111.
夕餉を終えて部屋へと戻ったクロムは布団に入っても眠ることができなかった。昼間のイングリッドとの戦いで繰り出された幾つもの技が脳裏に焼き付いていた。少なくとも最初に見た、刺突の技だけならできるように思っていた。
布団から起き上がり、頭の中で何度か試し、剣を持たずに動きを試す、これ自体は難しいものではない。こっそりと夜の庭に出て、いざ剣を持って試してみると三撃目に違和感がある。威力が乗っていないか、狙い通りの場所を通らず滑っている。二撃目の威力を抑えれば三撃目の威力も乗り狙いの位置を打ち抜けるが、恐らく技の仕組みとしてはそうではない。
(イングリッドはどの攻撃も威力が乗っていた。何度も練習しないとできなさそうだ。)
朝の修練と同じように何もない空間に人の姿を思い浮かべ、その技を放つ。一撃目と二撃目は狙った個所を貫いたが、三撃目は威力の低い攻撃が少しずれた位置を通った。
(…あの速さで幾つもの魔術を切り替えられるのは途方もない修練の跡だ。すごい奴だ。)
雑念を振り払い再び集中し、剣を振う。何度も繰り出したがうまくいかなかった。夜も更けてきた頃、諦めて布団へと戻った。
翌朝、起きてからいつものように体を動かしているとリュドミラに朝餉に呼ばれた。
「おはよう、クロム。朝ごはんの時間だよ、行こう。鍛錬も良いけど、ここにいる間は休めって自分で言ってたじゃない。」
「まあ、なんだ…そうなんだがな。」
「歯切れ悪いね。どうせ昨日のイングリッドさんとの戦いで負けたのを気にしてる?」
「少しな。」
「朝ごはん食べながら聞いてあげるよ。」
「…ああ。」
朝餉を食べながら昨日の事を少しだけ話した。リュドミラはライオネルの使っている以上の技を使える者がいると聞いて驚いていたが、同時に首をかしげていた。
「うーん…?」
「どうかしたか?」
「私も見てて何かの流派かなって思ったけど、やっぱり一緒だったんだね。言われてみればそうかも?
でもあのジジイがまさか半端に覚えたとは思えないし、魔術まで使ってたんでしょ。山明経流って魔術を纏わせて攻撃することが目標のひとつだから、一定の基準には達しているはず。すると、技が違うって思ったのは彼女がいたところで塗り上げられたのかもね。」
クロムは最後に椀に残った汁を飲み干して、今日は何をするか考えた。食べ歩きをしてもいい。昨日やらなかった、温泉に浸かって卵をのんびりと茹でてもいいだろう。
だがそれらよりも、今はイングリッドと話をしないといけない気がしていた。
(…武神の指示とか言っていたが。つまりは神と接触できているんだよな。どうやるのか聞き出さないといかん。
何故俺に接触したのかもだが、あの技の事に着いても聞きたい。何なら木剣で戦ってもいいかもしれんな。)
リュドミラが食べ終わるのを待ってから、イングリッドのところへ向かおうとして立ち止まった。
「どうしたの?」
「…そういえばイングリッドとクレスの部屋を知らん。」
「何かあったの?昨日の仕返しとかは駄目だよ。」
「そんなことはせん。聞きたいことがあるだけだ。」
「ふうん。私も着いて行っていい?」
リュドミラの頼みを断ろうとも思ったが、彼女がクロムを追ってきたとき、何を捨ててでもクロムに着いていくという覚悟を貶めるような気がしてやめた。
「好きにしろ。」
「うん、好きにする。」
「で、イングリッドの部屋はどこかわかるか。」
「わかんない。」
どうしようもないと思ったとき、背後からクレスの声がした。振り返るとまだ眠いのか目を擦って欠伸をするイングリッドもいた。
「おや、お二方。おはようございます。朝餉は済んだのですか?」
「おはようございます。ええ、とてもおいしく頂きました。」
「それは良かった。本日はどうなされますか。」
「イングリッドと話がしたい。」
「え?イグンリッド様、良いですか?」
「……いい。私も聞きたいことがある。」
イングリッドはクロムを一睨みしてからすぐに逸らし、食堂へ入っていく。クロムたちはクレス達と一緒に席に着き、彼らを待つことにした。
クレスは貴族らしく優雅に、イングリッドは周りの目など気にしないように勢いよく食べ始めた。
「あ、イングリッド様、そんなに勢いよく食べては…」
「うっゲホッゲホッ」
「ああ、言わんこっちゃない。すみません、水を!」
朝から騒がしい二人を見ながら、クロムは改めて、これが使徒の姿かと内心で首を傾げた。イングリッドはその後も飯の美味さを褒めたりまた喉に詰まらせたりと騒がしくしながらも、クレスが四分の一食べ終えるかどうかの速さで皿の上のものを綺麗に平らげた。その圧倒的速度にクロムは密かに衝撃を受けながらも無表情を取り繕う。
(…は、速い、これがあの速い攻撃に応用されて…?)
