はこの通りも人で賑わうという。しかしこの時間はまだ人も少なく、店も閉まっていた。
「ここは何を?」
「工業区は昼前になったら一斉に開かれるよ。
新しい船のお披露目会みたいなところがあって、片手よりちょっと大きいくらいの船をいくつも展示するんだ。」
「船か。…俺にはわからん。」
「この町では船はすごく注目されるの。嵐でも耐えられるような頑丈さと、大漁の魚を運べるだけの速さと大きさを持った船は珍重されるの。」
「ほう。だがその小さい船とは違うんじゃないか?」
「違うよ。ちっちゃいほうは要は模型で、どれだけ頑丈かとか、どれだけ速いかとかを競う大会が今日の昼からあるんだ。結構大きな大会なんだよ。」
「ふうん。」
「クロムはそればっかり。」
「お前に言われたくはないが…。」
ランカは工業区がなにもない事は知っていたようで、更に通り抜けていった。また妙な視線を感じて振り返ったが、誰もいなかった。少しの間周囲を探ってみたが、何もいなかった。
「…ランカ、お前はなぜこんな朝早くから出歩いたんだ?」
クロムは気になったことを聞いた。ランカはそれに少し困った顔をしながら、なんとなく、と言った。クロムはそれ以上聞くことなく、ランカを追って歩いた。
次に出た農業区は今日も人が慌しく動いていた。クロムも伝え聞いたことだったが、この町の農業区は特に朝が早い。漁師たちが日の出と共に港を出入りすることもあって他の者も朝早くから動き、日の入りと共に休むのだという。日の出前に野菜を収穫して市場や契約している納入先の店へと持っていくのだ。
「冬でもとれる野菜があるのか?」
クロムが知る冬は食料が少なく、干した肉や野菜、果実を少しずつ食べていた。ヘルリックが食料を置いて行ったこともあったから越冬できた。
「うん。大根とか蕪とかかな。」
「ああ、そういえばこっちで食べたな。」
海神祭に対して農業区は特別出し物などしていないというが、露店や店に野菜類を出荷するのは大切な役割で、かつ彼らにとっても貴重な稼ぎらしく、農業区を抜けるまで誰もが忙しそうにしていた。
「…どこまで行くつもりだ?」
「もうちょっとかな。」
もうすぐ農業区を抜けてしまう。護衛として既に頼まれてきている以上はランカを守らなければならない。しかし、クロム一人であればどうとでもなるが、ランカを守りながら戦うには遮蔽物の無い場所には痛くなかった。
ランカの傍へと寄って耳打ちした。
「後ろから着いて来ている奴がいる。これ以上は撒けないから、仕掛けてきたら戦うしかない。その時は俺の傍にいろ。」
クロムは背後から一人追ってきた輩を察していた。ランカは驚いた様子もせず、クロムの前を歩いた。
「知ってるわ。あいつ、神殿の神官よ。」
「…知り合いなのか?」
「まあ、そうだけれど…関係ないわ。」
ランカが既に気付いていることにも驚いたが、まさか神殿の人間とは思わなかった。
ランカは神官には興味なさげにしていたが、やはり気にはなるらしく、よく見ればクロムのほうを見るかのようにしながら、クロムのではなく更に奥を見ていた。
「気になるか?」
「そりゃあ…今から行くところは、できれば知られたくないもの。」
「…ふむ。撒くか?」
「撒けるの?」
「この距離なら、できんことはない。」
「じゃあ、やって。」
「よし。」
クロムは煙幕玉を一つ取り出し、背後へと投げた。地面に触れた煙幕玉は砕けて瞬き二、三度程度の時間で煙幕を周囲に広げた。その間にクロムはランカの耳に〈隠匿の耳飾り〉を付け、クロムは〈迷彩の鎌〉を取り出した。
異変に気付いたのか、少し遅れて背後の男が駆け寄ってきたが、その間に煙幕は消えた。クロムはランカを抱えてその場を離れた。
男がクロムたちのいた場所にたどり着くころには、クロムたちは十歩と少し離れた場所にいた。男は立ち止まってぽかんとしながら、周囲を見渡しながら探していた。
その間にもクロムたちは更に距離を取った。男はしばらく周囲を探していたようだったが、ランカを見失ったことに気付いたのか急いで戻って行った。
「…なにしたの?」
「身を隠しただけだ。」
「クロムが鎌を持つと冥界神みたいね。」
「冥界神?」
「冥界神スタグスフィーノは死後の世界を司る、黒い恰好に大きな鎌を持った姿の神様よ。今のあなたにそっくりよ。」
「ふうん。」
「あなたから言ってきたのに興味ないの?」
「無いな。」
「クロムはどの神様に誓いを立てたの?」
「…わからん。ところで、これでどこに行くんだ?」
「なにそれ。」
それ以上答えられないクロムは口を噤んだ。クロムは〈迷彩の鎌〉を仕舞い、ランカから〈隠匿の耳飾り〉を返してもらうと、移動を促した。
「…こっち。もっと先よ。」
ランカに連れられて歩いて行った先は岬だった。ランカはそのまま岬へと進まず、脇へと逸れて雑木林へと入った。
「おい、そっちは危ない。」
「大丈夫。着いてきて。」
そう言ってランカは更に奥へと入っていく。それを追ってクロムも雑木林へと入った。
足元は適度に固く、木々に捕まれば簡単に進むことができた。更に進めば斜面も急になったが、ランカは意に介さず進んでいた。
(…この先は…海に出るんじゃないか?)
ランカが勢いを付けて跳び、枝を掴んで身を投げた。
「ランカ!」
クロムは急いで駆け寄り、思わずランカが身を投げた場所から下を覗き込んだが、しかしその先にランカの姿はない。冷たい汗が噴き出た。今すぐ飛び込むべく装備を取り出したところで、ランカの声がした。
「クロム、こっち、こっち!」
声のした方を見ると、岩盤に分厚く張った太い蔦に捕まっていた。思わずクロムも声を張った。
「無事か?心臓に悪い!」
「大丈夫だって言ったでしょ!過保護!」
「護衛対象が無茶をするな!」
「いいからこっちに来て!この先!」
ランカはそういいながら蔦を器用に伝って先へと進んでいく。ランカが移動している更に先には横穴が見えた。あそこへ行くつもりなのだろう。
(…あれは相当慣れている動きだな。なんであんなに慣れた様子なんだ。)
よく見ればクロムが手を伸ばして丁度届く距離から、太い蔦が幾本も絡まって垂れていた。それに捕まると、クロムもランカのように蔦を掴みながら横這いに進んだ。
ランカは先に横穴へとたどり着いて、中へと入っていった。少ししてクロムも追いつき、横穴へと降り立った。




