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神の盤上と彷徨者  作者: 咸深
5.衝突
128/149

109.

 普段荒々しく迫りくる魔獣を相手にするクロムにとって、このような相手への経験は無かった。少ないが人間と戦った時も、ここまで静かな相手はいなかったから、未知の敵と言っていい。

 手数を補える〈海鳴の爪〉を使うべきか、それともこのまま得意な剣で戦うか、あるいは距離を取れる槍か。幾つも考えが過ったが、クロムが取った選択は様子見の一手、相手の脇腹を狙っての攻撃〈木枯らし〉である。イングリッドは難なく右手の剣で受け止めると、左手の剣でクロムを斬り付ける。当然クロムもこれを避けるべく距離を取った。

 それから激しい応酬が始まった。イングリッドは何度も右手の剣でクロムを突いた。剣の腹で受け、逸らすことができたが、攻撃に転じようとするとすかさず挟まれる左手の剣がクロムの攻撃の手を鈍らせた。

 しびれを切らしたクロムは〈無月〉でイングリッドの剣を弾きながら距離を取り、構え直す。イングリッドはクロムを追わず、静かに構え直した。


(突きが主体か。武器はレラみたいで戦い方は前に手合わせしたときのガハラに近いな。急に攻撃が飛んでこないからあのときよりはやりやすいが、左の剣が嫌だな。)


 互いに動かず少しの間睨み合っていたが、イングリッドから仕掛けてくることは無かった。待ち、返し技から始まる剣技なのだろうと思ったが、すぐにその考えを振り払った。


「お前はどこで剣を学んだ。」

「…師に一年、そして前の秋にある騎士から技を叩き込まれた。あとは迷宮で覚えた。」

「すべて言う通りとは思えないが、本当なら随分と濃密だな。

 …正直、今の連撃をまさか裁かれるとは思っていなかった。お前が多少できることはわかった。」

「そうか。」

「だが、私より強いとも思えない。…もう一段階、速くする。」


 イングリッドが構えを変えた。右手は中段のままだが、左手は肩の高さまで剣を上げた。

 今度はイングリッドが仕掛けた。初手は左手の突き出しだった。軌道を見極めてとっさに顔を逸らす。クロムの右頬を剣が掠め、細い傷を作った。

 先程よりも一段速い攻撃にクロムは意識をイングリッドの剣へと集中させた。二撃目、三撃目をいなしながら距離を取ろうと退く。クロムが後退した直後イングリッドの目が鋭く光り、見覚えのある素早い身の熟しで距離を詰めた。


「〈紫電・雲霞〉」

「…!〈鋼鉄カリプス〉!」


 誰かが口を開いたわけではないが、クロムの耳にはそう届いた。直後これよりも更に一段速い三連続の刺突がクロムを襲った。炎を纏った一撃目は〈滝壺〉で逸らし、風を纏った二撃目を剣の腹で受け、剣が砕けた。土砂を纏う三撃目は身を捩って躱したが、イングリッドの剣は肩に当たり掠めた。〈鋼鉄〉で身を守らなければクロムの頑丈な体でも大きな穴が空いていただろう。


「…深層の探索者といえども、この硬さは異常だ。魔術か。」

「今のは……〈紫電〉か?だがそれとは違うな。別の流派なのかもしれんが…」


 必殺の技が躱されたことに驚愕の表情を浮かべたイングリッドに、クロムの問いは更に驚きを与えた。今度はイングリッドから距離を取った。イングリッドは驚愕の表情を潜めてからクロムへと問いかけた。


「何故その技の名を?」

「やっぱりあれと同じ流派なのか。」

「どこで……いや、どこから漏れたかは今更だ。」

「?」

「…もう一度構えろ。使い慣れた別の剣があるだろう。もう一段速くする。」


 挑発に乗るつもりは無いが、ここで勝って神の事について聞きたいと欲が勝った。ついでに、先程のイングリッドの技についても聞きたくなった。

 砕けた剣を側に捨てて〈武器庫〉から〈夜叉の太刀〉を取り出して鞘から抜く。中段に構えてイングリッドの攻撃に備えた。イングリッドの言葉が本当であれば更に速い攻撃が飛んでくる。雑念を消し去りすべてを眼前の相手に集中する。

 再びイングリッドが攻撃を繰り出す。単調な突きや薙ぎ払いの応酬が何度も続き、クロムの剣が弾かれて一瞬視界を遮ったとき、イングリッドが消えた。

 そう認識した次の瞬間には前へと走り、背後からの薙ぎを躱した。

 振り返り様、先程の三連続の突きが放たれた。今度は先程よりも速く、しかも魔術の種類も違った。襲い来る三連撃を凌いだ瞬間、左の剣がクロムの脇腹をかすめた。〈白輝蜈蚣の外套〉で滑ってクロムには刺さらず、空を突き刺した。

