107.
宴会から三日間、リュドミラは忙しく商人たちの持ちに通っていた。宴会時に商人たちに頼んでいた〈集積爆竹〉の原料の入荷に関して話し合いをしていたようだった。実は宴会の場で集まった商人たちで競りのようなことを行ったようで、そこそこ質の良い材料を近いうちに仕入れる約束を幾つもしたようだった。少しの間ヤマノユに行くということで、受け取りの期限を少し伸ばすことにしたようだった。
そして当日の朝方、クレスの遣いが馬車と共にクロムの下を訪れた。
「おはようございます、クロム様、リュドミラ様。本日はナルバ領主長子、クレス・ウンベラータ様の遣いとして参上いたしました。
此度アスタロト迷宮を攻略されたお祝いとして、ささやかながらヤマノユでお休みになられると伺っております。
なお、クレス様、並びに師であるイングリッド様は急な野獣の発生があったと報せがあり、先程発たれました。ですので、お二人をヤマノユへとお先にお連れ致します。」
「そうだったか。なら、クレスたちは後で来るのか。」
「はい。討伐が済み次第向かうと言伝を預かっています。ヤマノユでお会いになることができるでしょう。すぐに出立してよろしいでしょうか。」
「そうか。こちらの準備はできている。」
「では、どうぞお乗りください。旅程は四日、宿は先触れを出して予約してありますので、ご安心ください。」
「ふうん。」
「宿に泊まれるんですか?」
「はい。ヤマノユまで三つの村があり、それぞれに大きな旅籠屋がございます。」
「一泊いくらですか?」
「今回はクレス様の招待ですので、こちらで負担致します。どうぞ気負いせずお楽しみください。」
「そうか。」
「ありがとうございます。」
馬車に揺られながらクロムは使徒イングリッドの情報を思い返していた。三日間の間にイングリッドとクレスについて情報を買ったが、この半年程度は南部の各所を巡回するように飛び回っていたために最近の情報はあまりなかった。
クレスはナルバ領主レンビス・ウンベラータ公爵の嫡子だが、その気質はクロムも知るように武人である。武勲はなかなか華々しく、アスタロト迷宮の二十層で戦える実力があり、南部の安穏を守るべく今も使徒イングリッドと共に旅に出ている。
南部ではその地位に加えて武名まで轟いているから領民たちからは尊敬されているが、腹に一物抱える貴族や商人たちからは脇が甘いと言われる。反面、彼の弟にあたるエルネストは頭が良いが武功にはが無く、対照的な二人であった。公爵家内でもどちらが後を継ぐかで二派にわかれているようだった。
イングリッドはクレスの戦いの師である。イングリッドは三年ほど前に東大陸の竜の国から現れた。東大陸での武名はあまり届いていないが、相当に良い迷宮品や装備を幾つも持っていることから有力な探索者だったのだろうと思われる。プラバ王国の王都の神殿で武神エノディナムスの使徒であると身の証を立て、プラバ王国で一年程活躍した。しかしイングリッドが神殿に立ち寄ったのはその一回のみだったようで、神殿には殆どかかわりが無かった。王国の神殿がイングリッドを取り入ろうとしたためにペンタクル連合国を経由して帝国南部へと渡ってきた経緯があった。
獲物は何でも使うが、クレスと同じく主に剣と魔術を扱う戦士だ。特に剣の技は一流で、魔術を併用して多数の敵との乱戦を得意としているようだった。
(…つまり、二人ともオルドヴスト家の騎士たちのような戦い方ができる相手か。
イングリッドとやらは神殿にはあまり関わっていないようだ。…案外仲良くできるかもしれん。)
(しかし依頼か。口ぶりから、〈盤割の鎚〉を倒すのを手伝うということだろうか。)
「クロム、何か考え事?」
リュドミラは貰った観光情報のチラシから目を上げてクロムを見た。クロムは気が付かぬ間に眉間に皺を寄せて低く唸っていた。
「うん?ああ。武神の使徒というのがどういう奴かと思ってな。」
「南部にいるって話は前から聞いた。術士なのにすごい剣の腕が立つとか聞いたかな。あと、凄い美形だとか聞いたかな。それ以上は知らないなあ…。」
「…俺が聞いた内容だな。美形かどうかは知らんが。」
「クロムは興味ないだろうからね。でも戦い方は素養のある騎士見たいね。」
「ああ。ああいうのは大抵、騎士のやることだと思っていた。」
「あ、でも深層の探索者だって同じことするよね。」
「リュードはできるか?」
「できないわけじゃないけど、実践では使えないかな。
剣を振るのに合わせて魔術の威力を変えたり剣に負担掛けないようにしないといけないのは難しいね。〈精霊の指輪〉とか〈飄風の足鎧〉の効果のおかげで少しは出来るけど、なかったらもっと難しいかも。感覚的に使える人は意外とみたいだけどさ。」
「ふうん。相手でもしてやろうか?」
「うん。でもヤマノユにいる間は休むからね。」
「ああ。」
