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神の盤上と彷徨者  作者: 咸深
5.衝突
137/146

118.

 外にいた見張りの男に空き家へと通された。殺風景な部屋であった。見張りに聞けば、秋頃から元の住居人が居なくなり、最近は誰も住んでいないし掃除もしてないという。家のつくりは村長の家と同じく、土間と座敷になっていた。

 見張りの男が居なくなってから、隅に置かれていた箒で軽く埃を払いながら小声で話をした。


「クロム殿。どう思います?」

「聞いていた話とは違って、普通の村に見える。」

「…外の気配は探れますか?」

「雨で分かり辛いが、少しなら。」

「もう少ししたら探って下さい。

 …リュドミラ殿はいつまでこの雨を維持できるのでしょう。」

「わからんが、そろそろだと思う。」


 計画を立てた段階で試したが、それなりに時間が経ってそろそろ止むころだ。あるいは本当に雨が降ってきたのかもしれない。外の音をじっと聞きながら、やがて雨足が弱まったことを感じ取った。同時に、家の外に複数の気配を感じた。


「クレス、奥に…明日のためにできるだけ休んでおけ。」

「は、はい。」


 この家の入り口は一つだけだ。静かに入口へと近寄り、〈武器庫〉から片手剣と小盾を取り出してじっと外に意識を集中させる。雨上がりだからか、音は多少通りが良い。足音、衣擦れ、息遣い、幾つもの音の情報を聞き分けて近くに三人、遠い位置には五、六人ほどいる。時折金属の摺れるような音がして、常に警戒を強いられた。


(…扉は一つだから、守りには適している。だが、壁を破られたらまずいな。)


 幸か不幸か壁が薄いところが多いから、外の様子はわかりやすい。警戒しているクロムだったが、外の者たちは人数を誤魔化すようにこの家に近寄ったり遠ざかったり、入れ替わったりと動いていた。既に日が暮れてから結構な時間が経っていたが、外の気配は一向に離れていかない。集中力はまだ続くが、しかし手出ししてこないまま時間だけが過ぎる。

 リュドミラかイングリッドが居たらもう少し楽ができていただろうが、いないものを頼っても仕方がない。少し呼吸を深めてからもう一度壁の向こう側へと集中する。

 どれだけ時間が経ったかクロムの時間の感覚が無くなりかけた頃、外を取り巻いていた気配は無くなった。


(……いなくなったか?しかし何だったんだ。)


 入口からゆっくりと後退り、しかし何も起こらない。少し気を抜いて盾だけを仕舞い、しばらく周囲に意識を集中させるがやはり気配は無く何も起こらなかった。


「…ふう。」

「……随分長い間誰かいたようですが、去ったのですかね?」

「ああ、疲れた。だが、俺は警戒を続ける。引き続き休んでくれ。」

「はい。

 ところで、奥に指輪が落ちていたのですが、珍しい紋様があって。迷宮品でしょうか?わかりますか?」


 クレスが見せたのは銀製の指輪で、市井にありふれたようなものに見えた。しかしそこに彫られていた特徴的な紋様は見覚えがあった。これは〈疑心〉の魔術を発動するための紋様だ。


「これは…〈盤割の鎚〉と関わりのある奴が、この家の主か…あるいはこの村にいる。考えすぎかもしれんが、この村全体に息がかかっているかもしれん。」

「なっ…ん、と。」


 クレスは驚きの声を上げかけて、慌てて口元を抑える。少し固まったまま時間が過ぎたが、村人が様子を見に来るようなことは無かった。


「…ふう。よかった。

 しかし、この家の者はどうなっていたのかが気がかりですね。」

「ひょっとしたら、バティンポリスを襲った中にいたのかもしれん。」

「バティンポリスを?冬のですか?

 しかし関連付けるにはこれしかないとは…何にしても、この家の元主の事を洗わなければなりません。しかし半年もたった今見つかるかどうか…。」

「…む。誰か来た。」


 家の外から無造作に近付いてきた足音はクロムたちのいる家の入口の前で止まり、扉を叩いた。リュドミラが侵入できたとしても、接触はしないと決めていた。リュドミラ以外の人間、村の人間がいる。室内に緊張が走った。


「俺が行く。」

「お願いします。気を付けて。」


 腰の剣を確認してから、扉をゆっくりと開いた。見知らぬ初老の男が居た。クロムが威圧するように睨み、男は少し怯んだ様子を見せながらも意を決したように小さく声を発した。


