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神の盤上と彷徨者  作者: 咸深
5.衝突
127/144

108.

「こちらが、お二人が宿泊されます青瀞館です。」


 中に入れば涼しい風がクロムたちを出迎えた。これは領主館でもあった魔道具の仕業だ。受付の者がすぐに出迎え、案内の男と三、四言交わしてから奥へと引っ込み、すぐに鍵を持って現れた。

 

「クロム様、リュドミラ様。お待ちしておりました。お部屋は当館の奥、クロム様は薊の間、リュドミラ様は忍冬の間にございます。何かありましたら、お部屋に備え付けられている鈴を鳴らしてお呼びください。

風呂は早朝に掃除が入りますが、深夜から早朝にかけて以外の時間はご利用いただけます。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。」


 通された部屋は一人用らしい、手ごろな広さの部屋だった。これまでクロムが泊ってきたような雨風を凌いで睡眠がとれるような安宿とは違い、随所に誰かの拘りが映された場所だった。少なくともクロムが過去に泊まった宿は、この部屋のように柱や梁への彫刻や絵画などは飾られていない。布団は押せば程よく沈むし枕も柔らかい。手触りの通り、身を預ければ沈み程よく押し返してくる。

 布団の上でごろごろとしていると、一旦部屋に案内されたリュドミラが暇を持て余したようにクロムの部屋へとやって来た。普段と違ってぐでんと伸びたクロムを見て少し驚いていたが、気を取り直してクロムの手を掴んで引き起こそうとした。


「クロム、暇ならちょっと外に遊びに行こう。」

「俺はいい。」

「いっぱい食べた後に寝ると牛になるよ。」

「ふうん。」

「蒼火谷行ってみない?」

「あの匂いがもっと濃くなると気分が悪い。やめておく。」

「そう?じゃあ、〈風〉で守ってあげる。新鮮な空気が据えると思うよ。」

「…そこまでして行きたいか?」

「私が行きたいんじゃなくて、クロムと一緒に行ってみたいんだよ。」

「はあ。わかった、行くから。」


 根負けしたクロムはリュドミラに手を引かれるまま山へと入った。意外なことに足場は整備されていて歩きやすかった。リュドミラは約束通り〈風〉の魔術で硫黄の匂いのしない空気をクロムへ届けた。上空から吹き降ろすように使うことで匂いを抑えるようにしたのだ。その魔術の使い方にクロムは感心した。


(こういう使い方もあるのか。やはり魔術が使えるのは便利そうだな。)


 クロムたちの知る炎の色は大抵橙や赤い色をしているものだから、青色の炎があるということ自体が不思議に思えた。蒼火谷と呼ばれる山中の裂け目からは、前評判に違わず谷底や崖の所々に青い炎が踊っておりこの世のものとは思えない美しさと不気味さを感じさせた。

二人は言葉も忘れてその光景に暫く魅入っていたが、リュドミラはやがて満足したように下山しようと言った。クロムも勿論それに続いた。この場は道中よりも少し匂いが強くなっていたから、早めに離れたかった。


「凄い景色だったね。」

「ああ。」

「あれ、魔術で再現できるかな。谷底から結構離れてたのにかなり熱かったよね。もっと高い温度で燃えているのかもしれない。見当がつかないけど…。」

「そうなのか?まあ、いろいろ試していれば見つけられるんじゃないか。」

「そうだね。…あ、あれ。」


 もう少しで町に着くというとき、二頭の馬とそれに乗った人物を見た。

 一人はクレスだ。体格の良さと金髪は遠くからでもよく分かった。

 もう一人は深い紫の髪をした女だ。女にしては背丈がある。探索者のような恰好で、目付きは鋭い。羽織った外套からは二本の剣が覗き見えた。三十歩は離れているであろう距離で、ディンと出会った時のようにぞわりと背に冷たいものが走った。これはディンのような体外魔力を多く持つ、魔術に長けた者の側にいるときの感覚と同じだ。しかしこの距離で感じるなど初めてだ。


(……あいつ、相当強いな。)


 クレス達がクロムに気付いたようで、馬を近づけた。女のほうもそれに倣って近づいてきた。彼らが近付くたびに、背に寒気が走った。


「やあやあ、クロム殿。ここで会うとは奇遇ですね。」

「クレス。獣退治とやらは終わったのか?」

「ええ。四日程ここで疲れを癒してから、領主補佐としての業務に戻るつもりですよ。

 イングリッド様、彼がアスタロト迷宮を踏破したクロム殿とリュドミラ殿です。」

「…イングリッド、武神の使徒。今はこの地で修行している。

 話はしたいが、それより汗と泥を落としたい。宿に帰ってからまた話す。」


 イングリッドと呼ばれた女はクロムをじっと睨んだ後、視線を切って馬を町へと進めた。クレスもクロムたちを町の中へと促して、ゆっくりと馬を進めた。


「…実は魔獣らしい個体も数体混じっていまして。実のところ、イングリッド様の助けが無ければ危ないところでした。」

「なに?」


 クレスはクロムが興味のありそうな話題を振っただけなのだが、その話題はクロムの興味をよく引いた。

 野獣と魔獣の交雑種というのは、まれにあるらしいとバティンポリスの騒動の際に聞いた。バティンポリスでは熊の魔獣が一匹だけだったのだが、ナルバではここ数か月、野獣の群れに魔獣が混じっている事が頻繁にあると言う。多くは猪型だったが、猿や蝙蝠の魔獣も見られていると言う。