リュドミラは護身できる程度の剣技はあるが、迷宮の中層や深層で通用する程達者ではない。もしリュドミラがもっと剣を覚えればリュドミラ自身を守る手段が増えるのだが、リュドミラ自身は魔術の研鑽に魔道具作り、そしてクロムが手を回せない金銭管理に各所への交渉で忙しくあまり練習できていない。
(本当は俺が幾らか代われればいいんだが。)
以前からそう何度も思ったが、クロムは交渉が下手で言い包められることが多い。幸い探索者協会は善性であるから、クロムが大損するようなことは殆どなかったのだが、最近は商人ともかかわることが多かった。皆が皆善性というわけではなく、クロムが交渉すれば損をした取引も幾つもあった。クロムは金銭感覚についても大雑把で、高値を吹っ掛けられても疑問を持たないことがほとんどだ。これに関してリュドミラは見てられないというかのように「もう何もしないで」と語気を強めて言い放ち、交渉や大部分の金銭管理はすべてリュドミラが行うことになった。
常人以下の魔力しか持たないうえに手先が不器用だから魔道具を作ることもできないから、クロムにできることは本当に少ないのだ。
少しの情けなさを感じながらも何かできるわけでなく、短い旅程が過ぎてヤマノユへと着いた。都市というには小さいが村というよりも大きな町には、卵の腐ったような温泉独特のにおいが一行の鼻を刺した。匂いは川からしていた。赤茶けたような色の河原、そこが見え辛い濁った流れと湯気が漂っている。匂いは湯気から漂っているようだった。
「うっ…なんだ、この匂いは。」
「温泉の成分ですね。固形物は硫黄と呼ばれています。ヤマノユから少し上った先に蒼火谷と呼ばれる観光名所があります。数年前に雷が落ちて以来、この匂いのもとが青々と燃えて、それは幻想的な光景が広がっています。」
「へえ。クロム、お昼食べたら後で行ってみよう。」
「ああ。どこか良い飯屋はあるか?」
「今は宿のほうも準備できておりませんから、飲食街に行きましょう。あちらです。」
連れていかれた先ではいくつか店と屋台が並んだだけの小ぢんまりとした通りだったが、人の往来は多く人が足を止めては何かを買っていた。クロムも何か買おうと思ったが、しばらくここに滞在するのだから今すぐでなくていいと思いなおして案内の男に着いて行った。
クロムたちは通りを過ぎて、少し離れた路地を進み小さな店へと入った。
外装は少し古いが、中は長い間丁寧に使い込まれた印象の店だった。店主らしい男に二、三品注文してから、店の奥へと通された。
「ここは私のお気に入りの店でございます。本日のおすすめは、湯川の鯉の旨煮でございます。この地で何百年と培われてきた鯉の養殖の技と、それ以上に研究されてきた味の深みは他の土地には無いと自負しております。
どうぞ、ごゆっくり御堪能ください。」
案内の男はクロムたちを座らせると、給仕に徹した。店主と仲良さそうにしている様子や料理を運んでくる様は長年携わってきたように手際が良く、息があっているように見えた。
クロムは彼らから目線を逸らして椀へと落とす。赤茶けた汁にぶつ切りにされた魚。青い野菜が少しだけ上に乗っている。クロムは川魚は嫌いではないが、それはウルクスと過ごしていた山中の、泥の少ない清浄な渓流や泉で育ったものに限る。ここに来る前に見た川は濁っていて嫌なにおいがした。果たして食べて大丈夫かと躊躇ったが、リュドミラは既に匙で掬って食べていた。
「これは豆の味噌かな、甘いし砂糖も入ってるみたいね。少しかかってる山椒が味を締めてるのが美味しさの秘訣かな?
泥臭くないし、こんなにおいしいとは思ってなかったなあ。」
「そ、そうなのか。」
クロムも意を決して匙で汁を掬い、一口食べる。嫌な味はしない。それどころか甘みと少しのぴりりとした辛みがクロムの舌を刺した。嫌な味はしないどころかもう一口と思える味だ。今度は鯉の肉を崩して汁と一緒に口へ運ぶ。ほろりと崩れ、淡白な身が汁と会わさって魚の旨味が引き立てられて口に広がる。
(…うまい。)
そう思ってから椀が空になるまでには時間がかからなかった。案内の男に聞いてみれば、鯉は別の水源から引いた水で特別な餌で育てたのだという。この辺りでは珍しくない豆の味噌や牛蒡と一緒に煮ることで臭みを消して旨味を引き立てられるのだという。この店はヤマノユの中でも特に旨い旨煮だと豪語するから、相当に自信があるのだ。その自身の通り、クロムはこれを食べるためにまた来てもいいと思う位には旨いものだった。
それからも何品か運ばれてきたが、どれも旨いものばかりだった。話に聞いていた卵はその中に無かったが、これは自分で煮るほうがいいとのことで出さなかったようだ。
腹いっぱいに食べた後、少し休んでからクロムたちは宿へと案内された。ここに案内されるまで、幾つも宿を見たがここは一際風格のある宿だった。