115.
ラピアの話は相当簡略化されていたはずだが、クロムは神々の事情など知らないからまともに理解などできなかった。わかったことは、神々は面倒な奴等だということと、ラピアは俺たちのために長い間奔走していることくらいだ。
(決着のつかない勝負にして時間を稼ごうとしたみたいだが、時間を稼いでどうするんだ?いつか決着はつくだろうに。)
(人間が混乱や衰退するとか、社会が滅ぶとかは実感が無い。神々の争いにも別に興味は無い。
…だがそこに首を突っ込もうと決めたのは俺の意思だ。ラピアやイングリッドの義理立てだけではない。はずだ。)
しばらくラピアの話を咀嚼しているうちに、ふとリュドミラやディン、ヘルリック、ランカ、サイラスやガハラたち〈深淵の愚者〉、イングリッドの顔が思い浮かんだ。クロムは思い浮かんだ顔を一人ずつ並べて、なんだろうと考えてようやく自分の気持ちを探り当てた。彼らが生きる今の世界で生きていたいという思いを見つけた。彼らを好いていて、信じてるのだ。
(それにこの大地で食う飯は旨いし、安全な寝床もたくさんある。守る理由には事欠かないな。)
結局自分は何か大きな力のもとで流されるように生きるのだと自嘲したが、しかし同時にそれが悪いものでもないとも心のどこかで思い、少しくすぐったい気持ちになった。
「クロム、何故楽しそうなんだ?」
「さあな。俺がやりたいこともわかった。」
「聞かせてくれない?」
「俺は俺と関わった者たちは、きっと大切なものなんだと思ったのさ。俺がウルクスに助けられたように、俺はあいつらに手を貸したいんだ。リュードの後押ししたのも、ディンに誘われて魔獣討伐に赴いたのも、ランカを守ったのも。それにイングリッドから神と戦う際の誘いを受けたのも、その気持ちなんじゃないかと思ったんだ。」
「良いことね。前の貴方ならもっと利己的で…もう少し私に妄信的だった。誰かを守るとか助けるとか、そんなことは全く言わなかった。
…表情も少し柔らかくなった。」
「そうなのか?」
「記憶がまだすべて戻っていないんだろう、少し話してやろう。あれはお前がまだ使徒に成りたての頃…む。」
「クロム、いる?お昼ご飯に…」
カタンと軽い音を立てて戸が開いた。思わず勢いよく振り返ると、驚いた顔のリュドミラが居た。ラピアと一緒にいるところを見られるのは何かまずいと直感的に察してラピアの躰を隠そうとしたが、既にラピアの姿はそこには無かった。
「あ…?」
「どうしたの?何かあった?」
「あっ…ああ、いや、何もない。行こう。」
もう一度部屋を見渡すが、そのどこにもラピアの姿は無かった。リュドミラに手を引かれるままクロムは静かになった部屋を後にした。
(…一瞬で消えた。〈転移〉とかの魔術かな。リュードも気付かないくらいに魔術が上手いのか。)
(俺も使えれば、攻撃の幅が広がるんだろうが…高望みだな。まあ、いいか。飯だ。)
のんびりと昼飯を食べ、夕方までは近隣を散策した。村の周りに数か所観光できる場所があるらしかった。途中で寄った鯉の養殖池には一抱えあるような鯉もいて驚いた。ここの新鮮な鯉であれば生で食べることもできると地元の男から聞いて興味を持ったが、リュドミラが必死になって止めたため食べるのは諦めた。
温泉街から少し離れると硫黄の匂いはすっかり消えて、草と土の匂いのする新鮮な空気を胸一杯に吸って気分が良かった。
―――
クロムたちが居なくなった部屋で、〈幻影〉の魔術を解きながらラピアは静かに息を吐いた。とっさに魔術を行使して身を隠したが、肝心のクロムは最近共に行動している娘とどこかへ行ってしまった。話し相手が居ないのだからこれで本体へと戻ってもいいのだが、少し心を落ち着けてからでいいかと思いなおした。
(ふう。驚いて隠れてしまった。)
(まさか私の使徒があんなにまっとうになっていたなんて。私へのわずかな愛も消えていたのは残念だが、しかし世界への憎悪はすっかり消えていた。記憶と共に消えたのだろうが…あの娘がリュドミラか?彼女のおかげか感情も随分と前に出ていた。あれは友愛だろうが。)
(しかし何にしろ喜ばしい。実に喜ばしいことだ。)
(二年前のグラムは…いや、クロムは試練に次ぐ試練で、仲間や慕っていた者の死で心をすり減らしていた。
彼が憎悪でなく、希望を見出して力を発揮できるのならそれがいい。)
(兄上はともかく…姉上がこの反逆を赦すかはわからないが…私はそれでも約束してしまったから。人間を赦さない彼らを、赦すわけにはいかない。譲歩してくれるなら、それに越したことはないのに、彼らは己の勝利しか見えていない。)
果てのない思考を打ち切って、クロムの布団へと横たわって枕を抱える。神々に対してざわついた心を落ち着けながら、何度か深く呼吸をした。瞼の裏に遥か過去の使徒を思い浮かべる。今代の使徒と同じ名前、同じ姿の男。今の使徒と同じ様に力任せに戦い、幾度も窮地を切り抜けたところもよく似ていた。
(…グラム。私は彼らをどこに導けばいい?)
