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神の盤上と彷徨者  作者: 咸深
5.衝突
141/145

122.

(思い出した。この匂い、温泉で嗅いだ匂いみたいだ。だが白い煙はなんだ?)


 魔獣はのしのしとゆっくりとクロムたちに近付いて来ている。もしあの魔獣を放って逃げたとして、魔獣は生きているのだから人里へと出てしまうだろう。そのとき果たして倒せるものがどれだけいるか。

 ここで魔獣を倒すと決心しながらもふと目線を落とすと、魔獣の足元を捉えている〈木〉の魔術がぐずぐずと溶けていた。少し考えてから魔獣の泥の正体に気付いた。


(毒の類か!)


 近寄れないと判断して弓矢を取り出し、素早く三度射る。そのうちの一射は目に当たったが、少しすると矢が途中で折れたかのように落ちていた。恐らくあの泥で鏃が解けてしまったのだ。


(あの攻撃がいつ来るかわからん。吐き出されたら、いや、身震いされて散らされるだけでも近接武器じゃ避けきれない。)

(だが魔術はあまり通じていないように見えるし、近寄れない。どう戦えばいいんだ。)


 近距離では戦えないとイングリッドもリュドミラも同意見だったようで魔術を幾つも放って攻撃を加えた。魔獣は動じないでゆっくりとクロムに向かって移動してきている。

 普通の矢や槍では攻撃は通じない。何か通じるものは無いか思考を巡らせ、〈炸裂の矢〉があることを思い出した。着弾すると魔術的な爆発を起こす代物で、バティンポリスで何本か入手したものだ。かつて試した時の感触からすれば、威力は充分に期待できた。

 素早く番えて魔獣へと真っ直ぐに放つ。魔獣の額に当たり幾つもの爆発を起こした。やはり凄まじい威力だったが、魔獣にはどれだけ効いているかわからなかった。

 爆発が止み視界が確保できる前に次の矢を番える。まだあと数本は残っていたはずだが、それが無くなった時どうすればいいかまでは考えがまとまらない。

 砂煙が晴れたが、魔獣はやはり泥を飛び散らせながらクロムへとゆっくり迫っていた。

 数歩退いている間にリュドミラも〈集積爆竹〉を二つ放り投げ、クロムが〈炸裂の矢〉を放つ。イングリッドは〈土〉と〈木〉で魔獣の足を絡め捕り移動を阻害した。

 今度こそどんな魔獣でも仕留められるような攻撃だと思っていたのだが、血と泥が固まって全身がぐずぐずに焼け爛れながらも魔獣は生きていた。魔獣の目は怒りに燃えていたが、怯えもあった。

 イングリッドが駆け寄り魔獣を何度も裂くが、これは魔獣には通じない。イングリッドが離脱したが、魔獣は怯えるように身を翻して逃げようとした。近付こうとしても酸の泥を飛ばしてきて、簡単には近づけない。最後の一本になるまで打ち尽くしたが、魔獣はまだ再生を繰り返して生きて逃げている。


「生き汚い奴だ!逃げられるぞ、まだ矢はあるか!」

「もうない!」

「くそ、どうする!」

「クロム、何とかしてあいつの動きを止めて!そうすれば〈脱水ディヒドラティゴ〉が使える!」

「でぃ…?何かあるんだな、わかった!」


 幸い魔獣は鈍い。直ぐに魔獣を追い越してその正面に立ちはだかり、鎚を振り上げる。魔獣がクロムを避けて逃げようとしたところをイングリッドが後ろ脚を斬り飛ばし魔獣が地に臥した。そこへ強烈な一撃が魔獣の首を捉え、身震いすらの動きも止める。


「〈脱水ディヒドラティゴ〉!」


 魔獣がこれまでの比でないくらいに苦しみ、急激に細っていく。魔獣から流れ出る水の量はその体の何倍も多い。クロムには魔術の戦いはわからないが、リュドミラの額にもいくつもの汗の筋が流れていた。相当に気力と集中力を使っているのだろう。イングリッドは魔獣の動きに注意を払いながら、いつでも飛び掛かれるように呼吸を整えていた。

 魔獣は最後まで再生しながら抵抗して逃げようとしていたが、クロムとイングリッドの攻撃で動きを止めているうちに最期にかしゅっと小さな音を立てて乾いた泥のように砂埃を上げて砕けた。小さな砂山はいくら待っても動かなかった。


