表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神の盤上と彷徨者  作者: 咸深
5.衝突
140/145

121.

 ヤーフの口元がかすかに動き、幾つもの刺突と魔術は見えない壁に阻まれた。これほど頑丈な〈結界〉は誰も見たことが無かった。

 ヤーフからは攻める意思は感じられない。防衛を主眼に置いているから、誰一人通さなければ彼の目的は達成されるのだ。再びイングリッドから仕掛けるが、それもヤーフは見事に防いでイングリッドを引かせた。恐らくヤーフは一対一の戦いでは、特に防衛戦では恐ろしく強い。


「お前、それだけの腕がありながら何故あいつらに与する?お前ならもっと自由に生きれただろうに。」

「そ、そうです、ヤーフ殿。貴方はここから逃げたがっていたではありませんか。」

「年を取ると強いしがらみは断ち切れぬのです。そして死の際にきて、今更足抜けなどできぬと悟ったのです。」

「難儀だな。断ってやろう。」

「ありがたや。しかし今このとき、ここを通すわけにはいかないのです。」

「なぜそこまで。」

「皆様方が退いてくれるのであれば…良かったのですが。」


 掠れた声のヤーフの剣はだらりと力なく構えられ、枯れ木の枝が折れたかのように力なく下がっている。その姿はクロムから見て一息に詰めて斬れるような隙だらけに見えた。イングリッドはそう思わなかったのか、魔術を二、三放った。魔術は途中で何かにぶつかったように爆ぜ、ヤーフには届かない。イングリッドは飛び込むのを躊躇しているのがわかった。時間を掛ければ〈盤割の鎚〉を逃がしてしまうが、それはしてはならない。

 クロムも剣を抜いてイングリッドに並び立つ。


「手を貸す。」

「それは。」

「早く倒さないと、あいつらを逃がしてしまう。」

「チッ…わかった。」

「ああ、あの時の。来ていただけたのですな、律儀な。ここは通せませぬが、詫びにわしの技をお見せしましょう。」


 ヤーフの構えは先程と変わらず、だらりと下げられた剣は普通に構えられるよりも気配が薄く感じた。

 クロムは両の手で剣の柄を握り込み、一息にヤーフへと接近する。勢いのまま突き出された剣はヤーフの心の臓を捉えたはずだった。しかし手ごたえは無く、突き出された剣はヤーフを捉えることなく虚空を突いていた。

 驚きの声を上げる間もなく、とす、と軽い音がして腹に激痛が走る。


「む、逸れてしまった。」


 ヤーフのかすれ声が耳元に届いた次の瞬間には痛覚に構わずその声に反射するように剣を返して振り抜いていた。回避の余裕などないと思っていたのに、その攻撃すら当たらない。腹から剣が抜けて血が飛び散る。


「どっちを狙っている!逆!」


 イングリッドの叱責と魔術が飛んだ場所へと反対を睨む。ヤーフは既に数歩先にいて、やはりだらりと剣を低く構えている。何度か深く呼吸しながら、足に力を込める。


(何が…?確かに捉えたはずだった。だが俺が斬られた。おかしい。なら、俺が斬ったのは。)


「〈幻影〉か?」

「御名答です、しかしわかったところでわしには届きませぬ。」


 クロムは長い息を吐いてから、全身に力を込める。腹部の傷が痛んだが持ち前の精神力が次の攻撃を可能にした。今見えているヤーフへと突進し、技のやりとりなど考えずに剣を振う。やはりヤーフはその場におらず剣は虚空を裂いた。

 クロムはそのまま止まらずに駆け抜け、ヤーフの攻撃を避けた。攻撃こそ受けなかったものの、これを何度もできる力は無い。身を翻したとき、ヤーフの姿はどこにもなかった。

 身を翻して更に駆けるが、不意に背後に気配を感じて背に〈鋼鉄カリプス〉を発動させる。かんと音を立てて攻撃が弾かれ、ヤーフが背後にいることがわかった。すかさずイングリッドが間に割り込み、リュドミラが〈木〉でヤーフを捕捉する。伸びた〈木〉を斬り払いながらも逃げようとするが。イングリッドが追撃する。


「むっ…!」

「タネがわかれば後は早いぞ。さあ、双剣の恐怖を味わうといい。」


 イングリッドの嵐のような連続攻撃とリュドミラが〈爆弾ボンボ〉や〈爆発エクスプロード〉を飛ばしての牽制が飛ぶ。十度の攻防の後にヤーフの腕が斬り落とされた。ヤーフは一瞬だけ驚愕の表情を浮かべてから、首を差し出すように膝をついた。


「…見事。」


 そんな小さな言葉の直後、イングリッドの剣が小さな音を立ててヤーフの首を落とした。重量のある首が地面に落ちる音がして、ヤーフの死体が本物だと確認したとき戦いが終わった。

 僅かな時間しか経過していないはずだが、逃げながら罠を仕掛けるには十分な時間だった。

 すぐにリュドミラがクロムの怪我を〈回復〉で癒し、その間にもクレスを先頭に兵士たちは村の奥へと走っていく。イングリッドは剣を拭ってからその後に続いた。


「…彼は何がしたかったんだろう?」

「さあ。でも、思ったよりも粘られた。〈幻影〉の魔術は恐ろしいな。」

「うん、解除する魔術も〈幻影〉で対抗するしかないしね。」

「そうなのか。リュードはできるのか?」

「私は〈幻影〉は得意じゃないんだ。はい、治療終わり。」

「ありがとう。」


 クロムたちを守っていた数人の兵士が敬礼を一つして先に行った兵たちを追っていった。クロムたちもそれに続くように後を追っていると、遠くから悲鳴が聞こえ、同時に強い異臭と魔獣の気配を感じていた。


