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神の盤上と彷徨者  作者: 咸深
5.急変
16/143

15.

―――

 木の枝に座った女の、緩く流れる長い銀の髪が風に揺れた。女はこちらを見下ろして、山ほどある魔獣の死骸の中に倒れている黒髪の男に何か声をかけていた。


 黒髪の男は何十といた猿の魔獣の群れを殲滅し、最後にその群れの主である黄金色の猿を残る力の限りで叩き潰したのだ。主の鋼のように硬い筋肉を持った巨躯をたった一撃で破壊した男は、精魂尽きたように倒れ込んだ。


「また派手にやったんだな。それを使えばどうなるかわかっていただろうに。」


 声にならない声を出して、女への返事とした。

 女は少しだけ口を動かして、その場から消えた。黒髪の男はそのまま眠りへと落ちた。


―――

 クロムが意識を取り戻したとき、最初に倦怠感を感じた。蜈蚣の魔獣との戦いで感じたより軽度だったが、何もかも億劫になってもう一度意識を手放した。


 もう一度目を覚ました時には倦怠感はほとんど消えていた。辺りを見回すと、どこかの宿のような場所にいた。少なくともクロムが借りていたような安い宿ではない、もっと立派な部屋だった。


 布団に横たわったまま、クロムは最後の記憶を手繰り寄せていた。


 〈剛力〉を二度唱え、重ね掛けできたこと、そして一だけ度唱える以上の力を以て魔獣を叩き割ったことは確かだ。そして、これは〈剛力〉を幾度も使ったときの―――蟻の魔獣の群れを殲滅したときに感じた倦怠感や寒気以上のそれに襲われたことも確かだ。まともに立ち上がるどころか、思考すら奪われたような感覚を覚えたのだから、まともに扱えるやり方ではない。


(恐ろしいまでの力を感じたなあ。あれだけの力があれば、余程硬い相手じゃなければ…あの魔獣の甲殻を叩き潰せたんだから、いざというときの突破手段になることは確かだ。

…あれはほかの攻撃が通じないような相手を叩き潰すために使う切り札だな。)


 〈剛力〉の重ね掛けは普段は絶対に使わないことを決めると、青白い蜈蚣を倒す方法も考え始めた。

 だが脱皮してからは足の関節すらより強靭になる魔獣を、倒しきれる算段は思いつくことはなかった。

 布団の上でぼんやりと考え込んで切る間に扉が開いた。起き上がれず目線をやると、アリシアとガハラが覗いていた。


「よかった、ようやく気が付いた!十日も寝たままで…、

迷宮のことは覚えてるかい?」

「白い魔獣を倒したところまでは。」

「おいクロム、アレはいったい何をした?普通じゃ攻撃も通らないような硬さだったじゃねえか。それを、一番固そうな頭から!」

「ガハラ、やめな。起きたばかりだろう。」

「あ、ああ、すまん。そうだな。他の連中にも伝えてくる。

ジェイドとミーアは特に心配していたんだ。」


 それだけ言い残してガハラはさっさと部屋を出ていく。アリシアがそのガハラのそそっかしい態度に軽く悪態をついていた。


「ところで、ここはどこだ?」

「私たちが使ってる宿さ。治安も良い区画だから、安心して寝ていい。」

「そうか、それはすまん、迷惑をかけたな。あの蜈蚣の魔獣はどうした?運ぶのは無理だったと思うが…」

「安心しな、あれは外套に変じて、今は協会で鑑定中さ。鑑定が終わったら、外套はクロムの取り分になるよ。倒したのはあんただからね。

 あとはそれまでに採れた魔獣の素材なんかを換金しているから、いくらか金になりそう。これも分け前として出すよ。

 それとね、いくつかの素材についてはいくらか譲ってほしいんだ。いい防具になりそうでね、できるだけいいところを使いたいんだ。」

「…そうか。譲るのは構わない。それより、もう少し寝てもいいか?」

「ああ、勿論。あとで食べる物も買ってきてあげるよ。」


―――――

 色々な野菜や果実を煮溶かした味の濃い汁を啜って、更に一晩寝ると、ようやく一人で体を起こせるようになった。〈深淵の愚者〉はクロムが起きてからはしばらく羽を伸ばすとガハラが宣言し、皆思い思いに過ごしていたようだった。交代でクロムの世話に来てくれた。