「……はあ~…何とかなった…。」

「よくやったリュドミラ!なんだ今の魔術は?動いてない相手じゃないと使えないような魔術か?」

「〈脱水〉っていう、水気を飛ばす魔術で…動いてない相手じゃないと私は使えない。」


 気が抜けたようにへたり込んだままリュドミラは額の汗を拭い、立とうとしたがよろけてまたへたり込んだ。どことなく顔色が悪い。


「大丈夫か?」

「……駄目かも。魔力切れまではなってないけど、ちょっとめまいがする。

 二人は先に行って。あいつらを捕まえるんでしょう?」

「いや、だが。クロム、オマエからも何か言ってくれ。」

「リュードなら大丈夫だ。こいつがやると決めたならやり遂げる。

 それに〈隠匿の耳飾り〉もあるからな。」

「そうなのか?」

「うん。少し休んだらすぐに追いかけるよ。」

「ああ。」

「お、おい。」


 クロムが先に走り出す。イングリッドはリュドミラとクロムを交互に何度か見たが、リュドミラは木の根元に腰を下ろし直したところでイングリッドの視界から消えた。わずかな時間狼狽えた後で、納得したのかクロムの後を追った。

 山中での獲物の追い方は記憶を失ってすぐの頃にウルクスに獲物の老い方として叩き込まれ、クロムはよく覚えていた。獣道に落ちている折れた枝と不自然に捲れた木の葉、泥の踏み跡そこかしこに痕跡がある。深い足跡は鎧を着こんだ兵士のものだろうが、それよりも浅い足跡が獲物、もとい〈盤割の鎚〉の連中の跡だ。二つの跡は獣道に沿って同じ方向へと続いていて、斜面を登ったり下ったりしながら北上している。

 クロムにはその痕跡はわかるがイングリッドにはわからないようで文句を言いながらクロムの後を追った。


「おい、わかるのか?」

「わかる。」

「リュドミラを置いてきたのは何故?」

「あいつは必ず追ってくるし、あいつがやるといったら必ずやり遂げる。だから、俺は先にあいつらを追う。」

「なんなんだ、その確信は?」

「経験かな。」

「え?」

「む。」


 クロムが見つけたのは争いの跡だった。木の幹に数本の矢が深く刺さっている。低い枝が折れたり切られたりしている。〈火〉の魔術の跡か煙が燻っている。争いの跡はあったが、側に死体は無い。互いに争ったがうまく〈盤割の鎚〉が逃げおおせたようだ。どちらに向かったかの跡は幾つか見つかったものの、敵は散り散りに逃げていったのだろう。


「……ふむ。下りかな。」

「これもわかるのか?」

「いや、勘だ。上っていったあとは少ない。武器の扱いに長けているなら、高い位置を取りたがる気がする。」

「それは確かに。だが、それだと逆方向だぞ。」

「だから勘なんだ。逃げることだけを考えるなら、恐らく下るだろう。」

「…そう?」

「兵たちは鎧だから動きは鈍くなる。なら、逃げるなら速く逃げるために下るんじゃないかと思った。上ったのは見張りとか、弓を使う奴だと思う。」

「成程、…クロム、お前意外と頭いいのか?」

「さあな。」


 逃走の跡を追いながら疾走する。少し走ればすぐに剣戟の音が聞こえた。今度は魔獣との戦いではない、人間同士の戦いだ。その場にはクレスと騎士、数人の兵士が居た。残りの者たちは別の連中を追ったのだろう。


「アタリだ!よくやったクロム!

 我こそが武神の使徒イングリッド!貴様らを誅する者だ、覚悟しろ!」


 イングリッドが堂々と名乗り上げ、クロムを追い抜いてクレスの戦っている男へと斬りかかり連撃を加えた。少し遅れてクロムも参戦し、手近にいた兵士が相手していた剣士を抑え込み倒した。


「うわ!」

「増援だ!逃げるぞ!」

「逃がすか!」

「追え!逃がしてはならない!」


 〈盤割の鎚〉たちから魔術や矢は飛んでこなかった。恐らく先の争いで使い果たしたのか、別の方向に逃げた者たちが持っていて彼らは持っていないのかもしれない。イングリッドはその速さで次々と足を傷つけていき、怒号が飛び交っていた場も僅か十数人の〈盤割の鎚〉たちを抑え込むのにはそう時間がかからなかった。

 我先にと逃げようとしていた者が三人いて、その三人を逃がそうと奮闘していた者が多かったが、すぐにクロムとイングリッドに追いつかれて捕らえられた。戦いに参加していなかった様子から主要な面子のようだ。


「止血して手と足は縛っておきましょう。

 拠点を潰して、その上十三人捉えられたのだからまずは十分でしょうか。」

「うむ。こちらはイングリッド様たちが来て簡単に取り押さえられた。他が心配だな。」

「では兵に探しに行かせましょう。足を奪っていますし縛めた後ですから、二人か三人もいれば十分彼らを抑えておけます。」

「そうか。なら、探してきてくれ。ここはイングリッド様と私、それからクロム殿に任せてくれ。」

「はい。お前たち聞いたな!行くぞ!」


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