「クロム、変なこと考えてるでしょ。早食いは体壊すからやらないで。」
「いや、何でもない。そんなこと考えてなんか無いぞ。」
「どうだか。」
リュドミラに冷たい視線を投げられてからはその考えを振り払った。大量の水を飲んで乱雑に口元を拭ってから、再びクロムに向き直った。
「ふう。さあ、答えろ。」
「いや、少しお休みください。クロムは逃げませんし、お部屋に戻って落ち着いて話をしましょう。」
「むう。」
「いいから。クロム殿も、部屋に戻ってからでいいですね。」
「あ、ああ。」
「よし、じゃあ行くぞ。」
「…はあ、私の部屋へ案内します、どうぞこちらへ。」
クレスの部屋へと場を移し、思い思いの場所を陣取る。クレスは椅子に座り、イングリッドは窓の縁へ座った。クロムは壁際にもたれ、リュドミラもクロムの側に立った。
最初に口を開いたのはイングリッドだった。
「聞きたいことは沢山あるが、まず答えろ。
お前、何故あの技を知っている?山明経流は私のいた隠れ里で練り上げられた剣と魔術の実践的流派だ。お前は充分使いこなせていないが、誰から知った。」
「…ライオネルという騎士から教わった。その騎士も誰かから教わったと聞いている。」
「細々と伝わっていたのか。その騎士も才覚ある者だのだろうな。オマエと違って。」
「そうだな。俺と違って、魔術が使える奴だった。あの流派では魔術と併せることでより強力になるらしいな。」
「…概ねそうだ。魔術の才が無い奴が修められる流派じゃない。」
「じゃあ俺には無理だな。」
かつてライオネルに言われてわかっていたことだが、改めて山明経流が魔術と併せて一つの武技なのだと思い知る。体外で魔術がまともに痞えないクロムではイングリッドのような戦い方などできない。
「〈剛力〉とか〈鋼鉄〉は違うのか?」
「あれは魔術だが、あんたみたいに…なんだ、普通の魔術はできない。
出来ても小さな〈火〉で精いっぱいだ。」
「確かにクロムからはマナを感じない。死んでいるかと疑う位だ。
あ、さっきといえば、魔術での傷は全く負っていなかった。〈魔術防御〉とかの迷宮品の効果か?」
「そんなところだが、それ以上答える義理は無い。」
「独り占めはずるい。私も欲しい。」
「稀少種を倒した時に手に入れたものだ。…恐らく手に入らないだろう。」
「残念。じゃあ次の質問だ。クロム、お前は何者だ?」
イングリッドは真剣な表情でクロムへと問いを投げた。これまでの道程で大部分が失われているとはいえ、おおよそ主要な記憶を取り戻した。
記憶を失う前、グラムとしては薄明と反逆の神ラピアの使徒となった元神殿騎士。神殿と決定的な何かがあって決別した男。
今の自身であるクロムとしては、魔術の使えない探索者。いざこざに巻き込まれはしたが、遺憾なく実力を発揮していると言っていい。そしてラピアに助けられ、更に過去を知るべく〈デートルイースの鎚〉を探せと指示を受けて迷宮へ潜っている。
イングリッドが知りたいのはクロムの過去の俺の事だろうが、話せることは少ない。今の自分のことを話すにしても、特筆するようなこともないと思った。
「…俺はただの探索者。普通の人間だ。」
「そんなわけあるか!私を追い詰めたのに!」
「クロム殿、凡百の探索者の多くは迷宮の最奥層には立ち入りませぬ。貴方も類稀な猛者のお一人ですよ。」
「クロム、謙遜も時には嫌味になるんだよ。覚えようね。」
クロムが必死に絞り出した答えはその場の全員が否定した。イングリッドに至っては他に何かあるだろう、と言わんばかりの勢いだった。
「海神の使徒と繋がりがあって、森林神から認められていた貴様が普通なわけがないだろ!」
「確かに。」
「ええっクロム殿は森林神の使徒様だったのですか!?」
リュドミラは納得するように少し得意げな表情で頷き、クレスに至っては目を剝いて驚いていた。少し滑稽ではあったが、クロムもそれは他人事でないとすぐに理解した。ラピアの使徒だと知られることは良くない気がして、話を誤魔化せないかと内心では焦った。
「待て、話が分からん。俺は俺だという話じゃないのか?」
「そんな哲学みたいな問答などしていない!
エノディナムス様が言ったんだぞ、クロムという奴をこちらに引き込めと!そういうことだろう!」
証拠を突き付けるかのようにクロムを指して問い詰めるのだが、クロムからすれば一切の心当たりがない。そういうこと、というのが恐らく神々の関係者、すなわち使徒ではないかと疑っていることは明らかだが、何か思い違いがある。