(いる。)

(強敵がいる。バティンポリスに出た猿の魔獣のような。迷宮の奥にいるような奴が。)

(…〈召喚〉された強力な魔獣が。)


 声のした方向、松明が燃えているほうへと走る。村の裏出口らしい小さな門の前で、兵士たちが何かを取り囲んで戦っている。その正体は遠目ではわからないが、近付くごとに徐々にはっきりと見えてきたそれは、四足の黒い塊だった。兵士の一人が槍で突き刺すと、傷口は槍の穂先ごとぼろりと崩れ落ちた。


(なんだ?穂先が崩れた?)


 クロムは思わず立ち止まった。見た現象を確かめるべく短槍を取り出して投げつける。狙いこそ逸れたが魔獣の足に突き刺さり、槍はぼろぼろと崩れて柄だけが地面へ落ちた。魔獣に付いたはずの傷口は体の一部が覆うように修復された。

 〈夜叉の太刀〉を強く握り込み、真っ直ぐに戦いの場へと駆け付ける。魔獣だけをまっすぐに見てどう切り込むかだけに集中する。魔獣もクロムに気付き、顔を向けた。猪のような顔と目が合った。


「わ!」

「クロム殿!退いてください!」


 兵士たちを押しのけて魔獣との距離を詰めきり、首を落とすように〈無明〉を放つ。風を切る音すら発さぬ技なのだが、魔獣の首に当たった瞬間にばしゃ、と水に剣を叩きつけたかのような音と、柔らかいものにめり込むような感触を覚えて何も確認しないまま四歩飛び退き、魔獣を見た。

 首を落とすつもりでいた魔獣は何かあったのかというかのように首を振り、クロムだけに注意を向けた。一番近くにいた兵士も腰は抜けていたようだがなんとか距離を取り、別の兵士に引き摺られるようにして離脱していた。

 手元をちらりと見ると、確かに当たったはずの剣には泥が付いていた。泥からは嫌なにおいがした。


(何だ、この魔獣は。泥の魔獣?だが、泥はいきものじゃない。)


 魔獣は前足で地面を何度か蹴るしぐさをしてから、身震いして身に着いた泥を飛ばした。泥は魔獣の周囲数歩程に飛び散り、白い煙を上げた。


「おいクロム、あいつはなんだ?」

「わからん。だが飛んだ泥には気を付けろ、当たると良くない気がする。」

「クレス、兵を先に進ませろ!私とクロム、リュドミラでこの魔獣を倒す!」

「わかりました!お前たち、残党を追うぞ!散会して追え!」


 クレス達が更に奥に走っていく。魔獣はそちらを追おうとしたが、イングリッドが魔獣の足に〈火〉で攻撃を加えて動きを止めた。

 目の前の魔獣の動きは今まで見てきたどの魔獣よりも動きが鈍い。三人で囲むことは簡単だが、魔獣の防御力は実に異質だ。鋼のように硬いとか、刃が通りにくい弾力があるとかではなく、感触としては水や泥、砂を叩いているというのが近い。斬りにくい敵は叩くほうが有効なように思った。


「……鎚。」


 手元に現れたのはウルクスが鍛えた、柄まで鋼で作られた鎚だ。非常に丈夫で重く、〈夜叉の太刀〉と同じくらい頼もしい武器だった。柄を両手で握り込み、先端を振り上げる。

 リュドミラが魔術を幾つも〈火〉の魔術を放つ。魔獣の動きが止まったのか、それとも通じていないのかは一目ではわからないが、魔獣の注意がそれた今が攻撃の好機だと見た。


「〈剛力〉!」


 馴染みの呪文を一言呟き、力の奔流に身を任せて魔獣との距離を再び詰める。魔獣の目がクロムを瞬間、加速を加えた渾身の振り下ろしが魔獣の頭を撃つ。今度は硬いものにぶつかった感触と共に、鈍い音と泥が周囲へ飛び散った。魔獣は小さく痙攣しながらも、しかし頭が徐々に再生していく。

 苛立ったように右前足をがつがつと地面にぶつけ始めた。先程の攻撃を思い出して思わず距離を取る。


「まだ生きているだと⁉」

「これならどうだ!〈水〉、〈風〉!」


 リュドミラが繰り出した〈水〉の魔術が魔獣を捉え、凄まじい勢いで回転し渦が魔獣を飲み込んだ。しかし魔獣が激しく暴れて水の檻を破壊した。魔獣は魔術から逃れた拍子に体制が崩れ、そこにイングリッドが魔獣へ躍りかかる。魔獣の泥を削ぐように剣を躍らせるが、魔獣は不快そうに鳴いた。何かを感じたのかイングリッドが飛び退くのとほぼ同時に、魔獣が身震いして泥を飛び散らせた。泥はイングリッドにこそ当たらなかったが、不快なにおいと共に白い煙を上げた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