 クロムは反射的に伸ばされた腕に力任せに手刀を叩き込んだ。鈍い音がしたが、イングリッドは剣を手放さなかった。それどころかもう一方の剣でクロムを斬り付けようとしたが〈夜叉の太刀〉に阻まれて止まった。

 クロムが手刀を拳に握り込むと同時に、なおも諦めずイングリッドは左手を引いて勢いのまま突き刺そうとし、次の攻撃で勝負がつくと直感し―――


「イングリッド様!クロム殿!おやめください!そこまで、そこまで!」

「クロム!何してるの!」


 ―――不意の制止にクロムとイングリッドは互いに動きを止め、しかし勢い余ってぶつかり合う。恐ろしいくらいの怒気を放つ声の主は見ずともわかる、クレスとリュドミラだった。二人の姿を見、イングリッドと睨み合ってから互いにゆっくり距離を取り直した。


「…今のは私の勝ちだな。私が終始攻めていた。」

「だが最後、俺のほうが優勢だった。お前はあの距離から剣を引き切れない。止めが入っていなければ、俺は拳を固めて殴れていた。俺の勝ちだ。」

「私の肩はお前と違って柔らかい。制止がなければ、あれでも十分に引いて刺すことはできた。それにただの拳では私を殺せん。貴様の攻撃を耐えて突き刺せば私の勝ちだ。」

「負け惜しみか?」

「いいや、事実だ。」


 どちらも勝ちを譲らず、両者の視線の間で先程の応酬よりも激しい火花が散った。

 再びクレスの怒りを感じ取り、両者は互いに顔を逸らした。


「イングリッド様、双剣を使うなどクロム殿を殺す気ですか!」

「まだ殺してない!」

「そういう問題ではありません!

お二方、何があったかはわかりかねますが、無駄な争いはしないでください。」

「こいつの実力を見たかったんだ。無駄ではない。」

「クロム、どういうこと?何があったのか説明して。」

「売られた喧嘩を買っただけだ。」

「もっと詳しく。」

「…俺もこいつも、たぶんお互いに聞きたいことがある。」

「こいつじゃない!イングリッドだ!」

「…イングリッドは俺の実力を疑っていたから、受けて立つことにした。戦わずに話ができるとは思わなかった。」

「戦えば解決する?」

「恐らく。」

「する!クロムより私のほうが強いことを明らかにしてやる。」

「目的が変わってないか?」

「ない!」

「はあ、そう。わかった。じゃあこれ使って。」


 リュドミラが取り出したのは硬化型の魔道具〈仮初の帳〉だ。この魔道具にマナを込めて弾くと、落ちた地点から三十歩分の距離で戦っている間は互いに怪我をせず、存分に斬り合える。ただし大きな怪我を負うような攻撃を受けると頭上に炎が灯り、これが先に五つ灯ったほうが負けとなる。


「ふうん。良いものがあるな。心配せず殺し合える。」

「イングリッド様、殺し合いではないのですよ。」

「うるさい、クレス。私はこの男が認められない。」

「一体何の意地を…。」


 リュドミラがイングリッドに〈仮初の帳〉を投げる。剣先で弾き器用に受け取ったイングリッドは手元に魔力を込め、硬貨を弾いた。高く弾かれた硬貨が地に落ち、甲高い音と共に周囲が灰色に染まる。直後〈夜叉の太刀〉を抜いて下段に構える。

 イングリッドは初めてこの魔道具を体験したはずだが、まったく動じずに二本の剣を抜き放つ。右手の剣は順手だったが、今度は左手の剣は逆手持ちだ。

 クロムにはイングリッドの防御の筋がわからなかったが、迷ったのはわずかな時間だけだ。〈仮初の帳〉の効果で少しばかり失敗しても死なないことがクロムの攻めの姿勢を後押しした。

 クロムの初手は昨夜何度も練習した三段突きだ。やはり二撃目の威力は不十分だが、イングリッドの意表は突けたようで、驚愕の表情をしながらも一撃目は体を逸らして避け、二撃目と三撃目を〈滝壺〉でいなした。


「っ……」

「ふうん。」

「テメッ…!」


 イングリッドはクロムの頭目掛けて剣を薙いだが、体を大きく引いて回避した。イングリッドもクロムから距離を取り、十歩分の距離が開いた。


「なんなんだお前!今のは昨日の今日で使える技じゃない!…ふう…なぜ使える?」

「さっき見たからな。」

「ッ―――!テメエは絶対に潰す!」


 今度はイングリッドが仕掛けた。右手の剣で薙いだ。クロムは更に退いて躱した。距離が開いたように思えたが、イングリッドとの距離は殆ど変わらない。回転しながらの攻撃は距離が読みづらい。一回転したイングリッドの左手の剣がクロムの鼻先を掠めた。