 数日して動けるようになったクロムは、鍛冶屋を探した。数打ちの剣や槍を数本買い付けた。捨てても惜しくない武器である。

 〈深淵の愚者〉と探索して得た金はまだ残っていたので、狩ったそれらとは別に剣を一本誂てもらうことにした。


 その数日後、白い蜈蚣が倒れたときに変じたという迷宮品の鑑定が終わり、詳細を聞かされた。

 〈白輝蜈蚣の外套〉と鑑定された、黒地に白い蜈蚣の模様があしらわれた外套は幾つかの能力を有していた。


「全部で五つの能力がある事が解りました。

 外部からのマナを一切通さない〈魔力遮断〉。

 二日に一度、致命的な怪我を肩代わりする〈依代〉。

 外套自身を修復する〈自己修復〉。

 ここまで見るとものすごく破格ですね。これだけなら迷宮の主でも倒したんですか?ってくらい高位の迷宮品ですよ。ここまでなら最低でも金貨六百枚は堅いですが次が問題でして。

 〈調伏〉と〈災禍〉。この二つの能力は記録や資料が一切無く、どのような能力かについては〈鑑定〉でも〈解析〉でもほとんど何もわかりませんでした。私の練度不足と言われればそうなのかもしれませんが…。

 うーん、研究したいなあ。…その、一応聞きますけど売却する気などは?」


「ない。」

「ですよね!」


―――

 思い思いに羽を伸ばし、再びオセ迷宮へと向かった一行は迷宮に入ることなく膝を付いた。オセ迷宮は休眠していたのだ。ガハラが脱力した。


「なん…だと…?」


 街へ戻ってみれば、〈水流の冠〉と〈栄光の旗〉が数日前に探索を再開し、つい先ほど迷宮の主である奇怪な蜘蛛の魔獣を倒したという話でもちきりになっていた。丁度入れ違いになった形だった。

 最下層に現れた、巨大な一つの腹に対して上下に頭と胴が二つ付いたその魔獣は双王蜘蛛ゲミノレクスアラネと名付けられ、金貨四千枚以上の値でどこかの研究機関が丸ごと買い取っていったと噂が流れた。


「クッソ!またあいつらに先越された!」


 その噂を嫌というほど聞いた〈深淵の愚者〉は裏通りの酒場で管を巻いていた。

噂ではオセ迷宮の主、双王蜘蛛は五十七層に現れた。次の階層は現れないのだから、全五十七層の迷宮、ということになる。丁度その手前で一行は引き返しているのだ。


「聞いたかよ、あいつらあのデカブツ見て一度引き返したらしいぞ。」


 更に聞いたところでは、〈水竜の冠〉たちもクロムたちの戦った希少種を確認していた。しかし彼らは気付かれる前に一度撤退し、満を持して戦いに行ったら既にいなかった、と〈栄光の旗〉の一人がそう言いふらしていたというではないか。


「…我等が露払いしてしまったということか。」

「そういうこともあるって言やァそうだけどよォ…その次が主の層だって言われたら、なあ?」

「ハア、ちょっと何も考えたくないねェ。」


 愚痴を口にしながら酒に呑まれる深層の探索者たちと、酒の席はやはり居心地の悪いクロムはひたすら料理を食べていた。彼等は翌日も昼に酒場へ集まって、日が暮れるまで酒を飲み愚痴を言っていたが、心の整理がある程度付いたのか、レラが口を開いた。