「外の方々ですかな?」

「そうだ。」

「立ち話は村の者らに聞かれかねませんから、入ってよろしいか?」


 クレスのほうをちらりと見ると、小さく頷いて促す。男が入ってから扉を閉め、クレスは〈風〉の魔術を使った。男は丸腰で、座敷に腰を下ろした。


「どうかわしをここから連れ出してもらえませんか。お金は余り出せませんが、わしが持つ迷宮品をすべて差し上げるつもりです、どうか。」


 男の言葉は懇願だった。妙な男だと思った。ただの村人だろうが、しかし妙に体が細い。農作業をしていないかのように痩せていて、独特な悪臭がカスにして病を患って細ったというのが正しいように見えた。


「それは難しいでしょう。見たところ病を患っていますから、治療のためとは思いますが…今から行くところはここから北、帝都のほうなのです。安静にしているなら無事でも、長旅には耐えられますまい。」

「だそうだ、諦めてくれ。」

「構いません。旅に出て誰にも見られずに死ぬ、これがわしの運命とせねばならんのです。」

「どういうことか聞いても?」


 男はぽつりぽつりと語り始めた。

 曰く、男は現帝国のできる前まではそれなりに名の知れた探索者で、あちこちを気ままに旅していた。運命神の導きか偶然助けた女と所帯を持ち、やがて子を育てることになった。旅をやめた後の男はそれなりに幸せであったが、十二年前に子供が流行病で死んだ。ほどなくして妻も病で死に、神に祈りが通じなかった男は酷く落胆して自棄になった。


「…わしは愚かでした。冥神は生きるとはいつか死ぬことと。生命神も死を生むのは生であり、生きるものたちは逃れられぬと。そう言葉を残されていたのに。

 悲しみを乗り越えられず、神の信仰を捨てました。それがむしろ正しいと信じて…。

 わしはかつて手に入れた〈疑義の呪い札〉という迷宮品を研究して、身に着けるだけで〈疑心〉の魔術が発動する装飾品を作りました。わしはそれを〈疑心の装身具〉と呼んでいました。」

「…おまえは、いや、この村はやはり〈盤割の鎚〉の集まった集落なのか!」


 怒りのあまり目の前が赤く染まった。この男がランカを危機に晒し、父親を奪った元凶なのだ。握る拳に力が入り軋む音がやけに大きく響いた。男はクロムの様子をちらりと見て気の毒そうに視線を逸らして縮こまったことが、クロムの言葉を真と現していた。


「……わしがしたことは取り繕うことなどできはしませぬ。

 わしが何をしたかはようわかっております。」

「…それで、旅に出て死ぬと?」

「ええ。この村で死んだら、儀式に使われてしまう。それは彼らの戦力を増やすことになるから、それは避けたいのです。」

「…〈召喚インヴェート〉か?」


 男は少し驚いたようにクロムを見て、気の毒なものを見たかのような視線になって頷いた。クロムは怒気を込めて男を睨んだが、クレスに制されて何度か深く呼吸をして感情を抑え込んだ。


「ご存じでしたか。あまり知られていない魔術だと思っていましたが。

 マナと贄を使った転移の魔術。贄の質が良ければ、より強力な魔獣すらその手元に呼び出すことができる魔術。質が良いというのは…迷宮の中層や深層に現れるような魔獣。それに勝てる人間、神々の恩寵を受けたような人間。森や山、沼の主のような、その土地で信じられる獣たち。

 わしを贄にしたところで、彼らの求めるような魔獣を〈召喚〉などできませぬ。しかしその糧にされることはこれまでの実験で明白。せめてやつらの駅にならんようにしないとならぬのです。」

「貴方はいったい何者なのですか。」

「わしは…ヤーフといいます。今は剣すら持てぬ枯れ枝にございます。」


 ヤーフと名乗った男は恐縮そうに小さくなり、首を垂れた。彼の過去がどのようであったとしても、今のヤーフに敵意は無いことはわかっている。そして〈召喚〉の贄にされた場合は、この男は良い贄になるのだろうか、それとも今戦う力が無いのだから大した贄にならないのかはわからないが、それを避けようとしている。

 クレスは考える様子を見せながらもクロムの表情を窺う。クロムの表情はいまどうなっているかは自分でもわからないが、恐らく相当険しい。


「今すぐは難しいでしょう。いまの我々は、ただの旅人です。」

「……そうですか。期待して待つことは許されますかな?」

「ええ。ただし、明日明後日というわけにはいきません。この村に影が差しているとわかれば、むしろその日は近いでしょう。」


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