「〈鋼鉄〉!」


もう一撃来ると直感し、左腕に意識を集中し盾代わりにする。丁度間に合ったのか、腕を上げた直後に衝撃が走った。一瞬だけ腕と剣が拮抗し、剣が離れた。イングリッドは身を退きながら〈無月〉を放ち、クロムの追撃を防いだ。互いに大きな負傷は無く、頭の上に炎は灯っていない。


「…〈嵐〉も避けられるか。」

「今の動きは〈嵐〉っていうのか?」

「そうだ。基本の十五の技に、それぞれに一つ一つの技を継ぎ合わせ、無駄を削ぎ落とし、何百年と改め続けられた剣の技。それが山明経流だ。」

「…十五?」


 その技の数は半分しかないと思った。クロムがライオネルから叩き込まれた技は全部で三十あった。つまりイングリッドの知らない技が十五もあるのだ。その技、組み合わせがイングリッドを倒すための足掛かりになる。勝利の道筋を不意に悟り、剣を握り直す。


「何がおかしい。」


 イングリッドが訝しそうにクロムに問う。クロムは何のことかわからなかったが、その口元は無自覚に薄く笑っていた。

 どのように戦うか少しだけ悩んだものの、クロムから攻撃を仕掛けた。今度はひたすら連続攻撃を仕掛ける〈吹雪〉を放つが、これは簡単に凌がれた。この程度は何ともないのだとわかり、攻撃を切り替える。左手で逆袈裟掛けに斬り上げ、イングリッドは体を逸らして躱した。剣を〈空蝉〉の要領で投げ、右手で掴んで勢いのまま無理やり叩き下ろそうとした。クロムが右手柄剣を掴む直前に、イングリッドの剣に弾かれて刃の向きが変わった。〈夜叉の太刀〉の腹がイングリッドの右肩を叩きつけ、何かが砕けた音がした。

 それとほぼ同時にクロムの右腹にイングリッドの剣が深く突き刺さった。クロムの頭の上には三つ炎が灯り、イングリッドの頭の上には一つ炎が灯った。


「クロム殿!だ、大丈夫なのですか!?」

「クレスさん、落ち着いてください。」

「し、しかし。」

「大丈夫ですよ。決着がついたとき、あの魔道具の効果で傷も、命すら戻ります。まだ魔道具の効果は継続中です。」


 クロムもイングリッドもその程度の気がでは止まらない。互いに剣を振り上げ、〈逆波〉か〈白波〉かまではわからないが互いの剣をぶつけて攻撃を防いだ。クロムから身を退いて距離を取ると、イングリッドの剣がずるりと抜けて熱い血が溢れた。


(この魔道具が起動していても痛いものは痛いんだな。)


 変な関心をしている間にもイングリッドから突きが放たれる。先程よりも速く鋭い四連撃を凌ぎきり、距離が縮まる。二度の短い攻防のあと、クロムは更にイングリッドに近づいた。イングリッドが身を退きながら剣を薙いだが、これはクロムの剣が止めた。眼前まで迫り、左肘でイングリッドの顔を打つ。反射的に放たれた攻撃がクロムの左腕を大きく裂き、四つ目の炎が灯る。しかし今イングリッドは無防備で、クロムの右腕は剣を高く上げていた。


「まだだ!」

「〈剛力リギテッド〉!」


 イングリッドは左手の剣を放して両の手で剣を支え、振り下ろされたクロムの剣を辛うじて受け止めた。しかし弾くことができないまま膠着した。単純な力勝負であれば片腕だとしても〈剛力〉の魔術を使ったクロムのほうが強い。徐々にイングリッドは押し込まれながらも横へと転がるように避けて距離を取る。


「くそっ!〈グルド〉〈風〉!」


 悪態を吐きながらも両手で剣を握ったイングリッドが地をなぞるように剣先を滑らせると、途端に地面が捲れるかのように砂煙が巻き上がった。一瞬で視界を奪われたクロムだが、躊躇うことなくイングリッドのいた場所へと突進して、視界の悪いまま剣を振ったが空振りした。

 背後に気配を感じ、〈旋風〉で背後を薙ぐ。しかしこれも空振りに終わった。


(どこにっ…!)


 直感的に剣を頭上へと突き出したとき、イングリッドの声がした。


「〈霹靂〉」


 激しい放電と共に剣先に鈍い手ごたえを感じ、次の瞬間に左肩から深いところを冷たい衝撃が通り抜け、力が奪われるかのように崩れ落ちた。頭上に突き出した剣はイングリッドの右胸を貫いていて、その頭上には四つの炎が灯っていた。振り下ろされた刃には細く赤い血が伝っていた。イングリッドも地面へ倒れ込むように落ち、その体から〈夜叉の太刀〉が抜けた。


「私の勝ちだな。」

「…ああ。」


 クロムの頭上に五つ目の炎が激しく燃え、世界に色彩が戻る。同時に急速に傷が修復され、先程感じていた疲労感と気怠さも消え失せた。魔道具の効果が切れ、イングリッドの傷も見る間に癒えていった。


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