113.
「さて、じゃあどこから潰す?お前たちが良ければ、〈盤割の鎚〉の拠点を潰していきたい。」
一安心したように態度を崩したイングリッドが、まるでどの菓子から食べるかと聞くように気軽な様子で尋ねた。
「俺も〈盤割の鎚〉を潰すのは俺も賛成だ。
だが神殿を潰す理由がわからん。俺が知る限り、市井の人々の拠り所になっているように思う。確かに悪い奴というのは居るのかもしれないが、潰さねばならんほどなのか?」
「クロムの言う通り、人の営みの拠り所となっているからすべてを潰すわけじゃないさ。
何とかしないといけないのは神殿全体の意思決定をする上部だ。あいつらは優秀な兵士を生み出すためにえげつないことも平気でするんだ。
神殿騎士の一部は飢餓、疑心暗鬼、孤独、不眠不休での行軍、拷問まがいの訓練のようなことを試練と言ってやらせて、すべて乗り切った者は優秀な騎士として取り立てられるという。
それくらいなら別に私だってかまわないが、その試練というものを様々な神の名のもとにやらせていることだ。武の試練と銘打たれているのが仲間同士の殺し合いだとか聞いた、到底許せるものじゃない。」
神殿については殆ど逆恨みのようなものに聞こえるが、敬愛する神の名をそのように扱われるなら怒るものなのだろうと納得した。
(神殿の試練か。…あ、そういえばそんな記憶を見たことがあった気がする。)
神殿の試練はクロムの記憶にも幾らか覚えがあった。確か、暗闇で閉じ込められていた記憶だ。豪奢な服の男が何かの試練と言っていた覚えがある。するとクロムは神殿騎士の中でも優秀な部類だったのだろうか、それとも単純な肉体の強さで残っていただけか。そんなことに意識がそれたが、すぐに目の前に戻す。
「…すまない、少し私怨が入っていた。神殿とことを構えるのは通常じゃありえないことだ、これについては関わらなくていい。クロムが他にやるべきことがあるなら、それをやってほしい。
ところで、クロムは〈鎚〉共と何かかかわりがあるのか?」
「あいつらはバティンポリスを襲撃して、あそこの神殿長を殺して領主一家を引き裂いた。間近で見ていたから、仇を取りたい。」
「そうか、そうか。お前はそういう奴だったのだな。存外熱い奴だ。
ふふ、わかった、見直した。」
「いいだろう。」
「反神殿組織に、神殿まで敵に回すんだね。これはクレスさんが居なくてよかった。貴族からすればまず止めに入るくらいとんでもない話だもんね。
いいよ、私もやる。クロムに着いていくと決めたんだから。」
「リュドミラ、それがあんたの覚悟なんだな。健気で美しい覚悟だ。このあと風呂で語り合おう。」
「え?ああ、うん。」
「じゃあ、使徒はその次だな。」
「あ、そうだ。使徒と言えば俺は森林神の使徒を殺している。」
「…は?」
「俺は森林神の使徒を…」
「待ってくれ、それはわかったがわからない、待って。」
混乱したイングリッドの頭の中の整理を待ってから事の経緯を説明した。これはクロムの説明が悪く、当時の事を詳しく聞いたリュドミラが補足を入れた。話を終えてからイングリッドは更に頭を抱えていた。
「……わからない。森林神の使徒もクロムは森林神に目を付けられていたはずだ。森林神は自分の使徒を殺されたまま良しとしているのか?森林神ほどの神が負けて認めるのか?」
「知らん。だが使徒ハイラルを殺したのは事実だ。」
「むむむ、まあいい、わかった。だがそうなると本当に理解できないが、まあいい、そういうことだな。できるだけ猛者を味方に引き入れたかったが。
そういえばクロムは海神の使徒と懇意だったとか聞いた。こちら側に引き入れられるか?」
「無理だな。戦えない子供を引き入れるわけにはいかない。」
「海神の使徒は子供なのか?何か特別な力があるとかはないのか?」
「まだ十幾つの、戦えない子供だ。」
「そうか、なら無理だな。」
それだけ言ってイングリッドは立ち上がり、部屋の外へと出て行った。クレスを呼びに行ったのだ。
短いやり取りのあとすぐにクレスが入って来て、先ほどの会話を気にしていた様子だったが結局口には出さずにいた。リュドミラとイングリッドは二人で仲良く風呂へと向かい、やることもないクロムたちも風呂へと向かうことにした。
湯自体は気持ちが良く、じんわりと体の芯が温まる感覚は悪くなかった。しかし湿気と硫黄の匂いが充満していて、クロムとしては長居したくない場所だった。少し温まったらすぐに出ようと思っていたのだが、クレスが入って来て隣に座り話しかけてきた。
「クロム殿は。」