(……)
(…はっ、しまった、寝かけていた。天上でもあまり無いような良い布団だ。人間はこういうところで神々よりも優れた点がある。天上にばかりいる偉ぶってるやつらにはわからんのだろうな。)
(そろそろ帰るか。)
クロムの祈りに応じて作った魔術の体はもう少しだけクロムの下に滞在できたのだが、既にやることもない。本体の居る廃墟へと意識を移しながら、自分そっくりの人形を散らした。
(次に祈られるのはいつになるか。…その次の時は貴方の仲間たちも紹介してもらえるものだろうか。)
―――
その日の夜、漸くクロムとクレスは膝を着き合わせて話ができた。
「…さてクロム殿。改めて、ナルバ領主家からの依頼をお願いしたい。」
「ああ。それで、何を頼むんだ?」
「あ、依頼なら私を通していただきたいのですが。」
「リュドミラ殿もそこでお聞きください。
依頼内容はここから四日程北東に進んだところにあるウッツ村の調査です。」
「村?それは俺が見なくてはいけないのか?」
「はい。ウッツ村は十年ほど前に、ナルバ領のはずれ、霊峰山脈の麓にできた五十人程度の村です。しかしそれ以降、税のやり取り意外に一切の交友が無いのです。」
「うん?」
「どういうことですか?」
探索者に魔獣との戦闘や討伐、護衛、遺跡や難所の調査を依頼することは正道だが、しかし村を調査するなどと言われるとは思わなかった。その理由が予想できないのだ。
「先ほど言いました通り、税以外一切の…そう、行商、探索者への依頼、旅人の受け入れ、技術提携など…それらの話が、村ができてから一切ないのです。」
「……?何かおかしいのか?排外的とは思うが、自給自足できているってことはいいことなんじゃないのか?」
「クロム、これはおかしいんだよ。食べ物だけならともかく、自給自足が成立することは殆ど無い。いくら山に近いといっても鍬柄、矢、剣、鍋、包丁…鋼材が足りない。魔獣が出てきたらどう討伐する?十年もそれで戦ったとして、どこかで買い換えないといけない。」
「…鍛冶くらいは出来るもんじゃないのか?」
「いえ。鋼材の問題がありますので、そうはならないかと。少なくとも商人の出入りが無いという点が異常なのです。
それに、春先に大人数がウッツ村に入っていったと報告がありました。しかしこの入っていった者たちが出て行った話しは聞きません。これは異常ではないかと。
役人が何度か行きましたが、追い返されたと。」
「えっ?それは…領民としては…。」
「はい、良くない兆候です。そこで、探索者ならどうかと。
依頼内容のひとつはウッツ村の内情の調査。そして魔獣、害獣の被害が出ていないかの調査。この二つです。彼らに自衛手段があるかを調査していただきたい、」
「ふうん、入れなかったらどうすればいい?」
「恐らく…クロム殿たちはそれを可能にする手段があるかと。」
「…そうだな」
クロムは〈隠匿の耳飾り〉という、離れた相手からは姿を認識できなくなる迷宮品を持っている。隠しているつもりは無いが、どこでこの迷宮品を知ったかは少しだけ気になった。
〈隠匿の耳飾り〉を使えば村の内側に入ることはできるだろうが、しかしクロムの能力でその調査ができる気がしなかった。
「無理だな。護衛や戦いならともかく、俺はそういう調査ができない。」
「いえ、そこまで細やかに調査する必要はありません。
潜入して、クロム殿が見た村の様子を教えていただきたい。」
「お?それくらいでいいのか?」
「ええ。ちょっと調べてきてほしいのですよ。彼らが正常に生活できていれば、何の問題もないのです。しかし…南部全体で魔獣の被害が増えている中で、あの辺りだけ魔獣の被害報告が無い。何かがあるのではないかと睨んでいます。」
「見てくるだけというなら、何とかなると思う。リュード、どう思う?」
「……うーん。もし魔獣を倒せるような…例えば引退した探索者が居て近辺にいる魔獣を倒しているなんて話であれば、無いわけじゃないからわかるけど。それでも何年も被害が無いのはわからないね。」
「はい。それが調査できないから困っているのです。
最近ですと〈盤割の鎚〉が南部でも活動しているようですから…連中とつながりが無いか調査しなければなりません。」
「成程。じゃあ、クレスさんやクロムが表から堂々と押し入って気を引いているうちに、別のところから私がこっそり入ればどうかな。」
「そんなことでうまくいくか?」
「ずっと内側で警戒されるより、外に注意が向いていれば内側も動きやすいし…〈幻影〉を使えば内側を探しやすくなるも。」
「…悪くないかもしれませんね。」
「よし、そうしよう。リュード、頼むぞ。」
「うん。任せて。」
「頼もしい限りです。明後日には向かっていただきたい。途中までは我々も同行します。」
そこからさらに計画を詰めてから解散となり、出立の時間までクロムはのんびりと過ごすつもりでいた。