116.
クレスとウッツ村へ忍び込む計画を立てた翌朝、部屋で残る時間をのんびりと休んでいるところにイングリッドが訪ねてきた。
「…まただれているのか。リュドミラと一緒にいないのか?」
「ああ。体を鍛えることでより強い魔獣と戦えるようになるが、それをするためには休まないといけない。違うか?」
「……そうだ。だが…そこまでだらける必要があるか?」
「俺もずっと飯を食えるわけじゃないからな。リュードからここで修練は止めて休めとか言われるし、こうして休むしかやることが無い。」
「本とか、温泉とか、他にも色々とあるだろうに本能的だな。休みながらも勉強を欠かさないリュドミラを見習ったほうがいいんじゃない?」
呆れたようにしていたイングリッドだが、クロムに近寄ると軽く横腹を蹴り飛ばした。思った以上の刺激が入り思わず飛び起きて壁際まで距離を取った。
「痛いが。」
「ふん。お前の知っている山明経流について教えてもらうぞ。」
「あ、ああ。それなら構わない。」
「改めて聞くが、どこで知った?」
「ライオネルという騎士から教えてもらった。それから、そのもとになるような訓練はウルクスという鍛冶師から教わった。ウルクスはライオネルから教わったと聞いている。」
「…そのライオネルという奴はどこで知ったのだ?」
「そこまでは知らない。だがライオネルの師は技と共に何か果て?極地?何か魔術と組み合わせてそんなものがあるとか教えたらしい。その正体が何だったかは知らん。」
「そこまでもか。
魔術と併用する剣術なのは元々山明経流の開祖が行っていた技術だ。それぞれの技に適した武器はあるが、基本的には剣一つあれば広く応用が利くように作られている。
すべての技を練り、状況に応じて技を変え、揺るがぬ心で魔術を乗せる。静かな水面に波紋が立つように、水が自在にかたちを変えるように、相手の呼吸に応じて技を繰り出し優位を確立していく〈明鏡止水〉の境地に至る。
技とは突きの〈紫電〉、切り落としの〈落雷〉、薙ぎ払いの〈旋風〉〈地均し〉。そして牽制の技〈木枯らし〉〈浜風〉〈地崩し〉、離脱のための〈無月〉、移動の技〈朧〉、防御の技〈漣〉〈白波〉〈逆波〉〈滝壺〉。競り合いの攻撃として〈煙霧〉〈氷柱〉。この十五の技が基本となり、これを練り込み、魔術を乗せ、そしてあらゆる技を繋げることこそが奥義となる。
この技は開祖が私の村…隠れ里を作った後で体系的に教え、歴代の戦士たちに育まれた技だ。お前はそれ以上に私の知らない技を使うが、どういうことだ?」
イングリッドの話は以前ライオネルから聞いたような話だったが、〈明鏡止水〉の境地というものはライオネルも知らなかった。改めてイングリッドがこの流派の源流なのだと思った。
イングリッドの挙げた十五の技はクロムもすべて知っていた。挙げられなかった技は〈浅霧〉を知らなかったことからも恐らくは後から加えられた技なのだろう。
「さあ?だが、それ以外の技を教えられたことは確かだ。」
「…まあいい。一つ一つ技を見せてもらうぞ。」
「ああ。それくらいなら構わん。」
宿の裏ですべての技を見せたが、イングリッドは何か納得したような、釈然としないような微妙な表情をした。今度はイングリッドの技を見せてもらったが、ライオネルに見せてもらったものとは技の数も動きも少し違った。クロムの知る技は一つ一つが独立しているのだが、イングリッドの技は幾つかの動きが合わさった技のようだった。
「…流れを汲めば確かに通じる技術はある。基本的な動きは変わらないみたいだな。技として意識していないような動作が技になっているものもあるし、知らない技もある。
技が一連の動きとして確立しているか、ばらばらの技一つ一つを繋げているか。そういう違いのようだ。」
「どっちがいいんだ?」
「一長一短だな。私の場合は技として確立しているから練度が高くなるし、戦い方を組みやすいが読まれたら対処されやすい。お前の場合は技と技の繋ぎの練度があまり上がらないが、何度も戦い方を修正できる。」
「ふむ。両方できればいいのか?」
「そうだな。だがクロム、お前は私みたいに速さと手数が必要な技よりも〈落雷〉や〈旋風〉のような一撃に力を込める技のほうが得意だろう。」
「ああ。」
「それは私とは戦い方が逆だ。私の技を教えることはできても、お前が強くなるとは限らない。それでも?」
「苦手だからとやらずにいれば、いざというときに死ぬ。違うか?」
「全く違わん。