「ガハラよォ、これからどうする?」

「あ?あー、ここはもういいだろ。エリゴールでもいいんだが…なんだ、あいつらの噂を聞くのは気分が悪い。別のところに行けばいいだろ。

次はそうだな、ここから西にサブナックとカークリノーラス、そこから北にバティン、サレオス、ヴィネ。山脈寄りに行けばフルフルがあったか。

北、帝都に行けばザガン、ブネ、ロンウェー、マルバス。帝都に行くまでならガミジン、ウェパル、ボティス。南はどうだったかな。」

「ここより南は迷宮は固まってないよ。ぽつぽつあったはずだ。」

「うむ、ならばサブナックが良いな。あそこは猿の魔獣しか湧かない。今回思ったが、やはり人型が戦いやすい。」

「お、そこ行くか?」

「どこでもイイ。」


 次の迷宮の話で盛り上がっている中、ずっと黙って聞いていたクロムはようやく声を出す。


「ちょっといいか?最初の契約上、俺はここで別れることになっていると思うんだが。」

「え?」


 一瞬卓が静かになり、周囲の喧騒が遠くに聞こえた。


「あー…そういえば組んだとき、オセを探索する間だけっていう契約だったっけねえ。忘れてたよ。そうかあ、契約には従わないとねえ。」

「ああ。オセに潜らないなら俺は別の場所に行くつもりだ。」


 もう少しガハラたちと一緒に迷宮へと潜るのもいいと思っていた。強い彼等と一緒に冒険できれば記憶もやがて取り戻せるだろう、だがそれは今すぐではない。オセ迷宮深層へと潜ることでいくつか記憶を取り戻した今のクロムには、夢で見た女を探し、過去を知るほうが重要だった。


「おーう、じゃあ明日契約の解除だけしよう。その後はまあ、気が向いたらまた組もうじゃねえか。」

「そうだな。世話になった。」

「また会おう。」

「またね、クロム。」


 別れの挨拶を背に受けながら、クロムは一人酒場を後にした。


―――

 黒目黒髪の若者の背を見送り、ふとパトリオットが呟いた。

「…夜空の髪と黒曜の眼、鋼の如し身心は数多の武技にて鍛えられ、纏う衣が黒ならば戦場において寄るべからず、黒鉄の民に違いなし。」

「おやパトリオット、酔ったのかい?」

「何かの詩か?」

「うむ。古い戦場の伝説だ。これは二百年前、黒鉄の民という、戦場で無双の活躍をすると謳われた部族についての…要は彼等とは安易に敵対するなという畏怖の言い伝えだ。」

「二百年は随分古いナ。」

「仕方あるまい。黒鉄の民は英雄の登場によって戦が鎮まり、また英雄によって追われ絶えているという。最期は…幾度もの追撃の果て、戦に敗れ姿を消したという話だ。」


「ふうん。生きてたら手合わせしてみたいもんだ。で、なんでそんなことを?」

「…なに、伝承の最期、黒鉄の一族が…もしボティス荒野の戦を生き延びたものがいたら、あの若者の様な姿をしていたのかと……歴史に夢を見すぎだとはわかっているが。」

「ふうん。でも迫害ってことはその後も随分探されたんじゃねえか?生き残るのは…」

「…絶望的。」

「うむ。だから夢と言っておろうに…。」

「で、その最強の部族とやらを討った英雄の方の詩はどうなんだ?あるんだろう?」

「そちらは歴史を知ればすぐわかろう。英雄の名はアレフ…西大陸の山脈西側を統一した偉人、そしてその崩御後に分裂した愚かな国の歴史は有名だ。」

「一代帝国の話か。…まあ力が無くなればなあ。」


「英雄は黒鉄の一族すら破る武威を旗印にして人を集め、率いたわけである。現帝国とは…武威以外に政治と、それから神への信仰を問わぬことを以てしてまとめ上げた点では異なるのだがな。」

「へえ。でも英雄に子孫がいれば血縁として祭り上げられたんじゃないかい?」

「実のところ前帝国の凋落については知られていないのだ。英雄の子が統治に失敗し、各地の諸侯がそのまま新たな国を興したという話が定説である。」

「なんだいそりゃ。でも二百年も昔じゃ伝わることもないか。」

「…そうだな。」

「ところでサブナック目指すでいいんだよナ?」

「ああ、いいんじゃないかな。」


 探索者たちはもう一度酒を煽ると席を立った。店から出ていった探索者を見送りながら、客の一人もまた立ち上がる。何の変哲もないような客はふらりと店を出ると、路地の陰に消えた。

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