123.
騎士が兵士たちを連れて他の兵たちの増援に向かう。クロムもそれに続こうとしたが、クレスに制止された。
「クロムさんはここで見張りを。それに、これから彼らに質問をしますから。」
「俺も聞いていいのか?」
「ここまで一緒にやっているのですから、彼らの企みを聞く権利はあるはずです。」
クレスは最初に逃げようとした三人うちの一人に近寄ると、冷たい目でおもむろに剣を抜いた。それを見て怯える者、気炎を吐く者、何も言わずじっと見つめる者様々だったが、最初に逃げようとした者たちは諦めた素振りを見せながらもまだ何か隠しているのか目に力がある。
「おい。お前たちは〈盤割の鎚〉だな?」
「……。」
「答えるのが遅い。」
クレスはごく自然というように剣先を持ち上げ、クロムが止める間もなく素早く男の肩口を切り裂いた。傷は浅いし大した怪我ではないが、血は派手に呼び散って男は痛みと混乱で悲鳴を上げた。剣に付いた血を払ってから、クレスは冷たい目でもう一度同じことを聞いた。しかし男はクレスの質問には答えず、痛みをこらえるかのように黙ったままだ。おもむろにクレスが男に肩に手を当てて〈回復〉を唱えて止血をする。男が戸惑いながらも癒えていく傷跡に安堵した次の瞬間、今度は左の腿を裂いた。これも大した怪我ではないが、派手に血が出るからわかっていても見た目は恐ろしい。
「〈回復〉。」
「ま、まさか―――」
今度は右腕を裂いて、〈回復〉で血を止める。そうして六、七個所で同じことをしてから男から目を逸らし、今度は最初に剣を見せた時に怯えていた若人に近寄って同じことを聞いた。
「お前たちは〈盤割の鎚〉か?答えたら他の者たちは捕虜と同じ扱いにしてやろう。」
後で知ったが、帝国での捕虜の扱いというのは拘束と労働はあるが、毎日二食と命は保証され、反抗の意思が無ければ私刑もすべて禁止されるというから、実際は手厚いようだ。クレスは鞭の恐怖を与えてから捕虜という飴を出したことになる。
「……そ、そうです!」
「おいっ…!」
耐え切れなかったのか気弱そうな男が肯定し、制止しようとした男の喉元に剣を突き付けて黙らせてから続きを促した。
「それで、お前たちはここで何を企んでいた。」
「な、なんにも。あっしらはただの、末端で。前に何人かバティンポリスに行ってからは、何も。」
「バティンポリス。それは晩秋の頃に出たか?」
「へ、へえ、魔術を使えた奴とそれから、元探索者で強かったのが三人、他は志願したのが五、六人程。」
「魔術?術士か。術士はどうなった。」
「…わかりません。」
「わからないだと?」
クレスが詰め寄り、男が逃げるように身じろぎした。イングリッドがクレスの肩を掴んで引き離してから、もう一度問う。
「わからないというのは、戻ってきていない、報せが無いということか?」
「そ、そうです!」
「そうか。この村にいた構成員の数は?」
バティンポリスでは確か、熊か魔獣に襲われて死んだ者たちが居た。そしてそれが〈盤割の鎚〉の構成員だったということは既に調べがついているから、この男の話は真実だとわかった。
少し間を開けてから落ち着きを取り戻したクレスが次の質問をした。答えていた男は目に涙を浮かべていたが、仲間に突き付けられた剣を見てまだ答えようとした。
「よ、四十はいなかったはずでさあ。」
「村人は五十程いたはずだ。」
「い、いや、本当に四十より少ないです!残りは、本当にただの…〈盤割の鎚〉と知らずに村に来た、ただの村人なんす!」
「ほう。お前たちが受け入れたのか?外から来た者を拒み続けたお前たちが?」
「そ、そうです。村長は厳しい人でしたが、村ができたばかりの頃はただの村に擬態するために受け入れることもしました。」
「村ができた当初から…いや、それ以前からお前たちは〈盤割の鎚〉だったわけだな。お前たちは何故神々に反抗する?大切な何かを失い、現世を憎んだか?」
「……。」
「俺が思うに、それが世界を憎む理由にはならぬ。
神は我らを見守ってくださるが、決して直接助けることはしない。神官様や使徒様方は神々の意を反映なされるが、それは世を正しくあるべき姿に導こうとするからだ。
我々が寵愛を受けるのは生き抜いた後の、死後のことで―――」
「うるさい!」
それまで従順に話していた男が突然声を荒げた。涙は既に零れてぐしゃぐしゃな表情だったが、声だけはこれまで以上によく響いた。興奮したように息を荒げていたが、次第に落ち着きを取り戻していった。
「そこまで強くない、人間てのはあんたみたいに強い人ばかりじゃない。
理不尽に子や伴侶を亡くしたやつの気持ちはわかるか?兄妹を亡くしたやつの気持ちは!神が正しいなら、彼らが死ぬことが正しかったのか!」
「神は常に正しいわけではない。
気の毒だが、如何なる神とてすべてを見通せているわけではなく、常にすべてに気を配れているわけではないと神殿も見解を示している。」
クレスの言うことはある種正しかったのだが、それは折角落ち着いていた〈盤割の鎚〉にとっては燻った火に油を掛けられたようなものだった。
「それはつまり!神が我らを見放したということだろう!」
「それは違う、これは我らの試練だ。悲しみは計り知れないが、前を向くことこそ…」
「何が違う!俺たちよりも失った大切な者たちこそ大切じゃないのか!」
「そうだ、神々離さなきゃあいつは生きてた!」
「静かに。」
「神を赦しちゃいけねえ!」
「静かにしろ!」
身体を縛られて、恐怖に駆られてもなお湧き上がる、最早言葉では説得できない、同じ言葉では通じないと思えるくらいの拒絶。明確に人間に敵意を向ける魔獣とは違う憎悪を感じて閉口した。クロムは彼らの大切な者を失った気持ちは理解できたが、しかし世を憎む気持ちは理解できなかった。
(こいつらは…こいつらは、何に怒っているんだ?自分の無力か?たまたま悪い方向に向いた運命か?)