お前は一度私の技を見た。小さな違いはあるが、技の組み合わせ…〈朧〉とか〈這蔦〉とか〈波頭〉を他の牽制や攻撃の技と組み合わせれば、私と同じような技に仕上がるはずだ。
なに、すぐに習得できるだろう。…まあ、お前は魔術が使えないから技の威力自体は下がるだろうが、動きとしては問題あるまい。」
「ふむ。なら、実践でひとつどうだ。」
「良いだろう。私もお前の技を試したい。」
クロムは〈仮初の帳〉を取り出して弾き、周囲が灰色に染まる。両者すぐさまに獲物を取り出して構えた。今度は様子見などせず、イングリッドから攻撃を仕掛けた。
暫く互角に技のやり取りをしていたが双剣の連撃に徐々に追いつけなくなり、突如クロムの左足が斬り払われた。〈巻雲〉を使われたのだと理解しながらも、次の攻撃を繰り出す前に、イングリッドの三段突きがクロムを貫いた。
「…むう。手数か。」
「もっと剣を弾くようにするといい。相手の思い通りにさせぬように、次の動きに支障ない程度に弾くだけで変わるだろう。だがお前は私の技を一度も使わなかったな。」
「いや、思った以上に足が追いつかないんだ。」
「足さばきが課題か。直線の動きは恐ろしく速いのに、それ以外は苦手か?」
「そうみたいだ。」
「さあ、もう一回だ。」
その後三度の立ち合いをしたがイングリッドが勝ち越した。途中から話を聞きつけたのかリュドミラが観戦しに来て、昼飯にと鳥の串焼きを差し入れてくれた。休憩を挟んでから日が暮れるまで合わせて十一度も立ち合いをした。〈仮初の帳〉の効果で傷は残らないが疲労は多少蓄積されていく。日が暮れる頃には両者とも疲労で動きが鈍くなっていた。
クロムとしては慣れない技を必死に真似ようとしていたが、結局まともにできたのは〈霹靂〉だけだった。
「はあ、とんでもない体力だ。」
「俺よりも動き回っていた奴が何を言うんだ。」
「私にはこれがあるから。」
イングリッドは左腕の腕輪を見せる。重厚そうな造形で、その表面には何か複雑な紋様のようなものが刻まれている。
「それは?」
「〈ゲオリエッダの恵み〉さ。身に着けていると体力とマナを回復させる〈大地神の癒し〉、そして一日に一度大きな怪我を癒す〈回復〉の効果がある。」
「凄い迷宮品だな。どこで?」
「竜の国のアモン迷宮だ。わずか七層の迷宮だが、魔獣はどの階層も強力な魔獣ばかりだった。」
「東大陸のほうか。直ぐには行けないな。」
「前に使っていた魔術を消す迷宮品となら交換してもいいぞ。」
「魅力的だが、多分お前じゃ使えない。これは〈調伏〉とかいう効果がある。
倒した魔獣に認められたら他の効果が使えるというものだ。」
クロムは今着ている〈白輝蜈蚣の外套〉を軽く触って示すと、イングリッドは興味深そうに外套を触り、小さな魔術を近づけて何かいいことを思いついたかのように指を弾いた。最初は断ろうと思ったが、同時に自分を下した相手がこの迷宮品を使えるか興味もあった。
「……つまりクロムより強い私は使えるんじゃないか?
どうだ?少し貸してもらえない?」
「そういえば誰かに貸したことは無かったな。リュード、こいつがこれを来たら魔術を撃ちこんでくれ。」
「ええ?いや、いいけど。」
「効果が働けば、掠めるくらいでも魔術は消える。直撃しないくらいに狙ってくれ。」
「わかった。」
〈白輝蜈蚣の外套〉をイングリッドへと渡すとすぐさま羽織り、十数歩離れて準備できたというように手を振る。リュドミラは〈土〉と小さく唱えて、拳程度の土の弾を放った。高速で打ち出された魔術は狙い通りに外套を掠め、背後の茂みへと消えていった。
「…駄目みたいだね。」
「ああ。」
「も、もう一回!掠めてないかも、ちゃんと狙って!」
「いや、掠めていただろう。」
「いいから!たまたまかもしれない!」
「…はあ。リュード、もう一回頼む。」
撃ち出された〈土〉の魔術は今度こそ外套を掠めたが、しかし魔術は消えず通り抜けていった。認められないというかのように両肩を震わせてから、がっくりとうなだれた。
「なんてこと…。私にはこれが使えないのか?」
「そのようだ。諦めろ。」
「今日で一番負けた気分。返す。」
肩を落としたまま〈白輝蜈蚣の外套〉を返して、明らかに疲労とは違う気落ちした様子でふらふらと去っていった。今度はリュドミラが試したそうにしていたから外套を渡して試してみたが、クロムの極弱い魔術では効いていないのか、それともこの外套の耐久力を上回れないのかわからなかった。