「クロムでいい。面倒だ。」
「いや、そういうわけには。クロム殿はどうやってあれほどの技術を身につけられたのですか。」
それが戦いの技の事だとすぐにわかったが、しかしクロムはそれには答えなかった。腕力はもとからあったし、技はそこまで時間をかけて習得したかと言われると首をかしげる。ライオネルから技を教わった時間よりも対人で技を磨いた時間のほうが短く、ライオネルの見せた流麗な技とは違って魔獣との実戦で鍛え直した技のほうが多い。足りない部分は全身の力と反射速度で補っているに過ぎない。全体的な練度はライオネルの半分程度だと自負していた。それでもクレスはクロムを技の使い手だと評して聞いてきているのだ。
「…運よく探索者だった男に拾われて、四つ技を覚えた。
毎日山中を駆けて、様々な武器を振った。それからある程度使えるようになった頃に技を教わった。」
「成程。それでイングリッドと同じ流派の技を?」
「いや、一部だけだ。木の葉が落ちるまでに剣を三度触れとか、真っ直ぐに枝を突いて落とせとか、岩の上に置いてある石や雪を射落とせとか、薪を割るときに台座に斧を当てるとか、そういったことだな。」
「そ、それは難しい。すぐにできたのですか?」
「何度も練習してようやくできた。それからはいろいろあって探索者として活動して、知り合った騎士から他の技を教えてもらった。」
「成程。すると、短い間に身に着けたクロム殿は大変才があったのですな。」
「さあ?だが、習得はかなり早かったと言っていた。あとは迷宮で鍛えた。」
遠くを見ながら息を吐き顔に噴き出た汗を拭うがすぐにまた汗が噴き出た。
「ふう。どれ程修練して、どれ程迷宮へ潜ればイングリッド様と肩を並べられるでしょうか。」
「さあ?」
「魔獣を倒して、体を鍛えて、すべて擲ってひたすら技の修練に費やすしかないでしょうか。」
「…そうなんじゃないか?」
頭がぐらぐらとしてまともに思考がまとまらない。クレスは何か強さについての悩みだか何かを熱弁していたが、クロムはぼんやりと頭痛が出た頭と視界で意識を保っていた。妙に喉が渇くが、言葉は出てこなかった。
「…ああそうだ。それで、依頼の事なのですが……あれ、クロム殿?」
「……。」
「もしや湯当たり?ちょっと失礼…うわ重っ」
ぼんやりとした意識の中でクレスに湯から引っ張り出され、力なく引き摺られながら脱衣所まで運ばれた。少ししてクロムは目を覚ました。まだ頭が茹っているような感覚だったが、頭痛は少し引いた。小さな呻き声でクロムが目を覚ましたことを察してか、すぐにクレスが水を持ってきた。
「気が付かれましたか。よかった、もしかして温泉は初めてでしたか?水です。
すみませぬ、慣れない人が長く浸かっていると湯当たりしてしまうことを言っていませんでした。」
差し出された水を無言で受け取り、少しずつ飲んだ。微かに塩の味がし、体中に染みていくようだった。休みながら三杯飲んだところで漸く渇きが収まり、倦怠感も薄れた。
「…ふう。休んだら良くなった。」
「そうですか?良かった。しかし、探索者でも湯当たりすることはあるのですね。」
「そうだな。」
「長話に突き合わせてしまって申し訳ない。
依頼についてはまた後程としましょう。今はお休みください。」
その後は二人何も言わず、部屋へと戻った。クロムはクレスの手を借りることを拒んで一人になり布団へ倒れ込んだ。魔道具の効果で冷えた部屋で、茹った頭で何も考えずぼんやりとしていたがやがて少しずつ思考と感覚を取り戻していた。
(ああ、そういえば。)
(ラピアに神々の世界のことを伝えないと。祈りが要るんだったか。)
(祈りってどうすればいいんだ?)
少し宙を見つめながら、雑念が入りながらもラピアの事だけを考えるようにした。
(…ラピアよ、何かいいことがあれ。)
最終的に出た祝詞はとんでもなく雑で、正気を疑うような祈りである。恰好も横たわってだらしなく、これで祈りが通じるなら神殿の者たちが見たら仰天して説教待ったなしである。やはりこれではなかったと思うと同時に、枕元から不機嫌そうな声が聞こえた。
「グラム、祈るにしてもその恰好はない。」
「やっぱりそうだよな。…え?」
声の主に視線を遣ると、その身の丈より大きな杖を持ち、貧相な体を古びた外套で隠した女がいた。相変わらず感情の読み取れない表情に隠れて、異質なものを見る視線をクロムに投げていた。
かつて迷宮の底見た姿がそこにあり、クロムは呆けた顔で目の前の神を見た。少しの間呆けていたが、すぐに我を取り戻した。
「ラピ…ア…?」