(確かに偶然が無ければウルクスは死ななかったが。)
(だが関わっていない神を恨む道理が無い。)
(いや、理屈じゃないんだ。何かを恨まないと心が持たなかったのか?)
自分に向けられない憎悪は理解できぬ気持ちの悪いものだと思った。しかもその憎悪は恨むべき対象ではない、筋違いのものであると思うから余計に気分が悪かった。
恨みと言えばイングリッドが魔獣に向ける感情そのものでもあるが、それは根底に仇討ちのためとか、或いは自分のような者を増やさないためという覚悟を感じていたからそれとはまた違う。
リュドミラは実家と自身の運命を忌々しく思っていたからこの感情に近いものがあったのだろうが、最終的にそれらを振り切ってクロムの下で自由を手にしたし、ランカは自分と自分の周囲の運命が以下に残酷でも望みを最後まで持って生きようとしていた。
彼女たちと彼らは何が違ったのかはわからない。しかし彼らは身に起こった何かを乗り越えることができずにいたことだけはわかる。
(……こいつらは、俺には理解できない別の理屈で動いている。)
(こいつらに不幸があったことはわかった。だが、ランカを…いや、他の誰かを巻き込むのは違う。)
(俺たちとこいつらはわかり合えない。)
無意識の間に握った拳が音を立てていた。騒ぐ〈盤割の鎚〉に震えるように拳を固めていたのだが、それに気が付いてからすぐに拳を解いた。今彼らを殴るのは簡単だが、理由は違えども考えの違いで他人を傷つけるという点で〈盤割の鎚〉と同じことをしてしまうと思ったのだ。だからと言って彼らが許されるとは思えなかった。
口々に反論と罵詈雑言を吐く彼らに、クレスの堪忍袋の緒が切れた。剣を振り上げて一人の首に振り下ろそうとした。
「くそっ…貴様ら!」
「待てクレス!」
「クロム殿!止めないでください!こいつらはやはり生かしておけない、ナルバ領主家の名に懸けて始末するべきです!」
「待て、それだとこいつらと何も変わらない。」
「しかし!」
「大切なものを失う気持ちはわかる。だが、今無抵抗のこいつらを殺しても、こいつらと同じことをしていることになると俺は思う。」
「…彼らとは違います。体制の反逆者への制裁であり治安維持のためであります。」
「本当にそう思っているのか。今こいつらを殺したら、気に入らないことに対して暴れるだけのこいつらと同じになってしまう。」
「そうだぞクレス。お前の手をこいつらのために汚す必要が無い。
お前は領主代理らしく法で裁かないとならない。いつも言っていたじゃないか。」
イングリッドも説得に加わる。イングリッドは意外にも冷静で、普段のクレスの役回りを演じた。クレスはイングリッドに諭されたからか冷静になったのか剣を納め、三度大きく呼吸してから男たちに向き直った。
「…そうですな、冷静さを欠いていました。一旦尋問はここまでとしましょう。気炎を吐く彼らが疲れた頃にまた始めます。」
「そうしておけ、俺たちが見ておこう。」
「すみません、お願いします。」
そう言ってクレスは少し疲れた様子を浮かべ、離れた木陰へと座ると目元を覆って休み始めた。その間にも逃げるのかなどと叫んでいた者たちが居たが、クロムとイングリッドが睨むと声は小さくなった。
「…クロム。私は少しだけこいつらの気持ちはわかってしまう。」
「ふうん、奇遇だな。」
「私は…敬愛していた父や母や兄が燃えカスのようになってしまったことが今でも悔しくてたまらない。しかし同時に、彼らを殺したのは神ではなく魔獣だとも理解している。」
「……。」
「神が助けないなら私がやると、そう思っていた頃もある。しかし私では限りがある。」
「そうだな。自分の手の届くところだけだ。そしてそれはとても狭い。」
「…そうだ。だから、もし彼らが大切な者を失う前に助けられたらと。
いや、それでもこいつらは神を軽んじているから私は受け入れられない。
どうすればいいと思う?」