「交雑種は時に純粋な魔獣よりも強くなることがあると言います。これまでは大きな脅威ではありませんでしたが、もしそれが生まれてしまうと、と思うと恐ろしいものです。」

「偶然できるものなのか?」

「ええ。大抵は偶然産まれて、やがて群れとはぐれて探索者や神殿騎士に目を付けられて殺されます。

 しかしここまで多いのは、人為的な介入を疑わざるを得ません。…バティンポリスの件もありますからね。」

「〈盤割の鎚〉だかいう奴らのせいかもしれないということか。」

「…無きにしも非ずですな。クロム殿は、知略は得意で?」

「いいや、俺には無理だ。そっちはリュードのほうがまだ話せる。」

「え?いや、私はそこまでじゃ。」

「そうですか。やはり貴方はイングリッド様と話が合うでしょうね。彼女も考えを巡らせるのは戦いだけでいいと眉間に皺を寄せて言うのですよ。

 リュドミラ殿、今のクロム殿の話をどう思われます。」

「…猪は多産なので、もしかしたら生まれやすいことはあるかも。

 ただ、それだと親に当たる魔獣がいるはずですが、なぜか見つかっていないことになります。人の介入もあり得ることに思えますね。人でないなら、あるいは霊峰山脈が隠しているかですね。」

「ふむ。そういえば冬前頃にはセンドラー側で腕利きの探索者十数人を敗走させた恐ろしい魔獣が現れたと噂がありました。与太話の類かと思いましたが、もしかしたらその魔獣が南下した可能性も…。」

「…〈霊峰山脈の悪夢〉のことなら、もういない。」

「そうなのですか?もしや、センドラーの探索者の誰かが倒したのですか?」

「そんなところだ。」

「なら、一つ懸念が減りましたね…依然として悩みの種は多いですが。」


 話をしている間にもイングリッドは一人で馬を先に進めて、青瀞館へと入っていった。クロムたちも青瀞館へと着くとすぐに使用人が馬を連れて行った。クレスは荷を部屋へと放り込んでからすぐに風呂へと向かった。


「クロム殿も良ければどうです、一緒に。」

「いや、俺はいい。」

「…そうですか。では後ほど部屋へ伺います。」


 クレスとは別れ、クロムたちも部屋へと戻る。リュドミラも風呂に向かったようで、しばらくクロムはまた布団の柔らかさを楽しんだ。暫く微睡んでいると部屋の戸が不意に開き、泥や汗を落としたイングリッドが入ってきていた。イングリッドはクロムのだらけた姿に少し戸惑ったが、何も言わず椅子へと乱暴に座った。


「…お前が?このだらけた姿で、何故。」

「……?何の話だ。」

「何を言っている。武神エノディナムスの指示だ。彼の神はお前に協力して実力を見極めろと言う。お前はそこまで強そうに見えぬ。」


 クロムはイングリッドの話に興味が無かったのだが、彼女の言葉で気が変わった。

 クロムは胡乱な目付きでイングリッドを見る。イングリッドは嘘をついているようには見えず、ただクロムの態度に対して苛立っているように見えた。


「お前の連れの…リュドミラだったか。奴は中々な魔力を湛えていた。迷宮踏破者と言われれば首をかしげるが、装備をそろえればさもありなんと思える者だった。

だがクロムからは何も感じない。多少は頑丈そうには見えるが、それだけだ。お前、本当に私よりも強いのか?」

「さあ。」

「私と立ち会え。力を示さなければ、私はお前を認めない。」

「わかった。外だな。」

「せいぜい装備を整えておけ。」


 イングリッドはそれだけ言うと、部屋を出て行った。クロムはすぐに〈白輝蜈蚣の外套〉を羽織り、少し考えた後にただの剣を腰に佩いてイングリッドを追いかけた。町から少し離れたところで二人は対峙した。


「…逃げるなら今だぞ。クレスには良く言っておいてやる。」

「その必要はない。」


 どちらからともなく剣を構える。イングリッドは見立て通り双剣使いで、右手に七節程度の剣、右手に四節程度の短めの剣を持っていた。体を斜めに、右手の剣を中段、左手の剣を下段に構える。

 双剣でクロムが思い出したのは〈深淵の愚者〉のレラだ。彼も双剣使いで、圧倒的な駆動力と手数の多さで敵を翻弄する男だった。しかし彼女はそれとは異なる剣士のようで、構えた姿は水鏡のように静かだ。


(…さて、どう戦おうか。)

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