104.
都市ナルバはシラー帝国の食糧庫と呼ばれるほど巨大な農耕地帯だ。農業だけでなく酪農も盛んで、肉も野菜も穀物も鮮度が良い物が手に入りやすいから飯も旨い。特に今、夏の季節は野菜の収穫に加えて麦の収穫が始まっているから、これから更に美味いものが増える。この土地の料理は屋台の物でも味が良いようで元貴族のリュドミラからしても十分旨いと満足させた。なおクロムが旨いと感じる閾値はかなり低いから、それなりの味の飯を食えるなら満足である。
この都市近辺にはアスタロト迷宮しかないが、バティン迷宮に挑むために周辺の迷宮を攻略するなんていう手間が無くていいことは、むしろクロムにとって少しだけ物足りなくも気楽に過ごしていた。
「クロム、ちょっといい?」
「どうした。この鳥の揚げ物は旨いぞ。ほら。」
「あ、これ私も好き。一個貰うね。
うん、やっぱりお店ごとに味が違うけどおいしい……じゃなくて、今日鑑定依頼していたものの結果がもらえる日なんだ。一緒に行こう。」
「うん?何か出していたかな?」
「最奥層で手に入れた脛当てだよ。そういえばクロムが寝てる間に頼んだんだった。」
「そうか。書き変わりが起きていたんだな。」
「効果次第でどっちが持ったほうがいいか変わるしさ。」
「わかった。すぐに行こう。」
ナルバの探索者協会は帝都やバティンポリスと違い、用事のあるものがぽつぽつといるだけで活気というには少し寂しい。探索者の数が多くないというのもあるだろうが、季節柄野獣の討伐や哨戒、それと昨日アスタロト迷宮か復活したために出払っているようだ。
受付で職員の男が鑑札を確認してから、クロムたちを奥の部屋へと通した。勧められた椅子に座って待っていると別の職員が入ってきた。盆の上にはいくつかの品が乗っていた。
「こんにちは。今日は二人で来てくださったんですね。手続きもあったからよかったです。」
「ええ。」
「手続き?」
「はい。まずはアスタロト迷宮踏破おめでとうございます。
お二人が踏破したという事実は、既にこの〈飄風の足鎧〉が証明しています。」
〈飄風の足鎧〉と呼ばれた脛当ては駆けた時の速度が速くなる〈飄風〉、〈風〉の魔術が強化される〈風精の加護〉、体内魔力の回復を早める〈魔力蓄積〉という効果が付いてた。最奥層から手に入れた迷宮品にしては効果が少ないように思ったが、最後の〈魔力蓄積〉は至極珍しいらしく〈魔力蓄積〉の効果を持つ迷宮品を手にすることは術士の憧れなのだという。クロムの心はすぐに決まった。
「じゃあリュードが持て。」
「いいの?」
「これをうまく使えるのはリュードのほうだからな。」
「ありがとう!竜素材の防具も良いけど、こんなに早く〈魔力蓄積〉の迷宮品を手に入れられるなんて…!」
卓上の脛当てを手にして輝いた眼で愛おしそうに表面を撫でていた。気持ちが高ぶっているリュドミラを温かい目で見ながらも、職員はクロムの方を向いて残りの迷宮品の説明をした。
〈収納袋〉があったから、これはクロムたちで引き取った。クロムが持っている〈収納袋〉と同じくらい収納できるもののようだった。これはリュドミラへと渡した。リュドミラの持っている〈収納袋〉はクロムの持つものの半分以下の容量だから、リュドミラにはこの〈収納袋〉を使ってもらうことにした。
蓄積されたマナで魔術を相殺する〈濃紅鱗の護符〉。これは〈白輝蜈蚣の外套〉を持つクロムには不要だが、安全を考えてリュドミラに与えた。
魔獣を遠ざける〈魔除けの短剣〉。クロムたちにとってはあまり歓迎できる効果ではないから、すぐに売却を決めた。非常に軽く水を吸わせることで大きくなる片手剣の〈泡沫剣〉は人が打った物よりも頑丈で切れ味も良かったが、いざクロムが持ってみると軽すぎてまったく手に馴染まなかった。水をかけても軽さは変わらず、結局売却した。
他にも幾つかの迷宮品と魔獣の素材があったが、結局大したものは無かったため売却に回した。迷宮深層から得られた迷宮品ということで、全部で金貨二百八十五枚という中々な値が付いた。この内訳の半分以上は〈魔除けの短剣〉で、身を守りたい貴族には何倍もの値で売れるのだという。