「あんたは優しいが、俺たちだけですべて救うなんて無理だ。時間も余力も、何よりこの大地は一人二人で守るには広すぎる。
これから助けられる奴を助ければいい。違うか?」
「…クロム、思いの外いいことを言うな。教養なさそうなのに。」
「教養?確かに知っていることは多くないが…。」
「だがクロムの言う通りだ。過去は既に過去で買えられないものだ。」
「?まあ、何か吹っ切れたならいいか。」
イングリッドは小さく笑ってから〈盤割の鎚〉のほうを睨んだ。男たちはたじろいだが、構わずに近付き尋問を再開した。逃げようとした男たちは結局下っ端で重要な情報は握っていなかったようだが、一人は〈召喚〉の魔術の使い手だった。ただし最近になって兆しが見えてきた程度で、まともに発動したことが無いことがわかるとイングリッドは興味を亡くしたように鼻を鳴らした。
「そういえば、お前たちの中で一番偉いのは村長か?」
「……いや。タンバだ。」
「あの爺さんじゃないのか。それは誰だ。」
「…一番強くて、よく見張りをしていた。見張りの纏め役だ。」
クロムは見張りのうち一番偉そうだった男を思い出した。クレスが金を渡し、村長の家に案内したのも確かその男だ。
「村長はどういう立ち位置だったんだ。」
「…あいつは表向きのまとめ役だった。村としての事は全部任せていた。」
「そうか。あいつも、他の奴らと逃げたのか?」
「…いや、あいつは足が悪かったし…お前たちが襲ってきたとき、魔獣を呼ぶために最初に死んだよ。村長と、長く逃げられない十三人の同胞と、それから〈召喚〉がまともに使えるほうの奴が少しでも時間を稼ぐために犠牲になって死んだ。いや、お前たちが殺した。」
「そうか。そのタンバとかいう奴は。」
「さあ。腹心を連れて他のほうに逃げたはずだ。」
「じゃあこちらははずれか。」
「チッ…まあ、そうだ。タンバが生きてりゃ、神殿と戦うときに俺たちの中じゃ一番力になる。」
「あいつはそこまでの男だったのか?」
「さあな。だが俺たちの中じゃ一番強かった。下手な奴には負けねえ。」
クロムと喋っていた男は別の男に脇腹を突かれてからは黙ってしまった。それから日が暮れるまで質問と沈黙を繰り返したが、他に情報は引き出せなかった、日が落ちた頃、兵士の一人がクレスを訪ねてきた。
「報告します。
レーシア隊、合計十二名を確保。しかし四名が負傷し、そして分隊の追っていた標的のうち三名は山脈方面へ逃してしまいました。山を越えて東側に逃げられてしまうかもしれません。
エフレッツ隊はベセッタ隊の支援があり七名を確保しました。こちらは誰も逃しませんでした。合計十九名を捕縛し、現在こちらへと向かっています。」
「御苦労。なら、これで……三十二人を捉えたわけだな。
クロム殿が聞き出した十五人と合わせて四十七人。ヤーツ殿で四十八人。逃がした三人を入れて五十一。もともと持っていた五十人程という情報からして、殆どを捉えたことになるでしょう。
しかし十人ほどはただの村人で。…もしや、おい、十人というのは〈盤割の鎚〉の構成員とは違うことはないだろうな!」
報告を受けたクレスが何か気付いたように捕虜たちにそう問いかけた。捕虜たちは互いに顔を見合わせてから、首を横に振った。贄には体が悪く逃げるのに不向きな者たちを使い、その殆どは〈盤割の鎚〉の同朋だったという。
「すると、今捕えた者たちの中にはただの市民もいるのか。」
「そのようですね。一先ず捉えたのですから、一人ひとりを丁寧に選別すればいいかと。」
「そうだな、それしかあるまい。」
結局捕えた全員を連行してナルバへと戻った。ナルバでは十数日かけてただの村人と〈盤割の鎚〉を選別したが、結局六人ほどしか無関係な者はいなかった。纏め役のタンバという男は捕らえた者たちの中にはいなかった。逃げた三人のうちの一人なのだろう。結局殆どの人間を牢へと繋ぎ、数日かけて白となった者だけは解放した。残る〈盤割の鎚〉たちは、今後はどこかの坑道で厳しい管理下に置かれながら労働をすることになると判が出た。