すぐに大金が運ばれてきて、その場で売却の契約書に署名し取引が為された。
「いやあ、大変良い取引でした。こちらとしてもうれしい限りです。
ところで、お二人はパーティを組まれているんですよね?」
「ああ。」
「パーティ登録はされてますか?」
「いや。」
「できればして頂きたいんですが。」
「しなきゃ駄目なのか。」
「駄目ではありませんが、これから領主様と会っていただかねばならず…パーティ名がないとちょっとだけ困るんです。」
「面倒だ。俺たちはこれで別の場所に…」
「あーーーー待って待って待って待って!それは困るんですよ!領主様がお二人を讃えて、お二人が満足しないとならないんです。」
「面倒だな。」
「はい、貴族ってのは面倒なんですよ。ナルバ領主様は頑固なお方ではありませんが、しかし体裁は気にされるお方なのです。
クロムさんが起きるまで招集を待っていただくようお願いしていて、返答を七日も待っていただいているんですよ。色よい返事を貰えないと、後が困るんです。
どうか、この通り!」
「嫌だが。」
深く頭を下げた職員だったが、クロムは無碍に断った。焦った表情で顔を上げた職員はなおも食い下がった。
「えーと、報奨金も出ます!」
「興味ない。」
「栄誉ですよ!」
「興味ない。」
「えーーーーっと、じゃあ美味しい物も食べられますよ!」
「……いや。」
「沢山工夫された、普段食べられないような美味しい物が食べられますよ!」
「…………。」
「行きます。クロム、こういうのは出ておいたほうがいいよ。貴族と良いつながりがあれば、いざというときに後ろ盾になってくれることもあるし。」
食べ物で釣られるものかと思いながらも返答を濁してしまったクロムだったが、それまで興奮していたリュドミラが突然落ち着いた意見を出した。そう言ってすぐにリュドミラはさり気なく口元を拭っていたが、下町の屋台に舌鼓を打っていたのはリュドミラも同じだから、食べ物に釣られたとか、そういうわけではないはずである。
「じゃ、じゃあ。」
「おい。」
「はい、行きますよ。美味しいものを用意しておいてください。お肉とか。」
「伝えておきましょう。ただし、領主様が抱える料理人たちはこの国でも最高峰ですから、味は保証できますよ。」
「それは良かった。クロム、ちゃんとした服を仕立てないとね。」
「ああ、そこは大丈夫ですよ。確かに身形を気にされる貴族は多いですが、ナルバ領主様は来賓の格好は気にされません。…面会の前に恐らく従者たちに洗われてそれなりの服を与えられますから、今のお二人の格好でも問題ないでしょう。」
「それは良かった。クロム、少し我慢すれば美味しい物をいっぱい食べられるよ。」
「……。」
「こ、これが深層の探索者を抑え込む手管…いや、尻に敷かれているだけか?」
変なところで感心している職員をよそに、リュドミラはクロムの口に飴を放り込んで次の言葉を黙らせていた。クロムが黙っている間に着々と話が進み、飴が無くなるころには話が付いていた。
「あーよかった。確約が取れればこちらとしても安心です。じゃあ、四日後によろしくお願いしますね。領主様にはこちらから遣いを出しておきます。
あ、あとパーティ名はどうしますか?」
「はい、よろしくお願いします。あとパーティ名はちょっと保留で。」
「わかりました。では失礼しますね。」
職員はそそくさと部屋を出ていき、クロムたちも少ししてから探索者協会を出た。クロムは不服そうな表情をしていたが、屋台で薄く開かれた、掌よりも大きな鳥肉を油で茹でたものをリュドミラから買い渡されると少し眉間の皺を緩めた。これではまるで食べ物で期限を取られているようで少し面白くない気分になったが、しかし食欲をそそる香りを嗅ぐと暖かいうちにこの揚げ物を食べるべきだと思い、少しの葛藤のあとで負けを認めるかのように齧り付いた。表面の小麦がざくざくと音を立てて小気味良い音を立て、中の身は柔らかい。摺りこまれた何種類もの香辛料の配合が程よく肉の味を立てていて、一口食べれば更にもう一口と食べたくなる味だった。